ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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水も滴る粋な花

「あたし、花菖蒲にあこがれてるんです!」

「どうした、急に」

 

 明るい声がトレーナー室内に響き渡る。

 のんびりと見ていた資料から視線を外して振り向くと、キタサンが太陽のような笑顔でこちらを見つめていた。

 

「ふっふっふっ……トレーナーさん、花菖蒲の花言葉を知ってますか?」

「いや、知らないな」

「ならば教えてあげましょう!」

 

 瞳を輝かせながら尻尾を大きく揺らし、腰に手を置いている彼女の姿に自然と頬が緩んでしまう。

 誰かから聞いたであろう自信満々な言葉を聞き逃さないよう、俺は姿勢を正した。

 さてさて、どんな情報が飛び込んでくるのだろうか?

 

「花菖蒲には『心意気』って意味があるんです!」

「『心意気』か。……なるほど」

 

 誇らしげに語る彼女を見つめながら、俺は深く頷いた。

 確かにお祭り娘のキタサンにピッタリな言葉だ。指標にするのも分かる気がするな。

 

「それに! お祭り娘は水も滴るイイ女ですから!」

 

 ビシッとピースを決めて朗らかに笑うキタサンに、俺は思わず首を傾げた。

 水も滴る……キタサンが良い子なのは間違いないが、『イイ女』とは?

 つい顎に手を当てて、真剣に考え込んでしまう。

 

「むむ、納得してないですね?」

 

 ほんの少しだけ低い声に、ハッと我に返る。

 慌てて視線を戻すと、キタサンは頬を膨らませ、ジトッとした目つきで俺を見ていた。

 

「いや、君が良い子なのはその通りだから!」

「……なるほど、『水も滴る』に問題があるんですね?」

「あ、いや、問題という意味でもなくて……」

 

 ああ、キタサンの目がさらに鋭くなっている。頬だって風船みたいに膨らんでいるぞ。

 額を冷たい汗が伝っていく。

 カラカラに乾いた口内から、同じように乾いた笑いがこぼれてしまう。

 穴が空くほどの視線に耐えきれず目をそらしていると――フッと、その空気が緩んだ。

 

「――なんて、びっくりさせちゃいましたね!」

「……キタサン?」

「おちゃめなことをしてしまうのもお祭り娘ということで、ここは一つ!」

 

 ペロッと小さく舌を出して笑う彼女に、俺は完全に毒気を抜かれてしまった。

 

「そ、そうか……」

 

 俺は頬を掻きながら、困ったように笑う。

 つまり、からかわれたってことか。

 ふうっと小さく息を吐き出すと、いつの間にか硬くなっていた肩の力が抜けていった。

 

「ちなみにさっきのは、梅雨に咲くから『水も滴る』とかけてみました!」

「ああ、なるほど」

「上手く……はないですね。意味が通じないんじゃ意味ないですもん」

 

 シュン……と音が聞こえてきそうなくらいに、キタサンは耳をペタンと伏せて肩を落とす。

 喜怒哀楽が分かりやすい、いつも通りの彼女だ。

 改めてからかわれていただけなのだと分かり、胸がすっとするのと同時に自然と笑みがこぼれた。

 

「そんなに気にしなくても……。いや、いい例えだと思うよ」

「でも、分からなかったんですよね……」

「ぐっ……そこを言われると痛いんだよなぁ」

「こ、この話はやめましょう! お互いに良くないです!」

「そうだな、そうしようか!」

 

 キタサンは勢いよく手を伸ばしてストップをかけた。

 自分からこの話をしたのでは? なんて思わなくもないけど、キタサンの言うことは間違っていない。

 お互いに苦笑いを浮かべていると、少しずつ心が落ち着いていく。

 

「……ということで、あたしは花菖蒲らしい生き方をしていきたいんです!」

 

 グッと拳を握りしめて高らかに声をあげるキタサンに、思わず笑みがこぼれた。

 彼女のこういうところこそ、確かに『心意気』ってやつなのかもな。

 

「十分できてると思うけどな」

「まだまだです! 目指すは父さんなんですから!」

 

 あの演歌歌手が目標か。確かにハードルは高い。

 彼女の握りしめた拳の強さが、その覚悟を物語っている。

 だけど――

 俺はゆっくりと立ち上がり、彼女の方に歩みを進めた。

 

「トレーナーさん?」

 

 一瞬だけ尻尾をピンと立ち上げ、目を丸くしながら俺の方を見ている。

 近づけば近づく程に分かる彼女と俺の身長差。いくら彼女が平均身長より大きいといっても、俺と比べたらまだ小さい。

――それでも。

 

「大丈夫、君ならきっと辿り着けるよ」

 

 その小さな拳を包むように、俺は両手を重ねる。

 確かにまだ、俺の手に収まるくらい小さな拳かもしれない。けれど、初めて会った時よりも確実に成長している彼女は、いずれ俺と並ぶくらいに――いや、誰よりも大きな存在になっていくはずだ。

 

「俺が信じているキタサンブラックは、いつだって頼もしくて、誰もが憧れる存在なんだから」

 

 重ねた両手に、さらにグッと力を込める。

 俺の熱を移すように、ただ強く握りしめた。

 

「なんて、ちょっとカッコつけすぎだよな――」

 

 少しだけ熱くなっていく頬に耐えきれず、両手を離そうとした。けれど――上から重ねられた彼女のもう片方の手によって、ギュッと引き留められてしまう。

 今度は俺の方が目を丸くする番だ。瞬き一つした後に、思わず彼女の顔を見つめ返した。

 

「いいえ、あなたの想いは届いてますよ」

 

 目に映る彼女の表情は、いつもの太陽のような笑顔ではない。

 決意や熱意――いや、『心意気』を瞳に宿した女性の姿だった。

 離そうとしていた手にもう一度力が入る。もう離そうという気持ちはとっくに消えていた。

 

「あなたから貰った想いがあれば、もう絶対に、誰にもあたしを止めることなんてできない。……父さんみたいになれるって、確信しました」

 

 キタサンの握る手に、さらにギュッと力が込められる。ともすれば痛みを伴うような強さのはずなのに、不思議と痛みはない。

 それどころか彼女の熱が俺に伝わり、心臓の奥底まで燃やしてしまいそうだ。

 

「だから――これからも、あたしに期待してくださいね!」

 

 そしていつも通りの晴れ渡るような笑顔に変わる。

 何よりも信じられる、俺が思う彼女の一番の魅力だ。

 

「ふふ、それは今さらだろ?」

「あはは、それもそうですね!」

 

 強く握りしめていた彼女の力が緩み、ゆっくりと手が離れていく。それに合わせて、俺もそっと指をほどいた。

 こんなことを言い合う方が照れるはずなのになぁ。

 頬の熱は、俺の両手に宿る熱に比べたら大したものではなかった。

 

「この勢いのまま走り出したい! ……のは、山々なんですけどね」

「流石にこの天気だとなぁ」

 

 燃えるような瞳でこちらを見ていたキタサンだが、困ったように笑いながら窓の方に視線を移した。

 つられて俺も外を見てみたが、状況が変わることはない。

 今朝から降り続く雨は、勢いこそ落ち着いてきたものの、まだまだ止む気配はなかった。

 今日はトレーニングこそ休みだが、雨が上がるまでもう少しだけここに居たいというのが、彼女の希望だ。

 

「……今のうちに寮に帰った方がいいかもな」

「……ですね」

 

 重なり合うため息をこぼしながら、彼女はくるりと俺に背を向けてカバンの方へ歩き出した。

 さて、俺の方ももうひと頑張りしなくちゃな。

 熱の冷めない手を握りしめながら、仕事机に向か――

 

「あっ、そうだ! トレーナーさん、もう少しだけあたしに付き合ってください!」

 

――おうとした動きを、雨を吹き飛ばすような声につられて止めた。

 振り返ると、キタサンがこちらを手招きしていた。

 

「すぐに終わるので!」

 

 そんなこと言わなくても大丈夫なのにな。

 笑みがこぼれるのを隠そうともせず、彼女の方に歩き出した。

 

「こっちです、こっち!」

 

 タッタッタと小走りで、キタサンは前を向いて進み出す。

 廊下も越え、玄関も越え。

 傘を受け取ろうともせず、雨に濡れるのを気にする様子もなく駆け出していく。

 俺は傘を持ちながら追いかけるので精一杯だ。

 

「はぁっ……はあっ……」

 

 これと決めたキタサンには絶対に勝てない。

 息を切らしながら必死に足を動かし、雨の降りしきる中、ようやく立ち止まった彼女の背中に追いついた。

 

「花菖蒲、学園にもあるって聞いたことあるんですよ!」

 

 彼女が称えるように手を伸ばし、花菖蒲を指差す。

 確かに雨に打たれることで輝きを増したその花は、梅雨にふさわしい風情がある。

 

――そして。

 

「水も滴る良い花、ですよね!」

「……ああ。本当に、君の言う通りだ」

 

 雨に打たれながらも輝きを失わない彼女の笑顔も、間違いなく『水も滴るイイ女』だった。

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