ブラッシュアップして再投稿しました。
高度育成高等学校。
通称「高育」。
三年間、外部との連絡は一切禁止。校外への外出も許されない。
その代わりに、希望する進学や就職はほぼ100%保証される──全国屈指の国立校。
そんな場所に、
────
「……早く来すぎたかも」
ぽつりと呟く。
教室には、まだ誰もいない。
窓から差し込む朝の光だけが、やけに静かに広がっていた。
前日は、ほとんど眠れていなかった。
期待と緊張。そのどちらが強かったのか、自分でもよく分からない。
「……ふぁあ」
小さくあくびが漏れる。
机に頬を乗せると、ひんやりとした感触が伝わってきた。
(今になって、眠くなってきたな)
(少しだけ……)
一瞬だけ、考える。
(……いや、誰か来たら)
(まずは、挨拶……)
そこまで考えて、
「…………」
意識が、途切れた。
上尾はそのまま、机に突っ伏して眠りに落ちた。
────
肩を揺らす感覚で、上尾は目を覚ました。
「……んぁ?」
ゆっくりと顔を上げる。
視界に入ったのは、端正な顔立ちの青年だった。
「よかった。やっと起きてくれた」
「……えっ?」
上尾は反射的に周囲を見回す。
いつの間にか、教室の席はほとんど埋まっていた。
視線が一斉にこちらへ向いている気がして、思わず肩が強張る。
「さっきね、担任の先生が来て入学説明をしてくれたんだけど……」
青年は少し言いづらそうに目を逸らした。
「起こすなって言われてて。もう終わっちゃったんだ」
「えぇっ……!」
小さく声が漏れる。
「ごめんね」
素直に頭を下げるその様子に、上尾は慌てて首を振った。
「い、いや……悪いのは俺だし……」
「それでね、今は自己紹介をしようって流れになってて」
青年は続ける。
「僕はもう終わってるんだけど……あ、平田洋介っていうんだ。よろしく」
軽くそう付け足してから、前の方へ視線を向けた。
「次は君の番なんだ」
「……あっ」
上尾の思考が止まる。
(……自己紹介)
(昨日、考えてたはずなのに)
頭の中を探るが、何も出てこない。
緊張と寝起きのぼんやりした感覚で、用意していた言葉はきれいに消えていた。
「あっ、えっと……」
視線だけが宙をさまよう。
「大丈夫。ゆっくりでいいよ」
平田の声は穏やかだった。
その優しさが、かえって上尾の逃げ場を奪う。
「…………」
言葉が出ない。
教室の空気だけが、じわりと重くなっていった。
「か、
喉が少し引っかかる。
「趣味は、その……読書で……特技は……」
言葉が止まる。
頭の中を探るが、何も出てこない。
沈黙だけが、じわじわと広がっていく。
「一度寝たら中々起きない事?」
どこからか、そんな声が落ちてきた。
一瞬の間。
──次の瞬間、教室に笑いが広がった。
「…………」
上尾は何も言えなかった。
否定する余裕も、乗っかる余裕もない。
ただ立ち尽くすしかない。
「よろしくね、上尾くん」
その中で、平田の声だけが穏やかに届く。
上尾は小さく頭を下げた。
それ以上は何も言えず、そそくさと席に戻る。
椅子に腰を下ろすと同時に、視線を机に落とした。
(……終わった)
顔が、じわじわと熱くなる。
上尾は、出だしでつまずいてしまった。
笑いの余韻が残る中、顔を上げられない。
小さく息を吐く。
そのとき、後ろから声が聞こえた。
「えー、えっと、綾小路清隆です。その、えー……得意な事は特にありませんが、皆と仲良くなれるように頑張りますので、えー、よろしくお願いします」
どこかぎこちない自己紹介だった。
上尾は顔を伏せたまま、耳を傾ける。
(……俺だけじゃなかった)
綾小路に、少しだけ親近感を覚えた。
────
赤髪の不良っぽい生徒や、一部の生徒が途中で抜けるという小さな騒ぎはあったものの、全員の自己紹介はなんとか終わった。
それから入学式も滞りなく進み、やがて下校の時間になる。
上尾は小さくため息をつきながら、机の中の荷物をまとめていた。
「……はぁ」
教室のあちこちから、楽しげな声が聞こえてくる。
「お前ら! 10万ポイント何に使うんだ!?」
「俺は新作のゲーム機!」
「拙者はパソコンを……」
やけに盛り上がっている。
上尾は手を止めて、その会話に耳を傾けた。
(……10万ポイント?)
聞き慣れない言葉に、わずかに眉をひそめる。
(何のことだろう)
気になった上尾は、隣の席の女子生徒に声をかけてみることにした。
「あ、あのさ。10万ポイントって……」
「……っ!」
びくり、と肩を震わせる。
「ぁう……ごめんなさい!」
それだけ言うと、女子生徒は足早に教室を出ていってしまった。
「…………」
手だけが、宙に残る。
(……え)
上尾はそのまま固まった。
後ろから声が聞こえた。
「……10万ポイントは、俺たちの端末に支給された、この学校の施設で使えるポイントだ。円と同じ価値らしい」
淡々とした声だった。
上尾は振り返る。
「……あ、ありがとう」
「いや」
それだけだった。
会話は、そこで途切れる。
「は、羽振りがいいんだね!」
「そうだな」
「…………」
何か続けようとするが、言葉が出てこない。
(……どうしよう)
沈黙だけが残る。
「……じゃあ」
結局、それだけ言って。
上尾は視線を逸らし、そのまま教室を出た。
逃げるように。
────
上尾はため息を吐きながら、ショッピングモール《ケヤキモール》に来ていた。
日用品を買うためだ。
「……はぁ」
入学初日のことが、頭から離れない。
出だしでつまずいたことを、今さらのように引きずっていた。
ドラッグストアに入り、店内をゆっくりと見て回る。
そのとき、視界の端に“無料コーナー”の表示が入った。
(……無料?)
足を止める。
(ポイント、なくなったら困るしな)
そう思いかけて、ふと手が止まる。
(……10万)
改めて考えると、多すぎる。
頭の中で、ざっくりと計算する。
食費が3万から4万。
日用品や文房具で数千円。
合わせてもせいぜい4、5万程度。
(来月はどうなるんだ)
同じ額が支給されるのか。
(そもそも、また振り込まれるのか)
今月だけ多い可能性もある。
(振り込みは、何日だ)
考えは次々と浮かぶが、答えはどこにもない。
(先生に、聞くか)
そこまで思って、
(──いや)
朝の出来事がよぎる。
起こされなかったこと。
あの場の空気。
(……怒ってた、のかも)
わざわざ聞きに行く勇気は出なかった。
思考を切り上げ、視線を戻す。
無料コーナーには、数人の生徒がいた。
迷いのない手つきで商品を取り、次々とカゴに入れていく。
その動きに、無駄がない。
(慣れてる)
上尾は、わずかに目を細めた。
(上級生、か)
(やっぱり減るのかもしれない)
はっきりとは分からない。
それでも、そう結論づけて思考を打ち切った。
(念の為、今月は節制して生活しよう)
これ以上考えても、答えは出ない。
上尾は店を後にした。
────
寮の自室に戻ると、着替えを済ませ、簡単な食事を取る。
それからベッドに体を預けた。
天井を見上げる。
少しだけ、気分が沈む。
(やっぱり)
弱音が浮かびかけるが、小さく息を吐いて押し込めた。
(また明日、やればいい)
(最悪、クラスが無理でも)
(部活って手もある)
目を閉じる。思考がゆっくりほどけていく。
(何にせよ、あの家にいるよりはマシだ)
そのまま、意識が沈んでいった。
────
それから数日が経った。
教室では授業が続いている。
教師の声が、淡々と黒板の文字をなぞっていく。
上尾はノートを取りながら、意識をどこか別の場所に向けていた。
数日前から、状況はほとんど変わっていない。
上尾は結局、クラスに馴染めずにいた。
連絡先に登録されているのは、櫛田の名前だけだ。
「わたしはみんなと友達になりたいの!」
そう言って、彼女は上尾とも連絡先を交換してくれた。
綾小路とは時折言葉を交わす。
だが、会話が続くことはなかった。
隣の席の佐倉とも、距離を掴めずにいる。
初日のこともあり、どう接していいのか分からない。
それでも一度、挨拶をしてみた。
「おはよう」
すると、
「……っ、ぉはよぅ」
小さな声が返ってくる。
こちらを見ることもなく、それだけだった。
上尾はそれ以上、言葉を続けられなかった。
彼女もまた、人付き合いが苦手なのだろう。
それに加えて、男性も。
そう結論づけた上尾は、佐倉に話しかけるのをやめた。
部活動説明会にも足を運んだ。
当然、ひとりで。
少し離れた場所に、堀北と綾小路の姿が見えた。
仲が良いようには見えない。
それでも、一緒にいる相手がいるというだけで、少し羨ましく感じた。
壇上では、生徒会長が挨拶をしている。
名前は堀北学。
(堀北さんと、兄妹か親戚かな)
そんなことを考えながら、説明を聞き流す。
最終的に選んだのは、美術部だった。
部室には、同じ1年生の姿もあった。
Cクラスの金田と、Aクラスの神室。
上尾は勇気を出して、声をかけてみる。
金田は一応、返事はしてくれた。
だが、どこか距離を感じる。
神室に至っては、反応すらなかった。
完全な無視だった。
「…………」
さすがに、堪えた。
上尾は視線を落とす。
(これも、ダメか)
部活動で交友を広げるという考えも、うまくはいかなかった。
上尾は小さく息を吐き、意識を授業へと引き戻した。
この学校は全国屈指の名門校と呼ばれているだけあって、授業のレベルは高い。
内容も洗練されており、自然と興味を引かれるものだった。
黒板の文字を追い、ノートにペンを走らせる。
理解はできる。むしろ、面白いとすら思う。
だが──
問題がひとつある。
クラスメイトだ。
私語が多い。
周囲を見渡すと、携帯を弄っている生徒の姿もちらほら見える。
それでも、教師が注意することはなかった。
(自主性に任せている、のか)
そう考えることもできるが、さすがに限度があるように思えた。
左後ろの席では、堀北が小さくぼやいている。
その気持ちは、上尾にもよく分かった。
友人はできない。
クラスの授業態度も良いとは言えない。
気づけば、マイナスなことばかり考えてしまう。
だが、少なくとも自分の周囲はまだ静かな方だった。
隣の佐倉。
後ろの綾小路。
その隣の堀北。
三人とも、余計な私語はしない。
上尾は自分を含めて、そんな四人を心の中でひとまとめにした。
(ぼっち四天王)
我ながら、どうかと思う。
それでも、少しだけ気が楽になった。
(今日は、図書館に行ってみるか)
前から気になっていた場所だ。
そう思ったところで、上尾は思考を切り上げる。
余計なことは考えない。
目の前の授業に、意識を戻した。
────
放課後。
上尾は図書館へ向かっていた。
教室にいるよりも、静かな場所にいたかった。
読書は嫌いじゃない。むしろ、落ち着く。
扉を開けると、ひんやりとした空気が流れてきた。
人は少ない。
ページをめくる音だけが、わずかに響いている。
(……いいな)
小さく息をつく。
適当に一冊手に取り、席に着いた。
しばらく読み進めていると、不意に声がかかった。
「その本、好きなんですか?」
顔を上げる。
本を抱えた少女が、少し離れたところに立っていた。
「え、あ……うん」
「私も、それ読んだことあります」
「……面白かった?」
「はい。最後の展開が好きで」
そう言って、少女は小さく微笑む。
「椎名ひより、です。Cクラスです」
「
ぎこちない自己紹介。
だが、不思議と居心地は悪くなかった。
「どんな本、読むの?」
「小説が多いです。ゆっくり読めるものが好きで。上尾くんは?」
「俺も似たような感じ」
「推理小説は読みますか?」
「読む。一番好きかも」
「私も、好きです」
少しだけ、声がはっきりする。
「トリックとか、伏線とか。考えるのが楽しくて」
「分かる。気づいたときちょっと嬉しくなる」
「最後に全部繋がる感じも、好きです」
自然と会話が続いていく。
無理に繋げているわけではない。
気づけば、言葉が出ていた。
沈黙があっても、苦にはならない。
それが、どこか心地よかった。
「私のクラスは、少しヤンチャな人が多くて」
椎名がぽつりと言う。
「……苦手?」
「少しだけ」
「俺も似たようなもんだよ。騒がしい奴が多くて……クラス、馴染めてないし」
「……同じ、ですね」
小さく笑う。
その一言で、距離が少し縮まった気がした。
気づけば、外は薄暗くなっていた。
「……もうこんな時間か」
「閉館、ですね」
椎名も時計を見る。
席を立ち、出口へ向かう。
「あの」
呼び止められる。
「あの、上尾くんは……また図書館に来ますか?」
少しだけ、不安そうな声だった。
「もちろん。毎日来たいくらいだ」
迷わず答える。
椎名はほっとしたように、柔らかく笑った。
「よかった」
そのまま、自然な流れで連絡先を交換する。
これで2人目だ。
1人目の櫛田は、友達をたくさん作りたいと言っていた。
けれど上尾には、その言葉がどこか表面的に聞こえた。
悪い意味ではない。ただ、少しだけ距離を感じる。
だからだろうか。
まだ彼女を友達だとは思えていない。
一方で、椎名は違う。
無理をしなくていい。
言葉が少なくても、居心地が崩れない。
(この人とは、友達になりたい)
そう、素直に思えた。
────
それから更に日が経った。
椎名とは最近、放課後どころか昼休みにも図書館で過ごすようになっていた。
今日も同じように、穏やかな時間が流れていた。
「上尾くん、今日の放課後なんですが……茶道部に行かなければならなくて」
椎名が、少し申し訳なさそうに言う。
「茶道部?」
「はい。少しだけ顔を出さないといけなくて」
そんな会話が、つい小一時間前にもあった。
ノートにペンを走らせながら、上尾はそのやり取りを思い返す。
(そろそろ自分も美術部に顔を出さないとな)
そう思う。だが同時に、もう一つの感覚があった。
(でも、椎名さんといる方が落ち着く)
そのときだった。
「ぎゃははは!」
教室に、品のない笑い声が響いた。
今は授業中だ。
あれから授業態度はさらに悪化している。
もはや半ば学級崩壊と言ってもいい。
特に騒がしいのは、須藤、池、山内の三人。
通称“三馬鹿”と呼ばれているらしい。
今朝もプールの授業の話で盛り上がっていた。
女子生徒の体型について、くだらない予想をしている。
周囲の冷ややかな視線にも気づいていない様子だった。
(……名門校、だよな)
学力的には問題ないはずだ。
それでも、この素行は目に余る。
人は見かけによらない、とはよく言うが。
(いや、見かけじゃなくて、ただの問題行動か)
ふと、椎名の言葉を思い出す。
『私のクラスは、少しヤンチャな人が多くて』
どのクラスにも、こういう存在はいるのだろうか。
少しだけ気になり、上尾は手を挙げた。
「先生、お手洗いに行ってきていいですか」
────
用を手早く済ませた上尾は、そのまま自分の教室へ戻る……ことはなかった。
気づけば、他のクラスの様子を見て回っていた。
Cクラス。
椎名の言う通り、やや柄の悪い生徒が目立つ。
Dクラスほど荒れてはいないが、授業に集中していない者も少なくない。
(……ここも、落ち着いてるとは言いづらいな)
次にBクラス。
こちらは比較的、普通だった。
欠伸をしている生徒もいるが、それはどこにでもある光景だ。
良くも悪くも、一般的な高校生という印象だった。
そしてAクラス。
空気が違う。
皆が静かに授業へ集中している。
その様子は、優等生の集まりという言葉がしっくりくる。
(ここまで真面目なのも、逆に珍しいな)
教室を一通り見て回ったあと、ふと気づく。
Aは優等生。
Bは普通。
Cはやや問題あり。
Dは……自分のクラス。
綺麗に階段のように分かれている。
(……偶然か?)
優秀な生徒はAに集められているのだろうか。
では、なぜ自分はDなのか。
成績は悪くない。むしろ得意な方だと自負している。
強いて言えば──対人能力。
友人を作れず、中学時代も孤立していた。
(そこか)
他の生徒はどうだろう。
平田や櫛田は問題なさそうに見える。
堀北も真面目で、成績はむしろ良いはずだ。
(……そういえば、彼女も“ぼっち四天王”だったな)
ふと、くだらない呼び名が頭をよぎる。
──まさかね。
上尾は、放課後の予定を決めた。
────
放課後、上尾は3年生の教室がある4階へと向かっていた。
何か分かることがあるかもしれない。
そう思ったからだ。
3年Dクラスの教室を覗き込む。
生徒の数は、明らかに少なかった。
(……広いな)
違和感が浮かぶ。
人が少ないからか、と一瞬考える。
だが、そうではない。
席そのものが、少ない。
胸の奥に小さな引っかかりが残る。
そのままC、B、Aと順に回る。
そして、再び違和感は強くなった。
また“階段”になっている。
クラスが下がるごとに、席の数が減っている。
Aから順に、生徒の数が少なくなっていく構造。
(……全体で、十人分は少ない)
留年か退学か。
それとも、別の理由か。
これだけの人数が、同時に?
情報が足りないまま、思考だけが空回りする。
(2年の教室も見てみるか)
そう考えた、そのときだった。
「おい」
低い声が背中から飛んだ。
「お前、1年だろ。そこで何をしている」
振り返る。
そこに立っていたのは、金髪で整った顔立ちの生徒だった。
こちらを警戒しつつも、どこか興味深そうな視線だった。
(はぐらかすと、面倒なことになりそう)
上尾は素直に答えることにした。
「クラスの分けに法則があるのではないかと思って、見学させてもらっていました」
「へぇ」
男はニヤリと笑う。
「お前、名前は?」
「……
「2年の南雲だ」
2年生が、なぜ3年のフロアにいるのか。
そう思いかけて、すぐにやめる。
(いや、俺も同じことしてるか)
「で?」
南雲が一歩近づく。
「詳しく聞かせろよ」
「……え?」
「代わりにメシでも奢ってやるからよ」
軽い口調。だが、逃げ道は感じない。
上尾は一瞬だけ思考する。
挑発的で、高圧的。
普段なら関わらないタイプの人間だ。
それでも──。
(ここで引くのは違う)
どうしても、この違和感の答えが欲しかった。
「……お言葉に甘えて」
「ははっ、いい判断だ」
南雲は満足そうに笑った。
────
南雲に連れてこられたのは、普段ならまず足を踏み入れないような高級店だった。
メニューには、数千ポイント単位の料理が並ぶ。
中には万を超えるものもある。
(……ここ、食堂の価格帯じゃないな)
「遠慮することはねぇ。好きに頼みな」
「……ありがとうございます」
上尾は控えめに返し、メニューに視線を落とした。
「それで、何に気付いた?」
南雲が肘をつきながら問う。
上尾は一度思考を整理する。
「クラス分けは、Aから順に優秀な生徒が振り分けられていると思いました」
「理由は?」
「1年の教室を見て回った結果です。Aは優等生、Bは普通、Cはやや問題あり、Dは……学級崩壊に近い印象でした」
「それだけじゃねぇだろ」
「はい」
上尾は続ける。
「3年の教室では、今度はAから順に席が少なくなっていました」
一呼吸おく。
「その生徒たちは留年、もしくは退学処分を受けたのではないかと考えました」
南雲は薄く笑いながらこちらを見る。
「ただ、2年の教室はまだ見ていません。なので確定はできません」
「で?」
「質問してもいいですか」
「答えられる範囲ならな」
「3年生は、何人か留年しているんですか?」
「うちに留年制度はねぇよ」
「……では、退学ですか」
「それは答えられねぇな」
(……曖昧にされている)
意図的か、それとも別の理由か。
南雲の反応を見ても、核心には触れられない。
「分かったのはそれだけかよ」
「……」
南雲はわずかに退屈そうな顔を見せる。
そのときだった。
「あの、ポイントについてなんですが」
「来月は何ポイント支給されるんですか?」
一瞬、空気が変わる。
南雲は再び、面白そうに口元を歪めた。
「それは答えられねぇな」
「振り込まれない可能性も……」
「いや、それはねぇ。毎月一日に確実に振り込まれる。担任が説明したはずだろ」
「……実は説明の時に、居眠りしてしまっていて……聞いてませんでした」
上尾は少し気まずそうに視線を逸らす。
「後から『もう一度説明してください』とは言いづらくて」
「……っ」
南雲が一瞬、言葉を詰まらせた。
次の瞬間。
「くっ……」
肩を揺らす。
「はははははっ!」
店の空気に似合わない笑い声が響いた。
「……そんなに笑うことないじゃないですか」
「いやぁ、悪い悪い」
南雲は、笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら言った。
「久々にこんなに笑ったわ」
「……どうせ俺は間抜けですよ」
上尾は口を尖らせる。
「いや、お前はかなり頭回る方だと思うぞ」
南雲は一度だけ真面目な顔になった。
「ただし──だいぶ抜けてるけどな!」
「……はぁ」
上尾は小さくため息をつく。
「抜けてるお前に、優しい先輩からヒントだ」
南雲の表情が再び変わる。
軽さが消え、視線がまっすぐ刺さる。
「お前はな、根幹に関わる一番大事なもんを見落としてる」
「根幹に関わる……?」
上尾は思考を巡らせる。
(クラス分け、ポイント制度、退学、外部との隔絶……)
条件は揃っている。
だが、何かが足りない。
「それに気付けりゃ、答えはすぐそこだぜ」
南雲はそれだけ言って、椅子にもたれた。
(この学校の一番重要なもの)
『希望する進学や就職はほぼ100%保証される』
その言葉が浮かぶ。
(……まさか)
上尾はゆっくりと顔を上げた。
「進学保証は……Aクラスだけ?」
南雲は一瞬だけ目を細める。
そして、楽しそうに笑った。
「ははっ、合格だ」
南雲は改めて、名乗るように言った。
「俺は南雲雅。2年Aクラス。そして生徒会副会長だ」
「生徒会……」
上尾は小さく反芻する。
(だから、あのフロアにいたのか)
生徒会室は四階にあった。
先ほどの違和感と、ようやく線が繋がる。
「上尾、俺の下につけ」
「えっ?」
唐突な言葉に、思考が止まる。
「生徒会に入れてやるよ」
「……」
生徒会。
そこに入るメリット。
即座には答えが出ない。
上尾が言葉を探していると、南雲がふと思い出したように口を開いた。
「そういや、お前クラスは?」
この流れで言うのは、少しだけ気が引けた。
「……Dです」
「へぇ。そりゃいいな」
「……いいって、俺は最低評価ですよ」
南雲は気にした様子もなく続ける。
「だからだよ。お前は俺の下につきゃ、すぐAに上がれる」
「……すぐ?」
「俺も入学時はBだった。数ヶ月でAに上がったがな」
「数ヶ月で……」
言葉が引っかかる。
(そんな短期間で、上がれるものなのか)
南雲は軽く笑いながら、続けた。
「俺はな、お前みたいな生徒がちゃんと上に行けるシステムを作りたいと思ってる」
その言葉には、冗談の色はなかった。
むしろ、確信に近い熱がある。
「もう一度言うぞ」
南雲は真っ直ぐ上尾を見る。
「俺の下につけ」
────
結局、美術部に入部していることを理由に、生徒会の話は一旦保留となった。
南雲はそれを、あっさりと受け入れる。
「会長は選考基準が厳しいからな。どのみちすぐには入れないだろう」
会長──堀北学。
堀北鈴音の親族だと推測される人物。
詳しくはまだ分からないが、南雲はその名前を口にするときだけ、少しだけ空気が変わっていた。
「あの人は、俺が唯一認めている人だ」
そう言った南雲の顔は、先ほどまでの軽さとは違い、どこか少年のようだった。
そして別れ際。
「褒美だ」
そう言って、南雲は10万ポイントを上尾に渡した。
(……ポンっと渡せる額じゃないだろ)
来月の支給額については、結局はっきりしないままだ。
だが、この資金力。
減るだけではなく、増える可能性もあるのか。
それとも、何かしらの方法で稼いでいるのか。
考えはまとまらないまま、疑問だけが残る。
それにしても、ウチのクラスの連中は呑気なものだ。
あれではAクラスに上がれるはずがない。
茶柱先生から「説明」は受けているはずだが、それでも危機感が見えない。
いや、もしかすると──諦めているのか。
だが現実として、退学者は実際に出ている。
(そういえば……)
去り際の南雲の言葉が、ふと頭をよぎる。
『来月が楽しみだ』
あれは何だったのか。
もしかして、まだ全体に説明されていない情報があるのか。
おそらくこの学校は、成績や能力が足りない生徒を容赦なく切り捨てる。
そして来月、その“仕組み”が動くタイミングなのではないか。
危機感を煽るために、あえて一部だけ情報を隠している──そんな可能性もある。
(まぁ、いいか)
疑問の多くは解消された。
それに、新しい事実もいくつか手に入った。
上尾はもともと、「進学保証」を目的にこの学校へ来たわけではない。
退学にならないように立ち回れば、それでいい。
それに──。
南雲という、初対面では本来苦手なタイプの相手と問題なく会話できたのも、椎名と関わり、人と話す機会が急激に増えたからだろう。
(せっかく椎名さんと仲良くなれたんだ)
その関係を守るためにも、南雲との繋がりは残しておいた方がいいだろう。
生徒会。
その選択肢を、完全には捨てきれないまま。
上尾はそこで完全に思考を止め、帰路についた。
────
最初は、ただの一年生が興味本位で上級生のフロアを彷徨いているだけだと思っていた。
本来なら歯牙にもかけない、モブの一人に過ぎない。
当初の認識はそれだけだった。
しかし──。
『クラスの分けに法則があるのではないかと思って、見学させてもらっていました』
その一言で、わずかに興味が湧いた。
堀北学は自分と正面からやり合う気がない。
そして一年生たちは、まだ“Sシステム”の全容を知らない。
この時期に目立つ動きをするのは得策ではない。
だからこそ、南雲にとっては暇つぶしのつもりだった。
それだけのはずだった。
だが、上尾は提示された情報から“答えに辿り着いた”。
(まあ、ヒントは与えたがな)
それでも、それを拾い上げて形にするかどうかは別問題だ。
生徒会への勧誘も、あれはあくまでブラフである。
最初から本気で入れるつもりはない。
ただし、使えると判断すれば話は別だ。
成果を出すなら残す。
使えなければ切る。
それだけの単純な基準だった。
反抗するような素振りを見せれば、その時は潰すだけである。
上尾は本来、気の弱い性格だろうと南雲は見ていた。
取り繕っているつもりでも、自分には通用しない。
さらにDクラスの存在も、今後確実に関わってくる。
学校運営の中で、いずれ上尾は自らこちらに縋る側になる。
その瞬間が楽しみだった。
ふと、先ほどの会話を思い出す。
『実は説明の時に、居眠りしてしまっていて……聞いてませんでした』
あまりにも間抜けな発言だった。
事実だとすれば、上尾はまだこの学校の本質に気づいていない。
──この学校に“クラス替えがない”ということに。
南雲は薄く笑うと、そのまま街の中へ消えていった。
学力 :A
知力 :A−
判断力 :C+
身体能力:C
協調性 :D−
学力・知力ともに極めて高水準にあり、洞察力・観察眼に優れる。一方で、思考面における抜けや詰めの甘さが散見される。また中学時代の対人関係構築実績の乏しさから、対人関係および集団行動における適応力に課題が見られるため、総合的判断によりDクラス配属とする。