ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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引き出せ!夢うつつな言葉

「ワッ……ショイ!」

 

 最大級……ではなくて。最小限の力を込めて、凝り固まった腰の筋肉を伸ばしていき、張りを緩めていく。

 足先から順番に全身をほぐしてきて、いよいよ総仕上げ。

 あたしの体温の高さと母さん直伝のマッサージは相性バッチリ! この手でたくさんの人々を喜ばせてきた……というのはちょっと言い過ぎだけど。

 体重を乗せるたび、彼からフゥッと安堵の息が漏れ、ガチガチだった体の力が抜けていくのがわかる。

 少なくとも、目の前にいるヒトのためにはなったのかな?

 あたしは下を向き、ソファーの上ですっかりリラックスして寝転んでくれているトレーナーさんを見る。

 

「トレーナーさん、終わりましたよ」

 

 ふぅ、と小さく息をつき、両手をトレーナーさんの腰から離す。やり遂げた喜びに、耳と尻尾が自然とパタパタ揺れてしまった。

 窓に差す茜色は徐々に夜の闇に溶けていき、天井の明かりだけが静かなトレーナー室を照らしていた。

 

「……ありがとう……」

 

 いつものシャキッとしたものではなく、雲のようにふわふわした声が耳に入る。

 いつもならすぐに起き上がってくれるのに、彼は顔をソファに預けたままこちらを向いてくれない。

 

「……トレーナーさん?」

 

 ソファの横にしゃがみ込み、様子をうかがうように彼の顔を下から覗き込みながら、ツンツンとほっぺたを突く。無防備な顔は少し熱を持っていて、とても柔らかかった。

 

「…うぅん」

 

 体をよじらせながら、煩わしそうに顔をこちらに向ける。

 持ち上がらないまぶたと、への字に結ばれた口。どうやら完全に微睡みの中にいるみたい。

 

「寝ちゃったみたい?」

 

 ほっぺたを緩ませて、そっと髪を撫でてみる。チクチク刺さる髪の毛が少しくすぐったい。

 ……このまま撫でてたら、起きちゃうかな?

 ピタリと手を止めて彼を見つめる。スースーという静かな寝息は、変わらずに続いていた。

 パタパタと尻尾を揺らしながら、もう一度撫で直した。

 

「いいこ、いいこ〜♪」

 

 ……ハッ!

 ご機嫌に揺れていた尻尾が、ピシッと凍りつく。しまった、つい変な言葉が――

 

「いいこ……いいこ……」

「えっ?」

 

 寝息に混じったかすかな呟きに、思わず息を呑む。

 恐る恐る覗き込んでみたけれど、わずかに開いた彼の瞳はまだこちらを捉えてはいない。きっと、夢のまぼろしを映しているに違いない。

 ……っと、いうことは?

 あたしは口元にいたずらな笑みを浮かべ、ゆっくりと彼の耳元まで顔を近づけた。

 

「キタサンは?」

 

 内緒話をするように口元に手を添えてささやき、反応を見るためにほんの少しだけ顔を離す。

 さてさて、どうなりますかね?

 期待にパタパタと尻尾を揺らして、じっとトレーナーさんの言葉を待った。

 

「……キタサンは?」

「!」

 

 トレーナーさんは、かすかに聞こえる声でオウム返しにしてきた。

 やった、思った通り!

 自然とほっぺたが緩んでしまうのを抑えきれず、胸元でぎゅっとガッツポーズを作る。

 この調子で色んなことを言っちゃおっと!

 

「カッコいい」

 

 い、言っちゃった言っちゃった!

 ドクドクと跳ねる胸をぎゅっと手で押さえ、息を詰めて彼の口元に耳を近づける。

 

「……カッコ、いい」

 

 ワッショイ!

 ブンブンと風を切るほど勢いよく尻尾を振って、彼の顔をじっと見つめる。

 よしよし、まだまだまぶたは重たそう。それなら……もっともっと、もぉっと……!

 ピョコピョコと耳を動かして、もう一度顔に近づけた。

 

「き、キタサンは!」

「……キタサン、は?」

 

 お互いの息が触れ合いそうな距離で、胸の鼓動がさらに痛いくらい大きく跳ねた。

 

「か、かわ……かわ……」

「……ん?」

 

 声が喉の奥でつっかえて、うまく出てくれない。

 言え、言うんだキタサンブラック! チャンスは最大限に活かさなきゃだよ!

 

「かわ……」

「かわ?」

 

 あと二文字! たった二文字なんだよ!

 それでも口の中がカラカラに渇いて、唇をパクパクと動かすことしかできない。

 

「わわわ……!」

 

 たった二文字なのに!

 顔から火が出そうなほど焦りながら、自分の頭を叩くように耳をペチペチと動かす。

 

「わわわ?」

 

 ほらぁ! トレーナーさんこれも真似しちゃってるし!

 ガクリと肩を落としてうなだれ、小さくため息をついた。

――ブルブルッと首を横に振る。

 ううん、ここで落ち込んでもダメ! あたしはお祭り娘キタサンブラック、やりきれなくちゃその名が廃るってもんだよ!

ベシベシと、尻尾をしならせて自分の脚を叩いた。

 

「……大丈夫?」

「平気です!」

 

 耳元に届いた温かな声が、あたしの体の奥底に火をつけた。

 ギュッと拳を握り直して、全身に熱い力が入っていく。

 

「いきます!」

 

 やれる、今のあたしならやれるんだ!

 トレーナーさんの耳元だけを視界に入れ、そこに目掛けて顔を近づけた。

 

「キタサンは!」

「キタサンは?」

 

 もう、さっきまでの口の渇きはない。

 あたしの勢いを止めるものは、もう何もなかった。

 

「かわいい!」

 

 バッと全身の血が熱くなっていくのが分かる。ピリピリと耳と尻尾の先まで痺れていき、口先がチリチリする。

 だけど、だけど!

 あたしは、キタサンブラックは! 言ってやりましたとも!

 胸の奥がジーンとしていく中、ふと彼の方を見ると、パッチリと開いた視線と視線がぶつかって……。

 

――ぶつかって?

 

 さっきまでの熱が一気に冷めていき、揺れていたはずの尻尾と耳もしおしおと力を失っていく。

 

「と、トレーナーさん起き――」

「可愛い、でいいのかな?」

「ヒャ……」

 

 体全体がもう一度燃えるように熱くなってきた。心の奥底まで見事に射抜かれ、その勢いを受け止めきれずにペタリと尻もちをついてしまう。

 バクバクと鼓動がうるさくて、ほっぺたは触れないくらいに熱い。立ち上がろうにも力が入らなくて、どうすることもできない。

 できたことといえば、真っ赤になった顔を上げて彼を見つめるくらいしかなくて――

 

「だ、大丈夫か、キタサン?」

 

 見上げた先には、心配そうな表情でこちらを見下ろすトレーナーさんがいた。

 目をそらしたいけどそんな力もなくて、真っ直ぐなその瞳をただ見つめ続けてしまう。

 

「いつから、起きて……?」

 

 絞り出せたのは、こんな言葉だけ。

 あたしはそれ以上、何もできなかった。

 

「えっと、キタサンが『かわ』って言ってたくらいかな?」

 

 一番聞かれたら不味いところで起きてる……。

 カーッと、さっきよりもさらに顔に血が上っていくのがわかった。

 

「あっ、ブンブンと風を切る音がしてたからその時かも」

 

 あたしの尻尾のせいで起きたんだ……!

 その元凶である尻尾は、今は申し訳なさそうに床へペタリと伏せている。

 

「キタサンの様子が変だったから声を掛けたんだけど、気付いてはいなかったんだね」

 

 そういえば温かい声が聞こえてきたような……。

 あの時、とっくに起きている彼に向かって一人で熱くなっていたのかと思うと、もう恥ずかしくてたまらない。

 

「その、ごめん」

 

 あたしから視線を外し、トレーナーさんは頭を下げる。

 違う、あたしが寝ている彼を利用しただけなのに。伝えなきゃ、あなたは悪くないって。

 未だに力は入らないものの、なんとか無理やり体を起こす。そしてそのままゆっくりと立ち上が――

 

「でも、それくらいならいつでも思ってるのになんで……」

「ヘブ……!」

 

――れずに、そのままパタリと倒れ込んでしまった。

 鼻先に当たる床がヒンヤリしていて、ここからはもう離れたくない。

 

「キタサン!? い、痛かったんじゃないか今のは……」

 

 彼の優しい一言も、今だけはチクチクと胸を刺すトゲのよう。

 トレーナーさんめ、あたしがどんな気持ちで言わせたと思って……! それなのにいつでもなんて……! ぐぬ……ぐぬぬ……ぐぬぬぬ!

 床に押し付けた両手にギュッと力がこもる。煩わしいそのトゲを払いのけるための渾身の力が、全身にみなぎっていく。

 

「……!」

 

 握りしめていた手を開いて床を強く押し、体を起こす。そのままダンッと床を踏みしめ、バッと背筋を伸ばして立ち上がった。

 

「き、キタサン?」

 

 パチパチと瞬きながらあたしを見つめる瞳に、今だけはほんのちょっぴりムッとしてしまう。

 だから、だから!

 眉間にシワを寄せて、あたしはトレーナーさんをにらみつけた。

 

「トレーナーさんの……っ!」

「お、俺の?」

「トレーナーさんのニブちん! 女泣かせ!」

「ニブ!? 泣かせ!?!」

 

 叫びながら、あたしは扉の方に駆け出した。

 もう振り返るもんか!

 決意を込めて、勢いよく扉を――

 

「え、えっと……とりあえず、マッサージありがとうな!」

「だから! そういうところなんです!」

「えぇ……?」

 

 もう、もう、もう!

 眉間のシワを深めつつも、ほっぺたが緩んでしまう。

 カッカッと燃えるような熱さに身を委ねて、あたしは今度こそトレーナー室の扉を勢いよく開け、廊下へと飛び出した。

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