「何度来ても、ここは良いところだな」
「ですね! 今日が良い天気で本当に良かったです」
隣で微笑むトレーナーさんを見ながら、あたしはゆっくりと背伸びする。
広くてのびのびと過ごせる、あたしのお気に入りの公園。「ここならゆっくり過ごせるね」と、トレーナーさんもすっかり気に入ってくれているのが本当に嬉しい。……本人には、中々言えないけれど。
見上げれば、真っ青な快晴。ほっぺたを撫でる穏やかな風も心地よくて、絶好の歌唱日和って感じだね♪ ここに子供達がいたらもっと良かったけど、こればかりは仕方ない。
「ふぅ……よし!」
上にピンと伸ばしていた腕をゆっくりと下ろし、小さく息を吐く。うん、気合いもバッチリ! あとは喉の通りを確認するだけかな? 試しに早速……。
「〜♪」
空に向かって声を出してみる。うん、喉の通りもバッチリだね!
このまま歌いだそうと大きく息を吸い込んだところで、隣からふっと温かな視線を感じた。
不思議に思って振り返ると、トレーナーさんが微笑ましそうにあたしを見つめていた。
「トレーナーさん、どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ。歌おうとしていたのに、邪魔しちゃってごめん」
そう答えるトレーナーさんの優しい表情が、申し訳なさそうに曇ってしまう。
あっ……。そんな顔をされるのは、ちょっと嫌だな。
「邪魔だなんて、全然そんなことないですよ! ただ、どうしたのかなって気になっただけで……」
誤解されたくなくて、あたしは慌てて両手を振る。迷惑なんかじゃない。
その必死さが伝わったのか、トレーナーさんはすぐにホッとしたように肩の力を抜き、いつもの優しい表情に戻ってくれた。
「それなら良かったよ。君が歌うのを邪魔したくなかったからさ」
心底ホッとしたような声色から、それが本心だと伝わってくる。あたしも体の余計な力が、ふっと抜けていくのを感じた。
……だけど、どうしてそこまで気を使ってくれるんだろう?
「……なんで、ですか?」
「えっ?」
思わず口を突いて出た言葉に、トレーナーさんは少しだけキョトンとしていた。けれど、すぐにふっと柔らかい表情に変わる。
隠し事のない、あまりに真っ直ぐな眼差しを向けられて、あたしのほうがびっくりしてしまった。
「そうだな……色んな理由はあるけど、一番は、君の歌声が好きだからかな」
「えっ……あ、す、好き……ですか……?」
無意識にほっぺたを触ると、熱でもあるんじゃないかと思うくらいに熱かった。
ピョコピョコ跳ねる耳に、激しく揺れてしまう尻尾。
……これじゃあ、あたしの気持ちなんて完全にバレバレだよね。
「ち、ちなみに、どんなところが好きですか……? その、良ければ教えてほしいな……なんて」
あそこで満足すればいいって分かってるのに。もっともっと言葉が欲しくて、つい口が動いてしまった。
こ、このくらいは許してくれるよね? だって聞きたいもん……あたしの、どこが好きなのか。
わがままだったかなと恐る恐る顔を窺うと、トレーナーさんは呆れるどころか、いつもの優しい微笑みを向けてくれていた。
「そうだな……まずは、落ち着く声かな」
「お、落ち着く……ですか……?」
予想外の答えに、思わずパチクリと瞬きをしてしまう。
落ち着く……?
自分では、どちらかと言えば元気が出る声だって思ってたんだけどな。
なんだか不思議な感覚で、あたしは自分の喉をそっと撫でた。
「……思ってた答えと違ったかな?」
「えっ!? そ、そんなことないですっ……!」
図星を突かれて、あたしは慌てて視線を泳がせる。
う、うう……やっぱりあたし、顔に出やすい方なのかな……。
せっかく褒めてくれたのに変な反応をしてしまった自分がもどかしくて、上手く言葉が紡げない。
「だけど、俺は本心からそう思ってるよ。君の声を聞くと安心するし……俺にとっては何よりも大切なんだ」
「…………」
「……なんて、ちょっと大げさだったかな。あはは、なんか恥ずかしくなってきたよ」
照れたように赤くなるほっぺたを掻いているトレーナーさん。あたしはそれを見つめ返した後、慌てて俯いてしまう。……だって、今の真っ赤な顔、絶対に見られたくない。
……ズルいです。大切だなんて言われたら、もう何も言えないじゃないですか。
ドクドクと高鳴る胸。両手をギュッと押し当ててみても、この激しい音を誤魔化すことはできそうになかった。
「あ! これだけが理由じゃないぞ! 他にも沢山――」
「……っ」
照れ隠しで早口になるトレーナーさん。あたしはたまらず、彼の空いている方の手を両手でギュッと握りしめた。
「キタサン?」
頭上から驚いた声が降ってくる。だけど、今のあたしにはその顔を見上げる余裕なんて、少しもなかった。
「……っ、それ以上は、大丈夫です。……十分、伝わりましたから」
だって……あたしだって同じくらい照れてるんだから。これ以上言われたら、頭がパンクしそう……っ。
火を噴きそうなくらい熱いほっぺたが、あたしの両手にギュッと力を込めさせていた。
「……そうか」
「……そうなのです」
それ以上は言葉が続かず、二人の間に甘くて静かな沈黙が落ちる。
燦々と輝く太陽の下、ただ時間だけがゆっくりと過ぎていく。
……ああもう、誰か早くこの空気を打ち破って……っ。
照れくささに耐えきれず、あたしは繋いだ手を見つめたまま、むず痒さに身をよじりそうになっていた。
「その……キタサン……」
不意に頭上から降ってきたのは、このむず痒い空気を終わらせるような、少し躊躇う声。
ホッとしたはずなのに、あたしは真っ赤な顔を見られたくなくて、どうしても顔を上げられないでいた。
「……こんなこと言った直後に、ズルいかもしれないけど。……今すごく、君の歌が聞きたいな」
「えっ?」
思いがけないおねだりに、あたしは思わずバッと顔を上げた。
目の前にいたトレーナーさんは、あたしと同じくらいほっぺたを真っ赤にして、照れ隠しのように視線を彷徨わせている。
不器用にごまかそうとするその姿に、なんだか胸の奥がきゅっと温かくなった。
お互いに真っ赤な顔で見つめ合うこと、数秒。
「ふっ……あははっ……!」
我慢しようとしたのに、ダメだった。だって、目の前のトレーナーさんがあまりにも真っ赤で、なんだかすごく可愛いんだもん。
あたしが声を出して笑うと、トレーナーさんは途端にバツの悪そうな顔になる。
ふふっ、流石に恥ずかしかったかな。でも、これでようやくお互い様だ。
「そ、そんなに笑わなくてもいいだろ……」
「だって、トレーナーさん必死な顔でほっぺた真っ赤ですし……ふふっ、笑わないなんて無理ですよ……っ」
「し、仕方ないだろう。……とっさに良い言葉が思い浮かばなかったんだから」
遂に目を逸らしてしまったトレーナーさんがおかしくて、あたしの口元はまだ緩みっぱなしだ。
……ふふっ。でも、からかうのはこれくらいにしておこう。
コホン、と小さく咳払いをして、空気を入れ替えるように一つ深呼吸をする。
ふぅーっ……うん! 喉の調子もばっちり。それじゃあ、トレーナーさんのリクエスト、叶えてあげないとね。
「……それじゃあ、そろそろ歌おっかな」
「えっ?」
「トレーナーさんがリクエストしたんですよ? それとも、やっぱりやめときます?」
なんて、少しだけ調子に乗ってパチンとウインクを向けてみる。
慌てるかと思ったのに、視線の先のトレーナーさんは、冗談すら通じないような真剣な瞳であたしをじっと見つめ返していた。
その静かな熱に、からかうつもりだったあたしの方が、思わずドキッと胸を鳴らしてしまう。
「いや、聞きたい。……さっきの言葉、冗談なんかじゃないから」
……やっぱりズルいな。どんなに照れても抜けていても、結局あたしが一番欲しい言葉をくれるんだから。
真っ直ぐに射抜いてくるその瞳を、あたしも逃げずに見つめ返した。
「……分かりました! それじゃあ聴いてくださいね、あたしの歌声を!」
この歌に、あたしの想いを全部乗せて――
あなたの胸の奥まで届くようにと願いを込めて、あたしは大きく胸を膨らませる。
大丈夫。今のあたしなら、きっと。
「……ああ、聞かせてほしい。俺にとって一番大切な、君の歌を」
その力強い言葉に、じんわりと胸の奥が熱くなる。
快晴の空の下、観客はただひとり。彼のためだけの、あたしの特別なコンサート。
いつまでも、この歌声があなたの胸に響き続けますように――。
そんな祈りを込めて、あたしは静かに歌い始めた。