最強の処刑人、罪なき聖女を殺せと言われたので二人で逃げて成り上がる   作:滝浪酒利

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第2話 処刑人と聖女 その2

 朝の六時。

 簡素な処刑台を建てた街の広場で、イリスは斬首される予定だった。

 まだ朝も早いうちから、広場にはたくさんの見物人がつめかけていた。丸太で組んだ柵の向こうには、罪人の姿と刑の執行を一目見ようと待ちわびる群衆たちがいる。いつもの景色に、俺はいつも以上の不快感を覚えた。

 

 群衆と柵を挟んで、五十名ほどの警備の聖騎士たちが待機していた。

 教皇庁から派遣された精鋭たちはもれなく白銀の全身鎧に身を包んでいた。まるでこれから敵陣に突っ込むかのような完全装備で周囲を威圧する彼らの存在は、この処刑を絶対に完遂するという政治的意思を物語っているようだった。

 

 俺は黒いコートに、短い首吊りロープをかけた正装をしている。

 鞘から、執行用の長剣を抜いた。

 前日からよく研いでおいた切っ先のない幅広で重厚な剣の側面には『汝に永遠の生を与えん(クルエラローダナム)』の銘が彫られている。ハルドル家に代々伝わる斬首用の執行剣である。

 

 準備を終えて、しばらく待つ。

 鉄の馬車に乗せられて、イリスが刑場に連れてこられた。

 護送馬車の後ろ扉が開く。一週間前と同じ、ボロ布一枚の服とも言えない粗末な身なりに魔法封じの手枷をはめられた少女が、ひたひたと自分の足で処刑台まで歩いていく。

 

 群衆がざわめいた。半分は同情、もう半分は軽蔑と怒りだった。

 回復魔法を独占する高位聖職者たちに反旗を翻した彼女はしかし、正しき信仰に対する裏切り者として発表されていた。

 

 ぎしぎしと、軽い体重が短い木の階段を踏む。

 誰に引き立てられることもなく、少女はおのずから処刑台に上がった。

 長い金髪が、風に揺れながら朝焼けにきらめいた。

 処刑台の端で待機していた俺に、少女は横目で微笑んだ。

 それから跪き、神への祈りを終えると、差し出すように首を垂れた。

 

「これより大罪人、元聖女、イリス=フェアチャイルドの処刑を執り行う――」

 

 進行役の法務官が声を張り上げる。前のめりに詰めかけた群衆の圧に、刑場を囲う丸太の柵がぎしりと軋んだ。悲喜こもごもの怒号と叫びが、土砂降りのように一斉に降り出した。

 しかし俺とイリスの立つ場所は、世界から切り離されたように静かだった。

 死という絶対的な沈黙に面した処刑台の上からは、最早何もかもがひどく空虚なから騒ぎのように感じられる。

 きっとこの世で最後の場所に、俺とイリスは二人きりだった。

 

「ねえ、カイン。どうか気に病まないでくださいね」

 

 その声は、俺の手にのしかかる重さを察したような調子だった。

 

「私は、全てを承知で自分の心に従ったんです。だから私を殺すのはあなたじゃない。私自身の選択で、私は死ぬんです」

「――ではこれより、処刑人による斬首が執行される」

 

 合図の声に、俺は無言で剣を振り上げた。

 今からこの筋肉を動かして、この刃を振り下ろすのは俺の意志ではなかった。それはこの国の意思だった。

 この国の法が、俺にその意思を代行させているに過ぎない。だが、果たしてその意思は正義なのだろうか。

 一点の曇りなき正義の意思によって、イリスは死を命じられているのだろうか。死をもってしか償うことのできない過ちを彼女は犯したのだろうか。

 違う。

 彼女はただ、利益を脅かしただけだ。他人の命の上で特権をむさぼる世襲権力者たちの利益を脅かしただけだ。

 果たしてそれが、死に値する罪なのか?

 断じて、違うはずだ。

 

「最後に――言わせてください」

 

 小さく呟かれたその声は、しかしはっきりと聞こえた。

 

「あなたで、良かったです。カイン」

 

 目を閉じて最後を待つ少女の細い首を見つめたまま、俺は石のように固まった指先にようやく力を込めた。

 その時だった。

 

「ほっほ、少々お待ちを」

 

 俺は頭上に掲げた剣を、振り下ろさずにそっと下ろした。

 驚いた顔をする刑場の法務官や警備の騎士たちと同じように、動作を一時中断してその人物に敬礼をする。

 乗りつけてきた豪奢な馬車から降りて、早足に処刑台に近づいてきたのは太った中年の聖職者だった。ローブに包まれた丸く大きな体に、人のよさそうな柔和な顔がのっている。

 首にかけた赤地に金の刺繍が施されたストールは大司教の証だった。他国なら大臣に次ぐクラスの政府高官である。

 おかしい、と俺は思った。高い位の人間は普通、処刑の見物になんて来ないはずだ。彼らはそれを命じながら、しかし自らの目で血を見るのをひどく嫌う。

 

「ボニウス大司教様……?」

「おお、イリス……間に合って良かったです。あなたに、どうしても言っておきたいことがあって」

 

 ボニウスと呼ばれた大司教は、どうやらイリスと顔見知りのようだった。

 彼は処刑台の下に駆け寄ると、声を潜めて少女に話しかけた。

 

「ほっほ。私の手引きで、あなたが流出させた回復ポーションの製法のことです。本当によくやってくれましたね。貴女の望み通り、多くの人が救われるでしょう」

「……はい、ありがとうございます、大司教様」

 

 どうやらイリスは、この大司教に協力を得てポーションの製法を盗み出したらしい。

 だが何故。どうしてイリスは捕まり、この男は無事なのだろうか。

 彼女が尋問で口を割らなかったのか? いやそれなら俺に拷問が任されるはず。

 では、最初から協力者の存在が疑われなかったということか。そこに疑問を感じた時。

 横で俺が聞いていることなど関係ないように、ボニウス大司教は袖の下から丸められた羊皮紙の束を取り出すと、イリスに向かってにやりと笑った。

 

「ええ。ほらこの通り、あなたが盗んだ製法書はちゃんとここにありますから」

「――え?」

 

 まるでハンマーで殴られたように、イリスは跪いたまま目を見開いた。

 どうして、国外に流出したはずのそれがどうしてここにあり、手引きしてくれたはずの彼がそれを持っているのか。

 俺は全てを悟った。

 けれど、イリスは分からないように、あるいは信じたくないように、震える声で呆然と聞き返した。

 

「大、司教様……どういう、ことですか」

「ほっほ、イリス。本当にお馬鹿さんですねえ――最初から、あなたはこの私に騙されていたんですよ」

 

 そしてボニウス大司教は得意げな声で語り始めた。

 まったく、俺の予想通りの真実を。

 

「私の手引きで、あなたは教皇庁書庫から回復ポーションの製法書を盗みだし、待機していた間者にそれを渡しました。そして彼は私の命令通り、受け取った製法書を私に返却した。それだけの話です」

「……なんで、ですか。どうして、そんなこと!」

「ほっほ。それはもちろん、邪魔だったからですよ。父親の遺志を継いで、回復魔法以外の治療手段が広めようとするあなたの存在が。だからあなたの理解者のフリをして近づき、味方だと思い込ませてこのように罠にはめたのです」

「――――」

 

 色を失ったように絶句するイリスを、ボニウス大司教は罠にかかった獲物をいたぶるような目つきでせせら笑った。

 

「ほっほ。同じですね、その瞳、あなたの父親そっくりだ。7年前、あなたの父親も、この製法書を持って私に協力してくれと訴えに来ましたよ。今の体制は間違っているだの、これで回復魔法の代金が払えないような人たちも救われるだのなんだの……下らない理屈を並べ立ててね。

 ほほ、今思い出しても滑稽です。そしてその後の顛末は、あなたもよく知っているでしょう」

 

 死体を足蹴にするような大司教の口ぶりは、だからこそ隠しきれない愉悦に弾んでいた。このためにわざわざやって来たのだと、はっきりと分かるほどに。

 

「血は争えぬということですね。まさか親子二代にわたって愚か者とは……滑稽を通り越して、いささか哀れですよ」

 

 イリスの顔は、完全に色を失っていた。あまりに受け入れがたい事実を前にして、少女の顔は一時的に感情を表す方法を忘れ去っているようだった。

 ああそうだ、とボニウス大司教はそこで思い出したように手を叩いた。

 

「もう一つの目的を忘れるところでした。……イリス、あなたは頭は悪いですが、とても美しい見た目をしていますね」

 

 そこで初めて大司教は俺を見ると、使用人に言いつけるような口調で命令した。

 

「ほっほ。そこの処刑人。この女の首を落した後、またくっつけて、ついでに体もきれいにして私の家に運びなさい。報酬は払います。そのまま墓に捨てるなんて勿体ないですからね。少々楽しみたいのですよ」

 

 じゅるり、と大司教は舌なめずりをした。そこで初めて、イリスは叫んだ。

 ようやく己の心を思い出しように、目を血走らせて顔を歪めて、あらん限りの怒りと絶望を。

 

「大司教……っ! ボニウス! 貴様ぁぁあああっ‼ よくも、よくもっ……!」

「ほっほー。負け犬の悲鳴は心地いいですねえ。足を運んだ甲斐がありますよ」

 

 そして踵を返して、ボニウス大司教は立ち去っていく。

 その背中に、気付けば俺は処刑台を下りて、声をかけていた。

 

「お待ちください、大司教閣下」

 

 大司教は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 

「……はて? いま、下賤なドブネズミにも劣る処刑人如きが、もしやこの私を呼び止めましたか?」

「すいません。ですが刑の執行にあたり、どうしてもお尋ねしたいことがありまして」

 

 はあ~~、と心底嫌そうにため息をつかれた。

 

「ほっほ。なんですか、手短に頼みますよ。便器よりも汚らしいあなたの口とおしゃべりするなど本来耐え難いことですからね」

「閣下の、お好きな食べ物は何でしょう」

「は?」

「ご出身と、ご趣味と、あと思い出話でも何でもいいです、話しておきたいことをどうぞ」

「……気でも違いましたか? なぜこの場でお前如きにそんな事を答えねばならんのです? 下らない問答はいいからさっさと自分の仕事をしなさい、このクズめ!」

「分かりました」

 

 俺は剣の持ち手を握った。

 豪華なストールをかけた、脂肪に覆われた太い首の、骨の継ぎ目を見極めながら。

 

「ではそれが、遺言ということで」

「――ほ?」

 

 体を後ろに一回転、その勢いを乗せた剣を水平にし、一閃。

 朝焼けの空に、首が飛んだ。

 地面に落ちたそれは二度三度跳ねて、刑場の庭に転がった。

 切り離されたボニウスの顔には何一つ、その身に起きたことに気が付いていないような表情が浮かんでいた。

 そして首を失くした胴体が、安物の看板のように呆気なく倒れる。

 

 刑場の広場は、静まり返っていた。

 剣を振り、血を払う。俺の指先は痺れて震えていた。

 胸に穴が開いている。ずっと抑え込んでいた何かが飛び出していったようなその穴からは、恐ろしいほどの爽快感と取り返しのつかない寒気が同時に吹き抜けていた。

 

 大司教の死体の袖から滑り落ちた、羊皮紙の巻物を拾い上げると同時。

 止まっていた時が動き出したように、悲鳴と怒声が世界にあふれ返った。

 ざあっと、警備をしていた重武装の聖騎士たちが俺を取り囲む。

 

「き、貴様あああああっ‼」

「だ、大司教閣下……! お、おのれ処刑人が、血迷ったかあっ‼」

 

 俺はそれらの一切を無視して処刑台に上がり、剣を振り下ろした。

 そうして手枷を壊された少女は呆然と、信じられないように解放された己を見て、次に俺を見つめて呟いた。

 

「…………どうして、助けてくれたんですか?」

 

 そんなことを聞かれても、正直困る。

 俺は今の気持ちを、まったく次の一言でしか答えられなかったのだから。

 

「つい、我慢できなくて」

 

 一滴。呆然としたイリスの瞳から、透明なものがこぼれ落ちた。

 ……ともかく、やってしまったからにはもう仕方ない。

 

「片付けるか」

 

 俺は周囲を取り囲む完全武装の騎士たちに向け、執行剣を構えた。

 同時、短い悲鳴をイリスが叫ぶ。

 

「ま、待って下さいカイン! 教皇庁所属の聖騎士団を相手に戦うなんて無茶です! とにかく逃げることを最優先――」

「いや、別に問題ない」

「え?」

「俺の方が強いから」

 

 そして――実際に数人を斬り伏せた俺は、剣についた血を払った。

 処刑台を包囲する騎士たちの間に、どよめきが広がった。

 職業柄、俺は人体の構造を完璧に把握している。なぜなら死後の解剖など、死体にまつわる忌み嫌われる仕事は全て処刑人に押し付けられるからだ。

 だから知っている。関節が、筋肉がどう動くのか、人体の急所がどこにあるのか――そしてどう斬れば、どう動けば、無駄なく殺せるのか。

 俺はこの国で最も、人間の殺傷について知り尽くしている。

 

「おのれがぁッ‼」

 

 一人の騎士が突進してきた。全身に鋼鉄の鎧を身に着けているとは思えないほど俊敏な動きだった。身体強化魔法の恩恵だろう。俺もまた同じ魔法を用いて迎え撃った。

 

 まずは強化を眼球に集中して発動し、爆発的に増加した動体視力で剣を見切る。

 そして回避の後、脚から腰へ、背中から肩へ、そして腕へ。

 全身をまんべんなく、ではなく、一瞬ごとに部位を切り替えながら魔法で集中強化することで、一切の無駄なく加速度的に倍増させた力の流れを剣に乗せる。

 一閃。俺の剣は鋼鉄の鎧もろとも騎士の胸を断ち割り、その場に打ちのめした。

 

 殺してはいない。刃は肋骨の上から入れたので傷はそこまで深くない。骨そのものは砕いているから、この場ではもう立ち上がることはできないだろうが。

 唖然とした別の騎士が叫んだ。

 

「ど、どうしてだ……なぜ処刑人なんかに! 動けない相手を斬るだけの、汚らわしいゴミのような職業に! 我々が後れを取る道理がどこにあるというのだぁっ!」

「だからだよ」

 

 再び、今度は左右と正面から三人の騎士が襲いかかって来た。

 しかし左右の二人は剣ではなく魔法で攻撃してくるようだった。炎と風が、鎧の手元で渦を巻く。

 そして正面からの一人が、逃がさないとでも言わんばかりに上段から一撃を振り下ろしてきた。

 

「処刑人の仕事は、なにがあろうと刑を執行することだ」

「‼」

 

 正面からこちらの頭をカチ割ろうとする縦の一撃に対して、俺はよりコンパクトな、敵の手首を狙った下からの斬り上げで応じた。

 当然、剣は目標までの軌道が短ければ短いほど、その到達は早くなる。

 つまり後出しで放った俺の剣は、しかし相手の大振りよりも早く鋭く、手首の鎧の継ぎ目を打ち砕いた。

 

「たとえ罪人にどんな抵抗をされようと、精鋭の騎士団程度が妨害してこようと――それら全ての障害を排除して、法務を遂行できなければ」

 

 攻撃の途中で手首を砕かれた騎士の手から、剣がすっぽ抜ける。宙に舞ったそれを、俺は足の裏で蹴り飛ばした。

 砲弾と化した剣は右側で攻撃魔法を準備していた騎士に命中する。衝撃で、彼は手元の風魔法を暴発させて自ら上空に吹き飛んでいった。

 間髪入れず、俺は手首を抑えてうめく騎士を盾にした。それによって左からの火炎魔法を防御すると同時、彼を蹴り倒して駆ける。

 

 魔法発動の後隙をつかれ、間合いを詰められた最後の騎士が、慌てて剣を振る。

 しかし遅い。俺は突きこまれた切っ先をこめかみのすれすれで回避し、足の裏から順次に身体強化を連続させた。

 そして指数関数的に加速した衝突威力を剣に乗せ、体当たりの要領でぶちかます。

 

「処刑人は、務まらない」

 

 分厚い鉄塊を押し付けるようにぶつける当身。胸部の鎧を砕かれた騎士が、また一人ふき飛んで地面に倒れた。

 どんな状況だろうと、どんな相手が妨害してこようと、罪人の首を落せるように。

 俺は生まれた時からそのための全てを教えられ、寝てる間もそれだけを考え続けてきた。

 倒れている騎士たちは、確かに戦いのプロなのだろう。戦場での殺しの専門家なのだろう。

 だが俺は、この小さな刑場に何が起ころうとすべてを制圧し、支配し、執行するための存在なのだ。

 とはいえ、口の端で小さく自嘲した。たった今、その仕事を放り出した人間が語れることではないだろうが。

 

「……ば、馬鹿な」

 

 残っていた騎士たちが、包囲を維持しながら後ずさる。彼らの士気はもう十分に挫けていた。

 そうして俺は処刑台に戻り、ぽかんと口を開けたイリスを抱き上げた。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 陽が沈みかけていた。

 イリスを連れて刑場から脱走し、聖都トゥリリアからも脱出し、そして脇目も振らずにひたすら駆け抜け続けて。

 今、俺は生まれて初めて、住み慣れた家から遠く離れた場所にいた。

 見知らぬ街道を、少女を背負って全力で走り抜ける。

 息が荒い。全身が熱い。身体強化魔法を重ねがけて、ここまでひたすら走り続けた体がついに限界を迎えた。

 俺は前のめりに地面に倒れた。背中でイリスが悲鳴を上げる。

 

「きゃぁ! か、カイン!? だ、大丈夫ですか!」

「ああ。少し、休憩すれば……まだ、動ける」

「そんなになるまで走らないで下さい! 追手はまだ全然来てないみたいですから」

 

 それでも、走らずにはいられなかった。

 追手を振り切るためでもあるが、それよりも、とても脇目も振らずに走らずにはいられないほど大きな衝動で胸がいっぱいだった。

 助けることができた。イリスを、殺さずに済んだ。

 その事実を噛みしめるたび胸に湧いてくる、いても立ってもいられないようなこの心地が、嬉しいということなのだと気が付いたのは、ずっとずっと後のことだった。

 

 イリスは力尽きた俺を道の端に引きずって、草むらの上で膝枕をした。

 なぜだか顔を見られたくなかったから、俺は夕陽が眩しいふりをして手で隠した。

 すると水魔法だろうか、少女は手のひらに出した冷たい水を俺の口に含ませた。

 

「カインは、これからどうしますか」

「とりあえず、国外に出ればなんとか……その後は、分からん。これから考える」

「じゃあ」

「?」

 

 手を少しどけて、イリスの顔を見上げる。

 そよ風に揺れる長い金色の髪が、遥か西の地平線に溶けていく夕焼けに照らされていた。どんな一枚絵よりも美しく思えたその光景に、指の隙間で息をのむ。

 

「私と一緒にきてくれませんか」

 

 ぽつりと落とされたその声は、勇気を振り絞ったように震えていた。

 

「私は馬鹿でした。あのボニウスにいいように騙されて。カインがいなかったら、きっと、何もできないまま死んでいくことしかできなかった……だから、本当にありがとうございました。……で、それはそれとして! 図々しいかもしれないけれど、私がお願いしたいのは、これからのことなんです!」 

 

 イリスの手は丸められた羊皮紙を握りしめていた。それはボニウスから取り戻した、回復ポーションの製法書だ。

 

「私はこれから、逃げた先の外国で成り上がろうと思います」

 

 なぜならこの回復ポーションを量産し、広め、普及させるためには、何よりも資金と人脈が必要だから。

 カネとコネ。その二つをどうにかして手に入れ、ポーション事業を興し、聖教国の回復魔法独占体制と特権階級を外側からぶっ壊すと。

 一息に、夢を語るように彼女は宣言した。

 

「お父さんやアンヌは、私利私欲のために殺されました。二人を殺した人たちは、これからも既得権益を守るため、同じように人を殺し続ける。私はそれが、許せない。……許しておけない、から」

 

 ひどく未熟な熱を燃やしながら、潤んだ瞳が俺を見つめた。

 

「私と一緒に来て、協力してくれたら、嬉しいです」

 

 差し出されたその声は、まるでそうしてほしいように震えていた。

 俺はとっさに言いかけた言葉を、けれどその気持ちごと押しとどめた。

 

「……やめとけよ。処刑人なんかと一緒にいたら、どこに行っても差別される。俺が近くにいたら、かえってお前の邪魔になる」

「そんなの、もう関係ないじゃないですか」

 

 白い指先が俺の首元へ伸びた。そこにかけられた処刑人の証、短く切った首吊りロープがほどかれていく。

 

「ねえ、カイン」

 

 イリスの指先が肌に触れた。縄のほどけた首に風が吹き込んだ。その感触がひどく冷たかったのは、きっと俺の体がその芯が、とても熱いせいだった。

 そして草むらに投げ出した手の先から黒い手袋が、もう一度外された。

 指が重なる。肌と肌、体温と体温が絡みつくように触れ合った。

 

「あなたの気持ちを、聞かせてください」

 

 落とされたその声に、俺は何を答えたのだろうか。

 自分でも、何を言ったのか分からなかったけれど。ただ。

 落ちてゆく真っ赤な夕陽よりもずっと鮮やかな微笑みが、嬉しそうに頷いた。 

 

 

 ――これは、聖女を殺せと言われた処刑人が、二人で逃げて成り上がる話。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 序章 了

 

 第一章「魔界(アビス)へ」 

 

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