警察官の言葉を理解した瞬間、貴方は身を隠したいという衝動に襲われた。
貴方は完璧な超人ではない。
貴方の覚悟を支えているのは天才的な閃きではなく、地道に積み重ねた経験値である。ループ世界に囚われる前から危険に飛び込むことを繰り返し、失敗するたびに彼女に再構築され復活することで得られた経験こそが覚悟の礎なのだ。
もちろん豊かな経験は貴方の想像力を広げることに貢献したのだろう。様々な“もしも”が起こり得ると想像し、より効率的に穢れた魂を集めるために準備する。貴方はそうやって彼女に捧げるための贄を探しては狩りに出掛け続けている。
そうした地道な努力は貴方の美点であると同時に弱点でもあった。
普通のヒトは想定外の事態に動けない。
想像が足りていなかった事態を処理できない。
それは言葉通りの意味であり、想定していなかった出来事だから想定外という表現が使われているのだ。
「あ……う……うぅ……ッ!?」
うめき声が漏れる。
貴方は動揺を隠せない────否。貴方は動揺を隠さないことを選択した。揺れ動く感情をそのまま吐き出してしまうことで、頭の中をクリアにするために。副次効果として警察官の油断を誘えるのであれば、ノーコストなのだから試す価値はあるだろう。
弱い、という事実は時と場合によっては武器になる。
貴方は弱者だからこそ使える手段もあることを知っていた。
「うんうん、その反応だけでも充分かな。別に詳しい事情を聞きたかったのではないから。もしかしたらキミも私と似たような力を持っているのかもしれないけれど、私とキミは違うだろう? だって、キミはタダの子どもで、私は警察官なのだから。法と秩序が認めた正義の味方である私のやる事は全て正しくて当然なのだから」
警察官がゆっくりと拳銃を引き抜くのを見た瞬間、貴方は迷わず背を向けて全てのリソースを逃走に振り切る。
幾度の再構築により貴方の肉体は常人よりも強化されているが、それでも人間の常識の範疇からは大きく外れていない。カッターナイフでも肉は切れ血が流れる。拳銃の弾丸など受け止められるものではない。
つまり防御は全く期待できない。しかし回避なら余程期待できる。野生動物の如く研ぎ澄まされた反射神経と瞬発力、そこに死の気配を嗅ぎ分ける力が加わることで、貴方は物理的な干渉には有利に立ち回ることが可能なのだ。
とはいえ、相手が持つ武器の特性を考えれば直線は不利。
貴方は車を遮蔽物として利用することに決めたのだが。
「────ぐッ?!」
額から後頭部まで貫く不快感。
それが命の危険を知らせるサインであることを理解している貴方は咄嗟に真横に飛ぶ。いまはまだ“背後で銃を構えた警察官が発砲したら正面から弾丸が飛んできた”という現象について疑問を持つ余裕はない。
転げ回るように隠れることに成功した貴方が抵抗するためには、秘匿してある拳銃を実体化する必要があるだろう。
しかし貴方はその選択肢を消去した。
ひとつ。貴方は物品を実体化させるために、対価として血液を捧げる必要があるから。その度合いは貴方がその物品をどのように認識しているかで変化する。
手札の中で最も強力な暴力装置である拳銃を実体化するとなれば、貴方は貧血に伴う頭痛、目眩、吐き気に襲われてしまう。戦闘中のそれは、不意打ちでもなければ致命的な隙となるだろう。
ふたつ。相手が本物の警察官であるならば、拳銃の扱い方について訓練などで正しく身に付けているハズだから。同じ武器を使用するのであれば、熟練者が有利なのは考えるまでもない。
追い込まれた貴方は考える。
思い出す。
記憶を探る。
現状をこれまで経験したパターンと照らし合わせ、出来る範囲で警察官の行動を予測する。ここまで得られた断片的な情報だけでも相手は自分をターゲットに設定していたと推測できるので、それを追い詰めたのであれば多少の慢心や油断が芽生えているかもしれない。
貴方は期待する。
警察官の自分語りが始まることを。
「正直、困るんだよねぇ。勝手なことをされてしまうと」
貴方は邪魔をしない。
警察官の自分語りを止めてはならない。
「キミ、日曜日の朝にテレビとか見ないのかな? 最近の若い子は小さいときからインターネットがあるとはいえ、1回ぐらいは戦隊ヒーローとか見たことあるでしょ? だったらさぁ……わかれよ、それぐらい。悪党をやっつけるのは正義の味方の仕事なの。キミたち一般人の仕事じゃないでしょ?」
「オマエたちはさぁ……舞台装置、だろ? なぁ、キミ、見たことあるだろ? テレビでもマンガでもなんでもいいけどオマエも見たことあるでしょ? キミたち一般人の役目は悪者に殺されてヒーローに助けを求めて最後には涙流して感謝するのが役目でしょ? オマエたち一般人は警察官である正義の味方であるヒーローであるこの────オレッ!! ……に感謝するために生きてるってわかれよ……それぐらいはさぁ……」
「キミ、あの強盗犯たちに誰か殺されてしまったんだよね? 家族か、友だちか、恋人かは……エキストラの事情なんて知らないし興味も無いけど。どうやって、今日、ここに、連中が現れるって、どうやって知ったのかは知らないけど。だけどさぁ……ダメだよ、一般人のキミが人殺しなんてしたら。キミは警察官である私に助けを求めて、それで、無事に事件が解決したら誠心誠意ありがとうございますって言ってればそれでいいんだよ? ねぇ、わかる? ちゃんと私の話、聞いてるのかな?」
「……だったら。アナタが警察官で、正義の味方だって言うなら」
返答か、沈黙か。
質問を投げ掛けているようで実は相手の話を聞くつもりなどないパターンであれば、応答することで機嫌を損ねてしまうリスクがある。
だが会話が成立するのであれば多少なりとも情報を引き出せるかもしれない。それが喜ばしいことかは別として、貴方にとっては彼女以外で初めてループを認識している存在だ。リスクに見合うだけのリターンを期待したくなったのだろう。
「今日、ここに現れるハズだった強盗犯のことを知っていたんでしょう!? だったら、アナタが逮捕してくれれば良かったじゃないですか! 知ってるなら、もっと前に! もっともっと前にアナタが逮捕してくれていれば、僕はッ!!」
演技ではあるが。
完全な嘘ではない。
これには貴方の本心も含まれている。仮にこの警察官が自分よりも先にループ世界を体験していて、貴方から家族を奪った二人組のことを知っていたのであれば。悲劇が起きる前に行動してくれていたのなら。
「いや、キミ、なにを言ってるんだい? それじゃあダメに決まってるじゃないか。ヒーローっていうのは、巨大な悪を倒さなければいけないんだよ? もっと、もっと、もっともっともっと日本全国で話題になってエキストラどもが誰も彼も誰も皆みんな全員が注目するぐらいの凶悪犯じゃなければさ……それを、捕まえた私の、ヒーローとしての格付けが落ちるかもしれないじゃないか。わかるでしょ? ホラ、最後の悪足掻きとして巨大化する怪人をさ、合体ロボットで倒すシーン。アレ、テレビを見てる子どもたち皆が期待してるでしょ? それと、一緒」
警察官の言葉を聞いた貴方は、まるで全身の血液が急速に凍り付くような感覚に陥った。
犯罪者を取り締まるべき立場の者が、自らの実績とするため意図的に犯罪者を見逃していた。しかも、より高い名声を得るために犠牲者が増えることを期待していた。
貴方は自分に正義は無いと確信している。
家族を取り戻すため、貴方は他者の命を奪うと決意した。そのときに善性は捨て去ることを誓い、恩人である彼女のために積極的に贄として穢れた魂を捧げる狂信者になったつもりだ。
故に、貴方は自分以外の狂人を批判できる立場ではない。少なくとも貴方自身はそう考えている。己の欲望を満たすために他者を食い物にしているのだから、自分もこの警察官と同類なのだと気付いている。
しかし、貴方は人間だ。
感情に生きる動物なのだ。
「……イカれてるよ、アンタ」
「ハハッ。いいね、面白いよキミ。そのセリフが聞きたかったんだ私は」
「なに、を」
「────この場面で、キミの、そのセリフ。これで
その意味を理解するため、貴方の思考も動作も一瞬だが完全に停止する。
今、すぐにでも動かなければならない。なにかアクションを起こすか、或いは新たな逃げ道を確保しなければならない。そこに気付いたときには既に、背中から鉄の杭で貫かれたかのような不快感。
「ばんっ」
「ぐぎぃぁ……ッ?!」
警察官の巫山戯た掛け声に合わせ、貴方の胴体を弾丸が貫通する。
「1回目のときにさ、車の裏側に逃げられて少し……面倒だったからね。2回目はそこに
「状、況……さ、いげ……ん……」
「例の強盗犯、この私が捕まえて表彰されるハズなんだ。でもね? いつからからパッタリ犯行が無くなってしまってさ。色々と調べたり、まぁ、私なりに頑張って調査したんだ。そしたらいつだったかのループでさ、今日、ここに、強盗犯が車内で殺されているってニュースを見たんだよ」
「まったく酷い話だと思わないか? 人の手柄を横取りして、人の楽しみを邪魔して、人の幸せを奪うなんて。だから、私は、探したんだよ。きっと神様も私が幸せになることを願ってくれているんだろう。時間を巻き戻して犯人を探す手伝いをしてくれるんだ」
「だけど困ったことに、なかなか犯人が見つからない。どうしても強盗犯たちは殺されてしまう。それどころか、途中からは死体が無くなって車両だけが残されているし、さらには車両すら無くなってしまうしで本当に困ってしまったんだよ」
「だけど、簡単に諦めるのは正義の味方として正しくないよね? だから私は考えたんだ。考えて、考えて……偶然、ネットで知ったから試してみることにしたんだ。無いものは私が補填してあげればいいって。つまり────
「いやぁ、代わりを用意するのはともかく、運んでくるのが思いの外大変だったねぇ! それに、キミがいつ現れるかわからないから早めにセッティングしないといけないだろう? 騒ぎになると困るから、勝手に近付こうとする部外者も処理しないといけないしで本当に大変だったなぁ〜。……余計な手間ァ取らせやがって。ガキの分際で、大人の仕事を邪魔しやがって────よォッ!!!!」
「ぎゃぼぉッ?!」
失血により満足に筋肉を動かせない貴方の身体は、警察官に蹴り飛ばされるまま地面を転がった。この状況で対価を支払い拳銃を実体化させるのは自殺行為であり、仮に実体化までは上手く出来たとしても引き金を引くための余力が無い。
だからこそ貴方は考える。まだ脳髄は機能している。失血で身体は動かなくても、激痛のおかげで意識を手放さずに済んでいる。抵抗は無駄だからこそ、貴方は残された全てのリソースを思考に使える。警察官が勝利を確信して油断しているこの時間さえも貴方にとっては貴重な資源だ。
肉体の再構築か。
時間の逆行か。
どちらにせよ貴方がやるべき事は決まっている。
殺すべき相手が3人に増えた。
ギリギリまで情報を整理し、ギリギリまで、銃口を貴方に向けている警察官の顔と気配を記憶する。
「キミは警察官である私がヒーローになることを邪魔をした。これは立派な犯罪だ。公務執行妨害罪で銃殺刑が妥当だよ。死んであの世で反省し続けなさい、クソガキ」
その死を受け入れた貴方は最期に思う。
この感覚はタイムリープのほうだな、と。
そして次に貴方が目覚めたのは。
「……マジで? これアレじゃん。ゲームならシステムメッセージとかで“チェックポイントが更新されました”とか表示されるヤツじゃん。僕、一方的に殺されただけでなにもしてないんだけど」
貴方が巻き戻されたのは、幼馴染の女の子を家まで送り届けた後。家の前で見送ってくれている男性の視界から外れるため角を曲がった直後であった。
これは貴方にとって、とても都合の良い想定外だろう。持ち越した情報を有効活用するには少しばかり時間が足りないが、胸の内側で渦巻く強烈な殺人衝動を抱えたまま女の子とデートをするよりは気楽なものだ。