貴方が家族を失った最初の世界線で、貴方を一生懸命に励ましてくれたのは幼馴染の女の子だ。もちろん、女の子の両親も娘が想いを寄せている貴方のことは気に掛けて可能な範囲で手を差し伸べてくれていた。
もしも貴方に女の子や夫婦の優しさを理解できるだけの余裕があれば、あるいは家族の死を受け入れて前に進むこともできたのかもしれない。だが普通の高校生である貴方に“自分が遊びに出かけている間に家族が殺された”という現実はあまりにも重すぎたのだ。
誰かの親切を素直に受け止めるためには、相手の人間性を信用するだけの心の余裕が必要だった。
時間の流れが破綻したループに囚われている現状でも、貴方は初めて世界が巻き戻ったときのことを記憶している。電車とバスを利用して、確実に誰も救助が間に合わないように、住所も知らないような廃墟の中で吊るしたロープと向き合った光景を忘れていない。
次に目覚めたとき、貴方は女の子と水族館に出掛ける約束の朝だった。そしてそれは、貴方が家族を失う運命の朝でもあった。そこに至るまでの出来事は全て夢だったと貴方が信じてしまったとして、いったい誰が咎められるだろうか。結末を知っていた貴方は、自分が家族を見捨ててしまったのだと絶望したことだろう。
だから、貴方が彼女と初めて出会ったとき。ついに発狂して幻覚と会話出来るようになったと貴方が思い込んだのも仕方のないことだ。
神を名乗る少女の幻覚を相手に、神を名乗るのであれば奇跡の力で両親と妹を蘇生してみせろと貴方は投げやりに問い掛けている。
それが出来るのであれば、喜んで新しい信徒のカタチとやらの実験台になってみせると。
そのために贄として見ず知らずの他人の命を使えるというのなら、いくらでも掻き集めてやると。
そして奇跡は行使される。
そして契約は締結される。
「……いつものことながら、すまないね。申し訳ないとは思っているんだが、やはり父親としては、信頼できるキミに娘を送り届けてもらえるのは本当に助かるんだ。いまは時期的にも日が落ちるのが早いから余計にね」
「気にしないでください。僕の自己満足みたいな部分もありますから。それに、ほんの数分もしない寄り道ですよ、こんなの。あまり薄情なマネをして妹に嫌われても面倒ですし、本当に気にしなくて大丈夫です」
「ははっ、ありがとう。ところで、話は変わるんだが」
「はぁ」
「私はね、笑って許せる範囲であれば、若さ故の失敗はアリだと思うんだよ。大人になると実感するんだけど、成功よりも失敗から学んだことのほうが後々役に立つことが多いんだ」
「はぁ」
「だからね、キミが責任感のある男だと見込んで話すのだが────卒業式で娘のお腹が不自然に膨らんでても私は一向に構わんッ!!」
「なに言ってんですかアンタ」
わざわざ妻と娘を家の奥に戻してまで下世話な話題を持ち出す男性の姿を見て、貴方が感じたのは喜びと後悔だ。神秘に触れてヒトの枠から外れた力の欠片を手にしたことで心に余裕のある貴方は、男性の気遣いを素直に受け入れることができる。
貴方自身は女の子との将来について前向きに考えている。正義だけでは生命を護ることが出来ないと知っている貴方は、自分が犯した殺人という明確な罪に対してあまり深刻に受け止めていない。必要だから行動した、それを他人が悪だと定義するなら自分はきっと悪人なのだろう。その程度の認識だ。
真に裁かれるべきは悪徳の者。
現実に裁かれるのは弱き者。
法律も秩序も規律も全ては強者が弱者を思い通りにコントロールするための暴力でしかないと貴方は考えている。もちろん積極的に破ろうとまでは思っていない。貴方はまだ、自分に危害を加えない者にはあまり迷惑をかけたくないという前提で行動するだけの理性があった。
その上で、貴方は女の子が自分を慕ってくれるのであればそれで良いと思っている。夫婦が自分を認めてくれているならそれで良いと思っている。真実を告げる行為は罪の意識を薄めるためのモノであり、家族のために罪を重ねることが誇りである貴方には無縁の話だ。
「あっはっは! ま、それだけ私たち夫婦はキミのことを気に入ってるということだ。信頼の証だと思ってくれていいよ。だからまぁ、キミさえ良ければ今後も自由に連れ出してやって欲しい」
「バイト代の許す範囲でなら喜んで」
「結構、結構。それもまた甲斐性というものさ。無理にお金で見栄を張ったところで、そんなものはプラスチックのオモチャを本物の宝石だとゴリ押して誤魔化すようなものだからな。では、キミも気を付けて帰りなさい」
「はい、失礼します」
振り返り帰路につく貴方は男性の視界から外れるまで薄暗い笑いを堪える必要がある。短い距離でありながら男性は貴方が無事に帰宅することを気遣ってくれたが、貴方はこれから積極的に危険に近付く必要があるからだ。
貴方は1度、自宅のある方向に道を曲がる。
それは男性を安心させるためのカモフラージュであり、貴方は回り道をして目的の車を探すため早足で移動を開始していた。ターゲットの車種、色、ナンバーを貴方は記憶している。ループの中でそこが変化したことは無い。
唯一の不安材料は駐車位置だけであった。完全な行動再現が不可能であることから、大凡の範囲は変わらないが誤差は必ず生じている。幸いにして多少ではあるが死の気配を読み取れる貴方は強盗が待機している方向に目星をつけることが可能だ。
それが強盗たちがこれまで殺害してきた被害者によるモノなのか、それともこれから貴方が殺すという運命に紐付けられたモノなのかは不明である。貴方も真実に興味は無く、求めているのは無実の復讐という家族を護るための自己満足だけだ。
気配を頼りに目的の車両を発見した貴方は、姿を見せる前に深呼吸を繰り返し手順の確認をする。いくら精神の不安定さが人間性らしさだと自分に言い聞かせたからとしても、決して間違えてはならない場面でそれを許容するワケにはいかないのだから。
まずは運転席と助手席にターゲットの姿があるか確認する。この時点で彼らが顔を隠していたことはないので人違いが起きるリスクは少ないだろう。
そのまま車両に近付いたところで足を止め、車両の下を覗き込むような動作を見せつける。まるでなにかを発見したかのように指差しを繰り返してから窓をノックする。
これは貴方の経験則でしかないが、強盗たちは自分が殺される可能性について全く考えていない。それは自分を奪う側として認識している者ならば珍しくもない慢心なのかもしれない。
3秒。
これで足りる。
これで終わる。
貴方が強盗犯の排除に使用するのはループの中に持ち込むことに成功した拳銃だ。神秘に触れた貴方はライトノベルに登場する多くの転生者のように、自由に物品を出し入れすることが出来る。
違いがあるとすれば、それは誰に与えられたかもわからない能力ではなく、彼女から与えられた恩恵であるということ。人間である貴方が神の神秘を行使するためには対価を支払う必要があるのだ。
その道具の秘匿を利用する間、貴方は決して満たされることも無く癒されることも無い飢餓に襲われ続けている。胃袋のキャパシティを超えて寝返りすら苦しいほどに食べ物を無理やり詰め込んだとしても、決して、絶対に、消えることの無い餓えに。
空腹感に耐えるだけなら余裕だろう。彼女から話を聞かされた貴方は簡単に考えていた。100円ショップで売られているようなライターをひとつ収納しただけで、3日目には発狂の兆しが現れた。貴方は食欲が人間の三大欲求と呼称される意味を理解する、飽食の時代では貴重な体験を得ることができた幸運な人間とも言えるだろう。
ゆっくりと。
深呼吸、ひとつ。
貴方はまだ武器を取り出さない。持ち歩くところを見られるリスクを避けるために飢餓感という対価を支払っているのだから。加えて、収納はもちろん実体化にも対価は求められる。ギリギリまで貴方は神秘を使わないように気を付けねばならないのだ。
ゆっくりと。
死の気配が、ふたつ。
貴方は車を正面に見える位置へ。
「…………ッ?!」
想定外の事態に貴方は息を呑んだ。
薄暗い中でも判別できるほど色が違う。
形状も、つまりは車種が違う。
当然のように割り当てられているナンバーも違う。
なによりも、運転席と助手席の様子が違う。人間がふたり、合致している情報はそれだけだ。貴方の家族の命を弄んだ強盗犯は二人組の男でなければならない。運転席で俯いているほうはともかく、助手席で眠るように頭が傾いている人物は女性的な髪形をしていた。
貴方は動揺している。
これは、誤差と呼ぶにはあまりにも大きな変化だ。
少しでも冷静さを取り戻すために、貴方は敢えて事前に想定していた通りの行動を開始する。人違いならそれでいい。例えばひと言「車の下に猫が潜り込んでいるので気を付けてください」と嘘をつくだけでも充分に誤魔化せるだろう。
一歩。
冬の乾燥とは別に、喉の渇きが鬱陶しい。
二歩。
拳銃の実体化はギリギリまで抑える。
三歩。
死の気配は相変わらず車から流れていた。
緊張のあまり貴方の口元は歪に微笑む形になっていた。
復讐を果たすために頭部へ弾丸を撃ち込む作業にはすっかり慣れたというのに、状況の変化に対応できず歩いて接近するだけで嫌な汗が背中を流れていることが可笑しいのだ。
それでも貴方は車に接近する。
この変化がループから脱却するためのヒントになるかもしれないから。
そして。
「死の気配の正体は、コレか。そりゃあ、本人たちが“死体そのもの”ならそうなる……か」
男性がひとり。
女性がひとり。
側頭部に穿たれた穴から流れた血液は窓越しでも黒く変色しているのがわかる。
貴方は彼女の恩恵により死の気配をある程度まで感知できる。強盗犯たちがこれまで殺害してきたであろう、被害者たちのソレが纏わりついている匂いを嗅ぎ取ることでターゲットの位置を探し当てていた。
しかし貴方は神そのものではない。彼女の恩恵を完全に使いこなすためには人間から外れる必要がある。人間のままであることを望む貴方では、死の気配を感じることはできても正確に識別することはできないのだ。
貴方は迷う。
ここは、素直に警察に通報するべきか? と。
仮に潜伏場所が離れていても、パトカーのサイレンが近付けば犯行を諦めるかもしれない。復讐を果たせないのは心残りとなるかもしれないが、家族を護るという最優先事項は完遂される。
貴方は完璧な超人ではない。それでも彼女に捧げる贄を求めて相応の修羅場は経験していた。死体を前に優先順位をどうするべきか、冷静に考えるだけの余裕はあった。
「────ちょっと、そこのキミ」
しかしその思考も、ドロリと粘液のように背後から這いずり寄ってきた死の気配により中断される。
「ふぇあッ?!」
貴方は大袈裟に驚いて振り向いた。
一般的な男子高校生は、死体を目撃したところに背後から声を掛けられて冷静に向き直るようなことはしないという咄嗟の判断である。
「キミ、ちょっといいかな?」
「いや、あの、僕……道を、その、車の下に猫がいて……危ないから教えようと思って近付いたら、人が……人が……ッ!」
「落ち着きなさい。見ての通り、私は警察官だ。そして、キミがこの人たちに危害を加えたのではないことは
「そ、そ、そうですか……あの! 僕、本当に違うんですッ!!」
「わかってる。わかっているから、ほら、ゆっくり深呼吸して落ち着きなさい」
中年男性の警察官に促されるまま深呼吸をしながら、貴方は非常に危険な状態まで追い込まれたことを理解していた。
世界的に見て治安の良い日本で、タダの警察官が濃厚な死の気配を纏う理由とはなにか?
それに、警察官は貴方が車内の男女を殺害したのではないことを“知っている”と発言している。
「キミ、ひとつ確認したいことがあるんだけど……いいかな? あぁ、もちろんだけど、このカップルの死因についてじゃないよ。ちょっとね、確認しなければならないことがあって」
「えっと、はい……」
「よしよし、だいぶ落ち着いてきたね。それじゃあ私の質問に答えてほしいんだけど」
「いままで……今日ね、本当ならここに現れるハズだった強盗犯を殺害していたのはキミかな?」