書いた当時は某ぬいぐるみが発売前だったため、質感等は実際のものとは違うところがあると思いますがご了承ください
扉を開けるとそこには、あたし……のような何かが床にドン! と座っていた。
目を見開いたまま、扉から手を離すことも忘れて、ただ口を開けては閉じるのを繰り返してしまう。
震える唇から、やっとの思いで絞り出したのは。
「と、トレーナーさん……こ、これはいったい……?」
やっと絞り出せたのは、そんなありふれた言葉だけ。あたしは自分そっくりな『何か』を指さし、激しく目を泳がせる。
デスクからアレを見つめていたトレーナーさんは、すぐにこちらを向いてくれた。
「ああ、これか。前に話しただろう? 巨大ぬいぐるみの試作品だよ」
「ああ……あれですか……。そっか、これが」
最近は色んなお仕事が舞い込んでくるようになった。テレビ出演やグッズの制作……目が回りそうに忙しいけれど、自分の頑張りが形になるのはすごく嬉しかった。
確かその企画の中に、『巨大ぬいぐるみ』もあったような気がする。でも、言葉で聞くのと実物を見るのとではわけが違って――うん、なんというか、その。
「この子……大きいですね……」
「そうだな……」
勝負服の装飾の細かさとか、デフォルメされた可愛さとか、ツッコミどころは沢山ある。でも、それよりも何よりも――とにかく大きい。
部屋のソファーと比べても、この子の方がずっと背が高い。横幅もたっぷりで、後ろに回ればあたしをすっぽり覆い隠せてしまうくらいだ。
「この子の後ろにいたら、かくれんぼ勝てるかもしれませんね!」
「……こういう大きすぎる場所って、逆に真っ先に探さないか?」
「あ。言われてみれば、確かに……」
トレーナーさんのもっともな指摘に、あたしはぐうの音も出ない。
ふと視線を戻すと、巨大なぬいぐるみはそんなやり取りなど気にする様子もなく、ただニコニコとこちらを見つめていた。
「あはは……あの子にも呆れられてる気がしてきました」
「そうかな? 俺がこの子の立場だったら、頭を撫でる気がするけどな。可愛らしいし」
「か、可愛らしっ!? そ、そんなこと言っちゃダメです!」
「えっ、ダメだったのか!? す、すまない……」
ほっぺたに宿る熱を誤魔化すように、あたしは腕をぶんぶんと振り回す。
だって、可愛いとか、そんなの……照れますから!
「それに! か、可愛いっていうのはあの子のことを言うんですよ! ちゃんと見て下さい!」
巨大ぬいぐるみをビシッと指さしながら、無言の圧で訴えかける。
あの赤い瞳にニッコリとしたお口! ふわふわな髪にまんまるのお顔、何よりこの晴れ渡る笑顔! こういうのを可愛いって言うんです!
そんな熱意を込めてじっと見つめるけれど――トレーナーさんは首を捻り、あたしとあの子を交互に見比べるばかりだ。
やがて、どうしても納得がいかないという顔で口を開いた。
「なんか話がすり替わってないか? うーん、確かにこの子は可愛いけど」
「ですよね! だから可愛らしいとかそういうのは――」
「でもこれ、キタサンを元にしてるんだから、この子の可愛さはキタサンの可愛さでもあるんじゃないか?」
「ふぇ……?」
トレーナーさんの正論は、あたしの逃げ道を完全に塞いでいた。
(あっ……赤い瞳に、髪に、笑顔……それをあたしはさっき、可愛いって……)
あれ? それってつまり、あたしが『あたし自身』を可愛いって大絶賛してしまったことに……!?
「あ、ああ……あわ……あわわ……!」
ボンッ! と音が鳴りそうなほど一気に顔に熱が集まり、視界がぐるぐると回り出す。恥ずかしさで頭がショートしてしまいそうになり、そして。
「ち、ちがっ! 今のはぬいぐるみが可愛いって意味で言っただけで、決してあたし自身が可愛いってことじゃなくて!」
腕と尻尾をぶんぶんと振り回しながら、あたしはとにかく言葉を紡いだ。
こ、こんな苦しい言い訳で撤回できるわけじゃない。でも、今はこうして必死に否定し続けるしかなかった!
「いや、可愛いのは間違いないだろう? そこは否定しちゃ駄目じゃないか?」
「ぴぇ……」
(な、なんで真面目な顔でそんな事言うのっ……!? 今そんな事言われたら……あたし……っ!)
頭が完全にショートしそうになる中、なにか、なにか打開策はないかと必死に思考を回す。可愛いのはあたしじゃなくて、あの子だって証明できるなにか……!
逃げるようにトレーナーさんから視線を外し、巨大なぬいぐるみを見上げた。
えっと……ぬいぐるみの可愛らしさ……可愛らしさ……ふわふわ……モコモコ……。こ、これだ!
「ぬ、ぬいぐるみの可愛らしさって、見た目よりも感触ですよ! ほら、とにかくこの子を抱きしめてあげて下さい!」
「えっ? き、キタサン? うおっ!?」
有無を言わさずトレーナーさんのところまでスタスタと歩み寄り、その体を米俵のようにヒョイッと肩に担ぎ上げる。
突然のことにバタバタと手足を動かして抗議する大人の体を軽々と運んだまま、あたしは一直線にぬいぐるみへと向かっていく。
「よいしょっと! ほら! 抱きしめてあげて下さい!」
「うお! き、急に抱きしめろって言われても……」
「きっと気持ちいいですよ! ほら早く!」
「圧が凄い! 分かった、分かったから! プレッシャーをかけないでくれ!」
恐る恐るぬいぐるみに手を伸ばした。
予想以上の大きさに腕を回すのも一苦労しているようだったが、やがてその大きな体に抱きつく。
ゆっくりとあの子の胸に体を預けると、トレーナーさんの体がフカッと柔らかく沈み込んでいった。
「どんな感じですか?」
「まぁ……柔らかいな」
「これが可愛らしさです!」
「お、おう……」
呆れたような声が聞こえてくるけれど、構うことはない。これで無事にぬいぐるみの可愛らしさを証明できたのだから。
妙に晴れやかな気分で一息つき、改めて目の前の光景に視線を向ける。
あたしと同じ顔、あたしと同じ勝負服。その巨大なぬいぐるみに、トレーナーさんが体が埋まるくらい強く抱きついている。
うん……なんというか、客観的に見ると、その――。
「でも……あたしを抱きしめてるみたいで何だか照れますね……」
「だ、抱きしめろって言ったのは君だろう!?」
「な、なんだか正気に戻ると急に恥ずかしくなってきて……っ、ごめんなさい!」
「いや、大丈夫だ。……俺も言葉が強くなってしまったよ。すまなかった」
ふっと言葉が途切れ、暑いような寒いような妙な沈黙が落ちる。
トレーナーさんは抱きしめるのをやめ、気まずそうにあの子を見下ろしていた。あたしも同じだ。この巨大なぬいぐるみを間に挟まないと、まともにトレーナーさんの方を向くことすらできない。
「と、とりあえずキタサンも抱きしめてみるか?」
「えっ!? な、なんでですかっ!?」
「いや……何となく……」
あまりに唐突な提案に、あたしは目を丸くした。
(多分、この気まずい空気を変えようとしてくれたんだろうけど……)
その不器用な気遣いがなんだかおかしくて、あえてその提案に乗ってみることにした。
「分かりました! キタサンブラック、巨大ぬいぐるみを抱きしめます!」
気合を入れてあの子の近くまで進む――といっても、さっきトレーナーさんを運んできたばかりなので、実際はほんの数歩歩いただけだ。
正面で見上げる巨体はやっぱり圧倒的だったけれど、ここまで来たら腹をくくるしかない。
床に膝をつき、腕をいっぱいに回して、引き寄せるようにその大きな体を抱きしめる。フカフカの胸元にそっと頭を預けた、その瞬間。
あっ……これ……。
「柔らかいですね……」
「だろう? きっと材質にもこだわってるんだろうな」
トレーナーさんの言う通りだ。柔らかくて、ふわふわとした感触がじんわりと体中に広がっていく。
大きな体にすっぽりと包まれていると、不思議なくらい安心感があって……うん、本当に気持ちがいい……。
だけど……あまりにも心地よすぎるせいかな……?
「ふわふわ……いい……」
頭がどんどん、ぼんやりとしていく。さっきまで間近に感じていたトレーナーさんの気配が、まるですりガラスの向こうみたいに、少しずつ遠ざかっていく……。
優しくて、温かくて、あまりにも心地が良すぎて――。起きていようとするための思考の糸が、指先からするすると解けていくようだった。
「キタサン? ……気持ちが良すぎるのも考えものかもな……」
(あれ……? 少しずつだけど……トレーナーさんの声も、遠いような……?)
心地よいぬくもりの中で思考は溶け、気づけば、抗えないほど重くなったまぶたがゆっくりと落ちていった。
「まだもう少し、時間もあるしな……。うん、ゆっくり休ませてあげるか」
なんとか聞こえたのは、その声と少しずつ遠ざかる足音だけ。
閉じていく視界の端で、一瞬だけあの子の顔が見えた。変わらない表現のはずなのに、今は不思議なくらい優しげに見えて――。
絶対的な安心感とふわふわの温もりの中に、あたしの意識はゆっくりと溶けていった。
おまけ
「そういえばなんですけど、なんでトレーナーさんはあの時ちょっとムッとしてたんですか?」
「あの時? えっと……それってどの時だ?」
「あれですよ。あたしが可愛いのを否定してる時に、トレーナーさんムッとしてたじゃないですか。なんでかな〜って」
「自分の相棒を否定されたらさ、思うところがあるのは普通じゃないか?」
「あ、相棒、ですか……っ。そ、そう言っていただけるのは嬉しいですけど……うう、照れちゃいますよ」
「それに、君が自分を可愛くないなんて言ったら、サトノダイヤモンドが鬼の形相になるんじゃないか?」
「だ、ダイヤちゃんが!? た、確かに凄く怖そう……あんまり想像したくないかもです……」
「とにかくだ。あのぬいぐるみの可愛さは君から生まれたものなんだ。それはちゃんと受け止めてほしい」
「……はいっ。えへへ……可愛いって言ってくれて、ありがとうございます」