ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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同名の作品をpixivに投稿していますが、こちらに投稿する際に書き直している部分があります


寂しさはきっと耳に溢れていて

「トレーナーさんの耳って、あたしと全然違うんですね……」

「どうした急に」

 

 ソファーからぼんやりと呟くと、キーボードを叩く音が止んだ。トレーナーさんがモニターからこちらへ視線を向ける。

 二人きりのトレーナー室。最初は楽しくお話ししていたけれど、いつしか仕事に集中しはじめた彼を邪魔したくなくて。ぽつんと取り残されて出来た胸の隙間を見ないふりをして、ただその横顔を眺めていた。

 短めの髪から覗く、小さくて動かない耳。あたしたちウマ娘とは違うそれを不思議に思っていたら、つい言葉がこぼれ出てしまったのだ。

 

「あっ……ごめんなさい……。お仕事中なのに……」

「今日の分は今片付いたから大丈夫だよ」

「そうですか……。よかった……」

 

 目を細めたトレーナーさんの言葉に、強張っていた肩の力が抜ける。

 邪魔にならないと分かった途端、見ないふりをしていた胸の隙間が、スースーと冷たく感じはじめた。今なら、触れ合ってこの隙間を埋められるかもしれない。

 すぅ……はぁ……、と密かに深呼吸をする。姿勢を正してトレーナーさんに向き直り、そのまま勢いに身を任せた。

 

「トレーナーさん、耳を触ってもいいですか……!」

「えっ……なんで……?」

 

 目を丸くして返された当然の疑問に、スッと我に返る。

 なんで……と言われると、答えに詰まる。「かまってほしかったからです」なんて言ったら、きっとトレーナーさんを困らせてしまう。

 それ以外の理由を探そうと、視線が宙を泳いでしまう。

 

「そう……ですねぇ……。えっと……」

「理由は出てこない?」

 

 本当はある。でも、言えない。言葉を飲み込むたびに、胸の奥がキュッと締め付けられる。

 それなら、「ただ触りたいからです」って言ったほうが困らせずに済んだのかな?

 ふとトレーナーさんへ視線を戻すと、少し眉尻を下げてこちらを見ていた。……どうしてそんな顔をしているんだろう?

 

「困らせちゃったみたいだね……ごめんな。触っても大丈夫だよ」

「えっ、いいんですか……?」

「今のはこっちが意地悪だったしね……。それにキタサンなら変なことはしないと思うから大丈夫かなって。でも、痛くはしないでほしいかな」

 

 その好意に感謝してソファーから立ち上がると、トレーナーさんの後ろに回り、おずおずと手を伸ばした。

 不思議な感覚だ。あたしたちみたいにふさふさの毛に覆われていなくて、むき出しの肌からはトレーナーさんの体温が直に伝わってくる。指先でなぞると、薄い皮膚の下に不思議な弾力が隠れていて……特別柔らかいわけでもない。でも、硬すぎることもない。

 同じ名前でも全然違う、小さくて静かな耳。だからこそ、自分のことばかり考えていてはいけないよね。

 

「痛くはないですか?」

「あ、あぁ……大丈夫……」

 

 あたしと形が違うとしても、耳は大切な場所だ。何かがあっては大変。

 痛くないかと聞いてみると、トレーナーさんは肩をびくっとさせ、何かを必死に堪えているように見えた。それがすごく心配で、たまらず口に出してしまう。

 

「えっと……本当のこと、言ってほしいです」

「いや、痛くはないよ……」

「本当に?」

「ほ、本当だよ……」

 

 小刻みに震えている背中に釈然としないものを感じるけれど、大丈夫だという言葉を信じたい。傷つけないように、より一層そっと指先を這わせる。

 耳の後ろ側をサワサワ。耳の前をサワサワ。その度にトレーナーさんの肩がピクッと跳ねた。

 何度か触っている時、トレーナーさんがスッと手を出して制止した。えっと……どういう意味かな? よく分からず戸惑ってしまう。

 

「す、すまない……。もう限界だ……」

「や、やっぱり何かダメでしたか!? ごめんなさい……」

 

 手を出したのは、やめてほしいの合図だったみたい。やっぱり良くなかったんだ……。慌てて手を引っ込めて頭を下げる。

 

「駄目……というか……。痛いとかではないんだけど……くすぐったくてさ……。このままじゃ笑っちゃいそうだから……その、恥ずかしくて……」

 

 振り返ったトレーナーさんは、耳まで真っ赤にして視線を逸らしていた。

 良かった……嫌われたわけじゃないんだ……。胸をなでおろす。それに、照れているトレーナーさんが少し可愛く見えて、自然と口元が緩んでしまった。

 

「えへへ……貴重な体験ができました! ありがとうございます!」

「君が満足してくれたなら良かったよ」

 

 まだ頬を赤くしている彼を見て、指先に少しだけ名残惜しさを覚えるけれど、これでおしまい。

 ソファーに戻り、トレーナーさんに触れた手で自分の耳を撫でていると、ふと想像してしまった。もしも今度は、トレーナーさんがあたしの耳を触ってくれたら……。

 頭の中を占めはじめたその思いは、気づけば自然と口を突いて出ていた。

 

「えっと……トレーナーさん……。今度はあたしの耳を……トレーナーさんが……触ってみませんか……?」

「えっ……? えっ!?」

 

 トレーナーさんは驚いたように目を瞬かせている。それでも、一度こぼれた思いは引っ込んでくれない。真っ直ぐにトレーナーさんを見つめる。

 

「駄目……ですか……?」

「そう……だなぁ……」

 

 困らせると分かっているのに、どうしても期待してしまう。

 黙り込んでしまった彼を見つめていると、不意に視線が交差した。トレーナーさんはハッとしたように、あたしの頭上を見ている。

 つられて意識を向けると、自分の耳がペタンと力なく倒れているのが分かった。……これじゃあ、落ち込んでいるのが丸わかりだ。

 

「……そっか」

「トレーナーさん……?」

「実は俺も、少し気になってはいたんだ。……こっちからお願いしてもいいかな?」

「! ……ありがとうございます。トレーナーさん……」

 

 そう言って微かに微笑んだトレーナーさんの表情はとても優しくて、冷えていた胸の奥をふわりと温めてくれるみたいだった。……本当にありがとうございます。あたしのことを考えてくれて……。

 そ、そうだ。触ってもらう準備はできていたかな? 耳は……多分大丈夫。触り心地も悪くないはず。さっきまで力なく倒れていた耳は、もう自分でもわかるくらいにピンと立ち上がっていた。

 

「そっちに行っても大丈夫かな?」

「は、はいっ! お願いします!」

 

 その言葉通り、トレーナーさんがゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 カツカツ……という足音が、何となく耳に残る。ここまで来るのにそんなに遠くはないけれど、何故かその時間がひどく長く感じてしまう。まだかな……まだかな……。尻尾が勝手にパタパタと揺れてしまう。

 ついに、背もたれ越しにトレーナーさんの気配を感じる。いよいよ始まるのかと思うと、心臓の音がうるさくなってきた。

 

「その……お願い……しますね……?」

「ああ……」

 

 耳をピョコピョコ動かして、トレーナーさんの手を誘う。視界の端で、手がゆっくりと近づいてくるのが見えた。ぎゅっと目を瞑って待っていると、耳の後ろ側にそっと何かが触れる感覚が伝わってきた。

 どうやら指先みたいで、耳の先から下に向かって静かに滑り降りていく。まるでガラス細工を扱うかのように繊細な手つきに、背筋がゾクゾクとくすぐったくなる。

 

「痛くないか?」

 

 頭上から降ってきた心配そうな声。それがまた心地よかった。

 トクトクと激しく鳴る心臓の音。そのうるささを、耳に触れる優しい手がなだめてくれているみたい。

 

「トレーナーさん……すごく気持ちいいです……」

「それなら良かったよ」

 

 顔は見えないけれど、声色から優しい表情が伝わってくる。さっきよりもさらに胸の鼓動が早くなる。それなのに……。

 

「…………」

「キタサン?」

 

 撫でてもらうほどに、耳の温かさと背中の冷たさの対比が浮き彫りになっていく。

 どうしてソファーなんて選んだんだろう。この背もたれさえなければ、そのまま背中を預けて、全身で温もりを感じられたのに。

 すぐ後ろにいるのに触れられないもどかしさから、あたしは無意識に耳を動かしていた。撫でてくれる掌にすり寄るように押し付けると、トレーナーさんの手がピタッと止まる。

 

「あ……ごめんなさい……」

「痛くないから大丈夫だよ。だけど、どうして?」

 

 問いかけに、あたしは言葉に詰まる。「かまってほしいから」なんて、さっきまで触ってもらっていたことを考えたらワガママすぎる。そんなこと、口にできるはずがない。

 

「その……」

「うん」

 

 だから、違う言い方でごまかそうと思った。何でもないようなふりをして、無理やり言葉を紡ぐ。

 

「耳でトレーナーさんとタッチしたかった……なんて、おかしいですよね……」

「耳で……?」

「変なこと言っていますよね……! 忘れてくれて大丈夫です……!」

「……」

 

 ごまかすつもりが、結局甘えたことを言ってしまった。

 きっとあたしは、背中の冷たさを紛らわすために、握手をするみたいに耳を通して手を繋ぎたかったんだ。

 それなのに耳でタッチだなんて、おかしな言い訳だ。呆れられてしまっただろうか。無言の時間が続くほど、尻尾が力なく下がっていく。

 縮こまって待っていると、ふいに耳を包み込むような温かい感触がした。これは……手のひら……?

 

「こんな感じかな?」

「トレーナーさん……? 何で……?」

 

 包み込んでいた手が優しく離れると、衣擦れの音がして、トレーナーさんがソファーの横を回ってあたしの目の前まで来てくれた。しゃがみ込んでくれているから、目線も同じになっている。真っ直ぐに見つめ合う。

 

「俺もタッチしたかったから……なんて、おかしいよな」

「トレーナーさん……」

 

 その眼差しはいつも通り優しくて、不格好な言い訳ごとあたしを包み込んでくれるものだった。

 

「おかしくないです……。すごく嬉しいです……!」

「そうか……それなら良かったよ」

 

 お互い見つめ合ったタイミングで、自然と笑みがこぼれる。静かだった空間が、ぽかぽかとした温かい空気に満たされていく。

 

「トレーナーさん……また耳を触ってもらってもいいですか……?」

「大丈夫だよ」

 

 そう言うと、今度は正面から両耳に優しく触れてくれた。さっきまでの背中の冷たさは、もう綺麗に消え去っていた。あたしはたまらず、トレーナーさんに抱きついた。

 顔を埋めた胸は、やっぱり優しくて温かい……。耳を包んでくれた手のひらと同じ温もりを全身で受け止めながら、あたしは安心しきって目を閉じた。

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