ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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pixivにある作品を手直ししております
自分が初めて書いた話とその後日談をくっつけました
「キタちゃんが甘えるための一歩」がキタちゃん視点と「甘えるために一歩進んだ先」がトレーナー視点になります


甘えるための一歩とその先

キタちゃんが甘えるための一歩

 

 トレーナーさんと一緒に行った温泉旅行。その数日間だけは「お助けキタちゃん」をお休みすることにした。

 時間を忘れてお湯に浸かり、美味しい食事に笑い合い、部屋に戻ってからも遅くまで騒いで。

 あんなに羽目を外して、解き放たれた気分になったのは初めてだったけれど――同時に、一度外れた羽目の戻し方が、自分でもわからなくなってしまった。

 

「キタサンはあまり人に甘えず、自分を律してきたからね。きっと、羽目の外し方がわからないんだろう」

 

 トレーナーさんはそう言ってくれたけど、こんなことを繰り返していては申し訳ない。

 どうすればいいかなんて考えるよりも、行動あるのみ。こういう時、一番の「甘え上手」と言えば――。

 

「キタちゃん、頭を撫でてもらうのが一番だよ!」

 

 開口一番、ダイヤちゃんはそう言い切った。その瞳は、なぜだかキラキラと輝いている。

 

「頭を? そういうのって甘えるっていうのかな?」

「頭を撫でてもらうのは基本だよ! キタちゃんだって、信頼してる人以外にはされたくないでしょ? そういう特別なことだから『甘える』なんだよ!」

 

 ぐいぐいと身を乗り出してくるダイヤちゃんの熱量に、あたしは思わず少しだけ上体を反らしてしまった。

 

「そ……そんなものなのかなぁ……?」

「悩むより、まずは実践あるのみだよ! キタちゃん頑張って!」

 

 勢いよく背中を押してくれたダイヤちゃんには悪いけれど、本当にこれでいいのだろうか。

 半ば疑心暗鬼のまま、あたしは仕事中のトレーナーさんがいる、トレーナー室まで辿り着いた。

 ドアをノックして返事を待ち、ゆっくりと扉を開く。

 

「失礼します。トレーナーさん、お仕事中にすみません……」

 

 いつものようにパソコンに向かっている彼の姿を見ると、あたしは無意識に、ぎゅっとドアノブを握り直していた。

 

「どうしたんだキタサン。まだトレーニングには早いけど、何かあったのか?」

「えっと……その……」

 

 何かを言おうとして、結局言葉を飲み込んでしまう。

 どう切り出せばいいか分からず瞳を泳がせていると、トレーナーさんは優しく微笑んだ。

 

「ゆっくりでいいよ。キタサンが困っているなら、いつでも力になるからね」

 

 ここまでトレーナーさんに言わせておいて、何も言えないのは女が廃る。

 

「トレーナーさん! あたしの頭を撫でてください!!」

 

 トレーナーさんは目を丸くして驚いていたが、すぐにふっと表情を和らげてた。

 

「俺の言葉、ずっと気にしてたんだね。悩ませてごめん」

「いえ、全然大丈夫です! だから……その、いいですか……?」

 

 上目遣いで様子をうかがうあたしに、トレーナーさんは優しく微笑んで頷いた。

 

「大丈夫だよ」

 

 いざ撫でてもらうとなると、どうしても肩が強張ってしまう。

 けれど、あたしの頭にそっと置かれた手のひらは、ただただ温かかった。

 その体温からじんわりと伝わってくる心地よさに、こわばっていた肩から、ふっ……と力が抜けていく。もっとこの温もりに触れていたくて、思わず――。

 

「もっとしてください……」

 

 無意識のうちに、声がこぼれていた。

 こんな温かさを知ってしまったら、あたしはどうなってしまうんだろう。ふと浮かんだ疑問すら、じんわりと広がる心地よさに溶けていく。

 あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。

 ずっとこのままでいたい。そんなまどろみの中にいたあたしを呼び戻したのは、上から降ってきたトレーナーさんの声だった。

 

「キタサン。悪いんだけど、そろそろトレーニングの時間だ」

「えっ?」

「ご、ごめんなさい! 気持ちよかったというか……いえそうじゃなくて……あぁ……」

 

 その変わらない優しい響きに、あたしの口から、ぽろりと本音がこぼれ落ちていた。

 

「えっと……すごく良かったです……。またお願いしても……いいですか……?」

 

 顔は、きっと自分でも分かるくらい真っ赤になっている。

 頭の中はぐちゃぐちゃで何も考えられないのに、ドクン、ドクンと高鳴る自分の鼓動と、頭の上に残る優しい体温だけが、やけに鮮明に響いていた。

 

甘えるために一歩進んだ先

 

「えっと……そろそろお願いしてもいいですか……?」

 

 飛び込んできたのは、そんな言葉だった。少し怯えているようで、どこか熱が籠もっているように聞こえる。

艶やかな黒髪を揺らすキタサンブラック。普段は皆のお助け大将として走り回っている彼女が、今はひどく小さく見えた。

 

「ああ。だけど、本当に大丈夫か?」

「だ、大丈夫です……あ、あたしだって覚悟は出来てますから……」

「そうは言っても、震えが俺の方にも伝わってくるんだけど」

「こ、これは……その、武者震いですっ!」

 

 そう言いながら、耳の先まで震わせているキタサン。そのガチガチに強張った姿が、どこか微笑ましい。

彼女がそこまで言うのなら……俺も腹をくくるしかないよな。

 

「そっか……それじゃあ、いくよ」

「……っ! おねがい、しますっ……」

 

 その言葉を最後に、キタサンは口を閉ざした。

だけど、先程よりも強い震えがこちらに伝わってくる。俺はゆっくりと、彼女の頭へ手を伸ばした。

 

「よしよし……」

 

 そっと髪を撫でる。

 トレーナー室のソファ。ただ並んで座っているわけではない。俺は今、膝の上に彼女を乗せているのだ。

 ……何をしてるんだろうな、俺は。

 どうしてこうなったのか。手の中の柔らかな髪を感じながら、俺は事の始まりを思い返した。

 

………………

…………

……

 

 始まりは一年前。このトレーナー室で、キタサンから「頭を撫でてほしい」と言われたのがきっかけだった。

 当時の彼女は甘えるのがあまり得意ではなく、ひどくたどたどしい様子でお願いしてきた記憶がある。

 なぜそんなことを言い出したのか。理由はすぐに思い当たった。少し前に行った温泉旅行だ。

 あの時彼女は、「お助け大将」ではなく「ただのキタサンブラック」として過ごしていた。

 食べすぎたり、長湯して目を回したり、部屋で盆踊りを踊ったり……。最初はらしからぬ行動に面食らったが、すぐに理解した。

 日頃どれだけ自分を抑え込み、無理をしてブレーキをかけていたのかを。

 

「キタサンはあまり人に甘えず、自分を律してきたからね。きっと、羽目の外し方がわからないんだろう」

 

 彼女には、そんな言葉を伝えた気がする。

 根が真面目なキタサンのことだ。きっと自分なりに思い詰め、彼女なりの答えを出したのだろう。

 それが「頭を撫でてもらうこと」だとは思いもしなかったし、誰かの入れ知恵があったのかもしれない。

 だが、その時の俺は深く考えていなかった。不器用に甘えてくれた事実がただ嬉しくて、その願いをすんなりと受け入れたのだ。

 初めのうちは、それこそミーティングやトレーニングの区切りに、軽く撫でるだけでよかった。

 だけど、甘える心地よさを知ってしまえば、少しずつ欲張ってしまうのは当然のことだ。それは、キタサンも例外ではなかった。

 

「その……トレーニングの前にも、撫でてもらっていいですか……?」

 

 撫でるのがすっかり習慣になった頃、キタサンは緊張した面持ちでそう切り出した。

 回数が増えるくらい、なんてことはない。俺は深く考えずに頷いた。

――この些細な甘やかしが、後のさらなる要求を招くとも知らずに。

 

「トレーナーさん……もっと強く、撫でてくれませんか?」

 

 しばらくすると、そんなことまで口にするようになった。

 たどたどしい中に、どこか期待を滲ませた声。

 これが彼女の『ただのキタサンブラック』でいられる時間になるならと、俺はすべてを受け入れ続けた。

――その甘やかしが、今回のような一線を超える我儘に繋がってしまったのだろう

 

「トレーナーさん……膝の上に座って、頭を撫でてもらえませんか……?」

 

 今回の我儘ばかりは、さすがに頷くわけにはいかなかった。

 期待に満ちた目を見るのは心苦しかったが、心を鬼にして「それは駄目だ」と首を横に振る。

――分かっていたはずだ。ずっと甘やかしてきたのに、急に突き放せば彼女がどんな顔をするかなんて。

 

「そう……ですよね。流石に、駄目ですよね……」

 

 分かっていたはずなのに。突き放せば彼女は悲しみを隠し、俺のために無理な笑顔を作る。

 俺がそれに耐えられるはずもなく、結局はその表情を見ただけで陥落してしまった。

 初めから、俺に断るという選択肢など持ち合わせていなかったのだ。

 

………………

…………

……

 

 ……いつの間にか、少し時間が経っていたようだ。

 あんなに強張っていた背中は、今やすっかりと俺に預けられている。ゆらゆらと動く尻尾が腹部に当たって、少しくすぐったい。耳も俺の手の動きに合わせて、ゆっくりと左右に揺れていた。

 

「はふぅ……」

「ふふっ」

 

 気の抜けた可愛らしい声に、思わず笑みがこぼれてしまう。

 ここから表情は見えないが、きっと声と同じようにとろけた顔をしているのだろう。

 

「…………」

 

 ふと、撫でる手を止めて考える。

 このまま甘やかし続ければ、彼女の望みは際限なく膨らんでしまうのではないか。

 今回の膝枕だってすぐに慣れ、いずれはこれ以上のことを求めてくるかもしれない。

 

「だけど……」

 

 元はと言えば、その枷を外したのは俺だ。

 自分が蒔いた種だという事実が、重くのしかかってくる。思考が暗く沈み、どこまでも深い底へ落ちていくような感覚――。

 

「……いてて。……?」

 

 突如、手に小さな痛みを感じて視線を落とす。

 すると、キタサンの耳が器用に動いて、俺の手をペシペシと叩いていた。

 

「キタサン?」

「むぅ……」

 

 頬を膨らませて振り返った彼女の表情は、どこか悲しげで。

 その顔を見た途端、またしても心がちくりと痛んだ。

 

「手が止まっています……」

「えっ? あっ……」

 

 言われてハッとする。無意識のうちに、彼女を撫でる手をすっかり止めてしまっていた。

 

「ごめんごめん、ちょっと考え事しててさ」

「いえ、あたしが我儘を言ってるのに……ごめんなさい」

 

 膨らませていた頬を萎ませて、しゅんと俯いてしまうキタサン。

 早くあの笑顔を取り戻さなくては。俺は焦るようにして、もう一度彼女の頭を撫で始めた。

 手の中に、いつも通りの柔らかく艶やかな感触が戻ってくる。

 

「あっ……えへへ♪」

 

 一瞬驚いたように肩を揺らした後、すぐに嬉しそうに頬を緩ませるキタサン。振り返ったその表情は、とろけるように幸せそうだった。

 ああ、そうか。

 俺はきっとこの笑顔を見るために、ずっと彼女の我儘を受け入れてきたのだ。

 

「……今更だよな」

 

 そう、今更だ。

 彼女の我儘がエスカレートしていくのも、俺がそれを喜んで受け入れてしまうのも。全部、今更のことだった。

 

「なら……もう、迷うのはやめだ」

 

 言葉にすると、不思議と心の霧が晴れていく気がした。

 難しく考えるのは、もうやめだ。たとえこれが間違っていたとしても、俺は彼女のすべてを受け止める。

 腹をくくり、撫でる手にほんの少しだけ力を込める。そんな俺の決意などつゆ知らず、キタサンは幸せそうな顔のまま、何度も俺の手へ耳を擦り寄せてきた。

 

「ありがとう……ございます……♪」

 

 甘い吐息のような声とともに、彼女の温かな重みが、ゆっくりと俺の腕の中へ落ちていった。

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