ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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災難な雨と、照れ隠しの晴れ

 叩きつけるような雨をかき分け、無我夢中で駆け出す。

 足元で跳ねる水しぶきにも構わず、ただ、繋いだ右手の熱を強く握りしめた。

 後ろを振り向く余裕なんてない。暗闇に浮かぶ微かな光だけを目指して走った。

 

「トレーナーさん、とりあえずあそこ!」

「わ、わかった」

 

 左手で明かりを指さしながら、雨音にかき消されないように声を張る。

 握り返された右手が合図だ。あたしは少しだけ強引にその手を引いて、さらに駆け進んだ。

 微かな光の正体はやがて鮮明になり、街灯が小さな屋根とベンチのある休憩所を照らし出していた。

 足を止めることなく、あたしたちはその屋根の下へと飛び込んだ。

 

「はぁ……」

 

 心の底からこぼれたため息は、髪の先から落ちる雫と一緒に、地面へと溶けて消えていく。

 せっかくのお出かけだったのに……。

 皆と話しながら選んだ服も、いつもと違う髪飾りも。全部が濡れてしまって、気分まで霞んでいくみたいだった。

 なんて、やめやめ! あたしはお祭り娘なんだよ!

 雨水に濡れた両手で、パチンとほっぺたを叩く。気合いを込めたその音さえ、雨音にかき消されてしまうのがどこか恨めしい。

 

「あはは……災難でしたね、トレーナーさ――」

 

 引きつるように笑いながら、彼の方へと顔を向ける。

 顔を向けた、のだけど。

 

「……はは、だな」

 

 穏やかで温かい声は、いつも通りのトレーナーさんのはずなのに。

 髪の水滴を拭うようにかき上げたその姿が、いつもとは全然違って見えた。

 あたしは彼から視線を外すことができず、ただ黙り込んでしまった。

 

「……キタサン?」

 

 いつもはペタリとした髪型で、落ち着いた印象なのに。

 かき上げたせいか、ピンと跳ねた髪がほんの少しだけやんちゃに見える。

 知っているヒトの知らない部分。よく分からないけど、胸の奥がムズムズして尻尾の先まで痺れてしまいそうだ。

 

「……ふむ」

 

 首を傾げながら、あたしの方を見ている。

 その視線が妙に鋭い気がして、胸がドキリと跳ねてしまう。

 ぴちょり……

 小さな雫が落ちると同時に、濡れた地面を踏む音が響いた。

 その音に合わせるように胸の鼓動が速くなり――気づけばもう、彼は目と鼻の先まで迫っていた。

 

「トレーナー……さん……?」

 

 唇からこぼれた微かな声。

 びしょ濡れの服を両手でギュッと握りしめ、彼の動きを見守る。

 彼は何も言わず、眉間にシワを寄せてこちらを見下ろしていた。

 ゆっくりと伸ばされた彼の手は、真っ直ぐにあたしの顔へと向かってくる。

 パタパタと揺れる尻尾。体全体が熱を帯びていく。

 あたしはそのまま、ゆっくりと瞳を閉じた。

 

 ピトリ……

 

 一瞬だけひんやりとした感触が額に伝わる。それが徐々に人肌の温度へと変わっていく。

 胸の鼓動はとっくに騒音級で、彼にも聞こえてしまいそうだ。このままあたしは、きっと……。

 なんて、思っていたのに。

 待てども待てども状況は変わらず、彼の手はあたしの額にぴたりと止まったままだ。

 

「…………体温は高いけど、風邪の熱ではないよな?」

 

 その言葉と一緒に、額から彼の手が離れていった。

 えっ、なんで?

 ゆっくりとまぶたを開くと、不思議そうに首を傾げる彼と目が合った。

 

「トレーナーさん?」

「ああ、急に触ってごめんよ」

「い、いえ! か、風邪じゃないですからね!?」

「いや、急に黙り込むから、体調崩したのかなって。ほら、こんな雨だし」

「そ、そうですよね! あはは、はは……」

「?」

 

 そうだよ。髪型が変わって見えても、トレーナーさんはトレーナーさん。普通は心配が先に来るに決まってる。あんなこと、起こるはずないよ。うんうん。

 頭が沸騰しそうなほど熱くなり、体ごと彼とは違う方向を向く。パタパタと尻尾を振ってなんとか風を送るけど、全然冷める気配はない。

 雨音は変わることなく、頭上でずっと鳴り続けていた。

 着ている服のようにジメッとした雰囲気に耐えられず、つい口を開いてしまう。

 

「あ、雨、やまないですね」

「だな」

 

 返ってきたのは、少しだけ沈んだトレーナーさんの声。

 

「晴れのはずだったのにな」

 

 特別な熱がこもっているわけでもない。ただ純粋に、今の状況を残念がっているだけだった。

 変な雰囲気に呑まれてるのは、あたしだけ……うう……ほっぺたが熱い……。

 今なら、あたしの体温だけで服が乾いてしまいそうだ。

 

「は、早くやまないですかね!」

 

 何か言えば言うほど、空回りしているのは分かっている。

 それでも無理にでも声に出さないと、この熱に飲み込まれてしまいそうだった。

 

「……クシュン!」

 

 すぐ近くで聞こえた、間違いなくトレーナーさんの小さなくしゃみ。

 その音を聞いた瞬間、あれほどパニックになっていた頭の熱が、案外あっさりと引いていく。

 

「……はは、ちょっと寒くなってきたな」

 

 ほんの少しだけ震えた声が聞こえたから、すぐに彼の方へと体を向ける。

 目に飛び込んできたのは、自分の肩を抱きながらふるふると震えているトレーナーさんの姿だった。

 

「トレーナーさん!」

 

 このままじゃ風邪を引いちゃう!

 そう思った時、あたしの体は考えるより先に動いていた。

 彼の方へと飛び込み、そのままギュッと抱きついた。

 

「き、キタサン!?」

 

 聞こえてきた声はさっきよりも裏返っていた。だけど、それがどうしたっていうの。彼の体は雨に濡れて冷え切っていて、そのせいで体温が奪われている。

 だったら、あたしにできることは、この体で彼を温めることだけだ。

 腕に力を込めて、彼の体をさらに引き寄せる。濡れた服がペチャリと肌に張り付くけれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 

 いくぞ、気合を入れろキタサンブラック!

 

「っ!」

 

 まるで心を燃やすように。ただひたすらに想いを込めて抱きしめ続ける。

 気持ちが体まで伝わったのか、あたしの体温は徐々に上昇していく。

 もっと力を込める。腕にまとわりついていた冷たい感触は、次第に消えていった。

 弾けるような雨音すら、今はエールを送る太鼓の音のように聞こえる。

 

 ポツリ……

 

 一滴の雫が地面に落ちる音が響いたのと同時に、湿った感触は完全に消え去っていた。

 

「…………やった」

 

 これならトレーナーさんは風邪を引かない。

 嬉しさでパタパタと尻尾を振りながら、彼の方を見上げる。

 

「…………?」

 

 だけど、彼の様子はあたしが思っていたものとは違った。

 何故かあたしから顔を背けていて、チラリと見えるほっぺたが赤らんでいる。

 なんでだろう?

 首を傾げながら顔を下に向けて――すぐに、その理由に辿り着いた。

 

「あっ……」

 

 体温が伝わるほどに密着している体。雨のせいで薄くなっていた衣服。

 つまりそれは、直接肌が触れ合っているようなもので。

 ということは、トレーナーさんはそれをずっと感じていたことに違いなくて。

 だから、だから……!

 ピンと尻尾が立ち上がる。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 バッとトレーナーさんから飛び退いた。

 勢い余ってつまずきそうになりながらも、なんとか堪える。

 

「いや、まあ、気にしてないから」

 

 そう言いながらも、トレーナーさんはこっちに視線を向けてはくれなかった。

 ああ、なんであたしはあんなことを……。でも、この匂いは……ってそうじゃなくて!

 微かに残る彼の匂いが、あたしの心を乱し続ける。

 

「その、善意なのはわかってるし」

 

 フォローの言葉を重ねられるほど、体の熱は上がっていく一方だ。

 うう……こうなったのは全部雨のせいだよ……。

 恨めしい気持ちで、外へと視線を向ける。

 いつの間にか雨は上がり、憎たらしいほど眩しい日の光がこちらを照らしていた。

 

「晴れてる……」

「そ、そうだな……」

「あ、あはは……ここから出ますか?」

「ああ、そうしようか」

 

 未だに視線が交わらないまま、二人してそそくさと外へ歩き出す。

 

「今度は、雨が降らないといいな」

「そう、ですね」

 

 彼とあたしの間に、ひとり分だけ空いた距離。その間から吹く風は少し冷たくて、今だけは心地良い。

 ジッとその隙間を見つめていると、不意にトレーナーさんと視線が重なった。

 

「……ありがとう、キタサン」

「?」

「お礼、言ってなかったからさ」

 

 ほっぺたをかきながら、トレーナーさんは視線をそらした。

 その様子をパチパチと瞬きしながら見つめていると、自然とふふっ、と笑みがこぼれる。

 なんだ。あたしだけじゃなくて、トレーナーさんも今の空気に照れてたんだ。

 

「どういたしまして! ……それと、変なことしちゃってごめんなさい!」

「まあ、突拍子もないことするのは慣れてるから大丈夫」

「い、いつもはこんなんじゃないですよ! ……ないですよね?」

「はは、冗談だよ」

「も、もう!」

 

 お互いに笑い合いながら、歩みを進めていく。

 変な空気になった時はどうなることかと思ったけど、プラマイゼロならオッケー……かな? だけど、今度は良い天気でありますように。

 空を見てそう願いながら、あたしは二人の間の隙間を埋めるように、彼へと近づいた。

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