「美味しいれす〜……トレーナーさん〜……」
「ふふ……そうか、良かったよ」
ミーティング終わりの夕暮れ時。あたしの両手には、手のひらくらいの大きさのシュークリームが握られている。
ふわふわの生地で……口いっぱいに広がるクリーム……いくらでも食べられそうなしっかりとした甘さ……。
うん! いくらでもペロリといけそう! 幸せな気持ちに合わせて、耳と尻尾も大きく動いてしまう。
「トレーナーさん、ありがとうございます! あたしのためにシュークリームを買ってくれて!」
「気にしないで、キタサン。いつも頑張ってる君へのご褒美だよ」
トレーナーさんはそう言って、あたしに微笑みを返してくれた。
なんでもこのシュークリームは、クラスでも噂になっているくらい有名で、いつも行列ができているそうだ。
今ならそれも当然だと思える。そのくらい美味しいんだもん。
「でも、トレーナーさん。これを用意するの、大変だったんじゃないですか? クラスでもなかなか手に入らないって聞きましたよ?」
「う~ん……並ぶのは大変だったけど、ちゃんと買えたから苦じゃなかったよ」
「そうですか……」
何でもないように言うトレーナーさん。だけど、あたしには何となくわかってしまう。あたしの喜ぶ姿を見たくて、朝早くから並んでくれたんだろうなって。
優しい性格なのも、決して苦労を口にしないヒトなのも……全部、わかっているから。
「だから遠慮しないで、全部食べてくれ」
変わらない笑顔を見せるトレーナーさん。それを見て、あたしは考える。
遠慮するほうが申し訳ない。あたしの笑顔がトレーナーさんにとって、何よりのお返しになるんだから。
――だけど。あたしにとっての一番のお返しは、もう思い浮かんでいる。
机に置かれた箱からシュークリームを一つ掴み、トレーナーさんのところまで急いで駆け寄った。
「キタサン? シュークリームを持ってどうしたんだ?」
「トレーナーさんも一緒に食べましょう!」
「え? でもそれは君に……」
あたしが差し出したシュークリームを見て、トレーナーさんは困惑している。
まぁ、あたしが逆の立場でも、きっと同じ反応をすると思う。だけど……ううん。だからこそだ。
譲ることなく真っ直ぐにトレーナーさんを見つめ返し、あたしは口を開いた。
「このシュークリーム、凄く美味しいです! その美味しさを一緒に味わいたいんです! だって……分け合えたら絶対に幸せですから!」
「キタサン……」
「三個も買ってくれたんですよ! 一つくらい食べてもいいじゃないですか!」
想いの丈を詰め込んで、シュークリームをトレーナーさんに差し出し続ける。
少しの沈黙の後。
トレーナーさんは参ったとでも言うような顔で、ゆっくりとシュークリームに手を伸ばしてくれた。
「ありがとう、キタサン。嬉しい気持ちのお裾分け、喜んで受け取るよ」
「トレーナーさん……っ、ありがとうございます!」
胸の奥が、じんわりと温かいもので満たされていく。それだけで十分なはずなのに、もっともっとと求めてしまう。
一緒に食べたい……隣でもっと、一緒にいたい……。
高鳴る気持ちに合わせるように、耳がピコピコと動き、尻尾がぱたぱたと大きく揺れる。
気づけば、あたしは居ても立ってもいられず――。
「せっかくだからソファーで一緒に食べましょう! その方がもっと美味しくなりますよ、絶対に! ほら、早く早く! こっちですよ!」
「あはは……分かった分かった。すぐに行くから少しだけ待ってくれ」
裾を引っ張ると、トレーナーさんは少しだけ苦笑いしながら立ち上がる。
ゆっくりと、並んで歩き出す。
ソファーまでの短い距離。だけど、重なる足音を聞いているだけで、今は幸せだった。
先に座ったあたしの隣に、トレーナーさんが静かに腰を下ろす。
「それじゃあ改めて、いただきます!」
「いただきます」
声を重ねて、一緒にシュークリームを頬張る。
最後の一個がなくなってしまう惜しさなんて、今のあたしには微塵もなかった。
大好きな人の隣で、こうして同じ時間を味わえる。それこそが、あたしにとって一番のご褒美だった。
「……うん。確かにこれは、並ぶのも分かるな」
「ふふ……ですよね! でも、トレーナーさんが並んでくれたからこそ、もっと美味しくなってるんですよ!」
美味しそうにシュークリームを頬張るトレーナーさん。それを見ながら、あたしももう一口。
うん! さっきよりも何倍も美味しい!
嬉しさで手が止まらず、夢中になって食べ進めてしまう。口の周りにクリームがつくことなんて、もう少しも気にならなかった。
「はむはむ……♪」
「……? あっ」
幸せで心が天に昇るようで、思わず目を瞑る。トレーナーさんの声が聞こえた気がしたけれど、とろけた頭にはうまく入ってこない。
うん……本当に幸せだ……これ以上の幸せはないよね……。このまま眠ってしまってもいいくらい……。
だけど、それでは大好きなシュークリームが食べられない。名残惜しさを感じつつ、ゆっくりと目を開ける。
――気づくと、トレーナーさんの顔が目の前に迫っていた。
「……?」
「…………」
あれ? 何でトレーナーさんが目の前に? さっきまで隣でシュークリーム食べてたよね? あ、そっか。幸せすぎて意識が飛んでたから、まだ夢を見てるんだ。そっかそっか。それならもう一回目を閉じよう。
スッ……と目を閉じて、もう一度ゆっくりと目を開ける。
――やっぱり、トレーナーさんはそこにいた。
いや、それどころじゃない。よく見ると、その手があたしのほっぺたに向かって伸びてきている。
「!? えっ!?」
ふえあ!? トレーナーさんの手が迫ってきてる!? 待って待って、これもう少しでほっぺたについちゃうよ! ト、トレーナーさん、あたしに一体何を――!?
ふるふると震えながら見つめても、真剣な表情のトレーナーさんと視線は交わらない。
逃げ場のない焦りと、ほんの少しの甘い期待。耐えきれなくなって、思わずぎゅっと目を閉じてしまう。
そして……トレーナーさんの指が……あたしのほっぺたに……触れた。
くすぐったさに、ぴくっと身を捩る。
そのまま……手が触れる……のかな……? それから……それから……?
ドキドキが全身を巡り、尻尾がぶるぶると震えて止まらなかった。
「……よし、取れたな」
そして……それで終わった。
「……?」
あたしはゆっくりと目を開ける。
トレーナーさんは、指先についた何かをティッシュで拭き取っていた。
…………えっと? 指で撫でられただけ? 何で?
無言でまじまじと見つめ続けるあたしに気づき、トレーナーさんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまないキタサン。頬にクリームがついてたから、つい……。声をかけたんだけど返事がなかったからさ。勝手に触ってごめん」
「あ、あ〜……なるほど……なるほど……」
つまり。あたしのほっぺたにクリームがついてて、それを取るために顔を近づけて、指で……。なるほどなぁ……。
そこまで理解が追いついた瞬間、さっきまでの自分の妄想が頭の中で弾けた。
あ、あたし何を考えてたの!? 何をされると思ったの!? 指でほっぺたを撫でられて何を感じてたの!? それを……嬉しいと思ってしまった!? あたしは……あたしは……う……うわ……わわわ……っ!
一瞬にして全身の血が沸騰し、顔からブワッと火を吹きそうになる。
「ぁぅ……ぅぅ……」
「キタサン?」
耐えきれず、残り少ないシュークリームを一気に口へ詰め込んで呑み込んだ。さっきまでの美味しさなんて、もう何一つ感じない。ほっぺたの感触と自分の恥ずかしい妄想だけが、頭の中をものすごいスピードで駆け巡っていく。
目が回りだす。手は震え、耳はピコピコと激しく動いて止まらない。
あたしは……もう……ダメだ……!
「ち、違うんです誤解です! あたしそんなこと考えてないですから! ほっぺたを触られてくすぐったいとしか思ってないです!」
「キタサン!? 落ち着いてくれ、急にどうしたんだ!?」
「ほっぺた撫で撫でされたら嬉しいな、とか思ってないです! ただ一緒にシュークリーム食べられて嬉しかっただけで……! あたし、変なこと考えてないですごめんなさい!」
「キ、キタサン、本当に落ち着いてくれ!?」
トレーナーさんの声が遠ざかり、頭の中が真っ白に染まっていく。
なんだか……意識が……ぼんやり……して……。
「キュウ……」
「キタサーン!?」
そこで完全にキャパシティを超え、あたしの意識はプツンとショートした。