「キタサン、寒くないか?」
「いえ、あたしはへっちゃらですよ!」
気遣ってくれるトレーナーさんに首を振りながら、あたしはニッと笑って見せた。
ウマ娘のあたしにとって、この程度の寒さは平気だ。けれど、目の前で白い息を吐くトレーナーさんはどうなのだろう。
「トレーナーさんの方こそ大丈夫ですか?」
「ああ、俺も大丈夫だよ」
「そうですか、それなら安心しました……!」
ニコリと笑うトレーナーさんに、嘘をついている様子はない。それだけで、あたしは心の底からホッと息をつくことができた。
窓から見える雪がしんしんと降り続けている。それはどこかさみしげで、だけどなんとも優しげな景色に思えた。
陽気な鈴の音が聞こえてきそうな冬の空。その音とともに皆で盛り上がっているであろう、今日はクリスマス。
けれど、あたしとトレーナーさんはその喧騒から離れ、静かな漁村へと足を運んでいた。
いつもはお祭り騒ぎが大好きなあたしが、こんな日に限ってこんな場所にいるなんて。普段のあたしを知っているヒトが知ったら、きっと驚かれちゃうんだろうな。
みんなの驚く顔を想像して、思わずふふっと笑みがこぼれる。
きっと、イタズラが大成功した時ってこんな気持ちなんだろうな。
「……ここは本当に静かだな」
あたし好みの炭酸が抜けたサイダーを飲んだ後、トレーナーさんがぽつりと呟く。
きっと、無意識にこぼれた独り言だったのだろう。
けれど、遠くの汽笛さえ届くほどの静けさとウマ娘の耳は、その小さな声をはっきりと拾い上げてしまった。
「……まるで、世界にふたりきりみたい」
聞き流してもよかったはずなのに、あたしは無意識にそう呟いていた。
……あはは。ちょっと、柄にもないこと言っちゃったな。
静かで、どこか演歌の世界みたいなこの雰囲気に当てられてしまったのかもしれない。
今さら急に恥ずかしくなってきて、あたしのほっぺたはカッと熱くなった。
「……ああ、やっぱり聞かれちゃったか」
トレーナーさんもあたしと同じように、少し恥ずかしそうに笑っていた。
ほんのり赤くなったほっぺたを見て、照れているのはあたしだけじゃないと気がつく。
……まあ、顔が熱いのはあたしも同じだから、お互い様だよね。
「あ……聞こえちゃいました……」
なんとか誤魔化す言葉を探してみたけれど、上手い言い訳は出てこない。
あたしに出来たのは、下手な作り笑いを返すことくらいだった。
たまらずお互いに視線をそらし、無言でサイダーを喉に流し込む。
喉元を過ぎたそれはやはりぬるかったけれど、火照った顔を冷ますには十分だったみたいだ。
やがて、お互いの視線は自然と真っ直ぐに戻っていった。
「キタサンは寂しくないか?」
先に切り出したのは、トレーナーさんの方だった。
ほっぺたはまだ少し赤いけれど、あたしを見つめる眼差しは真っ直ぐで、射抜くように真剣だ。
唐突なその言葉に、あたしは首を傾げる。
「寂しいとはどういうことですか?」
「君の言う通り、ここは世界に俺たちしかいないみたいに静かだろう? だから、もしも本当にふたりきりになってしまったら、寂しくないのかなって」
「あ……そういうことですか」
『あれは場の雰囲気に呑まれただけで、深い意味はないですよ』
そう笑って誤魔化してしまうのは簡単だ。
「……やっぱり、寂しいと思います」
柄にもない言葉だったけれど、気の迷いなんかじゃない。
真っ直ぐに問いかけてくれるこの人にだけは、嘘をつきたくなかった。
「ふふ、そうだよな。君はお祭り娘なんだから、やっぱり寂しいよな」
安堵したように笑うトレーナーさんを見て、あたしは少しだけ胸が痛む。
もしも「ふたりきりでいい」なんて言ったら、きっと心配させてしまうだろう。だから、言わない方がいい。
「だけど」
「うん?」
分かってる。
彼を心配させるようなことは、言うべきじゃないって。
頭では全部分かってる。
だけど。
「今この瞬間だけは、ふたりきりでもいい。……あたしは、そう思ってます」
どうやら、心の方は嘘をつかせてはくれないみたいだ。
あたしはトレーナーさんの目を真っ直ぐに見つめ返し、言い淀むことなく言葉を紡いだ。
「……」
トレーナーさんは驚いたように目を見開き、口元に手を当てて考え込んでしまう。
その眼差しがあまりに真剣で、あたしは何も言えなくなった。
遠くの汽笛だけが響く部屋の中。
うん、やっぱり困らせちゃったよね。ごめんなさい、トレーナーさん。
声に出せない謝罪を胸の奥にしまい込み、あたしはただ真っ直ぐに彼を見つめ続けた。
このまま、言葉のない時間が続くのだろうと思っていた。
けれど、トレーナーさんはゆっくりと口元から手を離し、あたしの目を真っ直ぐに見返して──。
「……ああ。今だけは、世界にふたりきりだな」
優しい声で小さく笑う彼に、今度はあたしが目を丸くする番だった。
子供の戯言だと思われたのかな? だけどあの眼差しに、そんな意図は微塵もなさそうだ。それなら、どうして。
考えても答えは出ない。けれど、あの言葉があたしにとって最大のチャンスであることだけは確かだ。
ゆっくりと立ち上がり、あたしはトレーナーさんの元へと歩き出した。
「キタサン?」
ぽかんと間の抜けた顔をしている彼を見ながら、あたしは無言で隣に腰を下ろす。
そして、トレーナーさんの肩にゆっくりと頭を預けた。
触れた肩から、ビクッと体が強張るのが伝わってくる。
その反応に、なんだかイタズラが大成功した時のような気分になって、自然とほっぺたが緩んでしまった。
「……今はあたし達、世界にふたりきりです。だけど、それだと寂しいから……こうして、あなたの隣にいたくなりました」
言い終わった後、あたしはゆっくりと瞳を閉じた。
耳に届く、トレーナーさんの小さな吐息。伸ばした手から伝わる優しい温かさ。そして、トレーナーさんの腰に巻きつけたあたしの尻尾から、ゆっくりと力が抜けていく。
ああ、だけどトレーナーさんの前に座った方が良かったかな。そうしたら、トレーナーさんの心音も聞けたのに。
少し欲張りな後悔が浮かぶけれど、今は全身を包み込む温もりだけで胸がいっぱいだった。
それだけであたしは十分。十分だ──
「えっ?」
不意に肩へ何かが触れ、あたしはハッと目を開けた。
視線を落とすと、そこにはトレーナーさんの手が優しく添えられている。
驚きのまま顔を上げ、隣に座る彼を見つめ返した。
「トレーナーさん?」
隣を見上げると、トレーナーさんはいつも通り優しく微笑んでいた。
どうして笑っているんだろう。
そんな疑問を口にするより早く、肩に添えられた手にぐっと力が込められる。
あっと思う間もなく、引き寄せられたあたしの頭は、トレーナーさんの胸元にすっぽりと収まってしまった。
「……俺も同じだよ。ふたりきりだと寂しいから……もっと近くにいてほしかったんだ」
ドク……ドク……ドク……。
耳元に届くのは、特に速くもない穏やかな心音。
肩にあった手は静かに背中へと移り、あやすようにゆっくりとさすってくれる。
……あはは、寂しいなんて嘘じゃないですか。本当に心細い人が、こっちを気遣う余裕なんてあるわけないのに。
こんな時でもあなたはいつも通りなんですね。ちょっと……残念だな。
少しだけ切なくて、だけどそれ以上に温かくて。
心地よいそのリズムに身を委ねるうち、あたしはゆっくりと瞼を閉じた。
「ゆっくりお休み、キタサン」
遠くの汽笛も、すぐ耳元で聞こえるはずの優しい声も、心地よく遠ざかっていく。
……うん。十分に甘えられたから、寂しがり屋の時間はひとまずこれでおしまい。
名残惜しいけれど、このままだとみんなを心配させちゃうから。
次に目が覚めたら、いつもの『お祭り娘』に戻ろう。だって、そっちも大好きな、あたしの一部だから──。
「はい……おやすみです……」
上手く回らない口で何とか呟くと、ふわりと、頭を撫でる優しい感触がした。
えへへ……最高のクリスマスプレゼントだ……♪
その心地よい温もりに包まれたまま、あたしは静かに夢の中へと落ちていった。