トレーナー視点での話です
響く太鼓と鈴の音。それに合わせるかのように盛り上がる人々の声。ここで行われるのは小さなお祭りだ。
そんな祭りの空気に誰よりも目を輝かせているのが、俺の担当ウマ娘であるキタサンブラック。
数日前から行く約束をしていた彼女は、今日という日が待ちきれなかった様子で、いつも以上に足取りが軽い。
俺はその背中を微笑ましく見守りながら、彼女の後に続いた。
「早く来てください、トレーナーさん!」
「あはは、そんなに急がなくてもお祭りは逃げないよ」
「盛り上がりは一期一会、その時その時しか味わえないんです!」
「言いたいことはわかるんだけどな……」
ここに着いてからというもの、キタサンは弾むような足取りで、ぴょこぴょこと耳を動かし続けている。その楽しそうな背中を見ていると、自然と俺の口角も緩んでしまった。
ふと、前を歩いていたキタサンが立ち止まる。どうしたのかと隣に並ぶと、彼女はある出店をじっと見つめていた。
こちらの気配に気づいた彼女が振り返る。その瞳は、お祭りの提灯の明かりを反射してキラキラと輝いていた。
「トレーナーさん! にんじん焼き食べてもいいですか?」
いつも以上に明るく弾んでいる声。
ここに来る前、「食べ歩きはしすぎないこと」と約束したのを、ちゃんと守ろうとしてくれているらしい。
そんな彼女らしい素直さに、俺は自然と目を細めた。
「ああ、大丈夫だよ」
「ありがとうございます! おじさん! にんじん焼き一つください!」
「はいよ、お嬢ちゃん!」
小さな太陽のように眩しい笑顔で、にんじん焼きを受け取るキタサン。その周りをパッと明るくするような姿に、出店のおじさんも同じように笑顔になっていた。
彼女はホクホク顔で、急いで俺のもとへ駆け寄ってくる。
「お待たせしました、トレーナーさん!」
「大丈夫、待ってないよ。あそこの木陰で休みながら食べようか」
「えへへ……わかりました!」
にんじん焼きを手にしたキタサンの足取りは、いつもよりずっと大きい。笑顔の彼女についていく俺は、すっかり置いていかれ気味だ。
元気な背中を追いかけるのも悪くないが、彼女を待たせるわけにもいかず、俺は少しだけ歩くペースを上げた。
しかし、一足早く木陰に着いたキタサンは、にんじん焼きを大事そうに持ったまま、シュンと耳を伏せてこちらを待っていた。
「ごめんなさい、トレーナーさん……。はしゃぎすぎてますよね……」
「気にしないでくれ。嬉しそうなキタサンを見られるのが一番だ。それに祭りは楽しまなくちゃ……だろ?」
「そう……ですね! ありがとうございます、トレーナーさん!」
キタサンの顔に、パッと明るい笑顔が戻った。
やっぱり彼女には、その笑顔が一番似合う。俺は心の中で改めてそう噛み締めた。
「それより、にんじん焼き食べないのか? 温かいうちに食べたほうがいいと思うぞ?」
「それもそうですね! では、いただきます!」
そう言うと、彼女は小さな口を大きく開けて、にんじん焼きにハムっと齧り付く。
両頬をいっぱいに膨らませながら、口をムグムグと動かし始めた。
「もぐもぐもぐ………………」
「おいしいか?」
「もぐもぐ………………」
完全ににんじん焼きの世界に入り込んでいるのか、俺の声には全く反応しない。
いつもなら元気に揺れているはずの耳や尻尾も、今はピタリと止まっている。ただ無表情でムグムグと口を動かし続ける小動物のような姿が面白くて、俺は彼女が食べ終わるのをのんびり待つことにした。
「…………ふぅ。おいしかったです!」
ボンヤリと眺めていると、満足そうな声が聞こえてきた。
静かだった耳と尻尾も再び動き出し、無表情だったのが嘘みたいに元の笑顔に戻っている。
さっきまであったにんじん焼きはどこにもなく、空になった串だけが、寂しそうに彼女の手の中に収まっていた。
「夢中で食べてたな」
「えっ?」
笑いかけながらそう言うと、彼女はキョトンと目を丸くした。
やっぱり自分がどれだけ夢中だったか、全く気づいていなかったらしい。俺は内心でおかしく思いながら、キタサンの顔を見つめた。
「そんなに集中してましたか……?」
「俺の声が聞こえないくらいだからね」
俺がそう返すと、人差し指で頬を掻きながら照れ笑いを浮かべていたキタサンは、すぐにハッとしたように申し訳なさそうな顔に変わった。
「すみません……全然気づいてませんでした……。どんなことを言ってたんですか?」
「おいしいか聞いただけだから、気にしないでくれ」
俺がそう言うと、キタサンはホッとした顔に戻ってくれた。
それにしても、他の食べ物なら普通に話しながら食べられるのに、声すら届かなくなるほどにんじん焼きに夢中になるとは……。
「本当にすみません……。にんじんを食べるときは、どうしてもそうなっちゃうみたいなんですよね……。味をじっくり楽しみたいからなのかな……」
「夢中で食べてる時に、サトノダイヤモンドに頬を触られてそうだな」
「そんなわけ……。あれ? 確かにダイヤちゃんと一緒のとき、妙にニコニコしてたような……?」
どうやら俺の冗談を真に受けてしまったらしい。
むむむと唸りながら腕を組んで考え込む姿がどこかおかしくて、俺は思わず吹き出しそうになった。
「いえ! いくらあたしでも触られたら気づきますっ!」
「あれだけ集中してたら、わからないんじゃないか?」
「むむむ……。気づかないなんてことない……はず……」
少しからかいすぎただろうか。
サトノダイヤモンドだって、きっと微笑ましく見守っていただけのはずだ。親友にそんなイタズラをするような娘じゃない。
予想外に深く考え込んでいるキタサンを見て、慌てて冗談だと白状しようとした、その時だった。
「気づかない……? そうだ……!」
ぽつり、とキタサンらしくない小さな呟きが聞こえた。
次の瞬間、パッと顔を上げた彼女が、満面の笑みでこちらを見つめてくる。
なんだろう、この嫌な予感は。いや、まさかキタサンに限って変なことを言い出すはずが……。
「それなら試してみましょう! にんじんを食べてるあたしに触ってみてください!」
「え?」
あまりに予想外の言葉に、つい間抜けな声が出てしまった。
「ちょうどここならにんじん焼きも売ってますし、試すにはもってこいですよっ!」
「いや、すごい近いな……」
鼻先が触れそうなほど顔を近づけてくる彼女の勢いに負け、俺は思わず少し後ずさってしまう。
だけど。普段はこういう風にグイグイ来ることはあまりないから。それが少し嬉しくて。
何よりも、期待にキラキラと輝くその瞳に惹き込まれてしまった俺は。
「わかった、わかったから! だからそんなに近づかないでくれ! 圧が強い!」
タジタジになってつい同意すると、キタサンはパッと光り輝くような笑顔を見せた。
「ありがとうございます! では、早速また買ってきますね!」
そう言うやいなや、キタサンは一直線ににんじん焼きの屋台へと駆け出していった。
そんなに急がなくても逃げないだろうに。
――遠くから響いてくる彼女の元気な注文の声に、俺はたまらず吹き出してしまった。
「買ってきましたよ、にんじん焼き!」
「もう買ってきたのか……」
あまりの早業に俺が呆気にとられていると、当のキタサンはどこか落ち着きがない様子だった。
にんじん焼きを持っていない方の手を無意識にグーパーさせたり、視線をキョロキョロと泳がせたりしている。
そのあからさまに不自然な様子に違和感を覚えつつも、俺はひとまず深く考えないことにした。
「では! にんじん焼き、食べます!」
「わかった……。その……俺は何をすればいいんだ?」
「そうですね……。頭を撫でたり、あたしに何か語りかけてください! 例えば、『いつも頑張ってて偉いぞ!』とか!」
なるほど、要は褒めたりすればいいのか。正直俺も照れくさいが……まぁ、うん。やってみよう。
一歩距離を詰めると、それに比例するように彼女の頬はみるみる赤く染まっていった。
少し乱れた呼吸を整えるような小さな深呼吸と、落ち着きなく大きく揺れる尻尾。
あからさまに緊張して待ち構えているその姿に、もしかして……と、俺まで妙な勘違いをしてしまいそうになる。
「で、では……食べます……! あたしが夢中になってるタイミングでお願いします!」
「わかった」
どこかギクシャクとした動きで、にんじん焼きを口元へと運ぶ。
そしてさっきの勢いはどこへやら、少しだけ口を開けて、ゆっくりとお淑やかに齧り付いた。
「はむ……はむ……」
さっきとは違い、一生懸命味わって食べようとしているのが伝わってくる。
そろそろかな。
俺は彼女の頭に向かって、ゆっくりと手を伸ばした。
手のひらが近づくにつれ、小さく身を震わせるキタサン。優しく頭の上に手を乗せると、彼女はまるで何かをこらえるようにピタリと動きを止めた。
そんな愛らしい姿に、俺は少しのイタズラ心を込めて言葉を紡ぐ。
「いつも頑張ってて偉いよ……」
「はむはむ……」
優しく頭を撫でてやると、サラサラとした柔らかな髪の感触が手のひらに伝わってくる。
本人はあくまで「実験中だから」と無心で食べているつもりらしいが、ピョコピョコと動く耳と大きく跳ねる尻尾が、今の感情を雄弁に語っていた。
先ほどとの見事な違いに吹き出しそうになるのをグッと堪え、俺は彼女に向けて言葉を続ける。
「君の頑張る姿は俺の支えになっているよ。その頑張りに報いたいから俺も頑張れるんだよ」
「は……む……は……む……」
頭を撫でながらさらに甘い言葉をかけ続けると、限界が近いのか、彼女の耳と尻尾の動きはだんだんと弱々しくなっていった。
ついには限界を迎えて下を向いてしまったキタサンを見ながら、俺は優しく何度も言葉をかけ続けた。
「誰かのために頑張れる君が誇りだ。皆を笑顔にできる君が何よりも素敵だ」
「あ……ぅ……あ……」
何とか食べようとしているものの、すでに口が回っていないようだ。
これ以上はキタサンが持たないだろう。俺は言葉による追撃を止め、あとは優しく頭を撫でるだけにした。
「よしよし……」
「もぐもぐもぐもぐっ!」
照れを誤魔化すように猛スピードで頬張り始めた彼女を、俺はゆっくりと撫でながら微笑ましく見守った。
にんじん焼きはあっという間に無くなり、気づけば彼女の手には空の串だけが残されていた。
静かになった空間に、キタサンの少し荒くなった呼吸だけが聞こえてきた。
「お、おいしかったです……」
顔を真っ赤にしたまま、どうにかそれだけを絞り出した。
「どうだった? やっぱり気づくよな?」
わざとそう尋ねてやると、彼女はピクッと肩を跳ねさせて。
「いや……気づき……ません……でしたね……。あはは……そんなに……集中してたかな……あたし……」
あからさまに用意していた言い訳を、しどろもどろになりながら必死に並べ立てた。
「凄く集中してたもんな……ビックリしたよ……」
「あはは……あたしも……です……。ダイヤちゃんも……もしかしたら……ほっぺた……触ってたかも……です……」
まだ設定を守ろうとしどろもどろになっているが、りんごのように赤い頬がすべてを物語っている。
本当に嘘がつけない娘だ。
胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、俺は――。
「俺は気づかれなくてホッとしたよ……」
「えっ?」
「結構……恥ずかしいこと……言ったと……思うから……」
言いながら、今更になって自分の顔に熱が集まっていくのを感じた。きっと今の俺は、キタサンに負けないくらい顔を赤くしているはずだ。
彼女の視線を真っ直ぐ受け止めるのが急に恥ずかしくなって、俺はたまらず、そっと目を閉じてしまった。
「そっか……。何を言ったのかな……。気になるな……もっと……もっと……聞きたいな……」
目を閉じている俺の耳に、恥じらいと、それ以上の喜びに満ちた彼女の甘い声が届く。
そんな不器用な俺たちをどこか茶化すように、お祭りの賑やかな囃子の音だけが、いつまでも鳴り響いていた。
ちなみにダイヤちゃんは本当に何もせずにただニコニコと見守っていただけです