「お前、暫く俺に尽くせ」
その一言を皮切りに令嬢・曽川ルリと、凶悪犯・浅倉威との、
歪で奇妙な共同生活が始まった。
ルリは毎晩、世間が深い眠りについた時間を見計らって、静まり返った豪邸を抜け出した。
絶対的な支配者であった文也が昏睡状態にある今、彼女を縛る鎖はなく夜の外出は容易い。
重い夜霧の立ち込める森を進み、浅倉の待つ別荘へと向かう道中、
ルリの胸は何時も甘やかな高鳴りに満たされていた。
浅倉に会える。
ただそれだけの事実が、毎晩楽しみで仕方がなかった。
街中の警察が血眼になって浅倉を捜索している真っ最中、
彼女は今この瞬間を、人生で最も濃密な「幸福」として噛み締めていたのだ。
別荘に居座って以降、浅倉は現実世界で一度も外に出ていない。
ルリが衣食住を調達し、彼に出来る限り不自由ない環境を提供し続けていたからだ。
お陰で警察の捜査網に引っかかることもなく、平穏な日々が何日も続いた。
とは言え、彼らが「仮面ライダー」である以上、避けて通れない義務がある。
契約モンスターに餌(モンスターの生命エネルギー)を与え続けなければ、待っているのは契約者への逆襲――捕食である。
特に浅倉は、ベノスネーカー、エビルダイバー、メタルゲラスという三体もの強力なモンスターを使役している。
戦力としては無類の強さを誇る反面、維持するために必要な餌の量は、通常のライダーの三倍。
常に飢えと隣り合わせの化け物たちを満足させるのは、並大抵の苦労ではない。
その過酷な「餌付け」の役割を買って出たのも、他ならぬルリだった。
「浅倉さんは、ゆっくりしていてください」
浅倉の代わりにルリは一人でミラーワールドの深淵へと日夜足を踏み入れ、
スティーガとして野生のモンスターを討伐する。
そして、爆散した標的から湧き上がる極彩色のエネルギーを、
浅倉のモンスター達へと惜しみなく与え続けた。
巨大なコブラにエイとサイ。
獰猛な三体の影が、ルリが差し出すエネルギーを貪り喰らう。
その光景を、ルリは恐れるどころか、愛おしげに見つめていた。
勿論、時には自分のモンスターであるディスコーピオンにもエネルギーを与えた。
一見、浅倉にとってもルリにとっても順風満帆に見えるこの共同生活。
しかし、その歪な関係性の底には、どうしても拭いきれない致命的な懸念点が潜んでいた。
◆
それはある日の、ミラーワールド内の森林での事。
「きゃあ!」
短い悲鳴と共に、クリムゾンレッドの身体が派手に地面へ叩きつけられた。
泥にまみれて倒れ伏せるスティーガの目の前には、
仮面ライダー王蛇がベノサーベルを片手に傲然と佇んでいた。
「おいおい。デカい口を叩いた割には、その程度か?」
「うぅ……っ」
退屈そうにゴキゴキと首を鳴らす王蛇。
彼はそのまま両手を広げ「ほら、来いよ?」と、わざと無防備な隙を晒してみせる。
屈辱と全身の痛みに耐えながら、スティーガは泥を掴んで這い上がった。
「うわあああ!」
叫び声を上げ、気力を振り絞ってディスティングバイザーを振りかざし王蛇へと突撃する。
しかし、その直線的な一撃は、王蛇の最小限の身のこなしであっさりと回避。
すれ違いざま、スティーガの背中をベノサーベルで容赦なく斬りつける。
「あがぁっ!!」
激しい火花が闇を焦がし、彼女は再び地面へと転がった。
それを見下ろした王蛇は、心底つまらなそうに深く溜息をついた。
「はぁ....もういい。今日は止めだ」
吐き捨てるようにそう言い残すと、王蛇は興味を失った獣のように背を向けて去っていく。
「……」
バイザーの奥で、ルリは何も言えずにただ拳を握りしめた。
這いつくばったまま体勢を立て直し、王蛇の後を追うようにトボトボとミラーワールドを脱出するしかなかった。
これこそが、ルリにとっての最大の懸念点であり限界でもある。
―― 自分は人間相手には全力で戦えない。
浅倉威という男を満たす唯一のガソリンは「戦い」である。
血生臭い、命のやり取りを伴う極限の暴力こそが、彼にとって何よりも至福の瞬間。
相手が強いほど、凶悪であればあるほど、渇きは満たされ、歓喜は増大する。
だからこそ浅倉はライダーバトルが止められない。
だが現状のルリでは、彼のその「戦闘狂」としての欲求を、何一つ満たせていなかった。
警察が来ないのは有り難いが、潜伏生活中に外に出られないのはやはり退屈。
浅倉は「暇つぶしに俺と戦え」とルリに要求したのだ。
頼みを断りきれず、自らの力を証明する好機と捉えて挑んだルリだったが、
結果は見るも無残な惨敗。
野生のモンスター相手なら何処までも冷酷なまでの捕食者になれた。
しかし、命ある人間相手、ましてや自分が「この手で守りたい」と心から望む浅倉の肉体を傷つけることには、どうしても無意識の躊躇が生まれてしまうのだ。
「ライダーになった以上、私だって戦えます!」と、あれほど啖呵を切ったものの、やはり実戦それも泥沼の殺し合いとなれば、理想通りにはいかない。
食事の用意やモンスターの餌付けといった「生活面」ではそれなりに役に立っているため、
浅倉も今は大目に見て、彼女の別荘に居座り続けてくれている。
だが、ルリは彼の心を満たせない自分の無力さに、心の中で影を落とすのだった。
◆
浅倉との不毛な対戦を終え変身を解除したルリは、
体中を走る痛みに耐えながら別荘の玄関で帰る支度をしていた。
パーカーの袖を通すだけでも、打撲の痛みが骨に響く。
そんな彼女の後ろ姿に向け、ソファーに仰向けになったままの浅倉が、退屈そうに声をかけた。
「お前、本当にライダーと戦えるのか? そんなんで……」
「……」
ルリの動きがピタリと止まる。
一瞬の重苦しい沈黙の後、彼女は振り返り、必死に声を絞り出した。
「浅倉さん相手には、どうしても……加減してしまうだけです。でも、私の意志は変わりません。
他のライダーが浅倉さんの邪魔をするなら……その相手なら全力で戦えます」
「っは、どうだか」
浅倉は鼻で笑い、ルリの決意を一蹴した。
「お前からは何にも匂ってこないからな」
気怠げに、しかし確信に満ちた浅倉の言葉に、ルリはかすかに眉をひそめた。
「匂い?……何のですか?」
すると浅倉はソファーの上でニヤリと、昏い笑みを浮かべた。
「血だよ。モンスターのじゃない。人間の血の匂いだ……」
静かに笑う浅倉は、ゆっくりと上体を起こし、じっとルリの瞳を覗き込んできた。
「お前、親を憎んでるんだろ? だったら何故自分で手を下さない?」
「自分でって……」
思わず言葉に詰まるルリ。
父・文也を憎んでいるのは事実。だが幾ら憎んでるとは言え、自分の手でその命を奪うという発想は、
ルリの倫理観の中には存在しなかった。
そんなルリの動揺を見透かすように、浅倉は淡々と、あまりに軽い口調で言葉を続けた。
「俺はやったぜ?……ガキの頃、家に火を放ってな」
「家に火………っ! ま、まさか、子供の頃の火事って……」
ルリは思わず息を呑んだ。
脱獄した浅倉の手がかりを求めて、図書館の片隅で過去の新聞を貪り読んでいた時、
または彼の人物像や過去を記した記事の記憶が、脳裏に蘇る。
――浅倉威、13歳の時、実家が火災により全焼。家族を失う。
世間はそれを、うらぶれた家庭の悲劇的な「不審火の事故」として処理していた。
しかし、目の前の怪物は、何の躊躇いも、悪びれる様子もなく、凄惨な真相を口にしている。
「ああ、そう言や過去を調べたんだったな? なら話は早い。
俺なんだよ。あの家を焼いたのは」
浅倉の目が獲物を思い出すかのように輝く。
そして脳裏に、当時の光景が鮮明に、そしてあまりにも美しく浮かび上がる........。
部屋の壁を、天井を、すべてを真っ赤に埋め尽くす容赦のない炎と、視界を塞ぐ黒煙。
その地獄の特等席で、身をかがめ、ただの哀れな肉塊となって恐怖に慄く両親の姿。
『ああがあああ! や、止めろ威ぃぃぃ!!』
『熱い! 痛いぃぃぃ!!』
衣服に火が燃え移り、のたうち回りながら泣き叫ぶ親たち。
それを見下ろす子供の頃の浅倉の手には、先端から激しく炎を噴き上げる一本の木製バットが握られていた。
彼はそれを、容赦なく何度も振り下ろして打ち付ける。
『ハハハ! アッハッハハッハ!』
中学生男児が上げるものとは到底思えない、鼓膜を劈くような狂気の笑い声。
人生の後先がどうなろうが一切興味はない。
浅倉は歓喜の声を上げながら、骨が砕ける生々しい感触をバット越しに楽しみ、
両親を滅多打ちにし続けた。
自分が誰かを殴るか、さもなくば自分が殴られないと気が済まない。
そんな歪んだ飢えのきっかけを作った親。
その絶対的だった存在が、自分の暴力と炎の前で無残に崩壊していく姿が、
幼い浅倉には痛快で、心地よくて仕方がなかった。
その後、家は跡形もなく全焼。
残された両親の遺体は、炭化し、もはや身元の判別すらつかないほどに燃え尽きていた。
浅倉が執拗に殴打したという凄惨な証拠すら、全てを灰にする炎が綺麗に消し去ってくれたのだ。
「格別だったぜぇ? 散々イラつかせた奴らが、無様にのたうち回る様はなぁ」
回想から戻った浅倉は、ソファーの上で喉を鳴らして低く笑った。
放火殺人は日本の刑法の中でも極刑に値する重罪。
しかし彼はそれをさも武勇伝のように、嬉々として語ってみせた。
あれから時は流れ、『王蛇』の力を手にした浅倉は、まさに人の皮を被った悪魔そのものだった。
あの夜、燃え盛る実家から辛うじて生き延びた彼は天涯孤独の身になったと思われていたが、
実は生き残った肉親がもう一人だけ存在していた。
浅倉暁――彼の弟である。
両親を失った後、別の親戚に引き取られて遠く離れて暮らしていた暁。
彼は「凶悪犯の兄を持つ」という底知れない嫌悪感と恐怖から、兄とは二度と会わないと心に決めていた。
あの火事で弟も死んだものとばかり思っていた浅倉は、成人した暁が生きて市役所に勤めているという情報を知るや否や、何の躊躇いも無く行動を起こした。
自らの契約モンスターであるベノスネーカーに、実の弟を捕食させたのだ。
動機は、反吐が出るほどに単純。
―― 両親共々、ずっとウザかった。
ただそれだけ。
血を分けた弟を化け物の餌にする理由として、彼にはそれで十分なのだ。
「……」
あまりにも容赦のない、底無しの狂気。
火事の凄惨な真相と、弟の末路を知ったルリの唇からは、もはやどんな言葉も紡ぎ出されることはなかった。喉がカラカラに干からび、ただ浅倉の横顔を凝視することしかできない。
その時、別荘の空気を震わせるように、低く不気味なモンスターの唸り声が部屋に響き渡った。
『グゥゥルルルゥ......』
『キュイィィ.....』
「!」
ルリが視線を向けると近くの鏡の中に、現実世界の浅倉を憎悪の篭った瞳で睨みつけている
『メタルゲラス』と『エビルダイバー』の姿が映し出されていた。
浅倉はクククと肩を揺らして笑う。
「ソイツらも元は俺が始末したライダー達の亡霊だ……お前に、そんな真似ができるか?」
本来、モンスターを使役するためには『契約(ベント)』のカードが必要であり、
仮面ライダーは一人につき一枚を所持するのが基本だ。
しかし浅倉は神崎士郎から予め白紙の契約カードを複数枚与えられていた。
ベノスネーカー以外の二体のモンスターは、かつては別のライダーたちと契約を交わしていた存在。
つまり、この二体が浅倉の配下に居ると言う事は、
彼が既に二人のライダーを葬ったと言う何よりの証拠だ。
「まあいい。食事と隠れ家の礼だ。お前を潰すのは一番最後にしてやる……...
お前がそこまで生きてたら、の話だがな?」
言い終えると、浅倉は何事もなかったかのように再びソファーに寝転がり、気怠げに目を閉じた。すぐに微かな寝息が聞こえ始める。
「……」
ルリは奥歯を噛み締め、指先の微かな震えを必死に押さえ込んだ。
そして何も言わず、ただ静かに足音を忍ばせて別荘の外へと出ていった。
夜の冷たい森の空気が、熱を持った彼女の頬を撫でる。
浅倉威という男の底知れない狂気には、確かに本能的な恐怖があった。
震えが止まらないのも事実だ。
それでも――
彼女の歪んだ恋慕の炎が消えることはなかった。
どれだけ彼が血に塗れた怪物であろうとも、ルリは彼から離れたいとは、どうしても思えなかった。