夏もやっと中盤を超えましたね
浴衣選びもお祭りの醍醐味なのかなって思ってます
「お祭り娘として、お祭りに飛び込むのは外せないんです」
ミーティング終わり。少し西日が差し込む静かな室内で、担当ウマ娘であるキタサンブラックは右手を力強く握りしめながらそう言った。
頭の上の耳はピンと前を向き、視線は真っ直ぐに俺の瞳だけを捉えて微動だにしない。彼女の全身から、夏に焦がれるような熱気が伝わってくるようだった。
「ああ、いいんじゃないか」
「なのでトレーナーさん――って、えっ!」
気合十分だった彼女は赤い瞳を丸くして絶句し、ピンと立っていた耳をピクッと震わせた。
もしかして、俺が断ると思っていたのだろうか?
ほんの少しだけチクリと心が傷ついてしまったが、今は見ないふりすることにした。
「だって、お祭り娘なんだろ? なら参加しない手はないじゃないか」
「そ、それはそうなんですけど……なんというか、アッサリ過ぎてちょっと拍子抜けといいますか……」
「俺は、君のそういう『お祭り娘』なところにも惹かれてるからね。背中を押すのは当然だよ」
彼女はハッとした表情を浮かべた後、満天の星空のような笑顔をパッと弾けさせた。
俺の頬が緩んだ――のも束の間。
ヒュッと風を切る音がしたかと思うと、キタサンは一瞬で距離を詰め、俺の鼻先まで迫っていた。
「き、キタサ――」
「ありがとうございます! それでは今度、一緒に着ていく浴衣を選びましょうね! では!」
俺の両手をギュッと掴んだかと思うとすぐにパッと離し、一瞬で開閉した扉の隙間に、こちらへ大きく手を振る彼女の残像が見えた。
「……本当にこうと決めたら一直線だな」
彼女の体温が未だに残る自分の手の平を、ジッと見つめる。
胸の奥にまで広がる優しさごとギュッと握りしめると、机の上に置いていたスマホが震える音が、やけに遠く聞こえた。
『ごめんなさい、時間を言ってなかったです! お昼前くらいに行きましょうね!』
LANEに入ってきたキタサンからのメッセージ。それに目尻を下げながら了承の返事をしたのも、もう数日前の話だ。
そうだ、学園前で待ち合わせしたことも、その道中が照り返すように暑かったことも。それに負けないくらいにスキップしながら歩く彼女を見守っていたのも、ほんの数分前なんだよな……。
こういうのは呉服店の方がいいかもとか思ってたけど、別にショッピングモールにも売ってるらしいとも彼女から聞いたっけ。色々詳しいよな、流石はお祭り娘だ。
よく冷えた空調を感じながら、通り過ぎていく人々を見送る。試着室の向こうで衣擦れの音が響くのを聞きながら、ぼんやりとただ時が過ぎるのを待った。
「……よしっと。トレーナーさん、お待たせしました!」
跳ねるような声が後ろから聞こえてくる。
さてさて、どんな感じかな?
微笑ましい気持ちを胸に抱きながら振り向くと、それと同時に試着室のカーテンが開かれる。
中にいるのはもちろん浴衣姿のキタサン。まず選ばれたのは、夜空のような黒地に、色鮮やかな大輪の花火が描かれた浴衣だった。
「……うん、やっぱり黒の浴衣が似合うね。鮮やかな花火の柄もよく映えてるよ」
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいです!」
両手を上げながら、太陽のように輝いている笑顔を見せてくれた。
こんな太陽ならずっと見ていられるのにな……。
なんて、柄にもない気恥ずかしいことが思い浮かんでしまったが、首を振って打ち消した。
「トレーナーさんが良いならこれに決めちゃおうかな……。だけど、もう一着気になるのが……」
そういえば、試着室に入る前に彼女がじっと見つめていた柄があったっけ。
顎に手を当てながらウンウンと唸る彼女を見て、ふとそんなことを思い出した。
「なら、そっちも見せてほしいな」
「えっ! いいんですか?」
「うん、君自身が納得できるのが一番だからね」
「……あたしっていうよりは、どっちかといえばあなたに……」
それまでは嬉しそうに笑っていたキタサンだったが、何故か眉をひそめ、小さい声で何かを呟いていた。
ウマ娘の耳なら聞こえたのだろうが、あいにく俺は普通の人間だ。何を言っているのかまでは、分かりそうもない。
「……まあいっか! ちょっと待っててくださいね、トレーナーさん!」
だけど、流石はお祭り娘といったところか。
キタサンはパッといつもの明るい笑顔を咲かせると、勢いよくカーテンを閉めた。
うん、やっぱり彼女には笑顔が一番似合うな。
俺の方も閉まったカーテンに背を向けて、賑やかな人々が通り過ぎていくのをぼんやりと見送った。
「ではでは、トレーナーさん! もう一つの方を取りに行きましょうね!」
「うん、行こうか」
綺麗に畳まれた先ほどの浴衣を抱えるキタサンと、並んで歩き出した。
ふと横目で彼女に視線を向けると、嬉しさを隠しきれないように揺れる耳と尻尾が目に入る。
ふふ、本当にお祭りが楽しみなんだな。
その姿を見るだけで満たされるような気持ちになり、つい笑みをこぼしてしまう。
「気が早いですけど、次のお祭りが待ち遠しいです!」
「ふふ、君はお祭りが大好きだもんな」
「……むむ」
ご機嫌に揺れていた耳がピタッと止まり、晴れやかな表情から一変して眉をひそめるキタサン。
おっと、何か変なことを言ってしまったかな?
顎に手を置いて考えてみるけれど、原因はまったく思い浮かばなかった。
「トレーナーさん、もしかしてあたしがお祭りだけを楽しみにしていると思ってませんか?」
「えっ、違うのか? お祭り娘だからてっきり……」
「むぅー! 全然違いますよ!」
キタサンはピタッと足を止めると、頬をいっぱいに膨らませて眉にシワを寄せる。
その急な変化に、俺は目を白黒させながら彼女の姿を見ることしか出来なかった。
「いいですか、トレーナーさん!」
「は、はい……」
鼻と鼻がくっつきそうなくらいに近づいてくるキタサン。
その勢いに押されてしまい、つい畏まったような言葉を発してしまう。
「お祭りっていうのは、誰と過ごすかで違った楽しみになるんです!」
「まあ……そうかも?」
「あなたと――背中を預けられる、一番の相棒と過ごせるお祭りなんですよ!」
「……!」
「だから、楽しみの意味が違うんですからね、もう!」
破裂しそうなくらいに膨らんでいる彼女の頬。だけど、俺の頭の中は別のことで満たされていた。
そうか、彼女――お祭り娘としてのキタサンブラックも、俺のことを認めてくれてるんだな。それに、楽しみにまでしてくれてるんだ。
その事実が胸を熱くしてくれて、無意識のうちに彼女の頭へと手を伸ばしてしまう。
「わ、わわ! トレーナーさん、何を――」
「ごめん、ただ嬉しくてね。お祭り娘の隣に立つことを、ちゃんと認めてもらえたみたいでさ」
「当たり前です! トレーナーさんはいつだって、あたしの頼りになる相棒なんですから!」
「ふふ、そっか」
無意識なんかじゃない。今度は自分の意思で、彼女の頭をゆっくりと撫でていく。ふわりとした髪の手触りがどこか心地良い。
ピクリと動いた彼女の耳は逃げることなく、そのまま寄り添うように俺の手の平へと近づいてきた。
「えへへ。あなたの手、温かいですね」
「そっか、夏なのにごめんな」
「ううん。あたし、この手の温かさが大好きですから」
「なら、良かった」
ふと、遠ざかっていたショッピングモールの喧騒と共に、周囲からの視線を感じる。
気になって周りを確認してみると、足を止めたお客さん達が、なんとも微笑ましそうにこちらを眺めていた。
「仲良しなんだね」
「ふふふ……」
聞こえてくる声もそんなものばかり。
顔から火が出そうになりながらキタサンに視線を戻すと、彼女はピンと立った耳の先まで、俺以上に真っ赤になっていた。
「と、トレーナーさん……。は、早くもう一着を取りに行きませんか……!」
「そ、そうだな!」
お互いに真っ赤な顔をそらして急ぎ足でもう一着の服を取りに行き、それを受け取ったキタサンは、そのまま逃げるようにして試着室へと飛び込んでいった。
「ど、どうですかね!」
時折感じる生温かい視線から目をそらしつつ、ようやく聞こえた声にホッと息をこぼす。
急いで振り返ってみると、もうカーテンは開かれていて、白色の浴衣を着たキタサンが目に入った。
先ほどの黒色とは違う、清楚で可憐な雰囲気を纏った彼女の姿。今この季節のお祭りでしか見られない特別な景色を前にして、俺は一瞬、言葉を失ってしまう。
「……白、か。そっちもすごく似合ってるな」
「ほ、本当ですか! ……えへへ、でも、そうなると黒と白どっちがいいのかな……?」
キタサンは口を強く結んで腕を組み始める。頭を捻りながらも、その視線が真っ直ぐ俺に向けられているのに気づいた。
あなたなら、どうしますか?
彼女の揺るがない瞳が、そう言っているように見える。
――あなたと過ごせるお祭り、か。
もしも許されるなら、そうだな、俺なら。
「俺は白の浴衣、良いと思うな」
「……! 本当、ですか?」
「うん。より、綺麗に見えるよ」
「き、きれい……ですか……」
先ほども見た――いや、それ以上に顔を真っ赤に染め上げるキタサン。
純白の浴衣との対比が、今の彼女を息を呑むほど綺麗に見せている。
場違いだとは分かっていながらも、俺はただ見とれることしかできなかった。
「そ、それならこれにしちゃいますね! あはは、はは……」
顔を真っ赤にしたキタサンは両手を忙しなく動かすと、逃げ込むように乱暴にカーテンを閉めた。
なんだか、ひどく悪いことをしてしまったみたいだ。
閉ざされた布地を見つめながら、俺は頭を掻いてため息をこぼす。
「……次のお祭り、か」
ポツリと呟いた瞬間、トレーナー室のカレンダーが不意に頭をよぎる。
何重にも力強く付けられた赤いマジックの丸印。後で俺も青いマジックで付けとこうかな? いや、それじゃあ何の印か分からなくなるよな。
そんなことを考えて思わず吹き出した俺の頬は、自分でも呆れるくらいに緩みっぱなしだった。
「と、トレーナーさん。お待たせしました」
「いや、全然待ってないよ。早く買いに行こうか」
あっという間に着替え終わったキタサンと一緒に歩き出そうとして――俺は思わず足を止める。
振り返ると、何故かキタサンは俺の後ろで立ち止まったまま、動こうともしていなかった。
「キタサン?」
「何を言ってるんですか? トレーナーさんの分も買いましょうよ」
「えっ、俺の分は別に――」
――言いかけて止める。
そうだよな。俺が選んだ白を着てくれるんだ。なら俺も、綺麗に着飾った君の隣に相応しい格好をしないとな。
自身の言葉を撤回するように小さく首を振り、彼女に笑いかけると、その赤い瞳は嬉しそうにキラリと輝き出した。
「――そうだな。どんなのがいいかな?」
「やっぱり黒ですよ! 大人っぽいですし、白黒で綺麗ですもん!」
「黒もいいな。でも、赤とかはどうかな? 意外に似合うんじゃないか?」
「むむ、赤と白……。たしかに紅白も相性良いですもんね……。どうしたものか……」
うんうんと頭を捻り、尻尾を揺らす彼女と並んで歩く。
カレンダーの赤い印まであと何日だっけ? こんなに胸が弾む気持ちは、子どもの時以来かもしれない。
彼女に見えないように小さく笑いをこぼし、俺のペースに合わせてくれているその一歩に、遅れないように隣を歩き続けた。