戦後世界のボーイミーツガール ~青春!探偵!ひとだすけ部!~ 作:北極鳥ユキ
「そこまでだ。やめろ」
闇の中。聞こえてきたのは、死に際の静寂を打ち破る凛々しい声だった。
「僕の教え子と何をしている」
足音が近づいてくる。正多が瞼を開けると、近づいてくる女性の姿が目に入った。
その場にいた全員が突然現れたヨハネス・シュミットのことを見ていた。
「せん……せい?」
「な、あ……」
青年はその姿を見て明らかに動揺しており、目を大きく見開いていた。
「もういいだろう。その子から離れるんだ」
シュミットが落ち着いた声で言うと、まるでその言葉には一切逆らえないように、青年はゆっくりと正多の上から立ち上がった。
「ここはもう包囲されている」
そこで、噴水広場を囲むように生えている木々の間で、多数の人影が動いていることに気が付いた。よくよく見てみれば、それは拳銃や防弾盾で武装した警官隊だった。
正多は少しふら付きながらその場に立ち上がる。
「下がっていなさい」
シュミットに短く言われて、ゆっくり後ずさった。
青年はそんな正多のことを一瞥したが、それ以降はすっかり興味が失せたように目の前まで近づいて来たシュミットのことだけを見ていた。
「セータくん、セータ君、セータ君!」
何度も名前を呼ぶ声がして、振り返った瞬間に体がぶつかった。いつの間にかミソラの制止を振り切ったロッテが駆け寄ってきていたのだ。
「ロッテ……」
「ここから離れよう、はやく……ねっ」
ロッテは正多の腕を強く引っ張る。
そうだ、離れないと。でも、まだ史家があそこで伸びている。助けに行かないと……。
足を止めた正多に気が付いたようで、シュミットは足元の史家にそっと触れた。
「大丈夫。気絶しているだけだ」
それだけ言って、シュミットは再び青年と向かい合う。二人の間に言葉は無く、ただ視線を合わせているだけに見えた。
現場が膠着する中、拳銃で武装する二人組の私服警官が包囲網から一歩前に出た。
「動くな、誘拐の現行犯で逮捕する」
二人の刑事はシュミットと青年の方に向かってゆっくりと歩き出す。
「さて。逃げ道は無いようだが、どうする?」
青年に向けたシュミットの呟き。それに対して、青年はジャケットの内側を漁ることで答えた。彼の指には手榴弾のピンに結び付いた紐が絡まっていた。少し力を込めて、その紐を引けば──。
「全員、動かない方がいい。手榴弾だ」
シュミットは周りの全員に聞こえるように大きな声で言う。
周囲に緊張が走った。ゆっくりと近づいていた刑事の足も止まる。離れようとしていた正多たちの足もその場でピタリと止まった。
「そうだ! 全員動くな! 近づけばピンを抜くぞ」
合わせるように青年の声。ジャケットの内側に縫い付けられた筒形の手榴弾が見えるように、ぐるりと体を回してアピールする。
ジャケットの裏には、少なくとも六個以上の筒が縫い付けられていた。
「戦争はとっくに終わったんだ! バカなことはよせ!」刑事が叫ぶ。
「カルロスに伝えろ! まだ終わっちゃいない! アダム=ユリウスがここに生きている限り、我々の戦いは終わらない!」
青年はそう叫ぶと、ためらいなく紐を引いた。
「伏せろ、伏せろ!」
「手榴弾だ!」
警官たちの混乱した叫び声が響く。
青年はすぐ目の前だった。もし自爆すれば、ただでは済まない。
「ロッテ──」
考えるよりも先に体が動いていた。その場にロッテを押し倒すと、できるだけ強くその体を抱きしめる。青年の側に背を向けて、盾になるような姿勢で爆発に備える。
カラン、コロン、と硬い缶の転がるような音がする。
……しかし、それから少し経っても衝撃が来ることは無かった。
代わりに聞こえてきたのは、爆音ではなくプシューと、空気が噴き出すような音。恐る恐る目を開けると、辺りは一面真っ白になっていた。
「ただの目くらまし。
どこか煙の向こうから声が聞こえてくるのは、淡々としたシュミットの声だった。
「このまま伏せて、ロッテを守るんだ。いいね?」
すぐ耳元で足音が聞こえると、頭を優しく撫でられる。辺りを覆う煙幕のせいで一寸先まで何も見えないが、それは確かに革手袋の感触だった。
いま分かるのは腕の中にあるロッテの体温、すぐ傍に彼女が存在しているという事実だけ。
でも、今はそれだけで十分だった。
どこか遠くでは散発的に銃声や怒号が響いている。
正多はその間、シュミットの言いつけ通りにロッテを守り続けた。
***
やがて煙は晴れ、視界が鮮明になる。
青年の姿はどこにもない。同じように、シュミットの姿も付近には見えなかった。
見渡してみると、どういう訳か伏見がいた。彼女はコンクリートの上で気絶している史家の手当をしているところだった。
「伏見……さん?」
「あ! 二人とも無事だったんですね!」
正多とロッテは抱きしめ合ったままの姿勢で体を起こす。
それに気が付いた伏見は史家の手当てもほどほどにして駆け寄って来た。
「手足もしっかりある。指も付いてる。どこか痛いところはありませんか?」
「大丈夫です」
「わたしも……」
「よかった。本当に良かったです。史家くんも無事ですよ。気絶してますけど」
伏見に合わせて二人は立ち上がる。
史家の傍によると、ちょうどいいタイミングで目を覚ました。
「んがっ! あ、あれ? 正多に……ロッテちゃん。二人とも、無事か?」
「こっちのセリフだ。大丈夫か?」
「え? 大丈夫って、何が? あれ、アダム=ユリウスは?」
史家は体を起こすと、きょろきょろと辺りを見ている。
どうやら自分が気絶していたことには気が付いていないようだった。
「みんな無事みたいね……よかった……」
少しすると、安堵した顔のミソラも駆け寄ってくる。森の中に隠れていたようで、彼女もこれと言った怪我は無さそうだった。
「さ、史家くん、駐車場に救急車が待ってますから、早く行きましょう」
「伏見さん? なんでここに……ていうか、怪我なんてしてないですけど──」
「脳震盪を起こしているかもしれません。いいから行きますよ」
有無を言わせず伏見に肩を担がれる。
彼女は史家よりも身長が高ったので、肩がぐいっと上がり体がふらつく。
「仕方ないわね。私も肩貸してあげる」
その様子を見ていたミソラが声を上げた。彼女は正多の横を通り過ぎる時に、彼の肩を軽く叩いてから史家に近づいていく。
「なんでミソラまで。うわっ、バランス悪っ! どっちか一人でいいから! てか俺一人で歩けるし!」
背の小さいミソラと背の高い伏見に両肩を担がれた史家は、身体がアンバランスに傾いている。史家は両肩の二人に抗議の声が散々上げていたが、有無を言わせず引きずられていった。
***
「セータ君」
そんな姿を見送っていると、呼びかけられる。
振り返ってみると、ロッテは西の太陽を背にして静かに佇んでいた。傾きかけた日の光がその金色の髪を照らし、足元には長い影をつくっている。
「わたし、みんなを危険な目に合わせちゃった。巻き込みたくなかったのに、巻き込んじゃった」
海のような碧眼は涙をにじませており、長い金色のまつげは僅かに震えていた。
「その上……ダメなはずなのに、キミが来てくれた時、すごく嬉しかった。たくさん伝えなくちゃいけないことがあるのに、その、どれ一つも、今のこの感情を表すには足りなくって……」
ロッテは混乱したように言って、黙る。
そのまま、正多にゆっくり歩み寄ると、それ以上は何も言わず彼の胸元に顔をうずめた。
「わたし……わたしは……」
密着した体から、か細い声が伝わってくる。
正多は少しだけ勇気を出して、両腕を少女の体に回した。ロッテは一瞬だけ驚いたようだったが、すぐに自分の体重を彼に預けた。
「俺はただ、ロッテに会いたかっただけなんだ」
「わたしも……会いたかったよ……」
ぎゅっと、強すぎず、優しすぎず。お互いの体を確かめるように抱きしめ合う。
少しの間そのままでいたが、やがてどちらともなく体を離した。
向かい合うと、赤くなったお互いの顔が見える。
二人して照れくさそうに笑い合った。
「帰ろうか、ロッテ」
「うん!」
正多が手を差し出すと、ロッテはその手を取った。