インフィニット・ストラトス 白熱の翼   作:スイカ上乗せ

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第一話 Rising Soul

 

 

 IS学園。一年一組。

 教員含め女性しか存在してはいけないはずのそこに、少年・織斑一夏は存在していた。

 入学初日からの授業だと言うのに、一夏は肘を付きつつ、

 

(意味わかんねぇよ)

 

 ため息を漏らした。

 全ては先ほどのホームルームがきっかけだ。

 クラス代表を決める運びになった所で、織斑一夏は複数の女子(クラスメート)から他薦を受けた。『IS学園史上唯一無二の男子学生だから』とか言う、ふざけ散らかした理由で。

 ────まぁそれは良い。いや良くはないが、論点はここじゃない。

 

 問題はそのあとだ。

 他薦を受けた一夏に、ISのイギリス代表候補生セシリア・オルコットが突っかかってきたのだ。

 

『ふざけないでくださいな。ISを起動させただけの方に、ここまで励んで来たわたくしたちの代表として立たれたくはありませんわ!』

 

 ずっとあの甲高い声が、頭の中で繰り返し放送される。

 

(そりゃ分かるよ。みんなと違って何にも努力してねぇ俺が物珍しさだけで代表に選ばれようとしたら、やな人だって出てくることぐらい。

 でも、決闘って何だよ、マジで……)

 

 問題はそう、クラス代表の決め方にあった。

 決闘。文字通り闘って決めようと言うのだ。ジャンケンとかあっち向いてホイとかじゃなくISで。

 

(っつーかそもそもISって宇宙開発のためのパワードスーツじゃねぇのか?

 そんなもんで争いあっても良いのかIS学園。良いのか千冬姉!)

 

 一夏は眼前で教鞭をとる姉──元IS世界最強(ブリュンヒルデ)──織斑千冬に疑念の眼差しを送る。

 ダメだ。無視しやがった。しっかり視線に気づいた上で。

 一夏はトントントントン、とシャーペンでノートに黒点を作りながら、

 

「……めんどくせぇ」

 

 本音は、無意識に口元からこぼれ出た。

 

 望まぬ形でここに来た。

 女性にしか扱えないISを男なのに動かせたから。なんて、クソほどどうでも良い理由で。

 繋がりを断たれ。目標を絶たれ。

 微塵も興味のなかったISを学べ、と言われ。

 薄汚い欲望と身勝手な責任を背負わされ。

 

 望まぬ形で、ここに来たのだ。

 なのに、闘う?

 

「意味わかんねぇよ」

 

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると共に。

 窓の外の、広い広い青空を見つめて。

 一夏は誰にぶつけて良いかも分からぬ本音を、小さな声音で吐き出した。

 本当に、何もかも分からぬまま。

 

「仕方あるまい」

「……箒」

 

 一夏の目の前にふと現れたのは篠ノ之箒。

 腰まで伸びた長いポニーテールと男性顔負けの凛々しい目つきが特徴の、彼の幼馴染だ。

 

「千冬さんから話は聞いた。私はお前の困惑も怒りも、当然の感情だと思う」

「そう思ってくれるだけで嬉しいよ。まぁ今は決闘ってのが一番意味わかんねぇしムカつくけどな」

「あぁ。だが私は分かっているぞ」

「……え?」

 

 眉を寄せた一夏に、箒は淡々と言い放つ。

 

「嫌々言いつつお前は戦うのだろう?」

「い、いやいや。言っとくけど降りるよ俺は。めんどくせぇし、戦ったところで負けるに決まってるし? っつーか何が分かっているぞだっ」

「馬鹿者ォォォ!!!」

「ピェ!?」

 

 教室中に響き渡る怒号。その発生源に視線が集まる。そして大体の視線が一夏の背中に突き刺さる。

 箒の額には立派な青筋が浮かんでいた。

 

「貴様、そこまで軟弱な男になっていたのか!? 今こそ意地を見せてくれる所じゃないのか!?」

「おいら軟弱者ですので」

「即答……なんて情けない……!」

「当然でしょ。みんなが推してくれたとは言え、流石にクラス代表のためにそこまでできるかっての」

 

 えー、と外野の女子が不満を露わにした。

 こっちがえーだよ、と心の中でツッコんだ一夏に対して、箒はわなわなと拳を震わせている。

 

「確かにお前の立場は辛いはずだ。が、昔のお前なら戦っていただろう!? どんな困難にも強敵にも、乗り越えてやると意地を見せてただろう!?」

「あの頃の若さはもう影も形もなくなっちまったよ」

「……っ、せっかく稽古をつけてやろうと思ったらこのザマか」

「お気持ちだけ受け取っときます。謝謝(シェシェ)

 

 一夏の受け流すような返答に、箒の拳の震えがおさまった。

 かと思うと、彼女は肩を落として俯く。心底落胆した様子だった。

 

「……信じてたんだぞ、私は」

「ッ」

 

 見たくなかった。

 けれども、目の前にいる以上どうしても見えてしまった。見てしまった。

 彼女の、若干潤んだまんまるの瞳を。

 

「……ダァ!」

 

 無性にむしゃくしゃした一夏は頭を掻いて、

 

「分かったよやってやるよ、やりゃぁ良いんだろ!? そんで無様に負けりゃ良いんだろ!?」

「負けるなばか」

「〜ッ、はいはい善処しますよじゃぁ稽古よろしくお願いしますね!?」

「ふ、ふん。やっとその気になったか……馬鹿者め」

 

 とうとうやる気を見せた……と言うか見せてしまった一夏に、クラス中が沸き立つ。

 

 全くもって不本意だった。本当はさっさとセシリア・オルコットにスライディング土下座でもかまして適当に終わらせたかった。

 

(しょうがねぇよな、こんな状況でも幼馴染が信じてくれてるんだからさ)

 

 一夏はそうやって半ば強引に、自分を納得させるしかなかった。

 

 そうでもしないと、イギリス代表候補生なんかと戦おうとはまだ到底思えなかった。

 一夏は、目を指先で擦る幼馴染に訊ねる。

 

「んでいつから稽古して貰えるんだ?」

「今日からだ。二週間しかないのだろう?」

「一分一秒も惜しいってか」

「あぁ。言っておくが私の稽古は厳しいからな」

「はん、上等だぜ」

 

 

 

 

 

 

 

「とは言ったけどよぉ」

 

 場所は変わり、学園の武道場。

 竹刀を置いたかと思うと、一夏は面を取って大の字で倒れ込む。

 

「やっぱダメだ、ばりキツイ」

「道場で寝るなんてはしたないぞ。立て」

「ごめん、ちょっと休ませて」

 

 背中を起こした一夏は汗でベトベトの前髪をかきあげる。

 箒は余裕そうに竹刀を構えて待っている。体力オバケかよ、と一夏は思わず呟いた。

 

 しかし無理もない。

 箒は全国大会を制覇している猛者の中の猛者。そんな猛者を相手に二時間ぶっ通しで立っていた一夏はむしろ褒められるべきだろう。

 ただし立っていたとは言ってもサンドバッグになっていただけだが。

 おかげで一夏は体のあちこちに鈍い痛みを覚えていた。

 

「くっそマジか。これからこんな稽古がマジで二週間続くのか」

「ISの操縦訓練もあるし、基礎体力も上げねばなるまい。朝も使わないとダメそうだな……いやそうなると座学に使う時間がないか?

 こうなったら土日も全部使わんとな……」

「は、はは。そっか」

 

 一夏は青ざめる。

 ただでさえ苦しくて辛いのに、さらなる苦痛が待ち構えていると言うのか。

 休む間もなく。

 

(いやもたねぇなこれ)

 

 不意に確信した。

 額から溢れる汗を、腕で雑に拭いとる。

 

(何一つわからねぇままこんな所に放り出されてよ。ISを学べって言われて? 急に戦うことになって? 全身痛めて? 勢いでやってやるとか言いましたけどこれじゃ心も体も壊れるだけですわ)

 

 権力に動かされ、周りに決められ。全てが壊された。

 なのに責任を負わなきゃいけないのも、苦痛を味わうのも自分だけ。

 自ら選んで進んだ道なら受け入れよう。

 だけど、こんなの耐えられない。

 自分自身まで壊されたらたまったものじゃない。

 

 一夏は一息ついて、

 

(おし、やめよっと)

 

 そう決心した。

 

(まぁ頑張った方だろ。初日から良くやってるよ俺。こんなの俺じゃなかったら死んでるっての。

 明日オルコットさんと適当に話して決闘もなくしてもらおっと)

 

 諦めた途端、肩がすっと軽くなったような気がした。

 少しではあるが心地よさすら感じる。やっぱり人間背負いすぎは良くないな、と一夏は他人事のように思った。

 

「おーし、あと一時間頑張るか〜」

「む、やっと立ったか。遅いぞ」

「待たせて悪かったよ、ちゃっちゃとやろうぜ」

「あぁ」

 

 またしてもサンドバッグと化した一夏だったが、一時間。

 あと一時間で抑圧から解放されるのかと思うと、楽しみで仕方なかった。

 

 あっという間だった。

 

「よし、今日はここまでだ」

 

 箒が竹刀の手を止めたかと思うと、待っていましたと言わんばかりに一夏が面を脱ぐ。

 今にも見せてしまいそうな歯茎を、彼はどうにか堪えながら口を開く。

 

「おっす、ありがとうございました」

「うむ。今日はよ、よく頑張ったな。ゆっくり休むんだぞ」

「おう、思いっきり寝させてもらうわ」

「……っそうすると良い。だが明日からはこんな程度じゃ済まないからな、覚悟しておけ」

「ッ」

 

 一夏はギクっとした。

 明日。

 そんなもの、もうとっくに考えていなかったのに。

 箒はまだ信じてくれているのか。

 

「お、おう……」

 

 まっすぐに投げられた信頼を、彼は受け止めきれなかった。

 シャワーを浴びに行った箒を残し、一夏は道場を出る。

 するとザザ、と幾つか足音が聞こえた。おそらく学園の生徒だ。()()()()()の稽古を隠れて見ていたのだろう。

 

 クソほどどうでも良い。

 

「……」

 

 高校生になって迎えた最初の夜は随分と暗く感じた。

 月も星も見えない。光はどこにある?

 まるで暗示のように思えた。お前はお先真っ暗だぞ、と神様に言われてるような気さえした。

 

 冷えた夜風が、腫れて熱を帯びた腕をなぞる。

 

(逃げる訳じゃない)

 

 言い聞かせる。

 自分の胸に。箒の信頼に。

 

(逃げる訳じゃ、ないんだ。こいつは自分を守るための選択なんだ。

 こんな不幸で弱っちぃ自分を、守るための……)

 

 誰が間違ってると言える?

 この選択を。

 誰が文句を言える?

 この状況で。

 誰もいないさ、と一夏は繰り返し自問自答する。そうやって言い聞かせる。

 自分自身に。

 自分の中の、篠ノ之箒に。

 

 ガチリ、と奥歯が鳴る。

 

(……できるなら俺だってオルコットさんをギャフンと言わせたいさ。箒の信頼に応えたいさッ! でもそんなに強くねぇんだよ俺は。

 勝手に背負わされて、放り込まれて、それでも戦えるほど立派じゃないんだよ……)

 

 道場へ振り向く。

 ふと昔が想起された。箒と剣道に励んでいた小学生のあの頃。

 あの頃は強がってカッコつけて、ズッコケてばかりだったっけ。

 

「はんっ」

 

 泥まみれの記憶を鼻で笑った。

 そんなことが出来るほど今の自分には意地なんてないし、子どもでもなくなった。

 

(礼儀知らずとは思われたくねぇし筋は通すか……やっぱすみません戦いませんって箒に素直に白状しよ。今日の分はジュースでも奢って渡せばチャラだろ)

 

 爪先の向きを寮から購買へと変える。

 IS学園は全寮制のため、購買が夜遅くまで通えるのである。

 箒はリンゴジュースが好きだったっけか、とか思い出しながら一夏はゆっくりと歩き出した。

 

 ◇

 

(い、一夏のやつ、久方ぶりの再会だというのに……何も感じてなさそうだったな)

 

 シャワーに打たれながら、箒は胸に手を押し当てる。

 ドキドキしっぱなしだった。

 今日一日。いや、入学前にネットの記事で彼の顔を見てから……ずっとずっと。

 自然体でいると頬が緩々になりそうだからと必死に平然を装うくらい、ときめいていた。

 再会が心の底から嬉しくて、楽しかった。

 

 だと言うのに、彼にとっては大したことじゃなさそうだった。

 

(嬉しがってた私がまるで馬鹿みたいではないか! 全く、全く!)

 

 学園でも稽古でもなーんにもなかった!

 授業中チラチラ見ても視線は合わなかったし、稽古中も昔を思い出して……なんていわゆる『エモエモ』な展開もなかった!

 妄想していた自分が情けないくらい!

 

 ムスッとほっぺを膨らませて、シャワーを止めて更衣室へ。

 

(ま、まぁ良い。この気持ちはまた少しずつあいつに伝え……つつつ、伝えられるかぁ!)

 

 どうにも照れくさくって、タオルで頭を拭く手が止まらなかった。

 

(……しかしあいつと言う奴は今まで何をしていたんだ。体力も気力もかなり落ちていたぞ。それにやる気も見られなかった!

 現状セシリアとはまず間違いなく戦うことなど叶わんと言うのに)

 

 セシリア・オルコット。

 BT兵器と呼ばれる最新鋭の兵器に対し、最高適性値を叩き出した至極の天才。世界で数少ない専用機の所持者でありながら、十二戦十勝二敗と戦闘経験も豊富。

 プロのIS競技者について疎い箒ですら知っているほど有名なイギリス代表候補生。

 

(……戦うこと、か)

 

 タオルを被ったまま箒は俯いて考え込む。

 水滴が肌を伝い、ゆっくり地面へ落ちていく。

 

(もしかすると、戦おうとしていることすら無謀なのかもしれないな。

 ISの操縦すらままならない一夏が、セシリアと向かい合った所で蜂の巣にされ……)

 

 そこまで想像して、箒は首を小刻みに横へ振った。

 

(何を考えているのだ私は! それはこれから戦おうとしている一夏への冒涜じゃないか!

 何より私は決めたはずだ! どんな困難が待ち構えていようと、一夏を信じて同じ道を歩むのだと!)

 

 着替えと身支度を終えると、箒は剣道の道具をバッグに収納する。

 防具は随分と大きくなったけど、リュックに下げたストラップだけはあの頃から変わらない。

 一夏と剣道に励んでいた、あの頃から。

 

(どんな強敵が相手でも戦うあいつの姿に私は勇気を貰えた。あの傷まみれになっても諦めない格好を見続けたいと思った。

 だから私は誓っただろう? あいつの戦う道を、隣で信じて見守り続けるのだと!)

 

 リュックを担いで、自分の頬を叩いて喝を入れる。

 一夏が好きだから。ずっと一緒にいたいから。そう言うある種の不純な想いがあって一夏の師事役を買ったのも事実だ。

 だけどそれ以上に。

 あの一夏ならきっと、はちゃめちゃな強敵が相手でも意地を張って戦ってしまうだろうから。

 

 そんなどうしようもないくらい馬鹿でカッコいい姿を、せめて自分だけは横で信じていたいと思ったのだ。

 

(稽古のメニューを考えなくては。それにIS操縦のマニュアルも用意してやらんと……あっ、食事も用意すべきだろうか。疲労回復用のメニューでも……)

 

 箒が道場を出ると、ザザ、と。

 箒の鼓膜が、いくつかの靴が地面を削る音を拾う。

 

「誰だ?」

「あーっとバレちゃった」

 

 すると、道場の横から姿を現したのは三人の女子生徒。ネクタイの色を見る限り二年生のようだ。

 何か不審な物を持っていたり、不自然な素ぶりは見えない。

 箒が咄嗟に取っていた構えを解くと、上級生の一人が口を開いた。

 

「織斑君の練習姿を見ててね。なんでもセシリア・オルコットと決闘するらしいじゃない?」

「えぇ」

「織斑君ってもう戻ってこないのかしら?」

「はい。今日の練習は終わりましたので」

「あらそう。残念」

「……では私は寮に戻ります。失礼します」

 

 彼女は寮に戻ろうとして、

 

 

 

 

「あんなんじゃ蜂の巣にされて終わりよ」

「────はい?」

 

 上級生の声が、箒の足をピタリと止めた。

 

「私の代にもとんでもないバケモノたちがいるから分かるわ。あんな程度じゃお話にならない」

「何が言いたいのですか?」

「諦めるべきよ、織斑君も貴方も。恥をかくだけだから」

「恥?」

 

 この時ばかりは箒も眉を顰めてしまった。

 恥?

 あの泥まみれになってでも戦おうとする姿が……?

 

 火山が今にも噴火するかの如く、箒の腹の底から熱を持った震えが込み上げる。

 

「あ、貴方がたは一夏の何を知って」

「知ってるも何も可哀想でしょうよ。これから三年間、織斑君はこの女しかいない環境で男一人で過ごすのよ。なのに最初に恥晒してどうすんのよ。

 負けた場合の織斑君の未来を、あんたは考えた上であー言うことしてんの?」

「────」

「負けた場合っていうか負けは決まってるようなものだけどね」

 

 痛烈すぎる指摘だった。

 箒は言葉を失い、背筋が急速に冷え固まっていくのを感じた。

 

 考えて、いなかった。

 これから先の一夏のことを。

 ずっと固執したように、戦うことだけを、考えてしまっていた。

 

 上級生が容赦なく言い放つ。

 

「あたし男の子のことよく分かんないけど、女の醜さは分かってるから言うわ。この環境じゃ、負け犬になった男なんて見世物同然よ」

「……」

「ってかそもそも何で一年生のあんたが稽古の相手してんのよ。そこは普通上級生なり教師なりにすべきでしょ。それかあんた実力者だったりするの? あたし新入生だとセシリア・オルコットと楯無の妹しか知らないんだけど」

「……いえ……」

「傲慢、いえ浅はかね。ますますやめるべきよ決闘だなんて。

 やるにしたってあんたの稽古じゃ絶対無理。織斑君の時間と体力の無駄よ。

 それとも何、自分は篠ノ之博士の妹だからって何とでも出来ると思ってたわけ?」

「ちょ、さすがに言い過ぎだって」

「……ムカつくのよ。実力ない癖にイキがっちゃうの、昔の自分見てるみたいでね」

 

 仲間に止められて、やっと上級生は落ち着きを取り戻した。

 ただ、箒は何も言い返せず立ち尽くすだけしかできない。

 夜風が沈黙に吹き抜ける。

 

「織斑君を思ってやってるんでしょうけど、もうちょっと考えることね。……言いすぎたのは悪かったわ、ごめんなさい」

 

 そう言うと、上級生らは去って行った。

 影が寮へ消えたかと思うと、箒は視線を地面に落とす。

 

 息を吸うのもままならなかった。

 上級生の言葉の全てが、箒の体に風穴を開けていた。

 膝から力が抜けていく。

 

(わ、私は……私はただ、一夏を信じてただけで……)

 

 気づく。

 

「信じてた、だけ……」

 

 信じてただけだった。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 一夏の未来を考えてやってた訳じゃない。一夏の気持ちを聞いてあげた訳でもない。

 

 投げただけ。

 自分の気持ちを、期待を。信頼を。

 あたかもプログラム通りにしか動かないピッチングマシンのように、投げつけてただけ。

 

「私は……」

 

 信じてただけの自分が。

 あの程度の侮辱で揺らいでしまう────信じてただけのくせにやっぱり彼じゃ負けるのだろうとどこかで考えてしまっていた自分が。

 愚かだと、思った。

 

「私は…………私じゃダメだったのか……?」

 

 漏れ出る言葉は霞んでいた。

 

「私なりにせいいっぱい……でも一夏に恥をかかせるだけなのか…………っ、……っぅ……」

 

 冷たい風が小さく吹いた。

 少女のすすり声が、風に混じって消えていく。

 少女の頬を、涙がぽつりぽつりと落ちていく。

 

 ◇

 

 木陰で、一夏は俯いていた。

 

 全部全部聞いていた。

 

 女の言葉も。箒の言葉も。

 箒の今にも消えそうな声も。

 

(ジュース買って戻ってきたらこれだよ)

 

 ナイロン袋をぶら下げて。

 一夏は一人、声を聞く。

 夜風に溶けた、幼馴染の声を。

 

 ただ俯いて。

 

 表に出る勇気もないから、木陰でじっと。

 

 面倒に関わりたくないから、知らぬふりをして。

 

(あの人の言う通りだよ。ありゃ全部事実だ。俺も箒もやるだけ無駄、戦っても二人揃って恥かいて終わりだよ。俺は可哀想だし、箒は浅はかだし。よく分かってる人がいて助かるよ)

 

 織斑一夏は一人、風を聞く。

 今にも消えそうな、幼馴染の声がのった風を。

 

 ただ俯いて。

 木陰でじっと。

 知らぬふりを…………知らぬふりを……。

 

 ……歯を食いしばって。

 

 拳を、拳を思いっきり握りしめて。

 

「舐めやがってぇ……!」

 

 もうやめだ。

 やらない理由探しはもうやめだ。

 

 強がりで良いカッコつけで良い。

 泥を啜ったって構うものか。

 今はただ、この迸る激情に従うのみ。

 

「恥なんかじゃねぇ……箒の気持ちだけはッ!」

 

 

 ◇

 

 

 翌日。うっすらと空が水色に染まり出した早朝5時30分。

 

「ふぅ」

 

 織斑千冬は日課のひとつである、学園の玄関掃除をしていた。

 生徒が清い心でISを学べるように────世界最強の座を降りて教員になってから、千冬はそんな願いを胸に働いている。

 

(今日の一夏はどんな顔をして来るだろうな)

 

 一人で黙々と掃き掃除をしていると、タッ、タッ、タ……と。

 玄関へと誰かがやってきた。

 千冬は物珍しい足音──教員の訓練された歩行ではない、生徒だろう──に、頬をわずかに緩ませる。

 

「おはよう。朝練か何か?」

「おはよう、千冬姉」

「……いち、か?」

 

 思いがけぬ人物に、流石の千冬も目を丸くした。

 彼女は手を止めて振り向く。

 そこにいたのはトレーニングウェアを着用し、額から汗を流した一夏だった。

 

 千冬の質問よりも早く一夏が喋る。

 

「先輩からいつもこの時間に掃き掃除してるって聞いてさ」

「あ、あぁ」

「頼みたいことがあるんだ」

「……なんだ?」

 

 いつになく真剣な表情の一夏に、千冬が興味深そうに聞き返す。

 と、一夏は迷わなかった。

 彼は深く頭を下げて懇願する。

 

「頼む! 今日から二週間、俺にISを教えてくれ!」

「ほう。オルコットとの決闘が理由か」

「あぁ! 何がなんでもやらなきゃなんねぇんだ!」

 

 千冬は頭を上げない弟に対して、

 

「昨日から一転して随分やる気になったようだな」

「……」

「ハッキリ言うが、二週間でオルコットに勝つのは不可能だぞ」

「んなもん分かってんだよ。見れる試合は全部見たからよ」

「ほう」

「それでも……それでも、やるんだ。例え一発だけだとしても、たったの一瞬だけで終わるとしても……っ」

 

 ぎゅ、と。

 少年の震える手が、力一杯に握りしめられた。

 

「見せてやるんだッ! 俺の意地ってやつを!」

「……っそうか」

 

 男の熱気を肌身で感じて。

 千冬は弟の将来に募らせていた数々の不安を、まずは忘れることにした。

 ────今はこれで良い。弟の滾る想いを、勇足にならぬよう自分が導いてやれば……きっと、それで良い。

 

 彼女は一夏の握り拳を見つめる。

 

「放課後は予定を入れるなよ。

 そこまで言ったからには、最高の天国(じごく)を用意してやる」

「ありがてぇ、本望だぜ」

 

 IS学園新入生。

 織斑一夏は燃える意地に身を任せ。

 力強い一歩で今、果てなき舞台へと踏み込む。

 

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