そもそもあの学園ってお嬢様が沢山いるよね?と書いてる途中で思いましたが、もう後には引けませんでした
「ふふ、御機嫌よう」
夢を見ているのだろうか。
確かに最近は少し夜遅くまでトレーニング案をまとめていたし、昼休み前とはいえ、ほんの少し前も眠気が一瞬だけ頭をかすめた。
そう、夢に決まっている。
妙に控えめなノックだったことも、入ってくる時の言葉が「トレーナーさん、失礼してもよろしいでしょうか?」なんて畏まり過ぎていたのだってそう。
そっと開いた扉の向こうで、両手を前で上品に組み、ピンと背筋を伸ばして微笑んでいる立ち姿も。
俺の担当ウマ娘が。あのお祭り娘のキタサンブラックが。
こんなにおしとやかな物言いと振る舞いをするなんて、絶対に何かがおかしい。
「どうかなさいましたか、トレーナーさん?」
口元にそっと手を当てて、クスリと。
きらきらとした効果音が聞こえてきそうなほどのおしとやかな仕草。
ガタッ。
気づけば椅子が倒れるのも構わず勢いよく立ち上がり、彼女の元まで駆け寄っていた。
「と、トレーナーさん?」
ギョッとしたように目を丸くして耳を跳ねさせ、キタサンは後ろに下がろうとするけれど、トンッと背中が扉に拒まれて一歩も動けなくなっていた。
数メートルにも満たない距離。彼女の目の前まで辿り着くのにさほどの時間は掛からなかった。
「え、えっと——じゃなくて。あ、あれ? こういう時ってどう言えば?」
顔の前でわたわたと両腕を動かしながら何かを呟いている彼女の言葉も耳に入らないまま、俺はゆっくりと額に向けて手を伸ばす。
トン
思いのほか呆気なく、揺れる前髪をすり抜けて、彼女の額に触れることは出来た。
「……あ、あの……トレーナーさん?」
「熱は……無いよな?」
「そ、それはどういう……?」
「だったらなんであんな言葉遣いを? あのキタサンが? これはやっぱり夢なのか?」
「……なるほど」
ゾワ……!
不意に背筋が冷え、伸ばしていた腕を何かがそっと包み込む。
いつもならじんわりと温かいはずの彼女の手のひらが、今は背筋が凍るほど冷たかった。
「トレーナーさんがあたしのことを」
揺れる瞳でようやく捉えた彼女の表情。
「普段どう思っているのか」
彼女は目を閉じて、小さく微笑んでいて。
「よぉ〜く、分かりました」
だけど、圧のある静かな怒りが、まるで形が見えるように彼女の後ろに確かに存在していた。
◇◇◇
「……というわけなのです。お分かりですか?」
「……はい」
圧に押されるまま正座をして頭を垂れる俺に、キタサンは腕を組んで見下ろしつつ、口調を変えずに事情を話してくれた。
始まりは至って単純。彼女は友達とちょっとしたゲームをして負けてしまい、罰ゲームを受けることになってしまった……という、ひどく可愛らしいものだった。
「お嬢様な話し方、と言われましても。あたしはそういうのに疎いので、ダイヤちゃ——こほん。ダイヤさんを参考にしたのです」
「別にそこはちゃんでも大丈夫じゃないか? 君の親友もキタちゃんって呼んでるだろ?」
「た、確かにそうでしたわね。えっと、ダイヤちゃんを参考にしたのです」
「なるほどな」
でも、話し方自体は君の親友よりも親友の憧れの存在に近くない?
一瞬だけ頭に浮かんだ言葉をなんとか飲み込む。
「ですが、所詮は付け焼き刃。一朝一夕には身につかないものですわね……」
「……お嬢様のような口調って難しい、というよりも普段は使わないからね」
「そうなのです! やはりダイヤちゃんは凄いのですね……」
「そういう場にもよく行ってるだろうし、そこはね」
「なんだか住む世界が違うのを感じてしまいますわ……」
……世間一般でいえば演歌歌手の娘も大概じゃないか? 君の家もそもそも大きいし、お弟子さんからお嬢と呼ばれるのにも、俺は住む世界の違いを強く感じてるぞ。
言いたいことは山ほどあったけど、限界に近い足の痺れをこれ以上伸ばしたくないので、黙って目だけをスッとそらした。
「はぁ……どうすればいいのでしょうか……」
憂いを帯びたような溜息を吐きつつも、真面目なキタサンは悩んでいる様子だ。いつもなら肩を落としているところなのに、小首を傾げて口元に手を置いていて、お嬢様? を崩そうとしていない。
今日だけのことだから気にしなくても良くないか?
……なんて、律儀に悩む彼女を前にして言うのは野暮だろう。
そんな考えは今は置いておこう。
「キタサン、そういう時こそ俺を頼ってくれ」
「トレーナー、さん」
「困った時は助け合い、それが担当トレーナーとウマ娘じゃないか?」
「トレーナーさん……!」
そう、助け合いだ。決して早く正座を解きたいとか全く思っていない。うん、全然。
下心を隠すように、そして限界を迎えた足の震えをごまかすように彼女の瞳だけを見つめると、キタサンは感極まったようにこちらに視線を返してくれた。
「そうでしたわね。あたしには頼りになる殿方がいらっしゃることを忘れてましたわ」
多分『殿方』の使い方が違うんじゃないか?
せっかくの感動に水を差すのは野暮だと思い、俺は引きつりそうになる頬をごまかすように視線を少しだけそらした。
「よぉ——コホン。ですので!」
その言葉は多分万能じゃない——
つい開いてしまった口からツッコミが出てくる前に、何かが俺の腕をつかみ、直後に俺の体はふわりと浮いた。
なんでと思う前に伝わってきた馴染み深い温かさ。
しかし、足が地面に着いたと同時に、限界を迎えていた足の痺れが主張してきて、俺はカクンと体勢を崩しかける。
「おっと……」
倒れそうになる俺を難なく支えてくれた彼女の腕に頬を緩ませながら、彼女を見る。
「あなたのお力をお貸しいただけないでしょうか、トレーナーさん?」
瞳に映るのは、得意気に笑うお嬢様の姿。そして、エスコートを待つように上品に差し出された白い手。
俺は口を開く前に、その期待に応えるように彼女の手のひらの上に自分の手をそっと重ねる。
「はは。喜んで、お嬢様」
わざとらしく気取ったような口調で、胸に手を当ててうやうやしくそのままひざまずいた。
予想外の反応だったのか、彼女は一瞬だけ目を丸くしていたが、すぐに「ふふっ」とお上品に笑い出し——
「ええ、頼りにしてますわ」
彼女はふわりと微笑むと、俺の手を包むように、もう片方の手を重ねた。
きっと俺の格好がフォーマルスーツで、彼女がドレスでも着ているのなら、少しは様になってたのだろう。
「それではトレーナーさん、よろしくお願いしますわね!」
だけどこれはごっこ遊びみたいなもの。正解なんて無い。様になんてならなくても、本人が納得出来るかが一番重要なんだ。
さっきまでのおしとやかに作られた穏やかなものではない、きっと不意に出てしまった彼女の素の笑顔——太陽のように晴れ渡る表情を見て、そう思った。
とはいえ、ごっこ遊びでも手を抜いてはキタサンの信頼を裏切ってしまうだろう。
「うーん……もう少し動きは抑えるべきじゃないか?」
「た、確かにそうですわね……流石はトレーナーさんです!」
元気よく揺れる尻尾を必死に静めようとする彼女を見守りながら、短い時間とはいえ、出来ることはやってみた。
「そういえば『あたし』って一人称はあまりお嬢様らしくないのではないでしょうか……?」
「そこは大丈夫じゃないか、『あたし』や『俺』が一人称のお嬢様もいるんだし」
「確かにそうですわ!」
だから今の君がしているその話し方もする必要はあんまりないよ。
ずっと頭の中で浮かんでいたその言葉を、ついぞ口にすることはなかった。
「立ち回りは……こう?」
「あっ、そこはもう少し指先を揃えるみたいですわ! ダイヤちゃんがやってましたわ!」
「へぇ、そうなんだな」
見よう見まねで動く俺が、時にはこちらが教わることもあった。
そんなこんなであっという間の時間は過ぎていった。
「トレーナーさん、ありがとうございました」
「いや、力になれたなら嬉しいよ。お昼からも頑張ってね」
「ええ、きっちりとやり通してみせますわ!」
扉の前に立ち、こちらを振り返って小さく微笑むキタサン。
修行? の成果が出たようで、肩の余計な力が抜け、その表情は来たばかりよりもずっと自然になっている。
「では、行って参りますわ!」
言葉通り、来た時と同様におしとやかな足取りで部屋を出ていく。
ただ、体の脇で力強くこぶしを握りしめているのは、お嬢様らしくはないんじゃないか?
結局このツッコミも口には出ず、俺は彼女のような微笑みを作り、手を振ることしか出来なかった。
◇◇◇
「トレーナーさぁん……」
「き、キタサン?」
思い出す度に笑みがこぼれてしまう出来事から数時間後。
あんなに微笑みが似合う少女になりきっていたキタサンは、どんよりとした空気を纏い、耳を力無く倒して落ち込んだ様子でトレーナー室に入ってきた。
あまりの変わり果てた姿に、動揺のあまり俺は立ち上がることも出来ない。
そんな俺をよそに、彼女は重たい足取りでふらふらとこちらまでやってくる。
「ど、どうしたんだ……もしかして上手くいかなかったとか?」
咄嗟に頭に浮かんだのは昼の出来事。練習? の成果が出なかったせいなのかと思った。
しかし、彼女はゆっくりと首を振り、こちらを見る。
「……逆です」
「逆?」
「じ、授業中にも出てしまって……うぅ……っ」
「あ、あぁ……なるほど……」
両手で真っ赤な顔を覆い、悲しそうに項垂れるキタサン。
流石に授業中にあの話し方が出たらちょっとあれだよな……。普段が普段だけに余計に……。
想像しただけで背筋が凍るような感覚に襲われながら、俺は彼女を見下ろすことしか出来ない。
「その、ごめんな。俺と練習? しなければこんなことにはならなかったのに」
「い、いえいえ……。友達みんなには慰めてもらいましたし、褒めてももらいましたから……」
なんだろう、その姿が目に浮かぶというか……。ここまでやるとは思わなかったみたいな顔をしていそうというか……。
気の毒さと愛おしさが入り混じり、俺も無意識に彼女の頭をゆっくりと撫でてしまう。手のひらに触れる柔らかい髪が、少しだけ震えている気がした。
「……えへへ。ですけどそのおかげで罰ゲームも終わりましたよ! 怪我の功名ってやつですね!」
「お、おう……」
撫でられながらこちらの顔を見るキタサンは、伏せていた耳をピンと立てて、嘘みたいに晴れ渡る笑顔に変わっていた。
怪我の功名というにはあまりにも重症過ぎる気もするけど、それはそれとして。
「やっぱりいつものあたしの方がしっくりきますね! トレーナーさんもそう思いますよね?」
頭を撫でる俺の手にそっと自分の手を重ねて、彼女は満面の笑顔のままこちらに問いかけてくる。
直前まで考えていたことをまるで見透かされたかのような言葉に、俺は一瞬だけ目を丸くしてしまう。けれど、すぐに彼女のひまわりのような笑顔に合わせるように笑みを作り、ゆっくりと口を開く。
「うん、いつもそう思ってるよ」
書きたいものを書いたつもりなので後悔はないです