ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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pixivに投稿している同名の作品を手直ししております


明日はきっと寝不足

「失礼します!トレーナーさん!キタサンブラックですっ!」

 

 トントントンと扉を叩き、部屋にいるはずのトレーナーさんに呼びかける。……けど、返答はない。

 

「おかしいな……?ここにいるはずなのになぁ……?」

 

 首を傾げ、「う〜ん……」と呟く

 今日は休日でトレーニングはないけれど、何となく会いたくてトレーナー室までやって来た。手ぶらってわけにもいかないし、砂糖菓子も持ってきたんだけどね。

 明かり、ついてるのになぁ……。外に出てるのかな?

 少し肩を落としつつ、ダメ元で扉に手をかけてみる。

 

「あれ、開いてる……」

 

 鍵、かけ忘れたのかな。……それなら、中で帰りを待っていてもいいよね。

 そっと忍び足で踏み込みながら、心の中で「お邪魔します」と謝った。

 

「し……失礼しま〜す……」

 

 入ってから言うのも変だよね……。

 キョロキョロと見渡すけれど、いつも通りのトレーナー室だ。

 とりあえずソファーで待っていようと視線を向ける。

 

「あ……寝てる……」

 

 そこには、グッスリと横向きに眠っているトレーナーさんがいた。

 あんなに見渡したのに、何で気づかなかったんだろう。

 ……まあいっか。見つかったんだし。

 あたしは持ってきた砂糖菓子をとりあえず机に置くと、弾む心のまま、音を立てないようにゆっくりとソファーに近づいた。

 覗き込んだ寝顔は穏やかで、驚くほど無防備だ。

 いつものあたしなら、お菓子だけ置いて帰るのに。今日に限って、その顔から目が離せなかった。

 

「…………」

 

 ツンツンとほっぺたをつついてみる。

 ……うん、起きない。今日は休日だし、誰か来ることもないはずだ。

 

 ――今なら、何をしてもバレないかも。

 

「ごめんなさい……トレーナーさん……」

 

 小さく呟きながら、寝ているトレーナーさんの隣にそっと身を沈める。

 一人用のソファーはふたりで寝るには狭くて、落ちないように身を縮めると、自然と肩や腕が触れ合ってしまう。

 服越しに伝わってくる熱に、心臓が大きく跳ねた。逃げ出さなきゃと思うのに、体は少しも動こうとしてくれない。

 聞こえてくる穏やかな息遣いに、こちらまでとろけてしまいそうだ。

 

「……なんか、眠くなってきちゃった……」

 

 ゆっくりと頭を下げて、大きな胸に耳をピトッとつけてみる。

 

 ドク……ドク……ドク……

 

 一定のリズムで波打つ心音を聞いていると、自然と肩の力が抜け、ほうっと甘い息が漏れた。

 

「あっ……」

 

 すぐ鼻先を掠める匂いに、このまま時間が止まればいいのにと願ってしまう。

 えへへ……これ、いいな。胸に何度か顔を擦りつけた。

 ふと、ドラマのワンシーンを思い出して、ゆっくりと頭を上げる。そのまま、そっとトレーナーさんのほっぺたに手を置いてみた。

 あっ……少しカサカサしてるや。

 寝顔を見つめながら指先で撫でていると、手のひらからじんわりと体温が伝わってきて、全身がカッと熱くなった。

 

 ――って、あたし何やってるの!?

 

 急に湧き上がった羞恥心で、さっきまでの好奇心は一瞬で吹き飛んでしまった。

 

「は、早く離れないと……」

 

 これ以上一緒にいたら、全身の熱で溶けて消えてしまいそうだ。

 震える手を離し、体をもぞりと動かす。

 

「うぅん……?」

 

 あっ、起きちゃう……!

 急いで離れようとするのに、手足がうまく動いてくれない。どうしよう、このままじゃ……!

 

「う〜ん……」

 

 突然、背中に何かがギュッと巻き付き、思わず息を呑んだ。

 慌てて振り返っても、後ろには誰もいない。なのに、背中をホールドする力はさらに強くなる。

 ま、まさか、お化け……!?

 震える体を預けるように目の前のトレーナーさんにしがみつくと、それに呼応するように、背中の力がさらに強くなった。

 ……あれ?

 ゆっくりと視線を落とす。

 

「よかったぁ……」

 

 お化けじゃなくて、トレーナーさんの腕だったんだ。

 ホッとして、しがみついていた自分の腕をそっと解く。このままゆっくり離れようと、後ろへ体を引いた。

 

 ――ぐんっ。

 

 背中に回された腕が、ピクリとも動かない。

 …………………………あっ。これ、抜け出せないやつだ。

 

「ど、どうしよう……!」

 

 グッと引き寄せられ、トレーナーさんの胸に顔が埋まる。

 耳元で響く心音はあんなに穏やかなのに、あたしの心臓はバクバクして止まらない。

 ……だめだ、逃げなきゃ。そう思うのに、包み込まれるような匂いと体温に、体の力がふにゃふにゃと抜けていく。

 

「悪い子でごめんなさい……っ」

 

 心の中で必死に唱えながら、もがくように後ろへ体をよじった。

 

「抜け出せない〜……」

 

 いつもなら簡単に振り払えるはずの腕が、今はとてつもなく重く感じる。

 鼻をくすぐる匂いと、ドクドクと暴れる自分の鼓動のせいで、足に力が入らない。

 

 ……もう、どうにでもなれ。

 

 真っ赤な顔のままギュッと目を閉じて、訪れるはずの「終わり」を待った。その時。

 

「うぅん……」

 

 ふっと、背中に回されていた腕の力が緩んだ。

 チャンスだ。

 震える手でそっと腕を押し上げ、音を立てないよう慎重に隙間から抜け出す。後ろに下がる時、大きな尻尾をぶつけて起こさないよう、細心の注意を払って。

 

「ゆっくり、ゆっくり……」

 

 後ろへ伸ばした尻尾の先が、いち早く床の感触を捉えた。

 そこにぐっと力を込め、自分の体重を預けながら、音もなく床へと降り立つ。

 

(ふぅ……鍛えててよかった……!)

 

 自分の筋肉に感謝しながら立ち上がり、おそるおそるソファーを振り返る。

 ……ほうっ。

 肺に溜まっていた空気をすべて吐き出し、強張っていた肩の力を抜く。

 けれど、安堵したのも束の間。

 

 ――もぞり、と毛布が動いた。

 

 まどろみの中にいた瞳が、潤んだままゆっくりとこちらを捉える。

 トレーナーさんはそのまま、大きな欠伸と一緒に、重たそうに体を起こした。

 

「あれ……キタサン……?」

 

 まだ声は眠気混じりだけど、意識はハッキリしてきたみたいだ。

 良かった。ギリギリのタイミングだった。

 心臓はバクバクして止まらないけれど、今は挨拶を返さなきゃ……!

 

「おはようございますトレーナーさん!」

 

 焦りを感じさせないよう、最高の笑顔で挨拶した。

 

「ああ……おはよう……?いや……何でキタサンがここに……?」

 

 うう……意識がハッキリしてきたから誤魔化せないよね。ええと……それなら……!

 

「あ、あのっ、これ差し入れです! 机の上に置いてあるので!」

 

 照れを誤魔化すように、ビシッと机の上の砂糖菓子を指差して早口でまくしたてる。

 嘘はついていない。これも目的の一つだから。うん。

 

「本当だ……ありがとう、キタサン」

「あ、あはは……」

 

 ふわりと笑うトレーナーさんに目を合わせることが出来ず、視線を横に向けながら笑うしかない。

 ごめんなさいトレーナーさん……貴方が寝てる時に悪いことしてました……。

 心の中で謝って、ゆっくりと部屋から去ろうとする。

 

「あれ?もう行くのか?」

「はい……お菓子持ってきただけなので……また……明日……」

「ああ……また明日……」

 

 そう言い残し、不思議そうな顔をするトレーナーさんに背を向けて、逃げるように廊下へ出た。

 パタン、と扉を閉める。

 

 ――だめだ。まだ、あの腕に包まれた感触が背中に張り付いている。

 

 服の上から胸元をぎゅっと掴み、早足で校舎を抜け、靴を履き替えて外へと飛び出した。

 冷たい風を吸い込んだ瞬間、限界まで抑え込んでいた熱が一気に爆発した。

 

「うわぁぁぁっ……!」

 

 叫び声とともに、足が勝手に弾ける。あたしはそのまま、寮へ向かって全速力で駆け出した。

 走ればきっと忘れられる。そう信じて走り続ける。

 だけど走れば走るほど、胸の中のドキドキは消えてくれなくて。あの時のことが鮮明に思い浮かぶ。

 

「消えてくれないよぉ……」

 

 空が何色かなんて考える余裕もない。

 今日は……眠れそうにないな……。

 何となくそんなことが、ひっそりと頭に浮かんで消えた。

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