ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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pixivにある同名の作品を手直ししております


ほっぺたの触り心地は?

 昼下がりのトレーナー室。あたしはソファーに座るトレーナーさんの背後に立ち、その肩をゆっくりと揉みほぐしていた。いつもなら「気持ちがいい」と目を細めてくれるのに、今日のトレーナーさんはいくら揉んでも肩が強張ったままで、ぼんやりと宙を見つめている。

 無意識のうちに指先の力が抜け、マッサージする手がピタリと止まってしまう。

 

「トレーナーさん……何か考え事ですか?」

 

 思わず覗き込むように尋ねると、トレーナーさんの肩がビクッと跳ねた。

 

「えっ!? いや、そんなことはない! ないんだけど……」

「でも、もしかして……あんまり気持ちよくないですか?」

 

 あたしの言葉に、トレーナーさんは慌てて首を振る。だけど、何か考えていたのは事実だし、良くないことなのかも……と、胸の奥がギュッと締め付けられた。

 戸惑いが伝わったのか、トレーナーさんは肩に置かれたあたしの手に、自分の手を重ねてくれた。手の甲からじんわりと温もりが広がって、強張っていた身体の力がフッと抜ける。

 

「トレーナーさん……?」

「不安にさせてごめんな。でも、君が悪いわけじゃないから安心してほしい」

 

 手のひらと同じくらい温かい言葉に、思わず身も心も預けそうになり――って、ストップあたし!

 ブンブンと勢いよく首を振り、思考をクリアにする。トレーナーさんが何を考えていたのかを聞かないといけないじゃない!

 

「そ、それなら……何を考えていたんですか?」

「君はいつも、誰かのためにばかり動いているだろう? 自分のためだけに何かをすることがあるのか……少し心配になってね」

「自分のため……ですか?」

 

 思わず斜め上を見上げて、うーんと考える。だけど、答えはすぐに出た。

 

「お助け活動をすることで、皆を笑顔にできますから、あたしのためでもありますよ?」

「君ならそう言うとは思ってたけど……なんて言えばいいかな」

 

 トレーナーさんは小さく唸り、下を向いて考え込んでしまった。待つこと数十秒。弾かれたように顔を上げた。

 

「そうだ! 我儘を言ってほしいんだ!」

「我儘……ですか?」

 

 パッと表情を明るくしたトレーナーさんを前に、あたしは目をパチクリとさせて、コテンと首を傾げた。

 

「我儘って例えばどんなことですか……?」

「例えば……そうだな。誰かのためじゃなくて、君自身が純粋にやりたいことだ。とにかく、迷惑なんて考えずに言ってほしいんだ」

 

 重ねられた手がギュッと握り込まれる。その力強さに、自分のほっぺたがカァッと熱くなるのを感じた。

 遠慮せずに、あたしのやりたいことを。

 

「そう言われても……すぐには思いつかないですよ?」

「急でごめんな。でも、本当に小さなことでもいいから言ってほしいんだ」

 

 頭で分かっていても、すぐに言葉は出てこない。視線が自然と、重なったままのふたりの手に落ちる。……これだ!

 あたしは自分の手をクルッと裏返し、トレーナーさんの温かい手のひらをギュッと握り返した。

 

「思いつきましたよトレーナーさん!」

「おお、本当か! それで、何を思いついたんだ?」

 

 嬉しそうに振り返ったトレーナーさんの瞳を、ジッと見つめる。

 

「あたしのほっぺたを触ってください!」

「ああ! 分かった! ……えっ?」

 

 トレーナーさんは目を丸くして、パチパチと瞬きを繰り返した。

 

「ほっぺた……って、君のか……?」

「はい!」

「いや、流石に担当ウマ娘の頬を触るのは……」

 

 気まずそうに視線を逸らすトレーナーさん。普段ならここで引き下がるけれど、今日「我儘を言っていい」と口にしたのは彼の方だ。あたしは一歩だけ前に踏み出した。

 

「あたしの我儘聞いてくれないんですか……?」

「うっ……」

 

 眉尻を下げて上目遣いで見つめると、トレーナーさんは言葉に詰まった。

 

「そ、そもそも何で触ってほしいんだ……」

「深く触れ合いたいからです!」

「深くって……」

「もっとトレーナーさんと仲良くなりたいんです! お願いします!」

 

 深く深く頭を下げて頼み込む。

 

「そこまでなのかキタサン……」

 

 頭上から、長く諦めを含んだような息遣いが聞こえた。

 

「分かったよ……君の頬を触るよ……」

「ありがとうございます!」

 

 パッと顔を上げ、満面の笑みで急いでトレーナーさんの正面へと回り込む。

 

「では、トレーナーさん! あたしのほっぺたです!」

 ズイッと顔を前に突き出し、両目をギュッとつむる。

「あ、ああ……。今から触るからな……」

 

 おずおずと伸びてきた気配が、顔へと少しずつ近づいていく。

 指先がほっぺたに触れた瞬間、そこからジワッと熱が広がっていった。

 

「どうですか……!」

 

 初めは恐る恐る触れていた指先が、次第に熱を帯びた柔らかな肌をしっかりと包み込むようになっていく。

 

「何というか……モチモチしてるな……」

「あたしのほっぺたは、ダイヤちゃんのお墨付きですからね!」

 まじまじとあたしの顔を見つめる神妙な表情が、少しおかしい。

 プニッ、プニッと指の腹でつつかれるたび、ほっぺたがさらに熱を帯びて柔らかくなっていく。

 

「今度は撫でてみてください!」

「ここぞとばかりに色々言うなぁ……」

 

 少しだけ身を引いたトレーナーさんを見て、あたしは無意識に唇を尖らせた。こんな風に触ってもらえることなんてなかなか無いんだから。

 あたしの視線に複雑な顔で躊躇っていたが、やがて観念したように小さく息を吐いた。

 

「……分かった。撫でてみるよ」

「お願いします!」

 

 一旦指が離れたかと思うと、両頬が温かい手のひらにすっぽりと覆われた。目をつぶってじっくりとその感触を味わう。えへへ……すごく気持ちがいい。

 温かい手のひらが、あたしのほっぺたを優しく、愛おしむように撫でていく。

 

「どうれふか? ひもひいれひょう!」

「まぁ……うん……そうだな……」

 

 どこか上の空な声に、あたしは目を閉じたまま不思議に思って首を傾げた。

 

「とれぇなぁはん?」

 

 そっと目を開けると、トレーナーさんは相変わらず硬い表情のままだった。

 せっかくの我儘タイムなのに、そんな顔をされたらあたしまで寂しくなってしまう。トレーナーさんにも、あたしみたいに素直になってほしい。

 あたしは両手を伸ばし、トレーナーさんの顔をガシッと挟み込んだ。

 

「むぐっ!?」

 

 驚いた変な声が漏れた。そのままトレーナーさんの顔を、グニグニと動かしてみる。むっ……意外と触り心地がいい。

 

「キタハン……らにお……?」

「トレーナーさんが笑ってくれないから、笑わせようと思って」

「本当に今日は強引だな……」

「我儘言っていいって言ったのは、トレーナーさんですもん」

 

 『我儘』という言葉を盾にして、あたしはさらに指先に力を込める。そのまま、むにーっと彼のほっぺたを横に引っ張ってみた。

 

「キタハン……! イヒャイ……!」

「ふふふ……! 面白い顔です!」

 

 されるがままになっていたトレーナーさんの手が、ふいにピクリと動いた。

 

「そっちがその気なら!」

「むぎゅっ!?」

 

 突然、あたしの両頬がプニッと強く押し込まれた。

 驚いて動きを止めると、至近距離にあるトレーナーさんの瞳が、イタズラを思いついた子供のようにキラキラと輝いている。

 

「と、とれぇなぁはん……。何をすりゅきれすか……?」

「こうするんだ……!」

 

 押し込まれたほっぺたがそのまま上に持ち上げられ、今度は下へと遠慮なく揉みくちゃにされる。痛くはないけれどくすぐったい。

 

「そっちがその気ならこっちだって〜!」

「ぐっ!?」

 

 負けじと手を動かし、トレーナーさんの頬をむにむにと押し返す。

 

「ふふふ……どうれすか……!」

「こっちだって……!」

 

 それから暫くの間、ふたりして無我夢中でお互いのほっぺたを引っ張り合った。

 やがて、ふと窓の外に目をやると、部屋に差し込む光はすっかり茜色に変わっていた。

 

「あはは……いつの間にか夕方になっていますね……」

「そうだな……あんなことするの、学生時代以来だよ……」

 

 照れくさそうに頭を掻くトレーナーさんにつられて、あたしも自然と笑みをこぼす。

 

「……! ……っ」

「?」

 

 ふと、廊下側から微かな物音が聞こえた。

 視線を向けると、ドアが数センチだけ開いている。どうやら、その細い隙間から『何か』がこちらをジッと覗き込んでいるようだ。

 

「どうしたんだキタサン?」

「ドアのところから、誰かが見てるような……?」

 

 トレーナーさんと一緒にドアの前まで歩み寄る。隙間の向こうにいる何者かは、小刻みに震えているようだった。

 そっとノブに手を掛け、ゆっくりとドアを開ける。

 

「……ダイヤちゃん?」

「き、キタちゃん……こんにちは……」

 

 そこに立っていたのは、親友のダイヤちゃんだった。両手で口元を覆い、なぜか肩をビクビクと震わせている。

 

「ダイヤちゃん……どうしたの……? なんで怯えてるの……?」

「えっと……その……」

 

 声をかけると、彼女はさらに激しく目を泳がせた。

 すると、横にいたトレーナーさんがハッとして息を呑み、みるみるうちに青ざめていく。

 

「トレーナーさん? どうしたんですか?」

「もしかしてだけど……見られてたんじゃないか……?」

「えっ?」

 

 その言葉に、ダイヤちゃんの肩が大きく跳ね上がった。

 見られてた? 何を?

 さっきまでの光景が脳裏にフラッシュバックする。夕暮れの部屋、至近距離、お互いの顔に伸ばした手……。

 

――バッ!!

 

 弾かれたようにダイヤちゃんが駆け出した。一度もこちらを振り返らず、廊下の奥へと遠ざかっていく。

 

――数秒遅れて、あたしも全力で駆け出していた。

 

「ダイヤちゃん! 待って! 話を聞いて!」

「分かってるよキタちゃん! トレーナーさんとそういう仲なんでしょ! 誰にも言わない! 言わないよ!」

 

 不味い! 変な風に捉えられてる!

 緩むことのないダイヤちゃんの背中に向かって、あたしは必死に手を伸ばした。

 

「そんな仲じゃないよ! ダイヤちゃん! 落ち着いて!」

「どんな仲ならほっぺたを触り合うっていうの!?」

「どこから見てたのダイヤちゃん!?」

「ふたりがほっぺたグニグニしてたところからだよ!」

「一番駄目なところだ! 説明するから待ってよ!!」

 

 ダイヤちゃんの足は止まらない。

 次は、絶対に鍵を閉める……!

 そう固く心に決めながら、あたしは茜色の廊下を全力で追いかけ続けた。




基本的に登場人物はトレーナーとキタちゃんの2人ですが時々ダイヤちゃんが出てくることもあります
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