前回の『お祭り娘と浴衣選び』と繋がっている部分はありますが、読まなくても問題はないです
金魚すくいもお祭りの醍醐味の一つですよね
ピチャリと音を立てて、小さく水しぶきが飛ぶ。
薄暗い蛍光灯に照らされた水面に雫が落ちて波紋を広げ、その中を色鮮やかな金魚達が悠々と泳いでいた。
「またか……はぁ……」
ガクリと肩を落とし、地面に穴が空くほどの深いため息。
破れて水槽が透けて見えるポイを眺めるトレーナーさんは、当日に雨が降ってお祭りが中止になった時のような顔をしていた。
そんな彼をあざ笑うかのように、金魚達は何事もないように泳ぎ続けている。
相棒が辛そうな顔をしているのに、黙っていられるほどあたしは大人じゃない。ギュッと両手で拳を握りしめると、自然と耳がピンと立つ。それにここで立ち上がらなきゃ、お祭り娘の名が廃るってもんだ!
「……トレーナーさん、あたしが仇をとりますからね!」
「……ああ、任せたよ」
落ち込む彼の肩をポンと叩き、隣で親指をグッと立てる。
一瞬だけ目を丸くしていたトレーナーさんだけど、すぐに笑顔で頷いてくれた。
視線が交われば、それだけ想いは重なる。
パタパタと揺れる尻尾が風を起こしても、あたしの心の炎は絶対に消せやしない。
「よぉし……おじちゃん、あたしも挑戦するよ!」
「あいよ!」
グルリと肩を回した後、目の前にいる屋台のおじちゃんに人差し指をビシッと突き出す。
おじちゃんはニヤリと笑みを浮かべながら、赤色のポイを手渡してきた。
あたしは受け取ったポイと、自分の体を包んでいる白い浴衣を見つめた後、濡らさないようにそっと袖を押さえながら水面に向かってポイを構えた。
トレーナーさんと浴衣を買いに行ったのは数日前のことだ。
何度も赤い印を付けたカレンダーを眺める日々は、思いのほか呆気なく過ぎて。この日のための勝負服を身に着けて、友達に見せびらかしたのも遠い昔のよう。
しなくてもいい待ち合わせをして。
まだかまだかとスマホを眺めて。
三十分も前なのに謝る彼に、つかなくてもいい嘘をついた。
ただそれだけのことなのに、ありもしない柑橘類の匂いがあたしの胸いっぱいに広がっていき、緩んでいくほっぺたを抑えることなんてしたくもなかった。
だからこそ。
「……絶対に」
こんなところで彼の悲しい顔なんて。
せっかくの胸の匂いを、ここで散らしたくはないから。
「取る!」
カッと目を見開き、滑らせるように水面を斜めに切っていく。
呑気にもこちらに向かってくる黒色の金魚。その油断が命取りということを教えてあげる。
一瞬の隙を突き、あっという間に水ごと金魚をすくい上げた。
そのままお椀へと移し、天に掲げる。小さく揺れる水の中で、金魚は驚いたように体を震わせていた。
「…………やりました!」
薄い蛍光灯に照らされたお椀が鈍く光る。
なんてことのない金魚だけど、今だけは一番星のように輝く煌めきを放っていると錯覚してしまいそう。
手の中のポイの柄をギュッと握りしめ、噛みしめるように笑みがこぼれた。
「おめでとう、お嬢ちゃん!」
おじちゃんはさっきと同じようにニヤリと笑うと、なんでもないようにあたしのお椀を取り、慣れた手つきで金魚を透明な袋へ移した。
赤い紐で結ばれた袋の中で、ポツリと浮かぶ黒い金魚。さっきまでの呑気な様子が嘘みたいだ。
「えへへ……。トレーナーさん、仇は取りましたよ!」
「……ふふ。流石だな、キタサンは」
掲げるように隣の彼にも見せびらかす。
彼は何故か寂しそうな視線を金魚に向けたまま静かに笑っていたけど、すぐさまあたしの頭へと手を伸ばし、優しく撫でてきた。
サラサラと髪を梳かすように。乱しては元に戻すのを繰り返しながら、ゆっくりと。
周りなんて気にすることもなく……周り……はっ!
ピンと耳を立てて硬直したあたしの中で、ほっぺたが溶けてしまいそうなほどの幸せな気持ちは、ピシリと音を立てて崩れていく。
「と、トレーナーさん。嬉しいんですけど、このままだと前みたいに……」
「……っと、そうだな」
ハッとした表情で手を引っ込めるトレーナーさん。
危ない危ない……。浴衣を買った時みたいに、周りからの生温かい視線は恥ずかしいもんね……。
頭のてっぺんに残る温かさを名残惜しむように耳ごとブルンッと頭を振ると、前方から向けられている生温かい視線に気づいてしまった。
「お嬢ちゃん達、仲がいいんだね」
冷やかすように、おじちゃんの笑みは深くなっている。
カッと顔が熱くなるのを感じながら、たまらず視線をそらした。
ぐっ……でも、まだこのヒトだけだしここから離れたら済む話だよね!
「は、早くここから去りましょう!」
バッと立ち上がり、ちゃぷんと水音を立てて金魚が入った袋を揺らしながらトレーナーさんに視線を移す。
だけど、彼は地面に根っこが生えたみたいにその場を動こうともしない。
「えっ、トレーナーさん?」
「キタサン、少しだけ待っててくれないか。俺にはまだ、やることがあるんだ」
首を傾げながら彼を覗き込むと、その真剣な視線は金魚達の水槽に向けられていた。
「だけど、もうあなたの仇は討ちましたよ! 後は何が——」
「君の取ってくれた金魚、一匹だけじゃ可哀想だと思ってさ」
「……それって」
「うん。せっかく君が仇を討ってくれたのに、水を差すみたいでごめんよ。だけど、やっぱり俺も良いところを見せたいんだ。……我儘だろ?」
困ったように微笑む彼。だけどその瞳は強く煌めいていて、真っ直ぐに射抜くような視線をこちらに向けていた。
いつもはあたしが向けているその視線が、どこか心地良かったから。
「……いいえ、あなたらしいなって思いますよ」
小さくこぼれた息はどこか甘くて、少しくすぐったい。
あたしはゆっくりとしゃがみ込み、彼と目線を合わせた。
「だけど、我儘を通すなら、あたしは手助け出来ません。それでも良いんですか?」
「ああ、これ以上カッコ悪いところは見せたくない。そんな奴、お祭り娘の相棒失格だろ?」
崩れたような笑みはきっとただの強がりだ。それでも意地を通そうとする気概に違いはない。
胸に置いていた手を、目の前にある彼の大きな背中に当てる。
トン、トン、トン
願いを込めるように軽く叩いてみた。
「挽回するところ、見せてくださいね」
「ああ。お祭り娘の相棒の力、見せてやる。店主さん、俺にもう一度挑戦させてくれ」
「……ふ。頑張んな、兄ちゃん」
丁寧に頭を下げるトレーナーさんに、おじちゃんは目をつぶって頷きながらポイを手渡した。
彼の背中に手を置いたまま、その真剣な横顔と水面を交互に見つめる。
動きは単純。集中すれば流れを掴むのは容易い。
だけど、それはあたしの話だ。
「……ふぅ」
彼が小さく息を吐き、ポイを構える。
トレーナーさんはお祭りビギナー。あたしの領域に達するのはもっとお祭りを経験しなきゃ難しい。
いくら彼ほどのヒトでも、これは流石に——
「えっ!」
思わず目を大きく開いてしまう。
無駄のない重心の落とし方。あの構えは……! 間違いなく、あたしと同じものだ。
だけど所詮は付け焼き刃だ。格好だけ真似ても動きまではきっと——
「嘘!?」
水を切るように滑らかに——というには、ぎこちないけれど。
それでも彼の手は間違いなく、あたしが着ている浴衣みたいに綺麗な、白い金魚のお腹に向かって動いていた。
彼の背中に添えたあたしの手に、ギュッと力が入る。
あ、あの一瞬であたしの動きを見破ったっていうの……?
お祭りビギナーだなんてとんでもない。彼は間違いなくお祭り男の素質を持つ存在!
「……これで」
だけど引き上げられたポイには、無情にも小さく穴が空いてしまう。そのまま穴は広がっていき、水面が透けて見える場所が増えていく。
「——どうだ!」
それでも。
彼は動きを止めず、残ったポイの縁に引っ掛けるようにして——
金魚を逃がすことなく、水とともにお椀へ勢いよく流し込んでいく。
お椀は大きく揺れるけど、金魚は逃げ出すことなく、そのまま固まったようにお椀の真ん中で佇んでいた。
「や、やった……」
トレーナーさんは呆然とお椀を眺めるばかり。あれだけ粘っていたポイも、今や見事に破れ去って枠だけになっていた。
「やりましたね、トレーナーさん!!」
自分のことのように嬉しくなって、あたしは思わず弾むような声を上げた。
「お嬢ちゃん、その袋ちょっと借りてもいいかい?」
「えっ、あっはい!」
言われるまま、金魚の入った袋をおじちゃんに渡す。すると、彼のお椀からすくわれた白い金魚が、ぽちゃんと袋の中へ放たれた。
寂しそうに泳いでいた黒い金魚の元へ、突如として白い金魚が入ってくる。
驚いたようにお互いの姿を見ていたけど、気にしないようにそれぞれ反対方向へと泳ぎ出してしまった。
せっかく一緒になれたのに素っ気ない二匹を見て、思わずフフッと笑みがこぼれてしまう。
「お嬢ちゃん達みたいに、仲良くなれるといいね」
「あ、あはは……」
さっき以上に生温かい視線をあたしに向けながら、おじちゃんは二匹の金魚が入った袋を渡してきた。
その視線から目をそらしてほっぺたをかきながらも、トレーナーさんを袋越しに見てみる。
揺れる水の中で、彼の浴衣と同じ黒色の金魚と、あたしの浴衣と同じ白色の金魚がすれ違い、重なって見えて、なんとも愛らしかった。
「ふふ、せっかく二匹になったんだから長く育てたいですよね!」
「なるほど。それならちゃんとした水槽を買ったほうがいいのかな?」
「トレーナーさん、あたしも手伝いますからね!」
「ありがとう、頼りにしているよ」
ゆっくりと立ち上がり、おじちゃんに手を振りながら歩き出す。
遠ざかるお囃子の音と心地よい夜風を感じながら、他愛のない会話を交わした。
小さな命が入った袋を大切に抱えながら、あたしは彼の隣をどこまでも歩いていった。