1
「むさえ~あんた起きなさい!」
「ん~なーに姉ちゃん?」
姉、みさえの呼ぶ声で小山むさえは目を覚ました。時計の針はもうとっくにお昼を回っている。
小山むさえ26歳。脱サラしてカメラマンの助手をしていたが、夢に破れ、今は姉の野原みさえの家に居候をしている。
「もう、まったく、あんたって子は。」
みさえは妹の怠惰な生活に呆れながら、冷めた朝食をテーブルに並べた。
「まあまあ、姉ちゃん最近きれいになったよね~。肌のつやが違うっていうか。」
「え?ほんと!うれしい…ってごまかすな!」
「あ、ばれた。ははは。」
むさえは無気力に笑った。
「そんなことよりあんた、ご飯食べ終わったら面接に行きなさい。」
みさえは一枚の紙をむさえの鼻先に突きつけた。
「へ?面接?なんの?」
「アルバイトよ、アルバイト!!隣のおばさんが、知り合いの飲み屋さんで募集してるって教えてくれたんだから。」
むさえがその紙をまじまじと見ると、そこには癖のある字でこう書かれていた。
スナックお登勢
18時から24時 週3から7まで
時給 1100円
履歴書 不用
面接時 私服可
と書いてあった。
「履歴書不用って大丈夫なの?姉ちゃん」
「隣のおばさんの紹介なら大丈夫でしょ。さ、早くご飯食べてさっさと面接行きなさい。行かなかったら今日は晩御飯ぬきよ!」
「げっ殺生な…」
むさえは仕方なくご飯をかき込み、準備を始めた。
2
「ここ……であってるよね」
むさえは目の前の看板と紙を交互に見比べた。
『スナックお登勢』は、少し年季の入った二階建ての建物の、一階に構えられていた。
「よし……行くか」
覚悟を決め、ガラガラと引き戸を開ける。
「すみませーん、張り紙を見てきたんですけど……」
3
「ふ~ん、あんたが北本さんの紹介の子かい。」
「は…はい。」
むさえの固めた覚悟はもうすっかり委縮していた。
カウンターの中で煙草をくゆらせるのは、和服を着た凄まじい威圧感の老婆。その強面ぶりに、むさえは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
(ひえええええ!怖いいいい!)
むさえは心の中でビビり散らかしていた。
「あんた、名前は?」
「こ、小山むさえですっ!」
「そうかい。じゃあ、さっそく仕事をやってもらおうか」
「へ?」
「へ? じゃないよ。採用だって言ってんだ。ほら、たま!」
お登勢が奥に声をかけると、緑色の髪に白いエプロンをつけた、どこか無機質なほど整った顔立ちの少女が現れた。
「はい。お登勢様。」
「新入りのむさえだ。こいつを連れて、上にいるバカから家賃をぶんどってきな。」
「承知いたしました。むさえ様、たまと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
「は…はい、小山むさえです!よ、よろしくお願いいたします。」
むさえは慌てて自己紹介をした。
(無機質な声でバカ丁寧にあいさつされちゃった。あ~びっくりした。)
むさえは心の中で冷や汗をかいた。
4
「上にいるバカって、この上のことですか?」
「はい。万事屋銀ちゃんの店主、坂田銀時様。お金にだらしなく、家賃を滞納するクズ野郎でございます」
たまは丁寧な口調で容赦のない罵倒を吐きながら、外階段を登っていく。二階の扉の前で、彼女はピタリと止まった。
「インターホンを鳴らしても居留守をされる可能性が高いです。実際やってみましょう」
ピンポーン、とたまが鳴らす。
「銀時様、家賃の回収に来ました。開けてください」
返事はない。しんと静まり返っている。
「やっぱり、いないんじゃないですか?」
むさえがそう言うと、たまの目が怪しく光った。
「いえ。私の内蔵レーダーによると、生体反応が三名分と一匹分、確認できます。息を殺して潜んでいるようです。……強行突破します」
たまが手に持っていたモップを掲げた瞬間、先端から猛烈な火炎が噴き出した。
「へ?た、たまさん…」
むさえは声も出ないくらいに呆然としていた。その時
「ぎゃあああ!!」
「おいいいい!何てことしてくれてんだ家が火事になっちまうだろうが!」
「やばいアル!こうなったら忍法身代わりの術!いけ銀ちゃん!!!」
「おいいいい!てめえ俺だけ犠牲にする気かあ!!」
という声が店の中から聞こえ、玄関に白髪頭の男が転がり出てきた。
「いてっったく神楽のやつ…あっ…」
白髪頭の男は腰をさすりながら起き上がったがたまを見るや否や、引きつった顔になった。
「いや…たま…家賃なんだが…」
「けつの毛までむしり取れとのお登勢様の命令です」
「い…いや、だから家賃は…これから競馬で…」
「………」
銀時の言い訳に対し、たまは無言で圧をかけてきた。
「あ、ああああああああああ!!!!」
銀時は声をひっくり返しながら悲鳴を上げた。
4
「…なんでこんなことに…」
むさえはカウンターの隅で皿を拭きながら、目の前のカオスな光景を眺めていた。
家賃滞納の罰として一週間のタダ働きを命じられた万事屋の面々。赤い髪の少女・神楽がグラスを割るたびにお登勢の怒号が飛び、むさえは眼鏡をかけた少年・新八と一緒にその後始末に追われている。
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「あ、いえ。こちらこそ……」
「僕、志村新八って言います。上にある万事屋銀ちゃんに務めてます。よろしくお願いいたします。」
「あ、こちらこそよろしくお願いいたします。今日からこの店に務めることになった小山むさえと申します。」
新八とむさえがお互いに自己紹介をした。
「むさえさん、よろしくお願いいたしますね。あっちにいる赤い髪の女の子が神楽ちゃんで、白髪頭で死んだ目をしているのが銀さんです。」
新八は銀時と神楽を指さしながら紹介した。
5
「って結局開店してからは仕事しないんですね。」
むさえは万事屋の3人にあきれたように言った。
今は午後6時、外は薄暗くなり、スナックお登勢の看板に灯がともる。
銀時たち万事屋は結局開店時になるとカウンターの席にドカッと座り、ご飯を食べたり晩酌を始めたりした。
「いや~もういいんじゃね?って感じだよなあ。だって分かんねえだもん。」
銀時は日本酒をあおりながら言った。
「何まったりしてんだ腐れ天パ!」
お登勢のツッコミが銀時の後頭部に炸裂する。
「そうネ銀ちゃんは働くべきヨ。身を粉にして働くべきネ。」
「おめえの食費でウチはすかんぴんなんだよ。このゲロインが。」
銀時は神楽の頭をチョップしながらつっこんだ。
その時、ドアがガラガラっと開いた。
「よお、お揃いだな。」
そこにはサングラスをかけた中年の男がいた。長谷川泰三である。
「あ、長谷川さん。またただ飲みですか?」
新八は長谷川に話しかけた。
「いやいや、今日は金払って飲むよ。両さんのおかげで競馬に当たってな。いっしょにここで祝杯を上げようってことになったんだよ。」
長谷川の後ろにはもう一人男がいた。警官の制服だがサンダル履き、つながった眉毛と一度見たら忘れられない見た目をしていた。
「ほお、ここがスナックお登勢か…っておお、銀さん!」
その男はカウンターにいた銀時に手を振って話しかけた。
「おお、両さん。今日は長谷川さんと一緒だったんだな。」
銀時はビールをあおりながら返した。二人は慣れた感じで勝手に銀時の隣に座った。
「そこの姉ちゃんは初めてだな。名前はなんていうんだい?」
長谷川はむさえに親しみやすく声をかけた。
「小山むさえと申します。今日からアルバイトで入りました。よろしくお願いいします。」
むさえはペコリと頭を下げた。
「おうそうかい。むさえちゃんっていうのかい。よろしくな。俺は長谷川泰三、長谷川もしくはマダオと呼ばれている。」
「マ、マダオ?」
むさえが戸惑っていると
「まるでだめなおっさん、略してマダオだよ。」
「このおっさんは幕府のお偉いさんだったんだがな、ある星のバカ王子ぶん殴って職を失ったんだよ。」
銀時が首だけむさえの方を向いて解説した。
「へえ……何と言ったらいいか分かんないけど、色々あったんですねえ…」
(人は見かけによらないもんね…)
むさえは曖昧な返答をしつつ内心では失礼なことを考えていた。
「んで隣に座ってる眉毛つながってるおっさんは、警察官だけど始末書を年間何百枚も書いたり署を爆破したりしてる問題児だ。」
「そうそう、周りの同期とかは順当に出世してるのにわしだけ未だに巡査長だ。」
両津はビールをあおりながら笑って答えた。
「ああ、紹介してなかったな、わし、両津勘吉。葛飾署の亀有公園前派出所に勤めてんだが、あまりにも問題を起こし過ぎて真選組にダブル勤務になった。よろしく。」
「は…はあ、よろしくお願いします。」
むさえは内心驚きながら応えた。
「え?両さん、真選組に異動になったんじゃないんですか?」
新八が驚いたように聞くと
「いや、正確に言うと真選組にも公園前派出所にも籍がある。真選組に勤務したあと夜勤で公園前派出所に勤務したり、片方が休日の時にもう片方に勤務したり、有給使ってもう片方に勤務したりな。」
「いや、なんでそんなにブラックなんだよ。黒すぎるだろ。」
新八が突っ込む。
「いや、まあ、サボり、署を爆破とかが重なって減給だけだと済まなくなったんだよな…今までの問題事項が降り積もった感じだ。」
「いや、自業自得かよ。」
両津の答えに新八がさらに突っ込んだ。
「…ま、みんな色々事情を抱えてるもんさ。」
お登勢がカウンターで焼酎を注ぎながらむさえに話しかけた。
「あんたは一人じゃないし、あんただけじゃないんだよ。」
「話してみな。これまでのこと。」
6
「…とまあ、こんな感じで今はプータローです。」
むさえはこれまでの人生について話した。スナックお登勢はシンと静まり返りむさえの声だけが響いていた。
OLをやめてカメラマンの助手になったこと、その師匠がグラビアばかり撮るようになり考え方に軋轢が生まれたこと、その師匠から才能がないと言われ絶望し辞めたこと…
むさえの長い話が終わったとき、長い沈黙が続いた。
「…むさえちゃんはどうしたい?」
話を切り出したのは長谷川だった。
「え?」
むさえが反応できないでいると、長谷川はフゥ~っとたばこの煙を吐き、言葉を繋いだ。
「いいか、むさえちゃん。お前さんには道が二つある。一つは諦めず夢を追うこと。もう一つはすっぱり諦めてまた就職すること。この二つだ。どちらを選んでも自由だが、どちらも覚悟を伴う。夢を追うことも覚悟がいるが、夢を諦めることも同じくらい覚悟がいるんだ。」
ここで再びたばこに火をつけた。
「むさえちゃんはまだ若い。どっちの選択をとってもまだ時間がある。だから大丈夫だ。だけど、いつまでも若いわけじゃない。年をとったらもうどっちの選択肢もない。そうなったら終わりだぜ。」
長谷川はそこで言葉を切り、またたばこを吸い、フゥ~っと煙を吐いた。
「……」
むさえは長谷川を直視できず、目をそらした。何も言い返せないのが辛かった。
「あの…ちょっといいですか。」
今度は新八が声をかけた。
「あの、僕、実家が剣術道場やってたんですけど、当主の父親が亡くなった上にこの廃刀令のご時世、剣術道場から門下生もいなくなって、多額の借金だけが残りました。」
「え…」
新八の壮大な過去にむさえは言葉を返せなかった。
「僕は基本的に剣術しかやっていませんでした。なので、フリーターとして働いても全然ダメダメで。怒られてばっかりで、自信を失っていました。」
新八はそこでお冷を飲むともう一度言葉を紡ぎだした。
「そんな時です。路上ライブで歌っていた女の子に出会いました。聞いている人は誰もいませんでした。それでも彼女は懸命に歌っていました。そんな姿に僕は心を打たれ、その女の子のファンになりました。」
新八は遠くを見るように語った。今でも忘れられない光景なのだろう。
「そんな彼女は今や超売れっ子のアイドルになりました。寺門通っていうんですけどね…だからむさえさん」
そこで言葉を区切って、今度はむさえの目を合わせて言った。
「むさえさんの努力を見てくれている人は必ずいます。だから、くじけても悩んでも、一人じゃありません。そんな時こそ一人で抱え込まないでください。」
新八の言葉にむさえは思わず泣きそうになった。
「新八くん…今何歳?」
「僕ですか?16ですけど。」
(16か…私より10歳も年下かよ。この年齢でこんなことが言えるなんて…どんだけ苦労してきてんのよ…)
むさえが内心そんなことを思っていると
ガラガラ
店の引き戸が開いた。
7
「よっむっさえちゃーん。」
そこには大人のひざ下よりも、随分と小さいシルエットがいた。ほっぺは下膨れし、いがぐり頭で…
「しんのすけ!」
むさえが驚きの声を上げた
「アン!」
しんのすけの隣にいたわたあめから鳴き声がした。
「シロ!」
「何してんのこんなとこで!」
むさえがその口調のまま尋ねると
「シロの散歩ついでにむさえちゃんの様子見に来たの。オラえらいでしょ~」
しんのすけが伸び伸びした口調で言った。
「その坊主は知り合いか?」
両津が尋ねると
「あ、はい。私の甥です。」
すかさずむさえが返した。
「おう坊主、お前もジュースでも飲むか?」
両津が手招きしてしんのすけに問いかけると
「え!いいの!やったー!じゃ、ご一緒しま~す。」
しんのすけは軽やかなステップを踏みシロと一緒に入店した。
「あ、コラ!」
むさえはしんのすけを止めようとすると
「構わないさ。ウチは別に犬同伴でも大丈夫だし、家からはこちらで連絡しといてやるよ。」
お登勢が電話を持ちながら言った。
「たま、両津のつけでそのガキにオレンジジュースでも出してやりな。」
お登勢が続けてたまに命じた。
「はい。お登勢様。」
たまが両津と銀時の間に座ったしんのすけに、オレンジジュースが注がれたコップを差し出した。
「ありがとございま~す。」
というや否やしんのすけはオレンジジュースをグイグイあおった。
「ぷはあ、やっぱこれだな!」
しんのすけはビールを飲むおっさんのごとくオレンジジュースを味わった。
「坊主、名前はしんのすけっていうのか?」
両津はしんのすけに聞いた。
「オラ、野原しんのすけ5歳。好きな言葉はモウレツ~~。」
しんのすけはいつもの口調で自己紹介をした。
「ハハッ面白い坊主だ。」
両津はビールを飲みながらしんのすけの頭をぐりぐりと撫でた。
「坊主、お前むさえは好きか?」
両津はしんのすけに尋ねると
「オラ、割と好き。」
しんのすけはコップを置きながら言った。
「そうかそうか。」
両津は再びしんのすけの頭を撫でると
「おう、むさえ。」
今度はむさえに向けて言った。
「お前が落ち目の時でも好いてくれる人ってのはどこにでもいるもんじゃねえ。夢を追おうが追うまいがお前の勝手だが、どっちを選んでもそんな人に顔向けできないような生き方はするなよ。」
「は…はい。」
「ま…まずはここでバイトしながら生き方を模索するのがいいんじゃねえか?」
両津はそう言うと
「たま、焼き鳥くれ。」
たまに焼き鳥を注文した。
「そうネ。生きてりゃいいのヨ。」
今度は銀時の左隣に座っていた神楽が口を開いた。
「毎日卵かけごはんが食えてりゃいいのヨ。それで幸せネ。」
神楽はシロを膝に乗せ、撫でながら言った。
「そりゃお前だけだろ。」
銀時があきれ声で突っ込んだ。
「でもまああれだな。」
銀時はそのまま言葉を続けた。
「どんだけ絶望してくじけてもよ、前を向いて、胸張って生きてみろ。そうすりゃ見えてくるものがあるんじゃねえの。」
銀時はボソッと呟いた。その声色はどこか温かみがあった。
「…はい。」
むさえは後ろを向きながら返事をした。肩と声が震えていた。
「むっさえちゃーん。」
しんのすけはピョイと席を降りてトコトコとむさえのところへ向かった。そして後ろを向いたむさえと向き合うように回り込んだ。
「むさえちゃん、泣いてるの?」
しんのすけは無邪気に聞いてきた。
「……」
むさえはその問いかけに応えることが出来なかった。
「心配しなくても、オラはむさえちゃんが来てくれてうれしいゾ。いつまでもオラんちにいていいんだゾ。」
むさえがその言葉を聞くとしゃがみこんでしんのすけを抱きしめた。
「……ありがと。」
むさえはそれ以上言えなかった。
「おや、時間だね。今日は昼から働いてもらったから、もう上がっていいよ。明日からまた頼むね。」
お登勢が今日一番優しい声色で告げた。むさえはそれを聞くと、顔をぬぐい振り向いた。
「はい!よろしくお願いします!」
むさえは今日初めて見せた笑顔を見せた。
「ありがとうございました!」
むさえは腰を90度曲げて礼を述べた。
「さ、しんのすけ。帰るよ。シロおいで。」
そう言うとシロは神楽の膝から降りてむさえのもとに駆け込んだ。
むさえはまたしゃがみ、シロとしんのすけを抱きかかえた。
「ええ~、オラまだ居た~い。」
としんのすけは駄々をこねるが
「ママ怒ってるわよ~きっと。」
「ゲ」
むさえはしんのすけをうまく諦めさせた。
7
月明りが照らす帰り道、むさえの足取りは行きとは違い軽かった。
「むさえちゃん、いいことあったの?」
抱きかかえられたしんのすけが聞くと
「べつにー。」
そっけない返答を返した。
何も解決してない。けど、何か解決しそうだと思った一日。
むさえの中で何かが変わろうとしていた。
人生の愚痴はスナックでこぼせ 完