ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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pixivある同名の作品を手直ししております
これを投稿するのは少し季節外れですね


桜の前で小さな誓いを

 長く続いていた肌寒さがようやく和らぎ、春らしい暖かい風が髪と耳を優しく撫でていく。見上げれば、天高く昇る太陽がぽかぽかと辺りを照らしていて気持ちがいい。

 この季節にしか味わえない穏やかな陽気に包まれながら、あたしとトレーナーさんはふたり並んで歩いていた。

 

「トレーナーさん、早く早く! こっちに来てください!」

 

 後ろを振り向き、ゆっくりとこちらへ歩いてくるトレーナーさんに呼びかける。

 それに気づいたトレーナーさんは、すぐに早足になってくれた。

 普段のあたしなら、相手を急かすような真似はあんまりしない……よね? ……いや、もしかしたら――

 

「ふぅっ……ようやく着いたっ……」

 

――っと、いけない、いけない。つい変なことを考えてしまった。

 さっきまでの考えを春風に乗せて振り切り、慌ててトレーナーさんへと視線を向ける。

 彼は少しだけ息を切らせながら、苦笑いでこちらを見ていた。

 

「ごめん、キタサン。やっぱり、俺の足じゃ君には追いつけないや」

「あはは……ごめんなさい……」

 

 図星を突かれた一言に、あたしは頭をかいて誤魔化す。

 だけど、急かしたのには理由がある。

 息を整えたトレーナーさんはあたしの隣に並び、そのまま前方に視線を向けた。

 

「でも、君が急かすのも分かる気がするよ」

「……えへへ、ですよね」

 

 隣を見ると、そこに広がる光景――大きな桜の木に、トレーナーさんは目を丸くして見入っていた。

 春風に揺れる枝葉に誘われるように、一枚、また一枚と桜が舞い散る。

 それは、この時期にしか出会えない特別な光景だった。

 

「綺麗だな……」

 

 ボソリと聞こえた声は、きっと無意識に出たものだろう。だけど、あたしの耳はそれを聞き逃すことはなかった。

 チラリと見えた横顔は、何処か少年のような面影を残していて、声と同じように嬉しさで輝いて見えた。

 あたしはその横顔をこっそりと瞳に焼き付けてから、視線を桜へと戻す。

 うん……やっぱり綺麗だな……。

 

「こんな場所を知ってるなんて、さすがキタサンだな」

 

 思いがけない褒め言葉に、ほっぺたがカッと熱くなる。

 

「そんなことないですよ。……本当に、偶然見つけただけですから」

 

 ほっぺたの熱さに負けないように言葉を返した。

 とはいえ、この場所を見つけたのは本当に偶然だ。

 

 もうかれこれ、数ヶ月前になるだろうか。お助け活動が終わった後のことだ。

 何となく体を動かしたくなって少し遠くまで走っていると、たまたま見かけたのがこの丘だった。

 ここから見える景色はきっと綺麗なんだろうな……。

 そんな単純な理由で、あたしは丘の上まで全速力で駆け上がったっけ。

 確かにそこからの眺めは、辺り一面が鮮やかな茜色に染まっていて息を呑むほどだった。

 だけどそれ以上に、あたしの目を引いたのはこの大きな桜の木だ。

 ポツンと一本立っているだけにも関わらず、その姿は威風堂々としていて、ただただ目を奪われてしまった。

 

「その時はまだ花も咲いていなかったんですけど、気になって丘の下の方に聞いてみたんです。そこで初めて、これが桜の木だって知りました」

 

 お花のことに、そんなに詳しいわけじゃない。

 あたしひとりで出来たことなんて、それこそ、この場所を見つけたことくらいだ。

 

「あたしは偶然見つけただけなのに……そんな風に褒められると、照れてしまいますよっ……」

 

 うう……駄目だ……。

 ほっぺたが、太陽みたいに熱い。

 そわそわと揺れる尻尾を抑えきれないまま、あたしは指でほっぺたをかいて誤魔化すしかなかった。

 

「……だけど、君が見つけてくれたから、俺はここに来られたんだよ。ありがとう、キタサン」

 

 トレーナーさんはゆっくりと手を伸ばし、あたしの頭を撫で始めた。

 むぅ……撫でられて喜ぶような、子供じゃないんだけどな……。

 

「……えへへ♪」

 

 だから今の声は、何かの間違いだ。

 何故か耳がピョコピョコしてるし。

 尻尾はトレーナーさんの足に巻き付いちゃってるし。

 ほっぺたも緩みっぱなしな気がするけど。

 全然、喜んでなんかいない。

 もっとして欲しいな……なんて、勿論思ってもいない。

 いないったらいないのだ。うん。

 

「……って、あんまり撫ですぎるのも良くないよな。ごめん、キタサン」

 

 内心ではそう強がっていたけれど、トレーナーさんの手はゆっくりと離れてしまう。

 ま、まあ……トレーナーさんの言う通りだよね……。あたしは子供じゃないんだし……。

 そうそう……ほどほどが良いんだよね……絶対……。

 

「あっ……」

 

 だから今出ちゃった声も、多分気のせいだ……。

 巻き付いていた尻尾は力なくほどけてしまったし、耳もしょぼんとしてる気がするけど……全部、気のせいだ……。

 

「そうですね……今はあたしより桜を見ましょう」

「お、おう。なんかテンション下がってないか?」

「気のせいです」

 

 心配そうにあたしを見るトレーナーさん。

 少しの申し訳なさを抱えつつ、あたしは桜の方へ視線を移した。

 ごめんなさい、トレーナーさんと桜の木……ちょっとだけ誤魔化してしまうのをお許しください……。

 静かに揺れる桜の美しさに、あたしは嘘をついた心を慰めてもらう。

 そんな気持ちで見てはみたものの、やはり桜は良いもので、自然と気持ちは上向いていく。

 風に合わせてゆったりと揺れる木。そして舞い散る花びら。ひらりひらりと地面に落ち、散らばる薄紅もまた風情がある。

 

「……キタサン」

 

 ……とと。桜に見入っていたら、不意に声がかかった。

 だけどもう、さっきみたいに慌てることはない。

 一つ息を吐いてから、トレーナーさんの方へと振り返る。

 

「どうかしましたか?」

「……一つ、聞いてもいいかな」

 

 聞きたいこと? なんだろうか?

 小さく首を傾げつつも、あたしの答えは決まっていた。

 

「はい、あたしに答えられることなら何でも聞いてください!」

「……そうか。ありがとう」

 

 そう言った後、少しだけ考え込むようなトレーナーさん。

 うーん……そんなに聞きにくいことなのかな?

 不思議に思っていると、彼は真っ直ぐにあたしへ視線を向け、ゆっくりと口を開いた。

 

「もしかしてなんだけどさ、俺と一緒にここへ来たのには、何か理由があるんじゃないか?」

「!」

 

 あたし達の間を強い風が吹き抜け、無数の花びらが空へと舞い上がった。

 しばらくの間、ただ無言の時間だけが流れたけれど。

 

「……あはは、分かっちゃいますか?」

「ああ。君は分かりやすいからね」

 

 何度目か分からない照れ隠し。それを見たトレーナーさんが柔らかく微笑んでくれる。

 あたしはゆっくりと深呼吸をしてから、しっかりとトレーナーさんを見つめ返した。

 

「……ここにトレーナーさんと来たのは、あなたへの決意表明……みたいなものがしたかったんです」

「決意表明?」

「はい。この綺麗な桜の前で、トレーナーさんに誓いたくて。……あたし、キタサンブラックは、どんなことがあっても堂々と、真っ直ぐな走りをしてみせますって!」

 

 桜の花言葉には、『精神の美』というものがあるらしい。

 どんな時でも正直なことが美しい、という意味だそうだ。

 あたしは走ることで、みんなを笑顔にしたい。

 そのためには、この桜に負けないくらい真っ直ぐに、あたしらしく走り抜かなきゃいけないんだ。

 

「そのためには、トレーナーさんの力が必要なんです。これからも、あたしと一緒に走り抜いてくれますか?」

 

 そう言って、あたしは真っ直ぐにトレーナーさんへと手を伸ばす。

 言葉はもう必要ない。トレーナーさんなら、きっと分かってくれるから。

 

「……当たり前だよ。これからも君の隣で一緒に走り抜けると、この桜に誓うよ」

 

 トレーナーさんも手を伸ばし、あたしの手を強く握りしめる。

 重なり合った手から、言葉以上の確かな誓いが伝わってきた。

 あたし達を祝福するかのように、舞い上がっていた花びらがゆっくりと降り注いだ。

 

 誓いを交わしてから、どれくらいの時間が経っただろう。

 木の下で並んで座り、穏やかな風に体を預けていると、不意にトレーナーさんが口を開いた。

 

「そういえば……さ。もう一つ、気になってたことがあるんだけど、いいかな?」

「なんですか?」

 

 気になっていたこと? まだ何かあったのかな。

 あたしは心地よい風を感じながら、不思議に思って小さく首を傾げた。

 

「桜の前で誓うだけなら、ここじゃなくても良かったんじゃないか?」

 

 むぅ……。トレーナーさんはたまーに、そういうことを言っちゃいますよね……。

 確かに、誓いを立てるだけなら他の桜でもよかったのかもしれない。

 だけど、あたしにはここじゃなきゃダメな理由がある。

 

「……そんなの決まってるじゃないですか」

「……それは?」

 

 あたしはきょとんとするトレーナーさんに向き直り、とびきりの笑顔を向けた。

 

「ここなら、あなたとふたりきりになれるから。……それ以外にありませんよ♪」

 

 不意打ちの本音に、トレーナーさんは少しだけ困ったように眉を下げた。

 けれど、すぐにいつもの、世界で一番優しい微笑みをあたしに返してくれる。

 春の柔らかな風が吹き抜け、大きな桜の木が、ただ静かに揺れていた。

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