こちらも誕生日に書いたものの一つです
「トレーナーさんにしてほしいこと……ですか?」
「ああ。何でも言ってくれ」
昼下がりのトレーナー室。
キョトンとした顔の担当ウマ娘――キタサンブラックに、俺は頷きながらそう答えた。
普段なら俺もこんなことは言わないだろう。だが、今日だけは特別だ。
なにせ、今日は彼女の誕生日なのだから。
「う~ん……そうは言いますけど、あたしはもうプレゼント貰ってますし……。これ以上は、なんだか申し訳なくて……」
俺の言葉に、キタサンは困惑の色を隠せないでいる。
無理もない。実はここへ来た段階で、すでに誕生日プレゼントは渡してあるのだから。
今も彼女が両手で大切そうに包み込んでいる小袋――その中身は、好物である金平糖だ。
『……えっ! これ、くれるんですか? やったぁ! ありがとうございます、トレーナーさん♪』
そう言って飛び跳ねるように喜ぶ姿は、今思い出しても微笑ましい。
すでにプレゼントは渡した。それでもまだ何かをしてあげたいと思うのは、金平糖一つでは俺自身の気が収まらないからだ。
いつだって、俺はキタサンの明るさと力強さに助けられている。今日くらい我儘を聞かせてくれないと、その恩と信頼に報いることなんて出来ないのだ。
「誕生日なんだから、もう少し我儘になってもいいんだよ?」
「う、う~ん……」
「本当に何でもいいんだ。遠慮せずに言ってくれ」
じっと彼女の瞳を見つめて促す。すると、
「何でも……」
俺の言葉に、キタサンの左右の耳が真っ直ぐと立ち、小刻みに動きだした。
視線を外し、手を顎の方へと当てている。……彼女が何かを考える時の、お馴染みの仕草だ。
良かった、どうやら何か思い浮かんだらしい。
考え込む彼女の姿を見るだけで、俺はなんだかホッと安心していた。
「…………よし」
やがて、キタサンは考える仕草をやめた。どうやら決まったらしい。
俺を真っ直ぐに見つめる瞳は、確かな決意に溢れている。……のだが。
さっきからせわしなく動いている耳が少し気になるし、よく見れば頬もほんのりと赤い。
え……何を言うつもりなんだ?
少しずつ大きくなる自分の心臓の音を感じながら、それでも視線を逸らさずに彼女と向き合う。
何でもこい、すべて受け止めてみせる。
肚を括った俺の目の前で、ゆっくりと彼女の口が開かれた。
「決まりましたトレーナーさん。あたしがやってほしいこと」
「……ああ、何でも言ってくれ。覚悟は出来ている」
ゴクリと、無意識に喉が鳴る。
「……トレーナーさん」
「ああ」
「あたしのこと、愛称で呼んでください!」
「ああ…………えっ」
な、なるほど……愛称で呼んで欲しい、か……。確かにそれなら、頬を赤らめるのも納得だ。
だが、覚悟していた方向性とはあまりにも違いすぎる。
俺の思考は完全に停止してしまい、ただぱちぱちと瞬きしながらキタサンを見つめることしかできなかった。
「あ、あれ……? もしかして意味、わかりませんでしたか? ほら! ドゥラメンテさんをドゥラさんって呼ぶみたいな……あれですよ!」
俺が言葉を失っているのを、意味が通じていないのだと勘違いしたらしい。
赤らめた頬のまま、尻尾を忙しく動かして必死に説明してくる。
……自分よりも動揺している人を見ると、逆に冷静になるのは何なんだろうな。
目の前でワチャワチャと慌てる彼女の姿を見ているうちに、俺のフリーズはすっかり解けていた。ひとまず、この必死な担当ウマ娘を安心させてやらなければ。
「……ごめんな。ちょっとびっくりして言葉が出なかっただけだ。大丈夫、ちゃんと伝わってるよ」
「そ、そうですか……。分かってもらえてたなら安心です……」
あれほど慌ただしかった尻尾がゆっくりとした動きに変わり、彼女の必死な様子も和らいでいく。
……相変わらず、頬は赤いままだけれど。
ひとまず落ち着きを取り戻してくれたのはいいが、彼女の願いを叶える前に、一つだけ気になったことがあった。
「ちなみになんだけど、キタサン。愛称で呼ばれたいのって、何か理由があるのか?」
「えっ?」
不意を突かれたのか、キタサンはぱちぱちと何度も瞬きをして固まってしまった。
深い意味はない。ただ純粋に理由が知りたかっただけなのだが……どうやら、少し困らせてしまったらしい。
「言い難いなら無理しなくていいよ。ちょっと気になっただけだから」
「…………」
キタサンは何も言わないまま、じっとこちらを見つめ続けている。
……しまった。やっぱり、少し踏み込み過ぎただろうか。
密かに後悔し始めた、その時だった。
「……トレーナーさん。その……笑いませんか?」
さらに赤みを増した頬。ピンと真っ直ぐ立った耳に、少し泳ぎがちな視線。
その全てが彼女の強い緊張を物語っていたが、それでも彼女は、逃げずに理由を伝えようとしてくれている。
だからこそ、俺は。
「ああ、絶対に笑わないよ」
嘘じゃないと信じてもらうために、今まで以上に彼女の瞳を真っ直ぐと見つめ返す。
俺の自己満足に付き合って、懸命に理由を話してくれる彼女を笑うなんて、絶対にあってはならないことだ。
「そう……ですよね。あなたならそう言ってくれるって、分かってたはずなのに……ううん」
俺の言葉をもってしても、彼女の視線の揺れまでは止められなかった。
未だに不安を拭いきれないのか、真っ直ぐに俺の瞳を見てはくれない。
「……羨ましかったんです」
そのあまりにも切実な響きに、俺は何も言えず、ただ彼女を見つめることしかできなかった。
「あたしドゥラさんが羨ましかったんです。自分のトレーナーさんに愛称で呼んでもらってて。その姿がすごく仲良さそうで。……ドゥラさんが見たことないくらい穏やかな顔をしてたから」
「……キタサン」
「あたしもそんな風に呼んでくれたなら、もっとあなたと仲良くなれるのかなって。……どんな気持ちになれるんだろうって。そう思っちゃったんです。……あはは、改めて声に出してみると変な理由ですね。あたし達だって負けないくらい仲良しなのに」
そう言って、彼女は無理に笑ってみせた。
だけど、いくら表情で誤魔化そうとしても、ぺたんと倒れた耳と、ギュッと強く握りしめられた袋は隠せていない。
……笑う要素なんて、何処にもないじゃないか。
彼女がどれほどの寂しさを堪えて、必死に強がっているのか。それは痛いほど分かっている。
分かっている。だけど。
「うん……本当に変な理由ですよね……」
無理に明るく振る舞う君を見るのは好きじゃない。
寂しさを隠して強がる姿を見るのは、俺の方が辛いから。
その痛ましい笑顔を消し去ることができるなら、俺に迷いなどなかった。
「……やっぱり笑って下さい! こんなこと言っちゃう――」
「絶対に笑わないよ、キタサン」
「えっ?」
「いや、キタって呼んだほうがいいのかな?」
口にしてみたものの、呼び慣れないせいでどうにもしっくりこない。
だが、彼女に抱えさせてしまった寂しさに比べれば、俺の違和感など些細なものだ。
「……っ」
「キタ?」
だが、返事はない。いつの間にか彼女は顔を伏せてしまい、その表情を窺うことができなかった。
よく見れば、その体が小さく震えている。
……もしかして、彼女が思っていたものじゃなかったのだろうか。だから何も言えなくなってしまったのか?
「……もっと」
「えっ?」
「もっと言ってください」
相変わらず顔は伏せられたままで、彼女がどんな表情をしているのかは窺えない。
だが、余計な考えはもう必要なかった。彼女がそれを望んでくれるなら、ただ応えるだけだ。
「……キタ」
「もう一回」
体と同じように、その声も微かに震えている。
俺は彼女を安心させるように、もう一度優しく呼びかけた。
「キタ」
「……もういちどだけ」
それでも彼女の震えは止まらない。
その震えを溶かすように、俺は今あるすべての想いを込めて、もう一度その名前を口にした。
「キタ、いつもありがとう」
「……っ!」
ピタリと。彼女の小さな震えが止まった。
「キタ? どうし――」
続くはずだった言葉は、こちらの胸元へ飛び込んできた彼女の体温に遮られた。
腰に回された腕は、いつもなら力強いはずなのに、ひどく弱々しい。
胸に埋められた頭には、まるで彼女の抱えていたすべての重みが乗っているかのように重くて。
俺は何も言わず、ただゆっくりと彼女の頭を撫でた。
「こんなに……」
「キタ?」
そのくぐもった声に、頭を撫でていた手が思わず止まる。
視線を落としても、胸に顔を埋めた彼女の表情は窺えない。
だが、俺の腰に回された腕の力が、ほんの少しだけ強くなったのを感じた。
「こんなにも……幸せな気持ちになるんですね。ただ『キタ』って、短く呼ばれただけなのに……っ」
また一段と、腰に回された腕の力が強くなる。
少しだけ痛みを感じるほどの強さ。……そう、痛いはずなのに。
彼女の想いそのもののようなその痛みが、今は何よりも心地よかった。
「……あたし、ドゥラさんの気持ちがわかった気がします。あなたに愛称で呼ばれるって、それだけでこんなに胸がドキドキするんですね。……もっともっと、欲しくなっちゃうんですね」
そう言い終わると、キタサンはゆっくりと腕の力を緩め、俺から体を離していく。
完全に離れる直前、ほんの一瞬だけ、ギュッと強く抱きしめ返された。
だが、少し距離が開いても彼女は下を向いたままで、やはりその表情を見せてはくれなかった。
「だけど……今は、これでおしまいにさせて下さい。……あたしから言い出したのに、ごめんなさい」
「……どうしてだい?」
「……これ以上貰ったら、あたし……今のままじゃ満足できなくなっちゃう。……あなたに『キタサン』って呼ばれるのが、寂しくなっちゃうから……っ」
「……」
「だから、今はこれでおしまいです! 今以上を求めるなんて、やっぱりだめですもん!」
彼女がそう言って踏みとどまることは、きっと分かっていた。
担当ウマ娘とそのトレーナー。お互いの関係は、決してそれ以上であってはならない。
だからこそ俺は聞いて、彼女の言葉で、その境界線を俺自身にも確かめさせる必要があったのだ。
「ですけど……」
だけど。
「もしも許されるなら……」
それ以上に俺は。
「一週間……いえ、一ヶ月。ううん、一年に一回でもいいです」
君のことを。
「またキタって……呼んでくれますか……?」
「……ああ、いいよ」
「!」
その言葉に、胸に埋められていた彼女の顔がゆっくりと上げられる。
キタサン――いや、キタの顔が。
その時に見えた彼女の表情は。
「……ありがとうございます、トレーナーさん。凄く……嬉しいです」
頬を真っ赤に染め、涙を浮かべて、それでも優しく微笑んでいて。
それは、俺がずっと見たかった、これ以上ないほど綺麗な笑顔だった。