ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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pixivにある同名の作品を手直ししております


この『背伸び』が何時かは『背伸び』じゃなくなるから

 いつだって、あなたと話すときはあたしが見上げていて。

 いつだって、あたしと話すあなたの視線は下を向いて微笑んでいた。

 当たり前だと思っていた、あたしとトレーナーさんの距離。

 あたしが求めていた距離はそうじゃないと気づいたのは、いつだっけ?

 

「……だいぶキタサンに追いつかれてきたな」

「……何が、ですか?」

 

 もう何度目か、数えることもなくなったお出かけの帰り道。

 少し上の方から降ってきたのは、いつもより少し感慨深そうな声。導かれるままに視線を上げると、同じように少しだけ見下ろしている優しい瞳と、ばっちり目が合った。

 トレーナーさんはあたしを見つめたまま、いつもの温かい微笑みを浮かべる。

 

「背丈だよ。ほら、もう少しで君と肩が並びそうだろ?」

 

 ほら、こんな感じに。

 あたしより大きな手のひらで、身長を測るような仕草をする。

 大人のトレーナーさんがふと見せた、少年のような態度。なんだか微笑ましくて、何度見ても胸の奥が温かくなる。

 

「ふふ、それはそうですよ。出会ってからもう何年も経つんですから、背くらい伸びますよ」

「だけどなー……出会った頃はあんなに小さかったのになー」

「むぅ! そんなに小さくなかったです! あたし一六二センチもあったんですから!」

「はは、そうだったかな?」

「むぅ……」

 

 あたしの軽口なんてなんのその。

 いつだって、からかいながらも優しく、余裕のある態度で躱されてしまう。

 そう、いつだってそうだ。

 いつだってあたしは子供っぽくて。

 いつだってトレーナーさんが余裕たっぷりに受け止める。

 

――だけど、そんな日々も、もう少しで終わる。

 

「……なんてな、からかってごめん」

「ううん、いいんです。あたしの方も少しムキになっちゃいましたし」

「……そっか」

 

 もう一度だけ浮かべた微笑みに、一瞬だけ見えた寂しそうな表情。

 トレーナーさんも同じ気持ちなんだと、なんとなく分かってしまった。

 何度目かの春、夏、秋を越えて。

 気づけば、もう少しで冬を越えようとしている。

 そして何度目かの春を迎える頃には、あたしはトレセン学園から去る。

 だから、こんな風にお出かけするのも、たわいないお話をするのも、もう少しでおしまいだ。

 

「……トレーナーさんの背に届かなかったな……」

「……はは。キタサン、もしかして俺の背を抜きたかったのか?」

「う〜ん……ちょっと違いますね」

「そうなのか?」

「はい、そうなのです」

 

 いつからだろう。あたしを見下ろす微笑みだけじゃ、物足りなくなったのは。

 いつからだろう。あなたの背に並びたいって、思うようになったのは。

 

「それなら、どうなりたかったんだ?」

「そうですね……」

 

 だけど今のままでは、背丈も想いも届かない。

 きっとこのまま、残り僅かな日々を過ごして、何も変わらないまま終わってしまう。

 だから、あたしは『背伸び』する。

 届かない分を補って、今だけでも並び立つために。

 あたしはつま先立ちをして、そして――

 

「――ん」

「…………え?」

 

 頬に触れた唇から、火傷しそうなほどの熱が伝わってくる。

 負けないように、できるだけ長く……。

 一秒。二秒。……三秒。

 

「――っ、はぁ……っ」

 

 もっと長く触れていたかったのに、全身から込み上げる熱のせいで限界だった。

 重力に引かれるように踵が地面に落ち、倒れそうになる体をなんとか踏みとどまる。さっきまであなたの頬に触れていた唇が、燃えるように熱い。手で押さえておかないと、耐えられそうにない。

 これがあたしの精一杯。身の丈に合わない無理な背伸びをした結果だ。

 

――でも。

 

 無理をしたからこそ、あたしはあなたに消えない『証』を刻み込めたんだ。

 

「き、キタサン……?」

 

 呆気にとられたように見下ろすトレーナーさん。

 いつもの余裕はどこにもなく、頬を赤らめて視線を泳がせている。

 それを見て、あたしはもう一度だけ背伸びする。

 今なら、あなたと対等な距離になれるから。

 

「……ずっとこうしたかったんです」

 

 いつからかなんて覚えてない。

 一目惚れだったのかもしれないし、いつの間にか惹かれていたのかもしれない。

 

「だけど、あなたとあたしは担当トレーナーとウマ娘でしかなかったから……できなかった」

 

 いつだってあなたはあたしを子供のように見ていた。

 あたしもあなたを大人として見ていたし、それ以上なんて求めなかった。

 

――ううん、そんなの嘘だ。

 

「本当はもっと早くにこうしたかった。トレセン学園を卒業する前に」

 

 あたしは怖かっただけだ。

 本当は肩を並べて歩きたかったのに。頬じゃなくて、唇同士でしたかったのに。

 それを望んだら、もう一緒に歩くこともできなくなるんじゃないかって。

 その先に進むのが怖かっただけだ。

 

「…………これが、今のあたしの精一杯です」

 

 だからあたしは『背伸び』した。

 あたしが踏み込まなければ、『大人』と『子供』のままだったから。

 臆病なあたしでは、肩を並べて歩くことなんてできないから。

 

「キタサン――」

「だから!」

 

 無理矢理に言葉を遮る。

 きっとその先の答えは、トレーナーさんが浮かべている優しい微笑みが示しているから。

 だから、あたしは言葉を続ける。

 

「次はもっと! もっ……と! 凄い口づけをしてみせます! あなたがあたしを意識してくれるような、とってもすごいやつをやりますよっ!」

 

 今、『背伸び』をしたからこそ言える無理難題を。

 未来の、きっと成長しているあたしに想いを託して。

 まだここで、あたしの『背伸び』を終わらせたくないから。

 

「だから! ……その先の答えはまだ言わないでください。きっとあたし、素敵な大人になりますから! あなたと肩を並べられる、立派なウマ娘になりますから……っ!」

 

 目の奥がツンと熱くて、胸が突き刺さるほど痛い。

 揺れる視界の中で、それでも言葉を紡ぎ続ける。

 

「――そうか」

「……っ……えっ?」

 

 涙で滲んだ視界の先に、静かな声が降ってくる。

 ゆっくりと落ちていく雫が、その表情をハッキリと映し出した。

 

「うん、君のことを待ってみることにするよ。そこまで想ってくれる君のことを、俺は忘れられそうにないから」

 

 悲しいくらいに残酷で、それでも温かい微笑み。

 あたしはゆっくりと瞳を閉じる。

 これであたしの『背伸び』はおしまい。結局、思った通りに想いは届かなかった。

 

――だけど。

 

 それでもあたしは確かに聞いた。

 『待ってる』の一言を。

 その言葉だけで、あたしの『背伸び』は間違いじゃなかったって信じられた。

 胸が高鳴る。抑えられない衝動があたしを駆り立てる。

 

「……覚悟してくださいね! あたしは……キタサンブラックは! 絶対、トレーナーさんよりも素敵な大人になってみせますから!」

「ああ、楽しみに待ってるよ」

 

 あたしの叫びを、トレーナーさんは優しく包み込む。

 分かっていた。こうなることは予想していた。

 そしてあたしは並べないまま、卒業する日を迎えて離れてしまうのだろう。

 

――だけど、それは今の話だ。

 

 頬に残した『証』は、きっといつか芽吹く。

 諦めの悪さがあたしの持ち味で、そう鍛え上げたのは他ならぬトレーナーさんなのだから。

 

 いつかきっと、肩を並べられるくらい大きくなるはずだ。

 いつかきっと、唇に口づけできるくらい強くなれるはずだ。

 確かに今はまだ『背伸び』だけど、いつかは当たり前の姿になれると信じている。

 

 だから。

 

 だから、トレーナーさん。覚悟していてください。

 待つと言ったのはあなたなのだから、絶対に逃げないでくださいよ。

 

「約束……ですからね」

「うん、約束だ」

「……ふふ、絶対ですよ!」

 

 相変わらず優しげに微笑むトレーナーさんに、宣戦布告するように、あたしも笑顔を作ってみせる。

『背伸び』したせいでぎこちなく、だけど精一杯の『大人』な笑顔を。

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