ウマ娘キタサンブラック短編集   作:大典74

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pixivの同名の作品を手直ししております


甘えたい≧癒したい

「う~ん……もっとこう……っ」

 

 廊下をぼんやりと歩きながら、もどかしそうな唸り声が零れ落ちた。

 いつもならスキップで通り抜ける廊下なのに、今日ばかりは足取りが重い。トボトボと靴底を擦るように歩いてしまう。

 その理由は……。

 

「むぅ〜……もっと構ってほしいなぁ……じゃなくて!」

 

 ブンブンと首をふって言葉を打ち消す。違う、違う。あたしがしたいのはトレーナーさんの『癒やし』だ!

 ドクドクとうるさい胸をギュッと押さえて深呼吸。……よし。

 最近のトレーナーさんは、いつ見ても電話や山積みの書類とにらめっこしていて、ここ数日は挨拶以外でまともに目も合っていない。

 忙しいのは良いことだって分かってる。でも、慣れない。というか、慣れたくない。

 せめて一日一回くらいは、ちゃんと笑顔で触れ合いたいのだ。

 

「う~ん……どうにかして、もっと自然に……」

 

 もちろん、お疲れのトレーナーさんを癒やしたいのも本当だ。

 だけど、ウンウン唸りながら廊下をフラフラ歩いてみても、そんな都合のいいアイデアは浮かんではこない。

 苦し紛れに見上げた先には、ただ白い天井があるだけ――

 

「……図書室?」

 ふと視界に入った教室札に、ピタリと足を止める。

 そうだ、本!  本の中になら、今のあたしにぴったりな名案が載っているかも!

 藁にもすがる思いで、普段は縁のないその扉に手を掛けた。

 

「とはいえ……」

 

 図書室特有の紙の匂いに包まれながら、本棚の間をさまよう。

 ズラリと並ぶ背表紙をぼんやり目で追って、気になった本をペラペラとめくってみるけれど、やっぱりどれもピンとこなくて――

 

「……待って、これって……」

 

 あるページで、あたしの手はピタリと止まった。

 そこにはちょっと難しい用語も並んでいたけれど、今のあたしにピッタリの言葉が輝いて見えた。

 

「これだ……!」

 

 これならすぐにでも実行できるし、何より効果を得るのに1分もかからない……!

 本をゆっくりと閉じながら、頭の中でシミュレーションを回す。

 正直今すぐやってみたいけど、どうせならなるべく断られないタイミングがいい。

 となると実行は……。

 

「トレーニング前……これで行こう……!」

 

 小さく拳を握り、声を潜めて決意を口にする。

 答えは決まった。後は実行するのみだ!

 手に取った本を小脇に抱え、意気揚々と図書室を飛び出した。

 ――気づけば、トレーニング開始の時間が迫っていた。

 ふふ……いざトレーナー室の前に立つと、なんだか緊張してきたかも。

 静かに深呼吸をして、ゆっくりと扉を開ける。

 隙間から見えたのは、机に広げた資料と睨み合っているトレーナーさんの姿だった。俯き加減の顔には、相変わらず隈が落ちている。

 一瞬だけ迷いがよぎったけれど、小さくほっぺたを両手で叩いて気合を入れた。やるって決めたらやり通す!

 

「トレーナーさん、今大丈夫ですか!」

「っ!? き、キタサン……いつの間に!?」

 

 弾かれたように顔を上げたトレーナーさんは、目を丸くして固まっている。

 

「えっと……さっきです」

「そ、そうか……ごめん、全然気づかなくて……」

「あーっ、謝るのはそこまでです!」

 

 さらに謝ろうと肩を落とすトレーナーさんの言葉を、あたしは少し大きめの声で遮った。早く本題に入りたくて、尻尾が落ち着きなく揺れている。

 

「それよりもトレーナーさんに、ちょっとやりたいことがありまして!」

 

 キョトンとするトレーナーさんの返事も待たず、あたしは一歩踏み出して真っ直ぐにその目を見つめた。

 

「トレーナーさん、最近お疲れですよね?」

「えっ……? まぁ……そうだな……」

 

 目を泳がせながら渋々認めたトレーナーさんに、あたしはここぞとばかりに踏み込んだ。

 

「だったら! あたしがその疲れ、一瞬で吹き飛ばしてあげます!」

 

 バンッと小脇に抱えていた本を机に置き、人差し指をビシッと突きつけると、トレーナーさんはあたしの勢いに少しのけぞった。

 

「えっと……マッサージ? いや、気持ちは嬉しいけど、これからトレーニングだし――」

「安心して下さい! マッサージよりも全然、短い時間で出来るものですから!」

 

 このまま突き進め、キタサンブラック! 走り出したなら後ろなんか気にしちゃダメ!

 

「あたしと、ハグして下さい!」

 

 室内に響き渡った自分の声の大きさに、あたし自身が一番固まってしまう。

 息を止めたまま見つめ合っていると、やがてトレーナーさんの顔がふっと綻び、どこか微笑ましそうな表情へと変わった。

 

「……甘えたかったのか?」

「……!?」

 

 図星を突かれたあたしは、ビクンッと尻尾を跳ねさせた。

 ち、違う! 必死に口を動かすけれど、上手く声にならない。その代わりと言わんばかりに、耳が誤魔化しきれずペタンと倒れてしまう。

 そんなあたしを見て、トレーナーさんの口角がさらに上がった。

 

「だってハグってそういうことだろ? だから――」

「ち、違います! ハグするとオキシトシンがたくさん出て、すっごく癒やされるんですっ!」

 

 慌てて口から飛び出したのは、シミュレーションとは似ても似つかない言葉だった。

 あれあれ?  あたし、今なんて言ったっけ!?

 ぐるぐるする頭の中と同じくらい、尻尾もバッタンバッタンと荒ぶりだす。

 熱くなるほっぺたに、ピコピコと落ち着きなく動く耳。

 もう誤魔化しきれない! 限界を迎えたあたしは、気づけば床を蹴っていた。

 驚いて立ち上がったトレーナーさんの胸元へ、一直線に飛び込む。

 

「ワッショイ!」

「ぐふっ!?」

 

 勢いよく飛び込んだあたしを、トレーナーさんはよろけながらもしっかりと受け止めてくれた。

 その温かい胸元に顔をぐりぐりと押し付けると、ふわりと安心する匂いが鼻をくすぐる。

 心の中がぽかぽかと温かくなり、全身の力がフワリと抜けていく。

 

「う……ん……」

 

 もう、理屈なんてどうでもいいや。

 心地よい微睡みの中に、あたしはすっかり身を預けてしまった。

 

「……サン?」

 

 耳元で、低い声が心地よく響く。

 むぅ……もっと聞いていたい……。

 幸せな微睡みに沈みかけた瞬間、ハッと本来の目的を思い出した。

 そうだ! トレーナーさんを癒やすためだったのに、あたしが満喫してどうするの!?

 一気に頭に血が上り、あたしは慌てて体を離そうと――したけれど、何故か離れることが出来なかった。

 えっと……腰に、何かが回されている?

 

「これでいいのかな?」

「ふぇ?」

 

 頭上から降ってきた声に、ゆっくりと顔を上げる。

 

「トレーナー……さん……?」

「……結構恥ずかしいな、これ」

 

 目の前には、少しほっぺたを赤らめて、はにかむように笑うトレーナーさん。

 腰に回された腕の熱が、あたしの体温を一気に跳ね上げた。

 あ……これ、あたしも『されてる』んだ。

 

「な、なな……なんで、トレーナーさんが……っ、あ、あわわ……」

 

 耳と尻尾はピンと直立し、目は完全に泳いでいる。

 あわわ、あわわわ……!

 そのまま固まって見つめ続けていると、トレーナーさんは困ったように頭をかいた。

 

「……うーん。強いて言えば、こういうのは『お互いに贈りあえたら素敵』……だから、かな?」

 

 ずるい。そんなの、ずるすぎる。

 胸の奥が大きく跳ねて、抗議するはずだった言葉が全部溶けていく。

 

「……そう、ですね」

 

 コクリと頷くと同時に、あたしの腕はもう一度、トレーナーさんの背中にギュッと巻き付いていた。

 

「……キタサン」

 

 不意に降ってきた真剣な声に、あたしは耳をピクリと動かす。

 

「ありがとうな。ハグってすごいな……本当に疲れが抜けていく気がする」

 

 ポツリとこぼれた本音に、あたしは無言で背中の腕にギュッと力を込めた。

 

「それと……寂しい思いをさせて、ごめんな。最近忙しくて、全然――」

 

 違う。謝ってほしいんじゃない。

 胸に埋めていた顔を勢いよく上げ、あたしは真っ直ぐにトレーナーさんの目を見つめた。

 

「甘えたかったのも、癒やしたかったのも、本当なんです!」

 

 本で読んだ時、これだ! って思ったこと。トレーナーさんを癒やしつつ、あたしもいっぱい甘えられる一石二鳥の作戦だって思ったこと。

 隠していた本音を、ポツポツと全部こぼしていく。

 

「……忙しいのは分かってます。だけど……もしも、トレーナーさんさえ良ければ……これからも――」

 

 ハグしても、いいですか。

 そう言おうとした、その時。

 腰に回された腕にギュッと力がこもり、あたしは息を呑んだ。

 だから、あたしは。

 背中に回した腕に、めいっぱいの力を込め返した。

 

「えへへ……♪」

 

 トレーナーさんの胸に顔をぐりぐりと押し付けて、とびきりの笑顔を浮かべる。

 トレーニングの時間まで、あと数分。

 それまでは絶対に離してあげない。この夢のような温もりを、今はただ、体いっぱいに味わっていたい。

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