誰か治療して助けてくれ。
「……知っている天井だ。また、また僕は
貴方が目覚めたのは慣れ親しんだ自室の布団の上だ。幼少期に忙しい両親の代わりに祖父母の家で過ごすことの多かった貴方は部屋のコーディネートも和室に偏ってる。既に習慣となっているため布団をイチイチ片付けることにも抵抗は無い。
視界が定まらないまま少し離れたテーブルの上に置いてある携帯用タブレット端末を掴んだ貴方は日時を確認する。12月の半ば、学校は冬休みが始まっておりクリスマスまで1週間ほど。外が明るくなるのは天気次第ではあるが2時間も必要としないだろう。
ゆっくりと、繰り返し、貴方は手を握ったり開いたりを繰り返している。反対側の手で腕の形を確かめるその動作は、まるで
『おはよう、キミ。今回も目覚めてしまったね。体調の方はどうかな? ワタシの見たところ、特に異常はなさそうだけど』
同じ動作を2度、3度と繰り返す。
するといつの間にか、貴方の目の前には少女が立っていた。
「おはようございます。この通り、鉄骨に潰されてグチャグチャになった腕もスッカリ完治しました。少し……少しだけ、記憶にコビリ付いた赤錆のニオイが残っているのが不快と言えば不快ですけど」
『記憶がリセットされないのは好都合だけれど、死の気配までセットになって付いてくるのは嬉しくない要素だね。だからこそ警戒心が磨かれている、という事実は否めないが』
貴方の言葉に喜びの感情を刺激されたのか、少女の両眼は優しく微笑んでいる。その存在がヒトとは成り立ちが異なることを示すように鈍く赤黒い光を宿しながら。
貴方と少女の会話は第三者が聞けば意味がわからないか、もしくは架空の設定を用いた言葉遊びのようなモノとして受け取ることだろう。それは例えば妹のゴッコ遊びに兄が付き合っているかのように。
しかし貴方と少女の会話はタダの事実確認でしかない。貴方の腕は確かに崩れ落ちる鉄骨に潰されている。崩壊する廃墟からの脱出に失敗し、崩落してきた天井の瓦礫に脳髄を磨り潰されるその瞬間まで、貴方は激痛を伴いながら肘から先の消滅を視認していた。
さらに、もう少し貴方たちの会話について補足するのであれば重要な事項がひとつ。貴方の声は誰にでも聞こえるかもしれないが、少女の声は誰にも聴こえないことだろう。
『身体が動くなら結構。なら、すぐにでも準備を始めよう……と、言いたいところだが。こんな早い時間から部屋でゴソゴソしていたのではキミの家族が心配してしまうかもしれないね?』
「そう……ですね。これまでの“ループ”でも事が起きるタイミングはほぼ変わっていませんし、今回もお昼頃までは大人しくしていようかなと思っています。下手に危険物を持ち歩くワケにもいきませんから」
『フフフ……。いまのキミなら、人間ひとりぐらいは素手で解体できると思うけどね。返り血も、残される肉の塊も、全てはワタシへの贄として献上されるのだから、跡始末についてキミが心配するようなこともない』
「まぁ、僕も、だいぶ……慣れました、ので。もう吐き戻すこともないと思います。えぇ、今回も上手くヤれると思います。……あの」
『なんだい?』
「人数が増える可能性とかも、あったりするんでしょうか? こう、ゲームとか漫画とか……タイムリープを扱う映画とかでも、ちょっとした行動で次の周回に変化が起きるじゃないですか。だから、いつもはふたりしかいないターゲットが、3人に増えている……みたいな」
『それはワタシにもわからない。この時間が巻き戻る現象はワタシがキミに与えた恩恵とは無関係だし、そもそもワタシ自身も巻き込まれている側だからね。そういう概念に干渉できる存在に心当たりが無いワケではないけれど』
「そう、ですか」
『ただ、キミの肉体に起きている変化は別枠だよ。それはワタシの恩恵と契約によるものだ。肉体と魂の再構築は、ワタシに捧げた贄に応じてキミという存在が強化されるのは間違いなくそう。ま、だからこそ引っ掛かるんだけど……』
「感謝していますよ僕は、それに関しては特に。お陰様で、僕は何度でも家族を護ることができるワケですから。それさえ、願いが叶うなら。それさえ……運命を捻じ曲げられるなら、魂を捧げる相手が【邪神】だって構いません」
『おっと、魂は契約に含まれていないからクーリングオフの対象にさせてもらうよ。それに、儀式が完了した暁にはキミは日常に戻れると説明しただろう? この悪趣味な時間の牢獄から脱出できた後のことも考えなよ。幼馴染の女の子に贈るプレゼント選びも楽になったんだから』
「ある意味、それが1番チートっぽく感じてしまう辺り、僕の精神も順調に異常に蝕まれている気がします……喜んでもらえるのは素直に嬉しいですよ。でもループのたびに、次の周回では忘れられてるのだけが悲しいですけど。はぁ〜」
貴方は携帯をテーブルに戻し、記憶のスイッチを探すように額に手の甲を当てながら横になる。繰り返すループの中で何度も攻略してきた最初のイベント【幼馴染とのお出かけ・水族館】のスケジュールについて考えていた。
1回目を含め、水族館でトラブルが起きたことはない。そして、今回も恐らくは無事に施設から出てくることが期待できるだろう。何故なら貴方が少女と出会う切っ掛けとなったイベント【強盗による両親及び妹の殺害】は帰宅中に発生するのだから。
阻止する手段について、貴方はイベントフラグはもちろん身体能力としても充分に備えている。
水族館でのひとときを終えた後、貴方は幼馴染が興味を示していた隠れ家のような洋食店で食事をしようと提案したのが1回目の世界線だった。本来なら予定になかったイベントを済ませて帰宅したときには、貴方は全てが手遅れであることを警察官に教えてもらうことになる。
故に、貴方は2度とスケジュールを違えない。貴方も幼馴染も高校二年生なので、冬休みの時間はまだまだ自由に使える。気になる洋食店には別の日に改めて足を運べば良い。今回も、貴方はそうするつもりだ。水族館でのひとときを終えた後は幼馴染を送り届け、歩いて5分も必要としない自宅まで、何事も無いかのように戻る。
降雪の影響で外は暗く、視界も不明瞭。
貴方はその環境を利用すれば良い。
きっと、表の大通りから数本分ほど入り込んだ路地に駐められた車を気にする者はいないだろう。運転席と助手席に座る人物らがスーツとネクタイで身嗜みを整えていれば尚更のことだ。
この世界で、現時点で、その二人組がメディアの片隅で話題に取り上げられている強盗犯だと知っているのは貴方だけ。二人組は貴方のことを知らない。なので困ったような表情で軽くノックすれば、きっと今回も無警戒のまま窓を開けてくれる。
この思考は最早、貴方にとっては何度も始めからを選んで遊んでいるゲームのオープニングイベントを眺める感覚に近い。ジュースやお菓子を口に運びながら「今回はどんな遊び方でプレイしようかな」と考えながらボタンを押してメッセージを消費している気分と変わらない。
再び携帯端末に手を伸ばす。
時間を確認した。
朝食の時間は近い。
約束の時間を考えれば貴方には二度寝をする権利があった。
家族を失う前の人生であればそれはとても魅力的な誘惑だが、様々な分野について優先順位の入れ替えが発生している“いま”の貴方にとっては意識の覚醒こそが大事である。
喜ばしいことに貴方は最初のイベントで失敗したことはない。しかし、今回も同じようにスムーズに完了できるとは限らない。誰もがスケジュールが狂ったその瞬間に思うのだ。まさか、こんな、と。
失敗を取り戻す手段はある。
だが、それは彼女へ頼ることで解決するという他力本願な手段でしかない。
既に貴方は彼女の奇跡に助けられているので、自力で解決できる問題は自力で解決したいと考えていた。
死者の復活。ループが始まる前の世界線で彼女に願った奇跡の対価として、貴方は穢れた魂を集め贄として捧げることを約束している。なので、もしも失敗したとしても貴方が集めなければならない穢れた魂が増えるだけのこと。
だからこそ安易に頼るのは危険だと貴方は判断した。対価を捧げることについて罪悪感を覚えているから、ではない。彼女に頼ることに慣れてしまい、家族を護りたいという“自分自身の誓い”から価値が消えてしまうことを恐れているのだ。
自分勝手な、自分本位な理屈であることは貴方も自覚している。その上で開き直っているのだ。いまさら人間性を保つために耳に心地良い綺麗事を口にする程度の覚悟であれば、最初から両親と妹の死を受け入れるべきだったと。
右手を見る。
前回に失われ、今回も再生した右手を、
握って、
開いて、
握って開く。
何気ない動作を繰り返すなかで、貴方は自分が矛盾した思考の流れを生み出していることに気が付く。
慣れているのだから上手くいくと言いながら、油断すれば取り返しのつかないことになると恐れ慄いている。
最大限の努力をしなければならないと気持ちを奮い立たせながら、既に神秘に触れているのだからと弁明している。
その不安定な思考に貴方は安堵を感じているのだろう。完璧でロジカルな考え方だけを実行できるとすれば、それは人間の姿をしているだけの別のイキモノでしかないとさえ思っている。
やがて微かに残る、最後に嗅いだ血の匂いを洗い流すように。どうやら朝食の時間が近くなったらしく、貴方の母親が調理しているバターの焦げた香り────後悔と憎悪の記憶と結びついた、ほうれん草とベーコンのソテーが用意されていることを伝える香りが貴方まで届く。
「僕、朝食、食べてきます」
『ゆっくりしっかり味わっておいで。1年間の良し悪しが元旦の過ごし方に左右されてしまうように、良い1日を過ごすためには良い朝食が必要だろう?』
「もの凄くいまさらですけれど、そういう話をされると……失礼ですが、本当に邪神とは思えませんね。見た目のせいもあるかもしれませんが」
『ご期待に添えず申し訳ないね。残念だけど、旧い混沌の神々って誰も彼も結構テキトーだよ? ファミコンとクソゲーを何本か献上すればゲラゲラ笑いながらキミに恩恵を与えてくれるハズさ。今度、誰か紹介しようか? 髪型やバストのサイズに希望があれば聞くよ』
「スミマセン、僕、まだ人間でいたいので……」
『それは残念。それじゃあ今日も、幼馴染の女の子との素敵なデートと────キミだけが覚えている復讐を楽しもう。今回が最後であることを願いながら、ね』