ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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pixivにある同名の作品を手直ししております


とある日のご褒美

「お疲れ様、キタサン」

「トレーナーさんもお疲れ様です!」

 

 お互いの労いの声が重なり合い、気づけばふたりして微笑んでいた。

ミーティングの資料を片付けると、いつものトレーナー室に茜色の夕陽が差し込んでいる。

徐々に色を失っていく光は一日の終わりを告げているようで、少しだけ切ない。普通なら、夕陽に急かされるまま帰路につくのだろう。

だけど、そうはならない。何故ならば。

 

「ふふ……♪ トレーナーさん!」

 

 あたしは勢いよく立ち上がり、小走りでトレーナーさんに近づいていく。

 そして、座っている彼の前に、そのままポスッと頭を差し出した。

 

「えへへ……♪ 今日もお願いしますね!」

「ああ、分かったよ」

 

 期待で、あたしの耳は勝手にぴょこぴょこと動いてしまう。

 まだかな……まだかな……?

 そんな気持ちで待っていると、ガタリと椅子が鳴った。

 そしてそのまま、あたしの頭にぽんと温かい手が置かれた。

 

「いつも良く頑張っているな。偉いぞ、キタサン」

 

 優しい声と一緒に、トレーナーさんが頭を撫でてくれる。

 そう、これが一日の終わりの、あたしへの最高のご褒美だ。

 

 始まりは、何ヶ月も前のこと。

 レースで勝てるようになってきたご褒美にと、トレーナーさんが何かプレゼントをしたいと言ってくれたんだ。

 

『俺に出来る範囲なら何でもいいよ』

 

 優しく微笑んでくれたトレーナーさんの顔は、今でもはっきりと思い出せるくらい嬉しかった。

 でも、いざプレゼントと言われても、すぐには思い浮かばない。

 甘いもの?……せっかくだから違うものがいいかも。

 一緒にカラオケ!……も楽しいけど、なるべく長く続くものが嬉しい。

 一日の終わりにハグとか!?……いやいや、あたしにはそんな大胆なことは無理だ。スイッチの入ったダイヤちゃんなら出来るんだろうけど。

 悩みに悩んで、ふと思いついた。

 ハグよりも恥ずかしくなくて、カラオケと同じくらい嬉しいこと。それは……。

 

『トレーナーさん、思い浮かびました!』

『お! 何だ?』

『あたし……頭撫でてほしいです! 毎日!』

『なるほど!……なるほど? えっ? 毎日? えっ?』

 

 そうだそうだ。あのキョトンとした顔、今思い出しても笑えちゃうな。

 それからだ。一日の終わりに、二人きりのこの部屋で撫でてもらうようになったのは。

 最初はたどたどしかった手つきも、今ではすっかりプロ級。

 時には優しく……時には力強く。寄せては返す波のような絶妙なナデナデに、あたしはすっかり感心してしまう。

 喜びで大きく揺れる尻尾をごまかしながら、その心地よさをたっぷりと味わっていった。

 

「よしよし……キタサン……」

 

 サラリ……サラリ……と髪に沿って滑る手のひら。その優しい温もりを、頭全体で受け止める。

 うん……これがいいんだよね……。

 穏やかな波のように流れていく心地よさに、あたしは少しだけ頭を揺らしてしまう。

 

「えへへ……もっと……♪」

 

 思わず声が漏れ、耳が勝手にぴょこぴょこと動いてしまう。

 何度かトレーナーさんの手に当たっても、彼は気にすることなく優しく撫で続けてくれた。

 ふわふわする……しあわせ……もっと……。

 まるで空に浮かんでいるみたい。気づけばあたしは瞳を閉じて、その心地よさにすっかり身を委ねていた。

 気づけばあたしは瞳を閉じて、その感覚に身を委ねつつあった。

 

「どうかなキタサン、これで大丈夫かな?」

「勿論ですよ……♪ ふふ♪ 本当に幸せです……」

「それなら良かった。よしよし……」

「えへへ! もっともっとです!」

 

 あたしの一言で、撫でる力がさらに強くなった。

 髪が少し乱れるくらいに、くしゃくしゃにされる。だけど決して痛くはなくて、不器用な優しさだけが伝わってくる。

 圧倒的な心地よさに、思わずふるふると体が震えてしまった。

 

「ふへへ……」

 

 あっ……いけない……。変な声が出てる……。

 急いで口をぎゅっと結んで我慢する。……でも、いつまで耐えられるか分からない。

 頭のなかがどんどんふわふわしてきて、もう、どうにもならなくなってきた。

 そもそもこの力強いナデナデは、あたしからお願いしてやってもらうようになったもの。

 最初は力の加減が分からなくて何度も謝っていたトレーナーさんも、今やこの腕前だ。

 ふふ……トレーナーさんのナデナデ技術はあたしが育てた!……なんて言ってみたりして。

 そんな変なことを考えちゃうくらい、もう頭の中は気持ちよさでとろけきっている。

 

「ふふ……」

「トレーナーさん?」

 

 夢うつつのあたしの耳に、小さな笑い声が届く。

 そっとまぶたを持ち上げると、優しげに微笑むトレーナーさんの顔があった。

 その穏やかな表情に目を奪われて、あたしは思わずぱちっと目を丸くしてしまう。

 そんなあたしの不思議そうな視線に、トレーナーさんも気づいたみたいだった。

 

「ああ、ごめんなキタサン。今のキタサンを見てたら、ある動画のことを思い出してね」

「動画……? あっ、もしかしてさっきトレーナーさんが見てた、犬のやつですか?」

 

 ミーティングの前に、トレーナーさんがスマホを見て微笑んでいたのを思い出す。

 チラリとしか見えなかったけれど、確か大きな犬が映っていたような……。

 お願い、当たってますように!

 祈るような気持ちで見つめると、トレーナーさんは優しく頷いてくれた。

 良かった。どうやら正解だったみたい。

 

「うん。撫でられてる時のキタサンと、その子が本当にそっくりでね……すごく可愛かったなぁ……」

「そっくり……? どんな感じなんですか?」

 

 へぇ〜、あたしとその子ってそんなに似てるんだ。「観たい観たい!」と期待の視線を送ると、トレーナーさんはすぐにスマホで動画を見せてくれた。

 映し出された画面には、ご主人様のナデナデを顔全体で受け止め、だらしなく顔を緩ませている大きな犬がいる。

 うん、確かに可愛くて幸せそうだ。画面の中のその子につられて、あたしのほっぺたもさらに緩んでしまう。

 

「わぁ! 本当に幸せそうな……幸せ、そう……」

 

 言葉の途中で、ふと気づいてしまった。

 確かにこの子は可愛い。でもそれ以上に、とんでもなくだらしなく顔が緩みきっている。

 犬なら愛嬌で許されるけど、もしも女の子がこんな顔をしていたら、それは……。

 あたしだって一応、年頃の女の子だ。ダイヤちゃんほど完璧じゃなくても、見せちゃいけない顔くらいは分かっている。

 だから……えっと……もしも今、あたしがこんな表情をしていたんだとしたら……?

 サーッと血の気が引いていくのを感じながら、恐る恐るトレーナーさんを見上げた。

 

「と、トレーナーさん……。あ、あたしってあんな顔してるんですか?」

「ああ。凄く幸せそうで見てて和むだろう?」

 

 トレーナーさんの屈託のない肯定が、とどめだった。

 嘘……。あたし、あんなに緩みきった顔をいつも見せてたの!? それってつまり……あ、ああああ……っ!

 考えれば考えるほど、羞恥心で頭がどうにかなりそうだった。

 

「ゃぁ……」

「キタサン? って、顔が真っ赤だぞ!? どうしたんだキタサン!?」

「みないで……いまのあたしのかおみないで……」

「えっ? キタサン? 大丈夫かキタサン!?」

 

 焦るトレーナーさんから逃げるように、あたしは両手で顔を覆い隠した。

 絶対に見られたくない。恥ずかしくて、全身が燃え上がるみたいに熱い。

 

「ごめんなさいゆるして……」

「お、俺の方も悪かった! 何が悪いかわからないけど多分俺が悪い気がする! だから落ち着いてくれキタサン!」

「やぁぁ……」

 

 落ち着かせようとしてくれているのか、トレーナーさんの手は止まらない。

 やめて、やめないで。恥ずかしいのに、嬉しい。

 ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた頭で、あたしが出せた結論はただ一つ。

 

――次は絶対に、マスクをしてから撫でてもらおう。

 

 そんな些細な抵抗を考えるのが、今のあたしには精一杯だった。

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