ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

29 / 30
pixivにも同名の作品を投稿しております


マッサージの極意?

「キタサン、ちょっと頼みがあるんだ。後でトレーナー室に来てくれないか」

 

 トレーナーさんにあんなふうに言われたのは、ほんの数分前のことだ。

 もうひと言二言話してくれるのかと思ったけれど。彼はその一言だけ言い残すと、あっという間に人波の中へと遠ざかっていった。

 

(むむ、これはただ事ではないのでは?)

 

 その後ろ姿を見送りながら、あごに手を当てる。

 いや、ここで考え込んでもいけない。そろそろ授業も始まっちゃうもんね!

 ぴこりと耳を立ててからくるりと回り、教室に向かって歩き出す。歩き出してからも、彼の背中がずっと頭から離れなかった。

 

「トレーナーさん、いますか?」

 

 あれからそれなりに時間が過ぎ、今はお昼休み。授業が終わってすぐに、トレーナー室までやって来た。

 いろんなヒト達の話を上の空で聞き流して怒られたけれど、そんな犠牲を払ってでもここへ来たんだ。何がなんでもやり通してみせる――。

 決意の分だけ、扉を叩く手には自然と力が入ってしまった。

 

「キタサン、入っても大丈夫だよ」

 

 声はすぐに返ってきた。

 言葉こそ穏やかだけど、いつもより低いトーン。無意識に、つばを飲み込んでしまう。

 ――しかし、すぐに頭を振った。

 じっと見つめていた扉を、勢いよく開け放つ。

 

「お助けキタちゃん、ただいま参上です! トレーナーさん、ご要件は!」

 

 不自然に口角が持ち上がって、声も震えてしまった。

 こんな調子だと、トレーナーさんの期待には沿えないかも……。萎れた花のように、耳をペタンと伏せてしまう。

 

「……」

 

 そんなあたしの様子を気にすることもなく、トレーナーさんはゆっくりと立ち上がる。そして、真っ直ぐにこちらを見据えたまま、徐々に近づいてきた。

 あたしは尻尾をピンと立てたまま、近づいてくる彼を、ただ見つめ続けることしかできなかった。

 

「……キタサン」

 

 先程と同じような低い声に、尻尾の先まで痺れてしまう。

 トレーナーさんはあたしを見据えたまま、しゃがみ出し……しゃがみ?

 張り詰めていた尻尾が、ふにゃりと緩む。

 目をパチパチさせながら首を傾げる。そうしている間に、彼は綺麗な正座になっていた。

 

「いや、キタサンブラックさん!」

「!?」

 

 ピシッと背筋を伸ばしながら、トレーナーさんはあたしをさん付けで呼んだ。そして――

 

「俺に、貴方のマッサージ術を教えてください!」

 

 綺麗な土下座を披露しながら、トレーナーさんはそう言った。

 あたしは目を丸くして、その様子をただただ見つめ続けることしかできなかった。

 しばらく土下座したままだったトレーナーさんをなんとか起こし、詳しい話を聞こうとしたのだが……。

 

「そ、そこまで凄いんですか?」

「ああ。だから教えてほしいんだ――君のマッサージ術を」

 

 先程までとは違うキリリッとした目で、トレーナーさんはあたしを見つめている。

 まるで敬うかのようなその視線に、ちょっと胸がドキリとして……じゃなくて。母さん直伝のマッサージ術って本当に凄いんだ、えへへ……でもなく。

 ああ、もう。頭の中がくるくる回って集中できそうにないよぉ。

 

「そ、そんなふうに言われるのはありがたいのですが――」

「君を長く走らせるために、これからのウマ娘を指導していくためにも! 君の技術が欲しいんだ!」

 

 パタパタと、嬉しそうに尻尾が揺れる。

 

「嬉しっ……じゃない! トレーナーさん、そんな急に言われても――」

「この件に関しては師匠と呼ばせてほしい――いや、呼ばせてください!」

 

 ぴくりと、耳が立つ。

 

「……あたしの教えは厳しいです。それでもいいですか?」

「っ! はい!」

 

 勢いのある返事に、あたしは誇らしげに指で鼻先をこすった。

 そこまで言われて無下にするのは、お助け大将の名が泣くというもの。

 

「……分かりました。では教えてあげましょう、母さん直伝のキタちゃんマッサージを!」

「よろしくお願いします!」

 

 綺麗な角度でお辞儀をする彼を見ながら、フォッフォッフォッと笑う。

 これから始まるは、鍛錬の日々。耐えられるかどうかは、目の前にいるただひとりの弟子次第だ。きっと大変なんだろうな……。

 温かなまなざしを向けながら、あたしは自分の手を差し出した。

 

「うむ、ではトレーナーさん。まずはあたしの手のひらを触ってくれまいか?」

「手のひら、ですか?」

「『手当て』という言葉を知っておりますかな?」

「ええ、まあ。治療とかそういう意味ですよね?」

「左様。全てのことは手に通じる、そう言っても過言ではないくらいに手は大切なものですじゃ」

「確かにいろんな神経がありますからね」

「……左様」

 

 スッと目をそらしながら、あたしは小さく頷いた。

 

「手を極めるものにこそマッサージの真髄がある。だからこそ、あたしの手を触ってほしいんですっ――のじゃ!」

「分かりました!」

 

 まるで絹でも扱うように、あたしの手に優しく触れる。

 そのまま、手のひらの中心から外へと押し広げるように指を滑らせていく。

 ――なるほど、確かに筋は良い。

 

「うむ、及第点以上ですじゃ」

「あ、ありがとうご――」

「だからこそ! あたしの技術を叩き込めば、もっと凄い手になる。この意味、もちろん分かりますじゃよね?」

「……!」

 

 ギョロリと彼の目を覗き込む。

 ビクリと体を震わせたが、すぐに力強くこちらの目を見つめ返してくれた。

 

「――よろしい。あたしについてきてくだされ!」

「はい!」

 

 優しく触れていた手が、力強く握りしめられた。

 あたしも同じくらいの力で握り返す。

 この契りは固く結ばれ――解けることはないと、そう信じて。

 

 そしてあの誓いの後、いろんなことがあった。

 

「また腕を上げましたな、トレーナーさん」

「はい!」

「フォッフォッフォッ……。これは免許皆伝も目の前ですな」

「ありがとうございます!」

 

 本当に。

 

「な、なんで……なんでトレーナーさんっ……! ハンドマッサージャーなんか使ってるんですかぁ……!」

「すまない師匠……今は忙しいから手ごろなもの使いたくてつい……」

「うわぁん! 裏切り者ぉ!」

「し、師匠……キタサン!」

 

 本当にいろんなことがあった。

 

「本当にすまなかった。もう寝返ったりなんてしないから」

「トレーナーさん! じゃあ、もう二度とあたし以外のマッサージを受けないんですね!」

「えっ、重い……」

「ちょっと、トレーナーさんっ!」

 

 春を越え、夏を過ぎ、秋を見送り、冬を耐え。

 

 あたし達の絆はより固く結ばれていった。

 

「トレーナーさん、お願いしますじゃ」

「はい」

 

 もうお馴染みになった日々。

 窓から差す夕日を目印にして、ソファに寝転がるあたしと、その背中を見下ろすトレーナーさん。

 

「……」

 

 あたしの背中に添えられた、温かな手。押さえすぎず、かといって弱くもない。時を重ねて手に入れた彼の技術。

 筋肉に沿うように動くその様は、まさしくあたし譲りのものだ。

 

「……っ」

 

 脚に手が触れた瞬間、尻尾がピクリと揺れる。

 それと同時に、優しく、しかし深部に届くように彼の指が滑っていく。

 張り詰めていた筋肉が徐々に緩んでいく心地よさ。あたしが教えた通りの技術が、そこには確かに活きていた。

 やがて彼の手が全身を巡り終えると、静かにその温もりが離れていく。

 

「……どうかな?」

 

 彼の言葉が部屋の空気に静かに溶け、薄くなっていた茜色とともに消えていった。

 あたしはゆっくりと立ち上がって、彼の方に体を向ける。

 静寂が広がっていく。気づけば、あれだけ輝いていた窓の外はすっかり闇に覆い尽くされていた。

 

「……もう、あたしが教えられることはないです」

「!」

 

 そのまま、あたしはトレーナーさんへと微笑みかける。

 彼は一瞬だけ目を見開き、すぐに何かを噛みしめるように俯いた。

 胸の高鳴りを抑えられないまま、あたしは彼のもとへと一歩、足を踏み出す。

 

「よく、頑張りましたね」

 

 ちょっぴり背伸びをしながら彼の肩に手を置いた。

 

「……ありがとう、ございました」

 

 そのあたしの手に、彼がそっと自分の手を重ねる。

 温かく、包み込むようなその手のひらに、あたしの耳はパタリと動いた。

 

「これからはこの技術を、しっかりと活かしていきます」

 

 背伸びをやめて、元の姿勢に戻る。

 一瞬だけ同じ高さに感じたけれど、見上げた彼は、やっぱりあたしよりもずっと背が高かった。

 

「あたしが卒業して、あたし以外の子達を担当することになったら、役立ててください! それまでは、あたしだけにお願いしますね!」

「ふふ、分かりましたよ『お師匠さん』」

「よろしいですじゃ、『お弟子さん』!」

 

 どちらからともなく、顔を見合わせて小さく笑い合う。

 その穏やかな声が夜の静寂に溶けていくと、あとは部屋を照らすオレンジ色の柔らかな光だけが、並んで立つあたし達を優しく映し出していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。