最強の処刑人、罪なき聖女を殺せと言われたので二人で逃げて成り上がる 作:滝浪酒利
俺の名前は、ギルバート。
ロクでもない生まれだから、姓はない。
「ちょっ……は、放してください! あなた、一体――」
「依頼だよ」
「え?」
「嬢ちゃんを連れてくると、報酬を払うって奴がいるのさ」
「なっ、ひ、人さらいなんですかっ……!?」
「人だけじゃないぜ。俺は依頼さえあれば、どこから何でも盗ってくる」
親はいない。物心ついた時から路上生活で、食うためには物を盗る他に道はなかった。
それから二十余年、盗み、走って、捕まり、逃げて、また盗みを繰り返すうちに、俺は誰よりもその道を上手く歩けるようになっていた。
盗みの道とは、すなわち逃走経路だ。大抵の物は盗ることよりも、それを持って逃げる方がはるかに難しい。
だから俺は頭の中で完璧に把握している。裏路地一つに至るまでの詳細な街の地図を、もちろん――浅層に限るが――この魔界の地形もだ。
依頼の少女を抱えたまま、草むらを走り抜け、岩肌を剥きだした丘を軽快に登る。ここまで息を切らさずに。
その先にあるのは断崖絶壁。
「舌を噛むなよ。お嬢ちゃん」
「え――きゃあああああっ⁉」
少女を抱えたまま、俺はちゅうちょなく崖から飛び降りた、否。
崖の斜面を、飛び跳ねながら駆け下ったのだ。
小さな岩の出っ張りから、また別の出っ張りへ、足場とも呼べない小さなとっかかりに、しかし猫のように着地しながら小刻みに速度を落とすことで、俺は落下というこの世の摂理に中指を立てる。
そしてほどなく、俺は崖下の地上に着地した。
これは魔法じゃない、生まれた時から盗みを繰り返し、逃げ続けてきた俺の生業そのもの。
市街地から
よって誰も追いつけないし、もう誰にも捕まらない境地に俺はいる。
小脇に抱えた少女は、無理もないだろう、驚いたように目を見開いていた。
よく見れば何とも美しい顔立ちの彼女に向けて、俺はウインクとともに決め台詞を吐いた。
「――俺の名はギルバート。人呼んで、強奪王ギルバートさ」
直後。
「イリスを放せ」
俺の目の前に、死神が降り立った。
※ ※ ※ ※ ※
俺は即座に、イリスをさらった男の背中を、身体強化魔法で脚力を引き上げて追いかけた。
途中、まさか生身で断崖絶壁を駆け下りたのは予想外。
しかし俺は仕事柄、数多くの死体を解剖したことで、人体の構造を完璧に把握している。
だから分かるのだ。魔法で強化した視力で崖の下を覗いてよく観察すれば、奴がどんな身のこなしで崖を降りたのか、どんな風に筋肉と関節を動かしたのか、理解するのは簡単だった。
ならば、あとはその動きを真似るだけだ。
そして俺は男と全く同じように崖を駆け下りて、その目の前に着地した。
剣は、もう右手に抜いている。
「はじめに言っておく。俺は医者だ。――だから、お前の両手足を粉々に砕いた後に生皮をはぎ取っても、死なないままにしておく方法を知っている」
腹の奥から、熱い何かがこみあげてくる。
今まで誰を拷問した時も、処刑した時も、一度たりともこみ上げてくることはなかったもの。それは恐らくきっと、この世界で最も個人的な感情なのだろう。
確かにそれは、怒りという名前をしていたはずだった。
イリスを小脇に抱えたまま、その男はがたがたと震えていた。
きっと理解したのだろう。目の前の俺の手が、実際にそれを実行した経験があることを。
男はイリスを解放し、両手を挙げた。
「――降参っ‼ 悪かった!」
解放されたイリスは、まだ剣を抜いたままの俺に駆け寄ってきた。そして正面から抱き着いてきた。
「カイン‼ ……嬉しい、安心しました。ありがとう」
「怪我はないか」
「はい!」
それから数分後。
俺たちは、ロープで両腕を縛り、地べたに座らせたその男を見下ろしていた。
聞き出したところによると、彼の名前はギルバート。盗人稼業をしている男らしかった。
「カイン。ロープなんてよく持ってましたね」
「縛り首用の奴だ。カバンの底に余ってた」
「そ、そうですか……ところで! この人さらいさんをどうしましょう?」
縛られたギルバートは、まだ少し青ざめた顔で小さく言った。
「……あのー、どうか許してくれねえかな。もうアンタらには関わらないんで」
「聞きたいことがある」
「な、なんだよ」
「誰に依頼された。イリスを拉致しろと」
「別に、依頼はそれだけじゃないぜ」
「どういう意味だ」
「それは……なんだっけ、ああ、確かそう、お前らから何かの製法書の巻物を奪えってのが第一の依頼。それに加えて、そこの嬢ちゃんの身柄が第二の依頼だ」
やはり狙いは製法書、次点でイリスの身柄のようだった。
十中八九、聖教国からの依頼だろう。自治領相手に数十年来の対立のさなかにある外交関係では俺たちの逮捕引き渡し交渉もできない以上、非公式な手段を取ってきたわけだ。
「誰から、どんな奴から、いつその依頼を受けた」
「それは言えねえな。俺を逃がしてくれる約束をしてくれなきゃ――」
俺は剣を抜くとともに、無造作に振った。
ぴっ、とギルバートの首の皮が一枚、薄く裂ける。そこから一滴、赤い血が流れ落ちる。彼はごくりと息をのんだ。
「質問が聞こえなかったか」
「……いや」
「なら答えろ。それとも本当のことが言いやすいように、新しい口を増やしてやろうか。教えてやる。喉に穴をあけてもな、うまくやれば人間は死なないんだ」
剣の刃を喉元にピタリと当てながら、俺は男の耳元に声を落とした。
ギルバートはいよいよ脂汗を流して、奥歯を鳴らして震えはじめる。
もう少し追い込むかと思った、その時だった。
「カイン、だめです。そんなヒドイこと、しちゃダメ」
俺の腕を、イリスが掴んだ。
緑の瞳は切に訴えるように、あるいは りつけるように俺を見つめていた。
そんな彼女の目を見ているとなぜか、俺はバツが悪いような気分がした。
剣を下ろすと、イリスはありがとうございます、と微笑んだ。
「では、人さらいさんには私から質問します。ええと、さっきのカインと同じ事を訊きますね。答えてくれますか?」
じっと、イリスは今度はギルバートの前にしゃがみこんでをの目を見つめた。
数秒、彼はその視線の真っすぐさに、あるいは鏡のようなその瞳によって、まるで罪悪感を呼び起こされたように、気まずそうに目を逸らしながら言った。
「一週間ぐらい前、三人組だった。フードで正体を隠してたけど、恐らく聖教の連中だろ。なんとなくそういう言動ていうか匂いがした。男二人、女が一人だ」
「そうですか。ありがとうございます!」
「……なあ、ところで、正直に言ったんだから見逃してくれねえかな」
「それは、うーん、どうしましょうか、カイン」
「パンフレットによると、
「へー、そうなんですね」
「……いやいやいや! ちょっと待ってくれよ、お二人さん!」
ギルバートは、まるでベーコンにされる前の豚のような剣幕で声を上げた。
「わかった! じゃあこうしようぜ! 俺がアンタらの仲間になるってのはどうだ? 聖教国の元処刑人と、死刑囚だった元聖女だろアンタら! 噂は聞いてるし、聖教の連中が俺にあんな依頼したって事は、なにかしらの不味いネタも抱えてるんだろ! そういう事情に協力してやるよ! だからブタ箱送りだけはマジで勘弁してください!」
「人さらいの手を借りたいことはない」
「待ちな。俺は人さらい程度の小物じゃねえよ、あくまで、そういうこともやるってだけの話さ」
そう言うと、ギルバートは伊達っぽくウインクをしながら言った。
「俺は依頼さえあればどこから何だって盗み出す。難攻不落の金庫にある宝石から、未亡人のスカートの下の秘密まで何でも盗ってくる、強奪王ギルバート様だぜ」
「そうか、じゃあ」
「はい、カイン」
「なおさら引き渡すか」
「ですね」
「なんでだよっ⁉ 今のは感心するところだろ⁉」
そうして、しばらく後。
俺とイリスは結局、事情を話した上で彼を解放することにした。
「……なるほど、回復ポーションねえ」
話を聞いたギルバートは感心したように頷いた。
ポーションの噂が広まるのは悪いことではない。ともすれば興味を持った裕福な商人なりが投資の話を持ってくるかもしれないからだ。
そして、あまり期待はしていないが、ギルバート自信がなにかそういう伝手を持っていないか、訊いてみるが。
「いや残念ながら……俺は金持ちには恨まれる一方でね。でもその話、いいな。金になりそうなところが気に入った」
縄を解かれて、自由になった手首を回しながら、ギルバートはにやりと笑った。
「よし決めた! その話、俺も一枚噛むぜ」
「断る」
「おいおい、勿体ないこと言うなよ、処刑人の旦那。俺はきっと役に立つぜ。器用だし、イケメンだし、なによりこの足がある!」
ぱんぱんと、ギルバートは膝を叩いて笑った。
すっかり怯える様子も消え去ったその軽薄な陽気さに、俺はやはりどうにも信用が置けない気がして、その脚を斬り落とそうかとふと考える。
「でも、協力してくれるというなら歓迎すべきじゃないでしょうか。現状、私たちはお金もコネも人手もありませんから。それに私個人としては別に、ポーション事業から得られるお金に興味はありませんし。……あ、カインはお金ほしいですか?」
「要らないとは言わないけどよ、必要な分だけでいい」
「オーケー、じゃあ決まりだな」
助かったー、とあけすけな声で叫びながらギルバートは背伸びした。
「しかし、お嬢ちゃんの親父さんはすごいこと考えるな。強い酒の中に魔力を溶かして薬草で属性の味付けねえ……俺は魔法詳しくないからアレだけど、そんなのホントにできんのか?」
「ええ、可能です。とはいっても実際にはすごく純粋な蒸留アルコールが必要なので難しいんですが……。まだ炎とか氷とか、そういう属性を与えて魔法になっていない純粋な魔力はお酒と相性がいいんです。だから溶かして内部に保存することができるんですよ」
「へー」
「もっと言えば、お酒だけじゃなくて魔法にはそれぞれ溶けやすい物質があるんですよ。大まかに言えば、その魔法に概念傾向が近い物ですね」
「がい、ねん……て、どういうことだ?」
出来の悪い生徒のように首をかしげるギルバートに、イリスはよくできた教師のような声で解説した。
「たとえば、炎や雷とか攻撃に使われる魔法は武器類と相性がいいです。氷の魔法は液体と相性がよく、物質の中に閉じ込めることができます。
魔法とはイメージの力なので、私たちが普遍的にその魔法と近しい印象を持つ物とは相性がいいんです」
「じゃあ、なんで無色の魔力とやらは酒に溶けるんだ?」
「ずうっと昔の時代の魔術者は、お酒を飲んで精神力を高めることで強い魔法を使おうとしていたらしいです。実際、思い込み以上の意味はありませんけど。
今でもそのイメージだけが私たちの無意識に残って、多分お酒は魔力そのものとの相性が良くなったんじゃないかと」
「ほへー」
ギルバートは分かっているんだか、いないんだか分からない顔で頷いた。
「イリス、時間的にもうすぐ夕方だ。今日はこのぐらいにしよう」
「あ、もうそんな時間なんですか。言われてみればお腹も空きましたし、そうですね、戻りましょう」
今日は結局、五人ほどを治療した。色々あったが、当初の目的は果たせたと言っていいだろう。
「街に戻るのか? じゃあ俺も一緒に行くぜ、そうだ、安くてうまい飯屋を紹介してやるよ」
「やった! じゃあ私! あの、揚げ物が美味しいところがいいです!」
「顔に似合わず重いもん好きだな、嬢ちゃん。酒はいけるか?」
「いえ。お酒は飲みません。聖女ですから」
「ちょっと待て。なんで自然について来るんだお前。イリスもメシで釣られるな」
「……つ、釣られてませんよ」
「いいじゃねえかよ。もう仲間みたいなもんなんだし」
「どの口が」
頭痛がするような気がした。なぜこんな奴と縁ができてしまったのだろう。
とはいえ、イリスが承知しているなら強くは反対できない。俺は結局諦めて、ギルバートの挙動に警戒を割いたまま、帰るために歩き出そうとした。その時だった。
ふと生ぬるい風が、頬を撫でた。
その風は、俺の知るものとよく似ていた。罪人を拷問する地下牢に淀む、血と人脂の染みついた、暗く湿った空気の流れと。
剣を抜いて振り返る。
その拍子に、懐からパンフレットが落ちた。
「――こんにちは。初めまして。人間ども。いいお天気ね」
澄んだ鈴の音のような声は、なぜか恐ろしく不吉な気配を響かせた。
「⁉ カイン、この子は――」
「……う、嘘だろ」
パラパラと、落ちた拍子にパンフレットが、偶然にそのページを開く。
魔物一覧図。
魔人、アリス。危険度六。
「お兄さんが二人。お姉さんが一人。では遊びましょうか。なぜならワタシが退屈だもの。もちろん、あなた達が死ぬまでね」
そこに立っていたのは、黒いゴシックドレスを着た銀髪の少女。
血濡れた赤い月のような瞳が、おもちゃを見つけたようにこちらを見ていた。