キラリと輝く星空の下。あたしはひとり、浜辺に座り海を眺める。
お祭りみたいに騒がしい場所のほうが性に合ってるけど、こうやって静かな場所にいるのも嫌いじゃない。
合宿ももう折り返し。これが終われば、すぐに秋のレースがやってくる。
……その時、あたしは皆の期待に応えられるのだろうか。
ふと過ぎった小さな不安を誤魔化すように、あたしは膝を抱え直した。
「…………」
ボンヤリしながら流れる波を目で追いかける。こちらに来てはまた海に還っていく波。
繰り返される静かな音が、今のあたしを優しく包んでくれる。
だけど……なんでだろう。
ずっとここに居たいはずなのに、潮風に撫でられる体の芯が、少しずつ冷えていく気がした。
――ザク、ザク、と。
そんな時だった。波音に混じって、背後から砂を踏む足音が近づいてきたのは。
「キタサン……?」
その声に、ゆっくりと振り返る。そこに居たのはトレーナーさんだった。
あたしを心配そうに見下ろす姿を、どこか遠くの景色のように思いながら見つめ返す。
「トレーナーさんでしたか。……こんばんはです」
「ああ、こんばんは。こんな時間にひとりでどうしたんだ。……何かあったのか?」
「えへへ……。まぁ、少しだけ」
「そうか。……近くに座っても大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ」
ヒトひとり分空けて、ゆっくりと腰を掛けるトレーナーさん。手を伸ばせば重なりそうな、そんな距離。
膝を抱えるあたしと、楽な姿勢で海を見ているトレーナーさん。
包み込むような海の広さも、耳に残る波の音も、さっきまでとは何一つ変わらない。……変わっていないはずなのに。
隣から伝わってくる微かな熱が、冷えていた心の奥をじんわりと溶かしていく気がした。
沈黙が、少しも怖くなかった。
だから――。
「トレーナーさん……」
「うん。どうしたんだ、キタサン?」
隣を見ると、トレーナーさんも同じようにこちらを見てくれていた。
夜の暗さの中でもわかる、いつもの優しい眼差し。
だから、伝えることができる。ずっと心の奥に刺さり続けている、この不安を。
他ならぬ、目の前のあなたになら。
「あたし……秋になるのが少し……本当に少しだけ、不安なんです」
「……どうしてだ?」
「合宿ももう折り返しになって、自分が強くなっているのは感じます。でも、それは他の皆も同じで……。そう思うと、本当に勝てるのか、皆の期待に応えられるのかって……。ずっと、胸の奥に残り続けてるんです」
「そうか……。それが君の抱えていた不安なんだな」
言い終わると同時に、ずっと力が入っていた肩から、ふぅっと息が抜けた。
海の広さと、寄せては返す波の音。そして、静かに隣にいてくれるトレーナーさん。そのすべてが、あたしの背中をそっと押してくれた気がする。
けれど、いざ全部吐き出してしまうと……なんだか急に、顔が熱くなってきた。
いたたまれなくなって、あたしは誤魔化すようにうつむいた。
「話してくれてありがとう、キタサン。……不安だったよな」
「はい……。自分でも思っていたより、ずっと」
波の音に紛れさせるように、小さく返事をする。
「……なんだか、こういう本音を話すのって、結構恥ずかしいですね……」
恥ずかしくて、どうしても振り向くことができない。
それでも、トレーナーさんの穏やかな声は、うつむくあたしに向かって静かに降り注いでくる。
「キタサン。君の抱えるその不安は、きっとこれからもずっと消えないと思う」
「……はい。期待を背負い続ける限り、きっとまた出てきますよね」
「それでも、君は逃げないんだろ?」
「もちろんです。あたしは、皆を笑顔にするために走ってますから。期待や想いから逃げ出したりしません!」
「大丈夫だよ。そんな君の真っ直ぐな走りを見てきたからこそ、皆は君を愛してくれているんだ。君がそれを裏切るはずないって、俺が一番よく分かってる」
「愛されるウマ娘……ですか?」
ゆっくりと顔を上げる。
そこには、誤魔化しなど一切ない真っ直ぐな瞳でこちらを見つめる、トレーナーさんの姿があった。言葉よりも確かなその熱が、胸の奥へとじんわり広がっていく。
「ああ。その力強くて粘り強い走りが、皆の心を打ったんだ。そのままの君でいるなら、皆はずっと君のことを大好きでいてくれる」
「今のあたしのまま……」
「そうだよ。俺が知っているキタサンブラックなら大丈夫だ。一番近くで走る姿を見てきた俺が言うんだから、間違いない」
「トレーナーさん……」
力強くそう言い切ってくれたトレーナーさん。
途端に、冷えていた胸の奥に、熱いなにかが迸るのを感じた。
そうだよ……! あたしはキタサンブラック! 皆のために走るウマ娘! この想いがある限り、あたしは絶対に諦めない!
真っ直ぐに顔を上げて見つめ返すと、トレーナーさんはふっと、安堵したように目元を和らげた。
「もう大丈夫みたいだね」
「はい! おかげさまで! キタサンブラック、完全復活です!」
「良かった。やっぱりキタサンには、その笑顔が一番似合ってるよ」
「えへへ……ありがとうございます!」
トレーナーさんの前で、力いっぱいガッツポーズをして見せる。つられたように笑ってくれたその顔を見たら、胸の奥がじんわりと温かくなった。
この人となら、きっと。
そう思えたから、あたしはどうしても、一つだけお願いしたいことができた。
「トレーナーさん」
「うん? どうしたんだ、キタサン」
きょとんとするトレーナーさんへ、あたしはガッツポーズを作っていた拳をそっとほどき、ゆっくりと手を伸ばした。
「あたしと、握手して下さい」
「ああ。……でも、どうして急に?」
「あたしなりの決意です! これからも期待を背負って走り続けるって、他でもないトレーナーさんに誓いたいので!」
「……そういうことか。分かったよ」
トレーナーさんは迷うことなく手を伸ばし、あたしの手をギュッと握ってくれた。
温かくて、大きな手。
優しく包み込まれるようなその感触に、不思議と肩の力が抜け、残っていた最後の不安までがスッと溶けていくのがわかった。
「……伝わりましたか?」
「ああ。しっかり受け取ったよ」
「それなら良かったです!」
その言葉とともに、お互いの手を力強く握りしめ合う。
ふたりで見つめ合い、自然と笑いがこぼれた。
見上げた夜空では、星たちがいつまでも綺麗に輝いている。
さっきまでと同じ、何も変わらない景色。だけど今は、どこまでも優しく、あたし達のこれからを見守ってくれている気がした。