少し長い文章になっているのでゆっくり読んでいただければと思います
トレーニングがお休みの放課後。あたしはトレーナー室へと足を急がせていた。
理由は『忘れ物』。明日にでも取りに行ける大したものじゃないけれど、思い出した途端に居ても立ってもいられなくなったのだ。
……忘れ物を取りに行くついでに、少しだけお話もできたらいいな、なんて。
弾む足取りと早まる鼓動は、どうやっても誤魔化しようがないけれど。
そ、そんなことはどうでもいいよね! とにかくトレーナー室まで来た! それだけ!
いざ扉を目の前にすると、急にそわそわしてしまう。
前髪はおかしくないか。横髪ははねていないか。手鏡代わりのスマホでささっと身だしなみを確認して……よし!
気合を入れ直し、ゆっくりと扉に手をかけようとする。
「なんでそれを俺に教えてくれたんだ?」
突如聞こえてきた声に、あたしは扉へ伸ばしかけた手をピタリと止めた。
あれ? トレーナーさんだ。誰かと話してるのかな?
そ、そっか……先客がいるなら仕方ないよね。ちょっと時間を置いてからまた来よう……。
あたしはゆっくりと振り返り、肩を落とす。
はぁ……時間潰さなきゃ駄目か――
「なんでって」
――あれ、この声はもしかして……。
あたしはもう一度扉の方に体を向け直し、そっと耳を澄ませる。
「そんなの決まっているじゃないですか!」
うん、思った通り。声の主はサトノダイヤモンドちゃん、あたしの親友だ。
今日はお休みだって言って、少し早足で出かけていったのは……あたしのトレーナーさんに用事があったからなんだ。そうなんだ……。
…………。
スススと扉の前に体を近づけ、そっと耳を当ててみる。
これは大切な親友と頼れる相棒が、どんな話をしているか気になっただけ。決して、除け者にされて悲しいとか、なんでふたりきりなんだとか、そんなことは断じて思っていない。お祭り娘はウソツカナイ。
無意識に膨らんだほっぺたと、ブンブン揺れる尻尾には、全力で気づかないふりをする。
「それは私とキタちゃんのトレーナーさんが!」
き、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた! ダイヤちゃんとトレーナーさんが……って、何! ダイヤちゃんの専属トレーナーさんを裏切るの!?
風船よりも大きく膨らんだほっぺたが痛いけど、気にしてなんていられない。尻尾でバチバチと地面を叩きながら、核心に迫る言葉を待つ。
……だけど。もし、思った通りの言葉だった時、あたしはどうなるんだろう。
ダイヤちゃんとトレーナーさんが、あたしの知らないところで……。
最悪の想像に、ジワリと目元に熱が集まっていく。それでも、耳を塞ぐことなんて出来なかった。
「キタちゃん可愛い同盟の同志じゃないですか!!」
そして聞こえてきた興奮するかのような声にあたしは……あたしは? って、あれ? なんか思ってたのと違うような……?
目元に雫を溜めながら言葉をもう一度思い返す。
えっと……あたしが可愛い同盟の同志がどうとか言ってたっけ……。
なるほど。ダイヤちゃんとトレーナーさんはあたし可愛い同盟? の同志でそれ以上の関係ではないんだ。そ、そっか〜……良かった〜……?
一瞬だけ安心しそうになったけど、聞き慣れない言葉が何度も頭をよぎる。
キタちゃん可愛い同盟……キタちゃん可愛い同盟!?
その言葉の意味を理解した瞬間、思わず扉から飛び退いてしまった。
自分の知らないところで変な同盟が出来ている。しかも親友が関係者だなんて。この場で叫ばなかった自分を褒めてあげたいくらいだ。
口元を手で押さえてガタガタと震えるしかない。……それなのに、気付けばあたしはまた扉に耳をピタリと付けている。
好奇心……いや、これは調査だ。ダイヤちゃんだけじゃなくて、トレーナーさんまで入っているんだから。変なことに巻き込まれているトレーナーさんを、あたしがなんとかしなければ……!
「いや、知らない同盟に勝手に入れないでくれ……。なんだそのキタちゃん可愛い同盟って……」
あっ……トレーナーさんは完全に被害者だ……。
「そんな……! あの時語り合ったじゃないですか! キタちゃんの可愛さを広めようって……!」
うん、ダイヤちゃんがクロだね。語り合ったまで言っちゃってるし。
この分だとキタ……同盟もダイヤちゃんが作ってるに決まってる。あんな妙なことに、トレーナーさんが喜んで参加してるわけがないんだから。
きっとあたしのことで迷惑してるはずだ。早く飛び込んで助け出さないと!
……そう思うのに、何故か耳が扉からピッタリと離れてくれない。
「確かに魅力を広めたいとは言ったが……そこまでいくのは違うんじゃないか……?」
えっ?
「むぅ、私達だから出来ることもあると思いますけどね……」
「俺達の立ち位置でやり過ぎるのも駄目なんじゃないか? 知らないけど」
「はぁ……キタちゃん大好き同盟、良いと思ってたのになぁ」
「……同盟の名前が変わってないか?」
何かを話し続けているふたり。だけど今のあたしには耳に入らなくて、いつの間にか胸の前に手を当てていた。
だって、トレーナーさんの言葉が嬉しかったから。
ダイヤちゃんの言葉を否定せず、あたしには魅力があると真っ直ぐに信じてくれている。
ただそれだけで、胸の奥がドクドクと高鳴っていく。
熱くて、速くて、痛くて。だけど堪らなく嬉しくて……。
揺れる尻尾に身を任せながら、そのまま聞き続ける。
「では話を戻しますね……」
「そこまで露骨にテンション下がるか? そもそも何の話をしてたんだっけ?」
「あっ、そうでした! キタちゃんが可愛い服を着てた話をしてたんですよ!」
「ああ、確かにそう言ってたな」
ふんわりとした余韻は、その一言で一気に吹き飛んでしまった。
か、可愛い服!? それってもしかして……。
頭に浮かぶのはただ一つ。ダイヤちゃんや同期の皆とお出かけした時に着た、あの服だ。
ピンクを主体にしたシャツとスカート、右耳に付けた青色のリボン。可愛さを全面に出していると思われても仕方ない……かもしれない。実際、皆の目が丸くなっていたのは記憶に残ってる。
そ、その話をトレーナーさんに!?
さっきまで甘く満たされていた心は激しくざわつき、ふるふると尻尾が震えだす。
「顔を赤らめながら私に聞いてきたんですよ。『……ダイヤちゃん、似合ってるかな……?』って。あの時のキタちゃんの顔、凄く良かったんですよね!」
「へぇ……そうなのか」
と、トレーナーさんになんてこと言ってるのダイヤちゃん! トレーナーさん困ってるじゃん!
……困ってるよね? 嫌がってる声じゃないってどういうこと!? 興味ある……とか? ってそうじゃなくて!
「クラちゃんやシュヴァルさんも、あの服似合ってたねって話してたんですよ! なんだか嬉しかったなぁ」
関係者全員に何聞いてるの!? 次に会う時ちょっと気まずいよ! ……でも、ふたりも似合ってるって思ってたんだ……。それは……えへへ、嬉しい……。いや、満たされたら駄目なんだって!
ぐるぐると回る視界と、ますます速くなる心音。このままじゃ、頭がどうにかなってしまいそう……っ。
「そこまで言われると、確かに気になってきたかもな」
ビクリと跳ねる心臓と尻尾。
ただ『気になってきた』と言われただけ。それなのに、いまのあたしには刺激が強すぎる……っ。
「ですよね! 流石キタちゃん愛好会会員です!」
「愛好会に変えたのか……同じようなものだろ、それ」
「よく考えたんですけど、『愛』とか『好き』が付いてるからこっちの方が相応しいなと!」
「そういう問題なのか?」
そんないっぱいいっぱいのあたしにお構いなしに、話はまだまだ続いていく。
尻尾の震えは止まらないし、心臓だって走った後みたいにドクドクうるさい。
それでも扉から離れられないのは、きっと足まで震えてしまっているせいだ。
あたしはそう自分に言い聞かせて、更に扉へと体重を預けた。
「それでトレーナーさん! 実際に見てみたいですか!」
来た! ついに核心が! 流石はなんとか愛好会の会長さん!
あたしは期待を込めて、もう一段階扉に体重を乗せる。
「まあ、そこまで言われるとな。俺には想像しかできないし」
やったね! あの時のあたし、勇気を振り絞って良かった!
「ですよね! ……ふふ」
「?」
あれ? なんで今、笑って……?
思わず首をかしげた。
すると。
トク……トク……トク……トク……。
一定のリズムが、徐々にこちらへ近づいてくる。
トクトク……トクトク……。
聞き覚えのある足音。間違いない、ダイヤちゃんだ。
だけど……でも……なんで……どうして……!
ガクガクと体が震える。動揺のあまり、立ち上がって逃げることすら出来ない。
トク……。
ピタリと止まる足音。扉の向こうで震えるあたし。
そんなあたしを、あざ笑うかのように。
「だって! 良かったね、キタちゃん♪」
無邪気に弾む声とともに、勢いよく扉が開かれた。
「だ、ダイヤちゃん……ど、どうし――うわあっ!!?」
「キタサン!?」
バランスを崩したあたしは、そのままトレーナー室に倒れ込む。
ペチ……っとちょっぴり情けない音が鳴ったけど、それ以上に頭上から降ってきたトレーナーさんの声が大きく響いた。
その声を聞いた瞬間、恥ずかしさで全身の力が抜けて、もう立ち上がることなんて出来ない。
今のあたしに出来たことといえば――。
「い、いつから気づいてたの……?」
燃えるように熱い顔を上げて、揺れる視線のまま。天使と悪魔が混ざったような笑みを浮かべる親友へ、そう声を掛けることくらいだった。
ダイヤちゃんは顎に手を当てて少し考え込み――
「……私とトレーナーさんが……って言ってたところかな?」
そ、そこって結構最初のほうじゃん……っ!
カアアアッ、と全身の熱が一気に爆発する。
激しく回る視界の中で、ついにあたしの思考回路は完全にショートした。
「……俺は気づかなかったけど、どこで分かったんだ?」
「えっ? 扉に何かが打ち付ける音、してましたよね?」
ひっ……あの時の音で気づかれてたの……? も、もしかしてトレーナーさんにも……!?
耳の奥で、心臓の音が痛いほどうるさく鳴り響いている。
「いや、俺は気づかなかったけどな。ウマ娘だからこそなのかな?」
「それはあるかもしれませんね。あっ、あとは私とキタちゃんが親友同士だからとか!」
「……なんだか説得力あるな」
そ、そうなんだ……それなら良かった……のかな?
少しだけ心音が落ち着いていく。
でも、いつまでもこうして床にへたり込んでいるわけにはいかない。
ガクガクと震える足を何とか抑え、尻尾と腕の力で補助しながらゆっくりと立ち上がる。そして、カラカラになっている口を開いた。
「そ、それはともかく! ダイヤちゃん、なんであたしがいるの気づいてたのに話続けたの!?」
「なんでって……そんなの決まってるよ」
震える指先を向けても、ダイヤちゃんは全く動じない。
それどころか、今まで見た中で一二を争うくらいの極上の笑顔で、あたしを見つめ返してくる。
ぐっ……だめだ、こういう時のダイヤちゃんには絶対に勝てない……っ。
それでも、ここで逃げ出すわけにはいかない。あたしは震える手を強く握り締め、自分に言い聞かせるように呼吸を整えた。
「き、決まってるって……それは一体……」
「それはね――」
震える声で言葉を投げかける。
ダイヤちゃんは一瞬だけ言葉を飲み込み、それから――。
「……ふふ。キタちゃんのトレーナーさんがキタちゃんの可愛い姿が見たいって言ってくれたら、キタちゃんが喜んでくれるって思ったからだよ♪」
「んなっ!?」
その言葉に思わず仰け反り、ガタガタと震えが止まらない。
た、確かにその……可愛いって言われたら嬉しいかもしれないけど……そ、それでトレーナーさんを巻き込むのは、絶対ダメだよ!
大きく頭を振って、熱くなった顔を無理やり正す。
あたしはぎゅっと拳を握り締め、覚悟を決めてダイヤちゃんの目を見据えた。
「だからトレーナーさんは関係ないもん! 困らせないでよ!」
「……ふふ、確かにそうだね。ごめんね、キタちゃん」
「……? 分かってくれたなら、いいけど」
妙に物わかりがいいダイヤちゃんに釈然としないものを感じるけど、まあ、いいか。
そう思ったのも束の間。ダイヤちゃんは嬉しげな笑みを浮かべたまま、すうっとトレーナーさんの方へ視線を滑らせた。
「トレーナーさん! お話聞いてくれてありがとうございました!」
「あ、ああ……楽しんでくれたなら良かった…のかな?」
ニコニコなダイヤちゃんとは裏腹に、混乱しきった様子のトレーナーさん。あはは……なんだかあたしと同じですね。
苦笑いを浮かべて見守っていると、ダイヤちゃんがふわりとこちらへ歩き出してきた。
「それとキタちゃん」
「? どうしたの?」
てっきりそのまま帰るのかと思っていたけれど、ダイヤちゃんはくるりとあたしの方へ向き直った。
そして――。
「ふふふ……♪ キタちゃんの大切なトレーナーさんにあの可愛い服見せてあげたら、きっと喜んでくれるから頑張ってね。……それに出かける日が決まったら、おめかし手伝うから♪」
「だ、ダイヤちゃん!? なんでそんなこと……トレーナーさんに聞かれたら!」
ばっと振り返るも、トレーナーさんは不思議そうに首を傾げているだけ。
わ、わざとだ! あたしにしか聞こえない声で言ったんだ……!
く、くぅ……っ! とムッとして睨みつけても、ダイヤちゃんはどこ吹く風で、ただ満面の笑みを返してくるだけだった。
「ではまたお話にきますねトレーナーさん! さよなら!」
そう言い残し、ダイヤちゃんは嬉しそうにトレーナー室を出ていった。
パタン、と扉が閉まり、急に部屋が静まり返る。
……だめだ。ごまかそうとしても、胸の高鳴りだけが、いつまでも痛いほどうるさく鳴り続けていた。
「ふぅ、なんというか……君のことになると、サトノダイヤモンドは嵐みたいな子になるな……」
「……えっ?」
「それほどまでに君のことが好きなんだろうけどね」
「……」
だけど、トレーナーさんは少し困ったように笑っているだけだ。
むぅ……あたしの胸はこんなに煩く高鳴っているのに、トレーナーさんだけズルいな……。
……胸元に手を当てて、ゆっくりと深呼吸をする。少しだけマシになった気もするけど、心音はやっぱりうるさいままだ。
それでも、あたしは……!
ぎゅっと両拳を握り締め、真っ直ぐにトレーナーさんの顔を見上げた。
「……トレーナーさん!」
「うん? どうしたんだキタサン?」
声を振り絞っても、胸の高鳴りは治まるどころか、ますます激しくなっていく。
それでも……ううん、だからこそ。
あたしは逃げずに、真っ直ぐにトレーナーさんの目を見つめ返した。
「……あのっ。ダイヤちゃんが言ってたこと、なんですけど」
「ああ、服のことだよな。彼女があれほど言うんだから、相当に良かったんだろうね」
これまた、見事なまでのいつもの調子。
くぅ……っ、分かってはいたけど、やっぱりちょっと悔しい。
あたしは胸元の手をぎゅっと握りしめ、逃げずにトレーナーさんの目を見つめ返した。
「トレーナーさんも見てみたいですか?」
「えっ? 見せてくれるなら嬉しいかな」
「……今度」
「うん?」
……いけ、キタサンブラック。ここで言えなきゃ、お祭り娘の名が廃るだろう!
「今度一緒にお出かけしましょう! その時にあの服を着てみます!」
「そ、そうか……嬉しいけど、そんなにテンションを上げて言うことかな……?」
「……よし! 楽しみにしてて下さいね!」
小さくガッツポーズを握りしめ、あたしは勢いよく歩き出す。
見てて下さいね、トレーナーさん。絶対に「可愛い」って言わせてみせますから!
胸の中で力強く宣言して、意気揚々とトレーナー室の扉を開け――
「――そういえばキタサン、なんでここにやって来てたんだ? 何か用事があったとかか?」
「……あっ!」
――っちゃ駄目だった! そもそも、忘れ物を取りに来たんだから!
あたしは真っ赤になった顔を誤魔化すように、くるりと踵を返して部屋の中央へ戻る。
うう……何とも締まらないけど、まだ始まったばかりだもん……これからなんだから!
熱いほっぺたを両手で押さえながら、あたしは慌てて忘れ物を探し始めた。
割とダイヤちゃんは便利に使ってしまいがちです