ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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pixivにある同名の作品を手直ししております


雨の日の一幕

「まさかこんなに降るとはなぁ……」

 

 隣から聞こえてきた呟きにチラリと視線を向けると、トレーナーさんが空を見上げて頭をかいていた。

 ザァーザァーと屋根を打つ雨は、ついさっき降り出したばかりだ。

 天気予報では一日中晴れだったのに。雲の切れ間に隠れる太陽が、少しだけ憎らしい。

 折角のお出かけだったのになぁ……とガクリと肩を落とし、諦め半分でカバンを探って──

 

「あっ」

 

──指先に当たった、覚えのある布の感触。

 もしかして!

 あたしは期待に胸を跳ねさせながら、勢いよくカバンの中を覗き込んだ。

 

「やっぱり……!」

 

 そこにあったのは、赤と黒の折りたたみ傘。そうだ、少し前にあたし買ったんだった。

 ダイヤちゃんが「似合ってるし、念のため持っておいた方がいいよ」って勧めてくれたおかげだ。

 頼りになる親友の言葉に感謝しながら、あたしはジワリと温かくなった胸を張る。

 

「トレーナーさん!」

 

 善は急げ、だ。

 あたしは、横で途方に暮れる彼に向かって勢いよく振り返る。

 胸を張り、尻尾をパタパタと振り、とびっきりの笑顔を作って。

 隠れている太陽が思わず顔を出してしまうくらい、大きな声で呼びかけた。

 

「き、キタサン?」

 

 トレーナーさんはビクリと肩を震わせ、目を丸くしてこちらを見ている。

 あ、あはは……いきなりあんな大声を出したら、そりゃ驚いちゃうよね……。

 さっきまでの勢いはどこへやら。すっかり気まずくなって、あたしはシュンと耳を伏せた。

 

「お、大きな声を出してごめんなさい……」

「びっくりしたけど、大丈夫だよ。それより、どうしたんだ?」

「えっとですね……!」

 

 優しい言葉に甘えて、あたしは気を取り直す。

 まだ少し気まずいけれど、いつまでもシュンとしてはいられない。

 

「たまたまなんですけど、あたし傘を持っていたんですよ!」

 

 さっきまでの気まずさを誤魔化すように、カバンから勢いよく傘を取り出す。

 あたしの勝負服のような配色の折りたたみ傘は、どこか誇らしげな佇まいであたしの両手に収まっていた。

 

「だからほら! これで帰ることが出来ますよ!」

 

 その傘を素早く開き、屋根の外へと歩みを進める。

 あたしの頭上に出来た赤と黒のカーテン。その上をザァーザァーと音を立てて雨が打ち付けるけど、それだけだ。濡れることなんてない。

 パタパタとご機嫌に揺れる尻尾とともに、あたしはくるりと振り返って胸を張ってみせた。

 きっとトレーナーさんも、笑顔になってくれるに違いない!

 

「う~ん……」

 

 てっきり喜んでくれると思ったのに、トレーナーさんは眉を寄せて腕を組んでしまった。

 あれ? どうしたのかな? もしかして何かマズいことでもあった?

 パタパタとご機嫌に揺れていた尻尾は徐々に勢いをなくし、耳も不安げにペタリと倒れてしまう。

 

「折角の申し出だけどな、その傘だとふたりが入るには少し小さいような気がするんだ」

「えっ」

 

 言われてみればと、あたしはバッと自分が差している傘を見上げた。

 た、確かに……あたしひとりなら十分だけど、ふたりで入るにはどう見ても小さい。

 ど、どうしよう! このままだとトレーナーさんが濡れちゃう! かといって、どうすればいいの!?

 完全にキャパオーバーになり、あたしは傘を持ったままワタワタと視線を彷徨わせた。

 

「だからな、キタサン。気持ちはありがたいんだけど──」

 

 ま、不味い! このままだと断られてしまう!

 折角傘があるのに、濡れたまま雨宿りするなんて『お助けキタちゃん』として絶対にダメだ。

 あれこれ考えている暇はない。……よし、こうなったら!

 

「――ま、待ってくださいトレーナーさん!」

「キタサン?」

「確かに小さいかもしれません。しれませんけど! くっつけば大丈夫です!」

「……キタサン?」

 

 うっ……トレーナーさん、完全にポカンとしてる……。

 だけど、ここで諦めるわけにはいかない! あたしは更に言葉を畳み掛ける!

 

「それに、いつ雨が止むかも分からないのに、このまま待ってると帰りが遅くなっちゃうかもしれません! ですので!」

「お、おう……た、確かにそれもそうだな。うん……」

 

 困った時は言葉を畳み掛ける! ダイヤちゃんの教えは正しかった!

 圧倒されたトレーナーさんは、なんとか首を縦に振ってくれた。

 ……少し引かれている気もするけど、そこは甘んじて受け入れよう。うん。

 

「……わかった。お言葉に甘えようかな」

「本当ですか!」

「まあ、あそこまで言われたらなぁ」

 

 あたしの言葉の猛攻に、トレーナーさんは降参したように肩をすくめる。

 ……あからさまに苦笑しているのは、見なかったことにしよう。

 彼はあたしの方へと近づいてきて、ゆっくりと手を伸ばした。

 

「……トレーナーさん?」

「傘は俺が持つよ」

「えっ?」

 

 意外な一言に、あたしは耳をピクリと立てた。

 傘をトレーナーさんが?

 一瞬だけ首を傾げたものの、目の前の彼を見上げて「あっ」と気がついた。

 十センチ以上は背の高い彼を傘に入れるなら、あたしはずっと背伸びをして腕を上げ続けなきゃいけない。

 どうしてこんな単純なことに気づかなかったんだろう。勢いだけで突っ走ってしまった。

 うう……こんなことも分からないなんて、お助け大将失格だ……。

 

「……トレーナーさん、どうぞ!」

 

 ガクッと肩を落としそうになるのをグッと堪え、あたしは精一杯の笑顔を作って傘を渡す。

 そして、宣言通りトレーナーさんの隣にぴたりとくっついた。

 いざ近づいてみると想像以上に距離が近くて、少しだけほっぺたが熱くなる。だけど、離れたら雨に濡れてしまうからと、あたしはギュッと肩を寄せて誤魔化した。

 

「……ありがとう、キタサン」

「では、よろしくお願いします!」

 

 急にくっついたあたしに、トレーナーさんは一瞬だけ驚いたように目を丸くしたけれど。

 すぐに優しく微笑んで、何も言わずに受け入れてくれた。

 そのままふたり、一緒に雨の中を歩き出す。

 

 ザァーザァー、ザァーザァー、ザァーザァー。

 

 雨は勢いを弱めることなく、ずっと降り続けている。赤と黒の天井に何度も何度も打ち付けている。

 一歩進むごとに水たまりで水しぶきが跳ねる。気づけば足元が少しだけ濡れていた。

 

 だけど、そんなことよりも。

 今はこの距離が、どうにも落ち着かない。

 

 聞こえてくる心音。

 湿った服越しに伝わる体温。

 近すぎる彼の存在に当てられて、自分の鼓動までどんどん早くなっていくのがわかる。

 

「キタサン?」

 

 ふいに上から声が降ってきて、見ればトレーナーさんが心配そうに顔を覗き込んでいた。

 大丈夫ですよ! 何でもないですから!

 そう元気よく言いたかったけど。

 

「ど、どうしましたかトレーナーさん?」

 

 なんでもない、と笑うつもりが、情けないほど声が上ずってしまう。

 だったら離れたらいいのに。自分でもそう思うんだけど。

 なんでかな? 離れようと思えば思うほど、無意識に彼との距離を縮めてしまう。

 そしてその度に、胸の奥で何かが甘く満たされていくのを感じていた。

 

「…………いや、何でもないよ」

「そ、そうですか!」

 

 何か言いたげに視線を逸らした彼に、あたしは裏返った声で返事をしてしまう。

 

「……急に声をかけたりして、驚かせてごめんな」

「い、いえ! そんなに驚いていないので!」

 

 にこりと笑うトレーナーさんが何を思っているのか、想像する余裕すらない。

 これは彼の肩が濡れてるから。体を温めるためだから。

 口にすれば絶対に誤魔化しきれない言い訳を胸の中で唱えながら、あたしは無意識に、さらにギュッと彼へとすり寄ってしまった。

 

 ドクドク、ドクドク、ドクドク。

 

 至って規則正しい、トレーナーさんの心音。

 それが心地良くて、だけど何だか胸の奥がくすぐったくて。

 名前のつかないこの気持ちから目を逸らすように、あたしは彼へとすり寄る。

 気づけば彼の腰に尻尾が巻き付いていたのを、見ないふりしながら。

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