ちょっとテンションがおかしい作品かもしれません
「褒め合いっこしましょう!」
「ごめん、なんて?」
休日のトレーナー室。
ちょっとした仕事をしている俺の前に突然現れたキタサンブラックは、たった今、ひどく突拍子もないことを口にした。
褒め合いっこ? 何故? というか褒め合いっこって何だ?
思考が追いつかず、俺は思わずオウム返しに聞き返してしまった。
「あれ? 聞こえてなかったですか?」
「ごめん、仕事に集中してて。悪いけどもう一回お願いできる?」
「あっ、そうでした! ごめんなさいトレーナーさん……」
「気にしなくていいよ。それで、なんて言ってたんだ?」
キタサンは申し訳なさそうに頬を掻いている。
大丈夫、キタサンは真面目な良い子だ。もしかしたら突拍子もないことを言うこともあるかもしれないが、意味の分からないことは言わないはずだ。だからきっと、何か別のことを言ったに違いない。うん、絶対にそう。
額に滲む謎の汗に気づかないふりをして、キタサンの出方を窺う。頼む……空耳であれ!
「褒め合いっこしましょうって言いました!」
「そっか……」
空耳じゃなかったか……。俺は気づけば天を仰いでいた。キタサンからは後光が差すかのような笑顔が向けられている。それが今だけは何だか痛かった。
いや、目を逸らしちゃ駄目だ。担当ウマ娘の願いなら、たとえ素っ頓狂な内容でも全力で応えるのがトレーナーというもの。
覚悟を決めてもう一度向き合うが、キタサンの表情は呆れるくらいに眩しいままだった。
「一応聞くけどさ……。なんで褒め合いっこするの?」
「よくぞ聞いてくれました!」
キタサンは扉の前から俺の机まで駆け寄ると、ビシッと人差し指を突き出してきた。
そのあまりの勢いと圧に、俺は思わずのけ反って背もたれに逃げる。
「トレーナーさん、最近あたしに対して少し塩対応気味ではないですか?」
「そうか? そんなことないと思うけど」
「ありますよ! 例えばデビュー戦前後! あの頃はいっぱい褒めてくれてました!」
「む……」
デビュー戦前後か……。
確かにあの頃は、無我夢中で走るキタサンによく声を掛けていたっけ。
『君ならやれる!』『良いトモだ!』『体力オバケ!』
……いや待てよ。最後のは褒めてるのか? オバケ嫌いによくあんなこと言えたな俺……。
「ですが最近はどうですか? いいぞキタサン! 流石だキタサン! ……言葉が少なくなってます!」
「ふむ……」
確かに図星かもしれない。
言葉にしなくても通じ合っていると思い込んで、褒め方が単調になっていた節はある。
……よし。とりあえず、もう少し彼女の言い分を聞いてみるか。
「あたし自身も、褒められているからまぁいっかと思ってそのままにしてましたが……。このままではダメです! 最悪契約解除になりかねません!」
「…………」
その後も熱弁を振るうキタサンを、俺は黙って見守る。
凄いな。昨日から考えてきたのか、言葉がつらつらと滑らかに出てくる。やるなキタサン。
感心していると、自然と頬が緩んでしまった。いかんいかん、真面目に聞いてやらないと。
「だからこそ! 褒め合いっこです! お互いの良いところを挙げていくことで、関係をより良くしていくんですよ!」
「……」
「関係を良くすることで! あたし達に敵はいなくなります! 褒めることはそれだけ効果があるということなんですよ!」
「建前はそれくらいにして本音は?」
「トレーナーさんにもっと褒めてもらいたい!! そしてあたしもトレーナーさんを沢山褒めたい!! …………あっ」
先ほどまでの勢いはどこへやら、突き出されていた人差し指が力を無くしたように下へ落ちる。そのまま、キタサンは気まずそうにゆっくりと俺から目を逸らした。
まぁ、そんなことだとは思ってたよ。相変わらず嘘をつけない子だよな。
俺は緩みっぱなしの頬のまま、小さく笑い声を漏らしてしまう。
「ふふ……なるほどな」
「い、今のは違います! その……言葉の綾です!」
「別にそのぐらいならいくらでもするのに」
「だから! 今のは違うんです!」
「おいでおいで……」
「違うのに……」
そう言いながら俺の目の前へ移動し、ゆっくりと頭を差し出してくるキタサン。
褒め合いっこだよな? この状況は一体なんだ?
内心で首を傾げつつも、俺は手を伸ばしてゆっくりと撫でてみる。
ふんわりとした髪が手のひらに吸い付いた。最近サトノダイヤモンドから手入れを教わっているらしく、その指通りは絹のようになめらかだ。
「キタサンは誰かのために動くことが出来て、本当に偉いな」
「えへへ……」
撫でながら言葉を紡いでいく。それに合わせるかのように、キタサンは俺の手のひらにすりすりと頭を擦り付けてきた。
頭の動きにつられて、耳と尻尾も左右に大きく揺れている。ぴょこぴょこと動く耳が手に当たり、背後からは尻尾が空気を打つ音が聞こえていた。
その姿はまるで、飼い主にじゃれつく甘えん坊の大型犬だ。見ているだけで底抜けに癒やされてしまう。……なんて、本人には絶対に言えないけどな。
「もっと、もっと……」
「素直なところも可愛いよ。可愛くて強い、最高のウマ娘だ」
「ふへへ……」
表情は窺えないが、間違いなく喜んでいるようだ。さっきよりも手に当たる耳が痛いし、尻尾のバサバサという音も大きくなっている。
ふへへ、は……お年頃の女の子としてどうかと思うけどな……。
内心でツッコミを入れつつも、撫でる手を引く気にはなれなかった。
――だが不意に、キタサンの動きがピタッと止まる。
つられて俺の手も止まった。もしかして、何か気に障ることでもしてしまっただろうか?
「キタサン、どうかしたのか?」
「いえ、次はあたしの番だなぁ〜って思っただけですよ」
「キタサンの番?」
「えへへ〜」
どういうことだろうか?
疑問を抱く間もなく、頭に置いていた俺の手がゆっくりと降ろされた。キタサンはそのまま立ち上がり、座っている俺を見下ろしてくる。
何が起きるのかわからず困惑する俺へ、キタサンは緩みきった笑顔のまま、ゆっくりと手を伸ばして――。
「キタサン?」
俺の頭に、その手が優しく置かれた。
手のひらの温もりを感じ、なんとも言えない感覚に襲われる。
というか……。
「な、なんで頭に手を……?」
「言ったじゃないですか、褒め合いっこだって」
「い、言ってたけど……」
「だから……あたしが褒める番ですよね!」
なるほど。キタサンが褒める番か。ということは、この手は褒めるためってわけだ。なるほど、なるほど。あはははは……。
ちょっと待て? それじゃあ何か? 俺は頭を撫でられながら褒められるのか? 大人になって? しかも年下に?
事実を理解した瞬間、背筋がスーッと冷えた。俺がやるべきことは決まっていた。
「離してくれキタサン! 褒めるのはいい! だけど頭を撫でられるのは恥ずかしいんだ! やめてくれ!」
「なんでですか! トレーナーさんだって頭撫でられるのは嬉しいでしょ! 離しません!」
「教え子に頭を撫でられるのは違うだろ! 離せ!」
「いや! 絶対離しません!」
頭に乗った手をどかすため、俺は全身全霊をかけてそれを剥がそうと試みた。
しかし悲しいかな、相手はウマ娘。それも日々の鍛錬を愛するキタサンである。俺のフルパワーなど、くすぐられている程度にしか感じていないらしい。くっ……ウマ娘の前でヒトはこんなにも無力なのか……!
絶望する俺へ、さらに無慈悲な追い打ちが掛かる。キタサンの空いた手が、俺の腕へと伸ばされた。
赤子の手をひねるかの如く、抵抗していた両手はあっさりとホールドされ、そのまま……。
「よしよし〜」
「ぐっ……」
ついに無抵抗のまま撫でられ、俺は絶望と羞恥に支配される。……はずだったのだが。
悔しいことに、キタサンの手はひどく心地よかった。まるでふかふかの毛布に包まれているような温かさに、先ほどまでの絶望感がスルスルと溶けていく。
でもな……やっぱり「よしよし」はないんじゃないか? 落ち着いていく心とは裏腹に、羞恥心だけは限界を突破しそうだった。
「トレーナーさんは沢山のことが出来て凄いですね〜」
「ぬぅ……」
「いつも頼りにしてますよ〜。本当にありがとうです!」
「ぐぐ……」
不味い……やっぱり駄目だこれ……。顔が熱くて仕方ない……。
無意識に歯を食いしばる俺を、キタサンは憎らしいほどの笑顔で見つめている。
ぐ、ぬぬぬ……こうなったら……!
俺は少し腰を浮かせ、その頭へともう一度手を置き返した。
「と、トレーナーさん……!?」
「そろそろ俺の番だろ……!」
突然の反撃に驚いたのか、俺を撫でていたキタサンの手がピタッと止まる。
その隙だらけの様子に、俺は心の中でニヤリと笑った。
――しかし、キタサンは。
「えっ! また撫でてくれるんですか!」
「な……!」
照れるどころか、キタサンはパァッと瞳を輝かせ、さらに満面の笑みを浮かべてしまった。
想定外の反応への絶望。だが、俺は止まらない。ここで止まるわけにはいかないのだ……!
「ああ……そうだな……! これは褒め合いっこだからな……!」
「……♪ よ~し! あたしも気合い入れなきゃですね!」
俺の甲に重ねられた彼女の手から、妙な圧を感じる。
だが、ここで負けるわけにはいかない。
ウマ娘相手に非力であろうとも、俺は意地で指先に力を込めた。
「友達多い! 体力オバケ! お助け大将!」
「勤勉! 見る目が凄い! お助けサポート能力No.1!」
互いの頭を撫で回しながら、ありったけの長所を大声でぶつけ合う。
最初はただの意地だったはずが、いつしかその言葉には、相手の胸に響かせようとする本気の想いがこもっていた。
「人懐っこい! 太陽のような笑顔! 綺麗な瞳!」
「優しい! 大きな手! 素敵な笑顔!」
それから暫くの間、俺たちは息が切れるまで褒め言葉をぶつけ合った。
キタサンの耳と尻尾は初めよりも激しく動いているし、俺もすっかり恥ずかしさを忘れて、心の底から笑い合っていた。
俺たちのこの熱い戦いは――トレーナー室を訪れたたづなさんが、少し引いた顔で声を掛けてくるまで続くのだった。