pixivにある同名の作品をほんの少しだけ手直ししております
「失礼しますっ!キタサンブラックです!」
「ああ……どうぞ……」
「……? 入りますね!」
妙に素っ気ない返事に違和感を覚えながら、トレーナー室の扉を開けた。
いつもの場所にトレーナーさんは……。あれ、いない……?
周りを見渡してどこにいるのか探してみると、ソファーに座っている姿を見つけた。
……あれ? 何かを見ている? そっか、それで返事が素っ気なかったんだ。でも、何を見てるのかな?
驚かさないように、ゆっくり、ゆっくりと近づいていく。抜き足……差し足……忍び足……。まるで忍びになったみたいだ。
そんなこんなで、トレーナーさんの後ろまで気付かれることなく来ることが出来た。えっと……びっくりさせないように……小さな声で……耳元に……。
「何を見てるんですか?」
「うおっ!?」
驚かさないようにしたつもりだけど、ビックリさせちゃった……。
トレーナーさんはキョロキョロと周りを見渡したあと、後ろにいるあたしに気付いた。
小さく息を吐いて心を落ち着かせながら、あたしの方を見つめている。……驚かせてしまった後ろめたさで少し下を向いてしまう。ごめんなさい……トレーナーさん……。
「キタサンだったか……」
「驚かせちゃったみたいですね……ごめんなさい……」
シュンとなるあたし。
それを見てトレーナーさんは、焦った顔で手を振っていた。
「いや、キタサンは悪くないよ。だけど、いつの間に入ってきてたんだ?」
「えっと……さっき来ました……。一応声は掛けたんですけど……」
「すまない……全然気づかなかった……。ぼんやりしすぎてたかな……」
「あはは……生返事でしたからね……。あたしもビックリさせてしまってごめんなさい……」
どっちも悪いということで、これでこの話はおしまいだ。
それはそれとして、トレーナーさんが見ていたもの。それが何か、気になって仕方ない。
「トレーナーさん、何を見てたんですか?」
「ああこれは……。いや、見てもらったほうが早いか。こっちに来てくれ」
トレーナーさんに誘われるままに、あたしはトレーナーさんの横まで歩き、ゆっくりとソファーに座った。
トレーナーさんが持っているスマホに映っていたのは……黒猫?
「猫の動画……?」
「ああ、最近よく見てるんだ」
そこには飼い主さんに甘える黒猫の姿が映されていた。
黒猫ってなんとなくクールなイメージがあるから、その動画に映る姿は意外であった。
「何だか甘えん坊さんなんですね」
「黒猫って人懐っこくて甘えん坊が多いらしいよ。何か意外だよな」
そう言いながら、甘えている黒猫をじっと見つめているトレーナーさん。
何となく、本当に何となく。こっちを見てほしくて、気になったことを聞いてみる。
「トレーナーさん。何で黒猫の動画を見てるんですか? 白とか茶とか他にもたくさんいるのに」
「そうだな……。黒猫が何となく気になったから……かな……」
本当になんでだろうな……? と、そんな風に感慨深そうに呟くトレーナーさん。視線はずっと動画を見たままで、あたしの方を見てくれない。
むぅ……。何故だろう? 胸がモヤモヤする……。
まぁ、確かに? あたしには猫みたいな可愛さはないですよ? どちらかというと、あたしは犬っぽいと言われることもあるし。いや、それは今は置いておこう。
でも、今くらいはあたしの方を見てくれてもいいと思うんですよね。確かにこの黒猫、可愛いですけど。
訳の分からないモヤモヤが、あたしの中で渦巻いている。そんな様子もつゆ知らず、トレーナーさんは画面の黒猫に変わらず夢中なままだ。それを見て対抗心が芽生えてきた。
動画を見てみると、器用に手を曲げてまるで飼い主さんを呼んでいるみたいだった。招き猫とはこのことを言うのだろう。
それを見ているトレーナーさんは、和んでいるのかほっぺたが緩んでいる様子だ。
あたしだって……トレーナーさんを和ませられる……!
えっと……。腕を少し上げて……手を握って……手を少し曲げて……あとそれから……。
「キタにゃんブラックですにゃん……」
…………………………気づいたら口から変な言葉が出てた。それと同時に、モヤモヤしていた気持ちもなくなってきたし、頭も少しずつ冷えてきた。
何? キタにゃんブラックって? 何でこんなこと言っちゃったの? あっ……そうか。あたし猫に嫉妬してたんだな。何となくトレーナーさん取られたみたいで。あはは、あの動画には飼い主さんがいるし、取られるも何もないよね。あはは、猫のポーズまでして恥ずかしい。このときばかりは、トレーナーさんが動画見ててよかったよ。だって、こんな恥ずかしいところトレーナーさんに見られないもん。見られてなくて本当に良かった。あはは。
安心してトレーナーさんの方に視線を向けると、激しく動揺しているトレーナーさんが、あたしのことを見ていた。
さっきまで猫が映っていたスマホは真っ暗で、もう何も映していなかった。
――辺りは静寂に包まれていて、話すものは誰ひとりとしていなかった。いや、トレーナーさんとあたしのふたりだけど。
ゆっくりと手を下ろして、息を吸って……吐いて……。よし、何とか落ち着いてきたかも。このまま何事もなかったかのように。
「トレーナーサン……ナニモ……ミテマセンネ?」
「落ち着いてくれキタサン、カタコトになってるぞ」
落ち着けていなかった。
何故だろう。震えが止まらない。どこから見てたのかな? 猫のポーズしてるところからなら……まだなんとか……なんとかなるかな? いや、なる! うん、絶対!
そんな思いを込めて、視線を泳がせながら言葉を何とか紡ぎ出そうとした。
「あはは、猫のポーズしてるところ……見られちゃいましたね……」
「その……キタにゃんブラックって何なんだ……?」
その言葉を聞いて、あたしは心から固まっていく感覚に襲われてしまう。
終わった……もうだめだ……。
「えっとですね……それはですね……」
「いや、言いにくいなら言わなくてもいいんだ……。ごめん……変なこと聞いた……」
気まずそうにあたしとは反対の方を見ているトレーナーさん。
違うんです! 誤解なんです! ちょっとした気の迷いなんです! そう言いたいのに、口はアワアワしているし手足もワタワタしてて言葉が出てきてくれない。
頭の中はグルグルしてきて、まともなことは考えられない。
――だからこそだろうか。頭の中で一つの鈍い輝きが見えてきた。
発想を変えよう。誤解なんかじゃない、もういっそ押し通せばいいんだ……! そうだ、あたしはキタにゃんブラックなんだ。あの黒猫みたいに甘えればいいじゃん! 完璧だ、これしかない! 頭のグルグルはさっきよりも酷いし、全身が熱いけど多分平気!
そうと決まれば話は早い。気まずそうに反対側を向いているトレーナーさんに抱きついてみよう。キタにゃんブラックいきます!
「にゃー!」
「キタサン!?」
トレーナーさんの胸の中に飛び込んでいき、トレーナーさんを押し倒した。
驚いた様子のトレーナーさん。いつものあたしなら……。……? いつものあたしってなんだ? まぁいいか。
あたしはキタにゃんブラックだから平気! 胸に顔を埋めながら、撫でて撫でてとアピールしよう。猫なら上目遣いくらいお手の物だよね!
トレーナーさん撫でて!
「にゃー……」
「め、目を回してる……。下手なことすると、かえって暴走しそうだ……。と、とりあえず……」
視線の先にゆらゆらと揺れて映るトレーナーさんの手。少しずつあたしの頭に向かって伸びている。ゆっくり、ゆっくり近づいていき、そのままあたしの頭に手は置かれた。
さら……さら……
優しく撫でていく感覚は全体に広がっていき、優しさに包み込まれているみたいだ。
その優しさに包まれたままでいようとすると、頭の中から小さな声が聞こえてきた気がした。なんかこれ以上はやめたほうがいいって言っているような……?
いや、きっと気のせいだろう。聞こえないふりして、そのまま甘え続けよう。
「よしよし……キタにゃんブラック……気持ちいいか……」
「にゃー……」
トレーナーさんはあたしを優しく撫でてくれて、すごく……すごく幸せな気持ちでいっぱいになる……。多分ここは天国なのだろう、そうに違いない。
頭の中の小さな声は、あたしに引いてるみたいに聞こえるけど……。うん! 気のせいだから! 大丈夫!!
グルグルしたままの思考は変わらないけど、甘えるためにグリグリと胸に頭を擦り付ける。
「にゃー……」
「どちらかと言うとキタサンは犬だよな……。キタワンブラックの方がシックリくる気がする……」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするけど、気にしたらだめだよね。
だってあたしはキタにゃんブラックだから!
さっき聞こえた小さな声はもう好きにしたらと言いたげで、聞こえなくなった。
つまりこれは……甘え放題だ!
「にゃにゃにゃ……」
「まぁ……キタサンいつも頑張ってるし……。たまにはいいよな……。よしよし……」
その手の暖かさのせいか、何だか眠くなってきちゃった。
段々と、思考が、途切れて、夢の中に、続いて……
………………
…………
……
目を覚ますと、あたしはトレーナーさんの胸の中にいた。
ここは……トレーナー室のソファー……だよね?
辺りを見渡すと、それはいつもと変わらない景色で、外は少し暗くなり始めているみたい。
ぼんやりしながらそれを見ていたら、トレーナーさんはあたしの様子に気づいたみたいで、こちらを向いて笑顔を見せてくれた。
「おはよう……って時間でもないか。目が覚めたみたいだね」
いつの間にかあたしは寝ていたみたいです。ところで、あたしってそれまで何してましたっけ? そんなことを言おうとした。
「キタにゃんブラック」
言えなかった。だって、トレーナーさんの言葉がよく分からなかったから。
キタにゃん……ブラック……? なんだろう……その言葉……。思い出すな、頭の中のあたしがそう叫んでいる。
「きた……にゃん……?」
「もしかしてあの時のこと……しまった……」
そんなあたしの様子を見たトレーナーさんは、段々と顔が青くなっている。
「いや、なんでもない。間違えた。ごめんキタサン。ごめん……」
その言葉を最後に、手で顔を覆うトレーナーさん。トレーナーさん、大丈夫ですか? どうしたんですか? そう声をかければいいのに。
「その……トレーナーさん。キタにゃんブラックって……?」
トレーナーさんが言った言葉が気になってしまって、口に出してしまった。
――キタにゃんブラック。あたしが口に出した言葉は、開いてはいけない記憶の扉を開いてしまった。キタにゃんブラックとしての記憶を……思い出してしまった……。
――キタにゃんブラックです! にゃー! にゃー……? にゃにゃにゃ!
あたしは……何をしてたの……? なにを……?
だから思い出すなと言ったのに……。そんな風に、あたしの中で思い出すなと言っていた理性が、そう言ってるような気がした。
「きたにゃん……ぶらっく……」
その言葉を、口にするだけで、声が、震えてきた。
トレーナーさんも、あたしの声が、聞こえて、こっちを、見ていた。震えた声の、あたしを見てる。
「トレーナーさん……わすれて……ください……」
「えっ……?」
「あんなはずかしいあたし……わすれて……おねがい……」
トレーナーさんの顔が見られない。下を向くしかない。あたしは自分の顔を覆い隠す。
「その……可愛かった……よ……?」
「キタにゃんパンチ……!」
トレーナーさんの言葉を聞いてすぐに、あたしは顔を上げてキタにゃんパンチ(最弱)を繰り出す。
ゆっくりと、トレーナーさんの胸に手を当てる。そうすると、あたしの拳は、ポスッ……っと、音を立てた。
「わすれて……ください……!」
――ふぅ~! ふぅ~! とあたしの荒い呼吸だけが、トレーナー室を埋め尽くしていた。
グルグル回る目は、トレーナーさんの表情を右往左往しながら捉えていた。
なんとか見えたトレーナーさんの顔は、全てを飲み込んだ様子だったと思う。
「はい……忘れます……」
「おねがいします……」
こうしてキタにゃんブラック事件は幕を閉じた。
だけど、後遺症と言うべきかなんというか……。
猫を見ると、あたしの中でキタにゃんが騒ぎ出してしまう。
その声は、トレーナーさんに撫でられたい! 甘えたい!
そんな風に言っているみたいで、あたしをキタにゃんブラックとして甘えさせようと駆り立てている。
だけど、そんな声にあたしは負けない。何故ならば……。
「トレーナーさん! 頭を撫でてください!」
「君はあれから積極的になったよな……」
キタにゃんの力を借りずとも! あたしは甘えられるのだから!
トレーナーさんの胸に頭を預けながら、そんなことを考える。
複雑な顔をしながらも撫でてくれるトレーナーさん。すごくきもちいい……。
尻尾もブンブンと動き回っていて、喜びを抑えられそうにない。
「キタにゃ……」
その言葉だけは言わせない。
「忘れてください」
「はい……」
ずっと撫で続けてくれるトレーナーさんに感謝しながら、あたしは幸せに包まれていった。
おまけ
「トレーナーさん? 最近はあの黒猫の動画、見てないんですか?」
「そうだな……言われてみると見なくなったかも」
「そうなんですね……。…………見なくなったのは嬉しいかも」
「何か言ったか?」
「何も言ってないです! それよりも、もっと撫でてください!」グリグリ
「分かった分かったから……!…………動画を見なくても、甘えん坊の黒猫はもうここにいるしな」ナデナデ