戦後世界のボーイミーツガール ~青春!探偵!ひとだすけ部!~   作:北極鳥ユキ

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Part36 対峙

 三人の中で、ミソラだけがモエレ沼公園に来たことがあった。といっても観光地なので地元の人間が来るような場所ではなく、小学校の遠足で行ったきりである。

 それから年月が経っているとはいえ、それでも目の前に広がっているモエレ沼公園の様子はミソラの記憶とはだいぶ異なっていた。

 

 緑豊かな沼地の公園は、仮組のフェンスと白色の壁で囲まれていて、全く見えないようになっている。辺りも建築現場といった感じで、正面を通る道路を挟むようにプレハブ小屋や工事車両を止めるスペースが点在していた。

 

 事前情報通り改装工事の真っ最中のようだが、どうやら今日は工事を行っていないようで、辺りは静まり返っていた。聞こえてくる音と言えば、風に揺れる木々の音と、たまに聞こえる鳥の鳴き声ぐらいなものだ。

 

 人の気配はなく、駐車場にも車は一台も止まっていない。警察もまだ到着していないようで、辺りは不気味さすら感じるほどに閑散としている。普段なら、公園の中は子供連れの親子や、観光客などで賑わっているのだろう。この妙な静けさは、むしろ三人の緊張を増大させていた。

 

 史家は入口すぐ横にある工事現場の一つに潜り込むと、コンクリートの欠片や手ごろな石をいくつか拾い上げた。

 

「お待たせ。さて、いくか」

 

 史家が戻って来ると、三人は道を進み始める。『関係者以外立ち入り禁止』の看板が掛かっているゲートを超えて、公園の中に入る。南門からは、直線道の先に綺麗な三角形をした人工山が見える。三人は警戒した面持ちで直線の道を進んでいった。

 

 辺りは平坦な地形で、もしも相手がスナイパーライフルなんて持っていたら、たぶんすぐに殺されているぐらいには遮蔽が無かった。

 

 駐車場と球場を超えて、人工山の麓に着く。監視カメラの画像に移っている『ガラスのピラミッド』はこの山を越えて、少し歩いたところにあるそうだ。

 

「二人とも」と史家が抑えた声で呟く。

 

「公園は広いから手分けしよう。一番左、真ん中、それとガラスのピラミッド方向だ」

「あんたホラー映画とか見たことないの?」

 

 ミソラが呆れるように呟く。

 つまりは三人がバラバラに動くと一人ずつ殺されると言いたいのだろう。

 

「遭遇したら叫べばいいのさ。それよりも、一網打尽にされる方が不味い。戦力差が不利なら、奇襲で何とかするしかないだろ」

 

 史家の言う通り確かに一人でも二人でも、正面から向き合って勝てる相手ではないことだけは確かだった。

 

「注意を怠るなよ」

 

 史家はスリングをぎゅっと拳に巻き付けると、身をかがめたまま右側から回り込むように進んだ。その背中を見送って、正多とミソラは左手側から進む。

 

「じゃ、気を付けてね正多」

「そっちこそ」

 

 正多は真ん中のエリアを目指して、ミソラは一番左側のエリアを目指して、更に二手に分かれる。もしも自分の捜索するエリアに居なかったら、史家の居るガラスのピラミッド方向に向かって合流を目指すことになっていた。

 

 事前情報からしてそのエリアに居る可能性が最も高いのだ。

 

 ***

 

 正多は息を殺して、公園を進んでいく。

 背の低い松の木が並んでいたので、身を低くして隠れるように進んでいったが、やがて開けている完全な平地に行き当たった。平地の先、正面には森のような空間が見える。右手側には遠くにガラスのピラミッドの先端部分も見えた。

 

 ここまで来てもやはり人の気配がしないが、警戒を続けながら平地に足を踏み出す。

 あまりにも平坦だったので、もしかすると山を反対側から回って来る史家の姿が見えるかもしれない。そんなことを思いながら、正多は森を目指して小走りで平地を進んだ。

 

「ここ……は」

 

 森だと思っていたが、進んでみると辺りが木々に囲まれた円形の広場に行き当たった。

 広場の真ん中には、大きなくぼみのある空間が広がっている。

 水の枯れた噴水だった。

 

「セータ君! ダメ!」

 

 突然、静寂を切り裂くように少女の声が響く。

 

 ロッテの声に思わず振り返る。

 

 声の方向に居たのは、ロッテと、こちらに銃口を向ける青年の姿だった。

 

 ねじ切りの付いた銃口がこっちを見ている。

 

 背筋が凍る。訳も分からず緊張して、死の恐怖、殺される、という確かな感覚だけがピリピリと神経を直接なでるように体を駆け巡った。

 

「Nein nicht! Er ist nur Klassenkamerad!」

 

 ロッテがドイツ語で何か叫んでいる。手足を縛られているようで木の陰に寝転がっていた。

 

 青年は拳銃を両手でしっかりと構えながら、一歩、一歩、と近づいてくる。

 正多の視線は銃口に釘付けになっていた。今この瞬間にも、それが火を噴いて体に穴をあけても不思議ではないのだ。

 

「どうしてここに来た。誰と来た。誰が知っている。目的はあの少女か」

 

 青年は矢継ぎ早に問い詰めてくる。

 正多は余りの緊張に息を止めたままで、声が上手く出なかった。

 

「答えろ!」

「そ、それは……」

 

 頭が真っ白になる。どうすればいい。どうすれば生き残れる?

 

 ふと、視界の端に、動く影のようなものが見えた。

 それが史家であることに気が付くまでに、そう時間はかからなかった。彼はハンドサインで、まっすぐ前を見るように示している。

 ここで時間を稼げば、その隙にロッテを救出してくれるかもしれない。

 

 正多は覚悟を決めると、できるだけ青年の顔をじっと見ることにした。

 

 ずっと銃ばかり見ていたので、顔を視認したのはその時が初めてだった。

 青年は若かった。顔から見るに歳はたぶん十代後半ぐらい。自分たち高校生とそう変わらないぐらいの年頃で、伏見よりは幾らか若く見える。

 

 でも、正多や史家とは明確な違いがあった。

 その瞳の奥に宿る薄暗い眼光。正多や、史家、ミソラ、そして、伏見とは全く異なるものだった。それは、日本の大人たちと同じ、ロッテと同じ、シュミットと同じ。

 

 戦争を『知っている』人間の目だ。

 

「ど、どうして、ロッテを誘拐するんだ」

「なんだと?」

「だっ、だから! なぜ誘拐したか聞いてる」

「自分の立場を分かってるのか!」

「っ──」

 

 青年が銃を構え直したので、撃たれるのではないかと思わず怯んで、体を震わせる。

 

「……なんで、そんな風にできる。怖くないのか」

「怖いに決まってる。でも、なぜか知りたいんだ」

 

 それは、本心だった。もちろん時間稼ぎのための質問ではあったが、なぜ誘拐したのかは気になるところだ。そもそも、あなたは誰だ? 本当にアダム=ユリウスなのか?

 

「残された戦争を終わらせるために。死んでいった者たちの、最後の意思を達成するために。そして、俺の目的のために必要だからだ」

「よくわからない。目的ってなんなんだ……?」

「カルロス・アヴリル。奴への復讐だよ」

「復讐って。それってつまり、あなたは本当にアダム=ユリウス……なのか?」

「疑ってるのか?」

「いやその、若かったし、日本語もやけにうまいから……」

「これは勉強したんだ──っ、お前! 何をしてる!」

 

 時間稼ぎは上手くいくかに思えた。

 

 雑談が始まれば、もう少しだけ時間を稼げると思った。

 しかし、青年の研ぎ澄まされた感覚は並々ならぬもので、視界の奥でわずかに動いていた史家を察知すると、正多のことを無視して体をそちらに向ける。拳銃を握った腕が史家の方に動く。

 

「やめろ!」

 

 銃口を向けさせるわけにはいかない。

 咄嗟に、正多は青年に向かって飛び掛かり、拳銃を持つ右腕につかみかかると、銃口をできるだけ上に向けさせた。直後パンッ、と乾いた破裂音が空に向かって響いた。

 恐怖で怯みそうになるが意地だけでなんとか力を維持する。

 

「離れろ! 殺されたいのか!」

「銃を離せ!」

 

 二人の怒声と共に、再び銃声が鳴る。今度も空に向かって放たれたものだった。

 正多は必死に食って掛かるが、青年は見た目よりもずっと力があった。少しでも気を抜けば、あっさり引きはがされてしまうだろう。

 

「正多! そいつの背中を向けろ!」

 

 史家の声が響く。ヒュン、とすぐ横を何かが通り過ぎていった。そのままカチン、カチン、カチン、と舗装された広場に石が転がり落ちる。スリングから飛んできた石だった。

 

「もう一発!」

 

 史家は風切り音を立てるスリングを操って、もみ合う二人の方めがけて石を投げた。

 

 ドスン、と鈍い音が青年の体を通して伝わって来る。それで、青年は苦しそうな声を出した。背中に直撃したようで、明らかに力が緩んでいる。

 正多は腕を捻って拳銃を奪い取ると、その拳銃を目一杯の力で噴水の方に投げ捨てた。

 

 鉄の塊が宙を舞う間、少しの静寂が生まれる。

 

 間もなく、金属の塊が噴水の底まで落ちていく音が響き渡った。

 静寂の後、青年はその瞳を正多に向ける。そこに宿るのは『殺気』という奴だった。その瞳で睨まれると、たとえ銃が無くとも素手でお前を殺すという、確かな怒りが伝わってくる。

 

 足がすくんだ瞬間、みぞおちに衝撃が来る。防御する暇などなく、青年の膝が深々と腹に突き刺さっていた。痛みと衝撃の前で何も抵抗することができず、正多はその場に崩れ落ちる。

 

「なぜ邪魔をする!」

 

 青年は倒れた正多を足で蹴飛ばして仰向けにさせると馬乗りになった。

 

「ロッテを……ロッテを……助けるために……」

「お前らのせいで台無しだ! こんなはずじゃなかったのに!」

 

 怒り狂ったように叫ぶと、その両手を正多の首に回した。

 その手を何とか振りほどこうとしたが、全く離れる気配がない。そうこうしている内に、手には力が込められて、強い力で首を絞められる。

 

「本当は……誰も傷つけたくなんて無かった。だが、目的のためなら別だ!」

「やめろ!」

 

 史家の声が響き、また青年の脇に石が命中する。しかし、今度は怯むことすらせず、ただじっと正多のことを見つめたまま首を絞め続ける。

 

「あ、う、が、あ」

 

 息ができない。死ぬ。殺される。

 腕を叩いたり、青年の顔を叩いたり。必死に抵抗するが一切動じない。

 これ以上は、まずい……。

 

「正多から離れろ!!」

 

 史家は叫ぶと、シャーペンを握って駆け出す。

 酸素が無くなり、意識が朦朧とし始める。視界がぼやけて白黒になる。僅かに見えるのは覆いかぶさる青年だけ……いや違う。その背中に、別の影が見える。

 

「し、か……」

 

 ここなら確実に殺せる──史家は、握りしめたシャーペンを大きく振りかぶり、無防備な首筋を狙った。彼の狙いは正確であり、一切の躊躇もなかった。

 

 しかし、一瞬だけ青年の方が早かった。彼は振り返ると、鋭い先端を左手で防いだのだ。振り落とされたシャーペンは大きく広げた手のひらを貫通したところで止まっていた。

 

 青年は痛みなど感じていないかのように、動じていなかった。

 再び一瞬の静寂。コンクリートの上に、ぽたぽた、と血がしたたり落ちる音が聞こえる。

 

 青年はシャーペンの刺さった手はそのままに、史家のブレザーとシャツの襟を掴むと、その頭に向かって勢いよく頭突きをかました。

 ゴン、と硬い物同士がぶつかる鈍い音が鳴る。頭に直撃を食らった史家は一瞬だけふら付くと、糸の切れた人形のようにストンとその場に崩れ落ちて動かなくなった。

 

 両方の手が首から離れて、やっと息ができた。せき込みながら必死に酸素を吸う。

 

「げほ、が、しかっ、しか……」

「俺には目的があった。命に代えても、やり遂げると誓った目的だ。上手くいくはずだった。あと少しで全部上手くいくのに……お前らが邪魔をするから、全部めちゃくちゃだ……」

 

 青年は血がたっぷりと付いたシャーペンを引き抜くと、その場に投げ捨てる。穴の開いた左手は血で真っ赤に染まっていたが、痛みに動じる素振りすら見せない。

 

「お前たちのやってることは蛮勇だ。知らないだろ。本当の痛みも、苦しみも」

 

 拳を握ると振りかぶって正多の頬を殴りつけた。

 

「教えてやる。これが痛みだ、暴力の痛みだ。人間の本質だ」

 

 痛い。それでも正多は歯を食いしばって、青年を睨みつける。

 

「お前は俺とは違う。戦場を知らない子供、ただの学生だ。兵士みたいに戦って死ぬ必要なんてない。こんな無駄な争いをやり遂げる必要なんてない。いい加減、諦めろよ!」

 

 それは半ば絶叫のような声だった。

 青年が動くと、髪が靡いて長い髪に隠された顔の左側が視界に入った。そこには、端麗な顔を切り裂くような深々とした傷跡が幾つもあって、特に左耳は一部が欠けていた。

 

 確かに青年の言葉に間違いはなかった。

 

 戦争を知らない子供だ。勇者や英雄でなく、兵士や戦士でもなく、戦う必要なんてない、どこにでもいる平凡な高校生だ。でも、それでも、譲れないものの一つぐらい、命を懸けられるものの一つぐらい、持っている。

 

「ロッテの為だ」

「まだ言うのか! たったそれだけのために! お前にとっては何の価値もない、一人の女ために、なぜだ。なぜ、命を懸けられる」

「好きだからだ。俺はロッテのことが好きなんだ! だから失いたくない!」

 

 喉が痛いぐらい目一杯の声で叫ぶ。

 

「……は?」

 

 それを聞いた青年は呆然としていた。

 

「そういう、ことか。だったら最後に聞いてやる。お前は本当に、命に代えてもそう思うのか」

「思う、思うよ。だから、ここに来たんだ。ロッテの為に、ここまで来たんだ」

 

 正多は彼の瞳をまっすぐ見て答える。

 青年は一瞬だけ、正多から視線を外してどこか遠くを見た。その表情からは何を考えているのかは読み取れなかったが、直感的に彼から何かを憂いようなものを感じた。

 視線が正多に戻る。その目に迷いはなく、鋭い覚悟が宿っていた。

 

「だったら、女のために死ね」

 

 短い言葉の後、再び両手が首にきつく巻きつく。今度こそ、殺される。

 首を傾けると、地面の上で伸びている史家が見えた。無事だろうか。

 

 その奥では何かを叫ぶロッテの姿が見えた。

 拘束は解かれていて、駆け寄ろうとしているがミソラに止められていた。

 

 あぁ、あんなに必死に、俺のために叫んでくれるんだ。

 死が迫っているのに満足な気分になった。

 特別に憧れる、平凡な人生だった。でも、大好きな人のために死ねるなんて、それはまるで、物語の主人公みたいじゃないか。

 

 最後の最後で、特別になれるんだ。

 

 正多は目を閉じた。

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