ようこそ出だしでつまずく教室へ   作:ポテナゲ特大

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前半激重、後半スカッとジャパン


第6話

 

 

 

 

 

 椎名に呼び出された場所に向かう上尾。

 

 そこにいたのは、見知らぬ男だった。

 

 鋭い目つき。軽く崩した姿勢。だが、その場にいるだけで空気が重くなるような圧がある。

 

 そしてもう一人。

 

 椎名ひよりは、その隣で固く立ち尽くしていた。

 両手を胸の前で握りしめ、視線は落ちたまま。唇はわずかに震え、目元は赤く腫れている。

 

「初めましてだな、上尾」

 

 男は口の端をわずかに歪める。

 

「俺はCクラスの王だ」

 

 上尾は一瞬だけ目を細める。

 

 空気だけで分かる種類の人間だった。

 

「噂は知ってるよ」

 

「暴力でCクラスを支配した、龍園翔くん」

 

 龍園は鼻で笑う。

 

「随分と正直だな」

 

「そういうお前は、生徒会の副会長に媚び諂ってるって噂じゃねぇか」

 

 上尾は肩をすくめる。

 

「尊敬してる先輩と可愛がってもらってる後輩って関係だよ」

 

「はっ。どうだかな」

 

「それで俺に会いたいって聞いたんだけど」

 

「友達にでもなりたいのかな?」

 

「んなわけねぇだろ」

 

 即答。

 

 龍園はゆっくりと身を乗り出す。

 

「てめぇは、ひよりとよろしくヤってるそうじゃねぇか」

 

 龍園の視線が横に流れる。

 

 椎名は小さく肩を揺らし、視線をさらに落とした。

 

 空気が一段冷える。

 

「彼女とは友達だよ」

 

「猿みたいに盛ってるんじゃねぇのか?」

 

 上尾は小さく息を吐く。

 

「……そんな下品な確認をしに、わざわざ呼び出したのかな?」

 

 龍園の口元がわずかに吊り上がる。

 

「まぁ落ち着けよ」

 

 そして本題へ入る。

 

「ひよりと無事に学校生活を送りたきゃあ、俺の傀儡になれ」

 

 上尾は瞬きを一つ。

 

「……突然だね」

 

 龍園は楽しそうに笑う。

 

「てめぇは南雲とのコネを持ってるからな」

 

「使いようはいくらでもありそうだ」

 

 椎名の指がきつく握られる。

 

 上尾は視線を落とし、軽く息を吐く。

 

「……話し合いで分かり合えたりとかは……?」

 

「ねぇな」

 

 即答。

 

 その一言で、場の空気が固定される。

 

 上尾は肩を落とした。

 

「……すぐには答えを出せない」

 

 龍園は満足げに笑う。

 

「いいぜ」

 

「明日の放課後まで待ってやる」

 

 そして目を細める。

 

「ただし断れば──ひよりがどんな目に遭うか、よく考えろ」

 

「腰巾着が」

 

 

 

 ────

 

 

 

 龍園が去ったあと、空気はそのまま固まっていた。

 

 誰もすぐには動けない。言葉も出ない。残ったのは、さっきまでそこにいた男の圧の余韻だけだった。

 

 最初にそれを破ったのは、椎名だった。

 

「……ごめ……ん……なさい」

 

 か細い声と同時に、堪えていたものが崩れるように涙が溢れた。

 

 上尾はすぐに首を振る。

 

「椎名さんは悪くないよ」

 

 だが、椎名はその言葉すら受け取れないまま、肩を震わせ続ける。

 

「……ごめん……なさい」

 

 ただ、それだけを繰り返す。

 

 上尾は一度だけ目を伏せたあと、小さく息を吐いた。

 

「……もう夜も遅い、寮へ戻ろう」

 

 そう言って、椎名の手を取る。

 

 拒む力はない。むしろその手にすがるように、椎名はゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 寮へ向かう道中、椎名はずっと泣いたままだった。

 

 時折、嗚咽が漏れるたびに足が止まりそうになるが、上尾は何も言わず歩幅を合わせるだけだった。

 

 寮の前に着いても、すぐには別れなかった。

 

 上尾は一度立ち止まる。

 

「少しだけ、話がしたいんだ」

 

 椎名の手を軽く握ったまま、視線を合わせる。

 

「俺の部屋に来てくれるかな?」

 

 ただ、小さく頷く。

 

 嗚咽を漏らしたまま、なすがままに上尾の後ろをついていく。

 

 その足取りは不安定で、けれど止まることはなかった。

 

 

 

 ────

 

 

 

 部屋に入ってからも、椎名はしばらく何も言えなかった。

 

 嗚咽は次第に細くなり、やがて途切れ途切れになった。

 

 それでも沈黙は続いた。

 

 そしてようやく、椎名が口を開く。

 

「……私、学校を、辞めます……」

 

 上尾はすぐに返す。

 

「……それは、俺の為?」

 

 椎名は小さく首を振るようにして、涙を拭った。

 

「……龍園くんに従っていたら、上尾くんはクラスで立場を失います」

 

「……最悪、退学にだって……」

 

「私は、上尾くんの負担になんてなりたくないっ……」

 

 上尾は一歩踏み出しかけて、言葉を探す。

 

「負担だなんてそんな……」

 

 だが椎名は、強く首を振った。

 

「……上尾くんは、学校を辞めたくないんですよね……?」

 

「……うん」

 

 短い返事。

 

 それを聞いた椎名は、少しだけ息を整える。

 

「……私は違います」

 

「……上尾くんみたいに、どうしても残りたい理由はありません」

 

「だから、私が辞めるのが──」

 

「俺は!」

 

 椎名の肩がびくりと跳ねる。

 

 上尾は一度目を閉じて、それから続けた。

 

「……俺は椎名さんともっと一緒にいたいよ」

 

「初めてだったんだ」

 

「友達って言える人ができたのは」

 

「自分を曝け出していいって、受け止めてほしいって思える人に出会えたのは」

 

 椎名の呼吸が止まる。

 

 涙の跡が残ったまま、目だけが上尾を見上げる。

 

「……上尾くん」

 

 上尾は一度、視線を落とした。

 

 部屋の静けさが、やけに重く感じられる。

 

 それでも、言葉を引き戻す気配はなかった。

 

「……前に俺がこの学校に来た理由、親の話を少ししたよね」

 

 椎名は小さく頷く。

 

「……っ……はい」

 

 上尾はゆっくり息を吐く。

 

「椎名さんには知っていて欲しいんだ」

 

「俺の過去。誰にも触れられたくない記憶」

 

 その言葉に、椎名は迷うように一瞬だけ視線を揺らす。

 

 それでも逃げずに、まっすぐ上尾を見る。

 

 そして、静かに覚悟を決めた。

 

「……教えてください」

 

「上尾くんのこと」

 

 そう言いながら、椎名はそっと上尾の手を取る。

 

 震えた指先を包むように、しっかりと握る。

 

 上尾はその温度に一瞬だけ言葉を失う。

 

 けれど、振りほどくことはしなかった。

 

 小さく息を吐いて、視線を落とす。

 

「……分かった」

 

 

 

 ────

 

 

 

 俺の父親はアパレル会社の社長で、母親はファッションデザイナー。

 

 どっちもその界隈では結構有名で、おしどり夫婦なんて呼ばれてもいる。

 

 小さな頃は、裕福で暖かな家庭で甘やかされて育った。

 

 父親はカッコよくて、頭が良かった。

 いつも難しい本を読んでいた。

 時折、まだ幼い俺には難しい話をしてきて、俺はよく分からないまま必死に理解しようとしてた。

 

 母親は美人で、絵が上手だった。

 俺が好きだったアニメのキャラをパソコンで描いてくれて、それをプリントしてクリアファイルにまとめてた。

 それが、俺にとっては宝物だった。

 

 小さな頃は、どっちも優しかった。

 自慢の両親だった。

 

 でも──次第に、どこかおかしくなっていった。

 

 

 

 きっかけが何かは覚えていない。

 きっと、小さな不満の積み重ねだったんだろう。

 

 俺が小学校に上がるくらいから、両親の喧嘩が絶えなくなった。

 その声は次第に激しさを増して、ときには物がぶつかる音まで混じるようになった。

 

 その頃からだ。

 自分に矛先が向かないように、気配を消して、余計なことは言わず、ただ静かに過ごすことを覚えたのは。

 

 それでも時々、苛立ちの捌け口みたいに怒鳴られた。

 ときには、言葉だけじゃ済まないこともあった。

 

 人前では良い夫婦、良い両親を演じながら、裏では罵り合って、息子にまで理不尽な手が飛ぶ。

 その上で、あいつらは互いに不倫を繰り返していた。

 

 それでも離婚はしなかった。

 

 理由は簡単だ。

 世間体のため。

 

 テレビや雑誌で取り上げられたこともある、ファッション界のカリスマ夫婦。

 その実態がダブル不倫で、しかも子供に虐待までしていたなんて知られたら──一瞬で終わる。

 

 名声も、仕事も、全部だ。

 

 だから続いていた。

 “家族ごっこ”だけが。

 

 中学に上がる頃には、家に帰ってくることもほとんどなくなった。

 

 家事はたまに来るハウスキーパーが全部やっていたし、生活に不自由はなかった。

 食事も、服も、金も、何一つ困らない。

 

 空っぽの家の中には、かつての曖昧な温かさだけが残っていて、同時に、消えない嫌な記憶も沈殿していた。

 どちらも、もう手の届かない場所にあるのに、ずっとそこに居座っている。

 

 俺はその家を、どうしようもなく嫌っていた。

 

 そして何より──

 

 両親を、心の底から軽蔑していた。

 

 

 

 俺はすぐにでも両親と縁を切りたかった。

 

 中学を卒業したら、家を出て、どこか遠くで働こう。

 ずっとそう考えてた。

 

 ただ、中卒の十五歳が一人で当てもなく生きていけるのか。

 その不安だけが、頭の中でずっと渦を巻いていた。

 

 そんな時だ。

 この学校を紹介されたのは。

 

 ここは俺にとって、理想だった。

 

 あの家に縛られることはない。

 卒業すれば、あわよくばそのまま就職もできる。

 

 ──ここしかない、と思った。

 

 

 

 そして、この学校に入って、椎名さんと出会った。

 

 小学生の頃も、中学生の頃も、友達なんていなかった。

 

 理由は分かってる。

 人との関わり方が、もう分からなくなっていたんだ。

 

 虐められていたわけじゃない。

 ただ、ずっと孤立していた。

 

 話しかけられても、まともに返せない。

 いつも下を向いて、誰とも目を合わせないようにしていた俺と、友達になってくれるような奇特な人はいなかった。

 

 だから──

 

 俺にとって椎名さんは、初めての友達で。

 

 何よりも、大事な人になっていたんだ。

 

 

 

 ────

 

 

 

 そう話し終えた上尾を、椎名がそっと抱きしめた。

 

 崩れ落ちないように支えるような抱擁だった。

 

 気づけば、上尾の目からは静かに涙が溢れていた。

 

「……なんでだろう」

 

 上尾は自分でも戸惑うように呟く。

 

「泣いたのなんて、久しぶりだ」

 

 声は少しだけ掠れていた。

 

 椎名は何も言わない。

 ただ、黙ったまま腕の力を少しだけ強める。

 

 拒まないでもいい、逃げなくてもいいと伝えるみたいに。

 

 その温度に、上尾もゆっくりと息を吐いた。

 

 そして、椎名の背に手を回す。

 

 離さないようにというより、そこに確かに“居場所”があることを確かめるように

 

 

 

 ────

 

 

 

 それからどれくらいの時間そうしていたのかは、もう分からなかった。

 

 ただ、さっきまで張り詰めていた何かが、少しずつ溶けていく感覚だけが残っていた。

 

 やがて上尾は、静かに口を開く。

 

「椎名さん」

 

 椎名の腕の中で、少しだけ声が揺れる。

 

「俺はもっと椎名さんと一緒にいたいよ」

 

 一拍置いて、続ける。

 

「だからね、椎名さんが学校を辞めるくらいなら──」

 

「──俺も辞める」

 

 椎名の体がわずかに動く。

 

「……えっ? ……でも」

 

 上尾はそのまま言葉を止めない。

 

「自分で話してて気が付いたんだ」

 

「俺にとって一番大事なこと」

 

 少しだけ呼吸を整えてから、はっきりと言う。

 

「その為なら、あの両親に頭を下げてでも、椎名さんと同じ学校に編入させてもらう」

 

 ──最悪、両親(あいつら)を脅してでも。

 

 椎名の指先が、上尾の服を強く掴む。

 

「……上尾くん」

 

 上尾は少しだけ目を伏せる。

 

「重い、かな」

 

 その問いに答えるより先に、椎名はもう一度、上尾を抱きしめた。

 

 今度は迷いのない力で。

 

 そして、震える声で言う。

 

「私もっ、一緒にいたいですっ」

 

 上尾は椎名の腕の中から少しだけ身を離し、涙の跡を袖で乱暴に拭った。

 

 それでも、声だけは妙に落ち着いている。

 

「でも、辞める前に少しだけ悪あがきしてみない?」

 

「……?」

 

 

 

 ────

 

 

 

 上尾の部屋に泊まりたがった椎名を、自室に戻るように促し、2人は解散した。

 

(22時か……)

 

 上尾は端末を開き、何かと世話になっている人物へ通話をかける。

 

「夜遅くにすみません。雅さん」

 

『なんだよ、こんな時間に珍しいな』

 

「例の調査、ひと通り終わりました」

 

『それ、今じゃなきゃダメか?』

 

「いえ、ただ──」

 

「──報酬は貰えますよね」

 

『……お前もがめつくなったな……いくらだ?』

 

「いいえ、ポイントではなく、別のものを用意して欲しくて──」

 

 南雲へ連絡をしたのは、せめてもの恩返しのためだった。

 

 調べた“次の駒”の候補の情報を伝えるため。

 

 そして、迷惑が掛かるであろうDクラスへの置き土産のため。

 

 

 

 ────

 

 

 

 翌日、昼休み。

 

 上尾は職員室に姿を現した。

 

「失礼します」

 

 中に入るなり、視線で目的の人物を探す。

 

 その様子に気付いた茶柱が、すぐさま歩み寄ってきた。

 

「……ようやく私の所に来るとはな」

 

「堀北を差し向けて以来、お前は何も動かなかったが──」

 

 茶柱は腕を組み、勝ち誇ったように続ける。

 

「──それで私に一体、何の用だ?」

 

 だが上尾の視線は一切ブレない。

 

 探しているのは彼女ではない。

 

「いえ、用があるのは──」

 

 

 

「──星之宮先生です」

 

「わたし!?」

 

 少し離れた場所で聞き耳を立てていた星之宮が、素で驚いた声を上げる。

 

 茶柱も目を細める。

 

「何故、知恵に?」

 

 上尾は淡々と首を振る。

 

「星之宮先生と2人っきりで話したいことがあるんです」

 

 その一言で、職員室の空気がわずかに変わった。

 

 

 

 ────

 

 

 

 応接室に案内された上尾は、ソファに腰を下ろす。

 

 向かい側では、星之宮がやけにそわそわしていた。

 

「上尾くん、わたしに話って?」

 

 唐突に顔を赤らめる星之宮。

 

「もしかして告白!?」

 

「ダメよ、わたしたちは生徒と教師」

 

「禁断の関係なの」

 

 上尾は瞬き一つだけして固まる。

 

(……何の話してるんだ、この人)

 

 星之宮はさらに勢いを増す。

 

「でも上尾くん、よく見るとシュッとした顔……」

 

「い、いえ、ダメよ。知恵!」

 

「こういう時は大人の方から優しく、傷つけないように──」

 

 完全に自分の世界に入っていた。

 

 上尾は軽く咳払いをする。

 

「星之宮先生」

 

 その一言で、ようやく現実に戻る。

 

「……はっ、な、何かしら?」

 

「質問があります」

 

「えっと、彼氏は今はいません」

 

 上尾が口を開くのとほぼ同時に、星之宮が先制するように言った。

 

「スリーサイズはもっと仲良くなってからじゃないと──」

 

「退学のペナルティは何ですか?」

 

 ぴたりと空気が止まる。

 

 星之宮は一瞬固まり、数回まばたきをしてから姿勢を正した。

 

「ふぇ?」

 

「退学者が出た時のクラスポイントへのペナルティです」

 

 上尾は淡々と続ける。

 

「……あっ、そういう」

 

 星之宮は小さく息を吐き、拍子抜けしたような、不機嫌とも取れる表情になる。

 

「……わたしじゃなくて佐枝ちゃんでも良かったんじゃないの?」

 

「この質問に関しては誰でも良かったのですが」

 

 上尾は一度言葉を区切る。

 

「星之宮先生には、それとは別でお願いもありまして」

 

「……ふーん。まぁ、いいわ」

 

 星之宮は背もたれに体を預けつつも、すぐに教師の表情へと戻る。

 

「質問の答えだけど、試験内容と退学理由によるわね。一概にいくらとは言えないわ」

 

 

「──なら自主退学の場合は?」

 

 

 その問いに、星之宮の目がわずかに細くなる。

 

「……どうしてそんな質問するのかしら」

 

「この後のお願いに関係してくるからです」

 

 一瞬の沈黙ののち、星之宮は視線を外しながら答えた。

 

「……実際に自主退学者が出た場合にのみ、詳細が明かされるわ」

 

 上尾はその答えを聞き、軽く頷く。

 

 ここまでは想定内。

 

 そして次の一手を、淡々と投げ込む。

 

「じゃあ、“ある権利”をポイントで買いたいんですが」

 

 星之宮が眉をひそめる。

 

「権利……?」

 

 上尾は表情を崩さず続ける。

 

「星之宮先生の“行動と発言の拘束権”」

 

 一瞬、空気が止まる。

 

 応接室の静けさが、さっきまでとは質を変えた。

 

 星之宮は目を瞬かせたあと、ゆっくりと上尾を見返す。

 

「……何それ」

 

 上尾は説明を重ねる。

 

「これから俺は龍園とある契約を交わそうと思っています」

 

 星之宮の眉がわずかに動く。

 

 上尾は構わず話を進める。

 

「その場に立ち会って欲しいんですよ」

 

「そして俺の質問には全て肯定、龍園の質問には答えない」

 

「そんな権利を買いたいんです」

 

 さらに、淡々と付け加える。

 

「実際に立ち会う必要はありません。通話越しで結構です」

 

 言い終えた瞬間、応接室に沈黙が落ちた。

 

 星之宮はしばらく上尾を見つめたあと、ゆっくりと息を吐く。

 

「それって実質、あなたに都合のいい証人じゃない」

 

 上尾は否定しない。

 

「そうです」

 

 その一言が逆に正直だった。

 

 星之宮は当然困惑する。

 

「そんなもの、認められるわけが……」

 

 だが上尾は引かない。

 

「俺とCクラスの椎名ひよりの自主退学届を、貴女に預けます」

 

 星之宮の表情がわずかに固まる。

 

 上尾は構わず言葉を重ねた。

 

「もし龍園翔が俺と契約を結ばなかった場合、それを提出してください」

 

「結んだ場合は破棄してください」

 

「貴女にやって欲しいのは、それだけです」

 

 星之宮はすぐに首を振る。

 

「……協力するメリットがないわ」

 

「第一、教師として生徒に嘘をつくことは──」

 

 上尾は遮るように言う。

 

「嘘を言うわけじゃないです」

 

 静かに、しかし断定的に。

 

「貴女は俺にポイントで言動を買われただけ」

 

「そして俺は、貴女の言うことが俺が指示した内容だと分かっている」

 

 星之宮の目が細くなる。

 

 上尾は続ける。

 

「ただ俺と貴女の会話を、龍園が聞いているだけです」

 

「それだけです」

 

 沈黙。

 

 空気が重く沈む。

 

 上尾はそこでようやく本題に触れる。

 

「それに、貴女にもメリットはあります」

 

 星之宮の視線が動く。

 

「自主退学にもペナルティはあるんですよね」

 

「だからそれはっ」

 

 星之宮は口籠る。

 

「いいです。貴女の口ぶりから大体は予想できます」

 

 少し間を置いて、言葉を落とす。

 

「もし椎名さんが自主退学すれば、Cクラスのクラスポイントはマイナスされる」

 

「そうなれば、貴女が担任を務めるBクラスの──」

 

 

 

「──背中は遠のく」

 

 

 

 星之宮の眉がわずかに動く。

 

 上尾はそこで一度区切る。

 

「それだけじゃありません」

 

「もし、俺と椎名さんが退学せずに済んだ場合」

 

「貴女が指定する“クラスポイントが動く試験”で、一度だけ」

 

「Bクラスが勝つように立ち回ります」

 

 視線を真っ直ぐに向ける。

 

 

 

 

「他クラスの協力者」

 

 

「たった一度だけでも欲しくないですか」

 

 

 

 

 言い切った瞬間、室内の空気が完全に変わる。

 

 星之宮はため息混じりに肩をすくめる。

 

「いいわ」

 

「でも、高くつくわよ」

 

 上尾は即答する。

 

「いくらですか」

 

 一瞬の間。

 

「20万ポイント。それくらいは貰いましょうか」

 

 上尾は少し悩む。

 

「俺が持っているのは16万ポイントです」

 

「まけてくれません?」

 

「だーめ♡」

 

 即答だった。

 

 上尾は小さく息を吐く。

 

「なら、財布を呼ぶしかないですね」

 

 その言葉に星之宮の目が細くなる。

 

「……財布?」

 

 星之宮は上尾がとある生徒と親しいという噂を思い出した。

 

「もしかして南雲くんのこと?」

 

「貴方ねぇ……先輩を、それも副会長を財布呼ばわりなんて──」

 

 星之宮が呆れたように言いかけた、その瞬間。

 

 上尾の端末が鳴る。

 

 画面を見る。

 

「もしもし、一之瀬さん?」

 

 星之宮の表情が固まる。

 

「次の中間テストの攻略法、5万ポイントで買わない?」

 

 通話の向こうで、一瞬の沈黙。

 

 そして──

 

『えっ……えぇっ!?』

 

 電話越しに一之瀬の声が漏れる。

 

 星之宮は額に手を当てながら、ジト目で言う。

 

「……貴方、いい性格してるわね」

 

 上尾は淡々とした表情で答える。

 

「偉大な副会長の背中を見て成長したんです」

 

 

 

 ────

 

 

 

 放課後。

 

 昨日、坂柳と上尾が邂逅を果たしたカラオケ店の一室。

 

 その場に現れた龍園は、最初から勝ちを確信したような目をしていた。

 

「覚悟はできたかよ」

 

 低く、圧を含んだ声。

 

 上尾はあっさりと返す。

 

「いいや」

 

「はぁ?」

 

 龍園の眉がぴくりと動く。

 

 だが上尾は構わず続けた。

 

「俺は君の傀儡にもなりたくないし」

 

「椎名さんに危害を加えて欲しくもない」

 

 一度、言葉を切る。

 

 そして淡々と告げる。

 

「だからこの契約を結んで欲しいんだ」

 

 上尾は一枚の契約書を差し出す。

 

 そこにはすでに整えられた条文が並んでいた。

 

 ────

 

 第一条

 本契約は、上尾照と龍園翔の間で締結されるものとする。

 

 ────

 

 第二条

 龍園翔およびその関係者(指示・依頼・黙認により行動する第三者を含む)は、椎名ひよりに対し、直接・間接を問わず一切の危害、不利益、圧力を与えてはならない。

 また、椎名ひよりの交友関係について一切干渉してはならず、特定の人物との接触の制限・誘導・妨害、または関係の断絶を目的とした働きかけを行ってはならない。

 

 ────

 

 第三条

 本契約への違反が認定された場合、龍園翔は自主退学するものとする。

 また、これを拒否した場合には、本契約に基づき学校側による強制退学処分を受け入れるものとする。

 

 ────

 

 龍園の空気が変わる。

 

「……ふざけてるのかテメェ」

 

 一気に声の温度が下がる。

 

「こんな契約なんざ、結ぶわけねぇだろ」

 

 殺気が混じる視線。

 

 それでも上尾は崩れない。

 

「本気だよ」

 

「だめ?」

 

 一瞬、場が止まる。

 

 

 

 

 龍園が笑う。

 

 乾いた笑い。

 

「……もっと賢い奴だと思ってたんだがな」

 

 その瞬間。

 

 上尾は、横に視線だけを流す。

 

 

「ダメでした。星之宮先生」

 

 

 空気が一段、崩れる。

 

 通信越しの声。

 

『そっかぁ、じゃあ上尾くんと椎名さんの自主退学届は受理しちゃうねー』

 

 龍園の目が細くなる。

 

「……は?」

 

 一拍遅れて、状況の異常さに気づく。

 

 上尾の声は淡々としていた。

 

「君がこの契約を結ばなければ、すでに星之宮先生に提出された俺と椎名さんの退学届は受理される」

 

 龍園が鼻で笑う。

 

「脅してるつもりかよ。テメェらが辞めたところで、俺に何の関係が──」

 

「本当にそうかな?」

 

 上尾は静かに遮った。

 

「はぁ?」

 

 龍園の目が細くなる。

 

 上尾は感情を揺らさないまま続ける。

 

「退学者が出た場合、その試験内容や理由によってクラスポイントがマイナスされる」

 

「そして自主退学の場合は──()()()()5()0()0()ポイント」

 

「そうですよね、星之宮先生」

 

『うん、その通りだよ』

 

 間の抜けたほど軽い肯定。

 

 その瞬間、空気が変わる。

 

 上尾は龍園を見る。

 

「ほら、椎名さんを辞めさせられない理由ができた」

 

 龍園の舌打ちが響く。

 

「ッ……!」

 

 上尾は続ける。

 

「それに椎名さんが辞めて500ポイント削られれば、その事実はすぐ周知される」

 

「そして、この会話は録音してある」

 

 上尾は胸元からボイスレコーダーを取り出す

 

「辞める前に、掲示板にこの音声を投稿すればどうなるかな?」

 

 視線をまっすぐに突き刺す。

 

「君のせいで、Cクラスは一気に崩れる」

 

 龍園は笑い飛ばす。

 

「ハッ! そんなの無理やり奪っちまえば──」

 

『こらー! 先生の前で暴力行為はダメだよ!』

 

 龍園の表情から、わずかに余裕が消える。

 

「……」

 

 上尾はその隙を逃さない。

 

「この契約を結んでくれるなら、自主退学によるペナルティの詳細は黙っておく」

 

「ボイスレコーダーの内容も削除する」

 

「そういう“取引”でもいい」

 

 上尾はさらに踏み込む。

 

「君のやり方は確かに強い」

 

「暴力と恐怖で従わせるのは分かりやすい」

 

「でも、それは“好きで従ってる”わけじゃない」

 

 龍園の目が動く。

 

 上尾は構わず続けた。

 

「自主退学をちらつかせて、言うことを聞かなくなる人間が出てきたら?」

 

「そのたびに全員退学にするのか?」

 

「そうなったら、残るのは“従順な奴”じゃなくて“同類”だけになる」

 

 上尾は間髪入れずに続ける。

 

「人数は減る」

 

「学力も保てなくなる」

 

「この学校は“学校”だ」

 

「今回の中間テストみたいに、学力が問われる試験の方が多いだろう」

 

 視線をわずかに細める。

 

「椎名さんだって、本来ならトップ層の学力だろう?」

 

「それを捨てるのか?」

 

 龍園の口元が引きつる。

 

 上尾は止めない。

 

「Aクラスを目指すために従っていた連中は、そのうち気づく」

 

「“お前は王様じゃない。ただの問題児だ”って」

 

 最後の一言だけ、少しだけ重く落とす。

 

 

 

「崩れる時は、一瞬だ」

 

 

 

 上尾はふと時計を見る。

 

「今は17時58分か」

 

 視線を上げ、淡々と告げる。

 

「星之宮先生。18時になっても龍園が契約を結ばない場合は、退学届を出しに行ってくれますか?」

 

『いいよー。ちょうど59分になったから、あと60秒だねー』

 

 軽い声だった。

 

 すぐに、間延びしたカウントが始まる。

 

『58! 57! 56!』

 

 明るすぎる声が、逆に場の空気を歪ませていく。

 

 カラオケ店の個室。

 

 星之宮の声だけが、やけに響く。

 

『30! 29! 28!』

 

 龍園の舌打ちが一度、空気を裂いた。

 

 だがまだ動かない。

 

『10! 9! 8!』

 

 上尾は動かない。

 

 ただ時計を見ている。

 

『5! 4! 3!』

 

 その瞬間。

 

 龍園が吐き捨てるように声を上げた。

 

「ッわかった!!」

 

「その契約、結んでやるよ!!」

 

 

 

 ぴたりと、カウントが止まる。

 

『……あれ、後少しだったのに』

 

 星之宮の声だけが、少しだけ残念そうに響いた。

 

 上尾は静かに頭を下げる。

 

「ありがとう、龍園くん」

 

 そして、わざとらしいほど穏やかに続けた。

 

 

 

 

 

「やっぱり、話し合えば分かり合えるもんだね」

 

 

 

 

 




ノリノリ星之宮。

ちょっとご都合主義かなって自分でも思います。
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