バレンタインに書いたものの一つとなります
今日はバレンタイン。時には愛を伝え、時には感謝を形にするための絶好の機会だ。
ここトレセン学園でも、友達同士でチョコを渡し合っていたり、トレーナー相手に感謝の気持ちを込めて贈っていたりと、書類から顔を上げ、窓外の賑わいに自然と笑みがこぼれた。
トレーナー室で仕事をしながら、去年のバレンタインのことを思い出す。うちの担当ウマ娘も例に漏れず、感謝の気持ちを形にしてくれていた。……抱えきれないほどの大きさに目を白黒させたものだが、そんなところも彼女らしいといえば彼女らしいか。今回は、どんなものをくれるのだろうか。……なんて、貰えることを前提に考えるのもどうなんだろうな。
そんな風に考えていると、トントンと扉をノックする音が聞こえてきた。
「失礼します! トレーナーさんはいますか?」
扉越しに響くいつもの元気な声。さっきまで妙なことを考えていたせいか、思わず居住まいを正してしまった。
「ああ、入っても大丈夫だよ」
返答すると、ゆっくりと扉が開いた。
顔を出したキタサンはいつも通りに見えて、少しだけ頬を赤らめていた。視線を泳がせるその姿は、彼女にしては珍しく落ち着きがない
「うぅ~……やっぱり渡す瞬間は緊張するよぉ~……」
小さな声で何かを呟き、目を瞑って頭を振っている。普段は見せないそんな仕草に、思わず頬が緩む。
だが、彼女はすぐにこちらへ向き直った。
真っ直ぐに射抜いてきた赤い瞳は決意に満ちていて、こちらが目を逸らすことを許さないかのようだった。
「トレーナーさん!!!」
「は、はい!」
鼓膜を揺らすほどの声に、思わず肩が跳ねる。勢い余った彼女自身も、ハッとして顔を真っ赤にしていた。
それでも、真っ直ぐに突き出された両手。そこには、勝負服を模した立派な箱が乗せられていた。
「ハッピーバレンタインです!」
「ありがとう、キタサン……」
差し出された箱を、そっと両手で受け取る。
ずっしりと重い、あの『北の荒野チョコ』のようなものではない手応えに、内心少しだけ胸を撫で下ろした。
「中を見てもいいかな?」
「もちろんです!」
大役を終えた安堵からか、彼女は強張りが嘘のように、いつもの自然な笑顔を浮かべていた。やっぱり、この笑顔が一番心安らぐ。
促されるまま蓋を開けると、そこにはお饅頭が二つ並んでいた。……バレンタインに饅頭。予想外すぎる中身に、思わず目を丸くする。
「えへへ、手に取りやすいものは何かなって考えたら、お饅頭がいいと思って……」
彼女らしい気配りに胸を温めながら視線を落とすと、ふっくらとした表面に『キタ』という焼印が押されているのに気がついた。
一目で彼女のお手製だとわかる、なんとも愛嬌のある印だ。
「キタサン、この印は君が?」
「はい! 試食してくれたお弟子さんたちにも好評だったんですよ!……でも、元々はトレーナーさんに贈るならって思いついたんですけどね、えへへ……」
えへへと嬉しそうに笑うその姿を見ていると、自然とこちらの口角も上がってしまう。
――だからこそ、前に貰ったあの『キタサン型チョコ』の記憶は、速やかに頭の片隅から消し去った。あれはなにかの間違いだったのだろう、うん。
「これ、今1つ貰ってもいいかな?」
「もちろんです! お茶を汲んできますね!」
――ものすごい勢いで部屋を飛び出していった彼女の背中を見送り、思わず苦笑が漏れる。
一人になった静かな部屋で、勝負服を模した立派な箱をそっと撫でた。
皆の思いを背負って走る、キラキラと眩しい彼女の勝負服。俺はあの時「一緒に頑張ろう」と伝えたけれど、本当に彼女を支えきれているのだろうか。
……ふと、視線を感じて顔を上げる。
いつの間にかお茶を淹れて戻ってきていたキタサンが、不安げな表情でこちらを見つめていた。
「どうかされたんですか……?」
「うん? あぁ、ごめん。このお饅頭はどんな味なのかと思うと、待ちきれなくてね」
不安そうな顔にさせたくなくて、わざと少しおどけたように笑ってみせる。
……いや、味が楽しみなのは本当だし、嘘は吐いていない。これくらいはいいよな。
「そう……ですか……。……味には自信があるんですよ!」
明るい声とは裏腹に、彼女の眉尻は少し下がったままだ。下手な嘘で誤魔化したのは完全に裏目に出たらしい。隠し事なんてするんじゃなかったな……。
せめて、このお饅頭はとびきりの笑顔で感想を言おう。手の中の湯呑みから伝わるちょうどいい温かさが、気まずい胸の奥にじんわりと染み渡った。
「ああ、それはますます楽しみだ。それじゃあ、いただきます」
「はいっ! どうぞ召し上がってください!」
期待に目を輝かせているキタサンに見守られながら、一口齧ってみる。
……? これは黒糖だろうか。しっとりとした生地から奥深い甘みが広がり、それがチョコの風味を絶妙に引き立てている。――驚くほど美味しい。
「美味しいよ、キタサン……」
「本当ですか! 良かったです!」
今にも飛び跳ねんばかりのキタサンを見ながら、もう一口。うん、やっぱり美味しい。少しカリッとする歯触りも心地よくて、つい後を引いてしまう。
「このカリッとする食感……もしかして揚げてあるのか?」
「はいっ! その方が、チョコと黒糖の風味がもっと引き立つかなって!」
チョコを作るだけでも大変なのに、お饅頭にしてからさらに揚げるなんてな……。勝負服を模したこの箱だって、きっと彼女の手作りだろう。
細部まで手の込まれたそれらを眺めていると、一生懸命に準備をする彼女の姿が目に浮かぶようだった。
「ここまで手の込んだものを作るのは大変だっただろう?」
「大変なことなんて一つもないですよ!」
彼女はぶんぶんと首を横に振って、太陽のように笑い飛ばした。
……そんなわけがない。日々の練習にお助け大将としての活動。ただでさえ自分の時間を作るのが難しいはずなのに、俺のためにここまで時間を割いてくれたのだ。
その笑顔の裏にある計り知れない労力を思うと、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
「キタサンは、なんでそこまで出来るんだ?」
「そんなの決まってるじゃないですか」
改めてこちらに向き直った彼女の顔から、先ほどまでの無邪気な気配がスッと消える。
代わりに浮かんでいたのは、年不相応なほどに落ち着いた、柔らかく穏やかな微笑みだった。
「いつだって、未熟なあたしを支えてくれるあなたに……心からの感謝を伝えたかったんです」
そう言ってふわりと微笑んだ顔に、思わず目を奪われた。
無邪気な背中と共に駆け抜けた、三年という月日。その果てに見せた表情は、かつての彼女からは想像もつかないほど、静かで、艶やかな光を放っていた。
「トレーナーさんはあたしを大変だって言うけど、それはお互い様のはずです。だって、何も分からなかったあたしのために、沢山勉強して指導してくださったじゃないですか」
「それは君の頑張りに報いたくて――」
「――あたしもなんですよ」
「沢山もらった恩を、いつでも支えてくれたその温かさを……今度はあたしが返したいんです。あなたがずっと頑張ってくれているから、その思いにちゃんと報いたくて」
「キタサン……」
――贈りあえたら幸せだね。
ふと、いつかの夏に自分が口にした言葉が脳裏をよぎった。
互いに支え合うこと。その大切さは分かっていたはずなのに、彼女が背負うものの大きさに目を奪われて、俺はいつの間にかそれを見失っていたらしい。……一番、大切なことなのにな。
「ありがとう……大切なことを思い出せたよ。うん、君の思い、しっかり受け取った」
「良かったです……少しは悩みが晴れそうですか?」
「ああ、すっかり晴れたよ。……本当にありがとう、キタサン」
そう言うと、彼女はいつもの、太陽のような明るい笑顔に戻っていた。
「えへへ、これぞお助けキタちゃんの実力です!」
得意げにガッツポーズを決めるその姿を見ていると、さっきまでの大人びた雰囲気が、何かの幻であるかのようだった。
「せっかくだ、一緒に食べないか?」
「え……でもそれは、トレーナーさんのために作ったもので……」
「君と分け合いたいんだ。……駄目かな?」
「……駄目なんかじゃないです! もちろんです、一緒に食べましょう!」
もう一つお茶を淹れようと立ち上がると、キタサンも全く同じタイミングで腰を浮かせていた。
ピタリと重なった動きにお互い目を丸くして、どちらからともなく照れ笑いが漏れる。
「一緒に行こうか」
「はい!」
たかがお茶を淹れるためだけに、二人で連れ立って歩く。
傍から見れば少しおかしな光景かもしれないが、肩を並べて歩くこの温かい時間が、どうか一日でも長く続いてほしいと願わずにはいられなかった。
かりんとう饅頭の存在を知ったのがキタちゃんのバレンタインなんですよね