龍騎外伝 仮面ライダースティーガ&王蛇   作:巽★敬

7 / 8
本作、結構話数が多いかもしれません。


# 07

 

浅倉を別荘にかくまって3週間が過ぎようとしていた。

 

夕焼けが街を茜色に染める帰り道。

制服姿のルリは、一人静かに歩いていた。

オレンジ色の西日が彼女の影を長く引き伸ばす。

横断歩道を渡る人々の笑い声。部活帰りの学生達の談笑。どこにでもある平穏な夕暮れ。

けれどその中を歩く彼女の胸の内だけは、

重たい鉛のような焦燥で満たされていた。

 

(こんなんじゃ……駄目……)

 

自然と、指先が強く握り締められる。

脳裏に浮かぶのは、数日前の戦い。

シザースとの戦い、そして目の前で繰り広げられた王蛇の凄惨なライダー狩りの光景。

命のやり取りを前に身体をすくませてしまった自分の甘さと無力さ。

対照的に何の躊躇いもなくライダーの命を奪った浅倉威の姿。

思い出しては爪が肉に食い込むほど拳を握りしめ、歯痒い思いが胸の奥でぐるぐると渦巻く。

 

( もっと強くならないと!)

 

浅倉の隣に立つと決めた。彼の為に戦うと誓った。

それなのに、自分は未だに人間を傷つける覚悟すら持てていない。

こんな中途半端では浅倉の足手まといだ。

そんな考えが、胸の奥へ鋭く突き刺さって離れなかった。

 

やがて、巨大な曽川邸の門を潜る。

相変わらず無駄なほど広い屋敷の中は、主人である文也が昏睡状態に陥った今でも、

使用人達によって管理されていた。

ルリは俯いたまま玄関を抜けようとしたが、

廊下の向こうから聞こえてきた使用人達の会話に、ふと足を止める。

 

「なるほど。それで、今日は買い手の方が見学に?」

「旦那様は、かなり前から売却を進めておられましたからねぇ。負債整理と税金対策だとかで」

「抜かり無い人だ……別荘を手放すとは。 まあ、あの森は良い場所ですからね」

 

「……え?」

 

――別荘、森。

 

その単語を聞いた瞬間。

ルリの全身から、一気に血の気が引き、掠れた声が漏れる。

しかし、今の彼女にはそんな反応すらまともに認識できなかった。

 

別荘。

まさか、浅倉が潜伏している場所。

今まさに、そこへ人が来ている――。

 

(そんな……っ!)

 

心臓が激しく脈打つ。

最悪の想像が脳裏を駆け巡った。

 

もし浅倉さんが見つかったら。警察に通報されたら。

あの人の事だ。

きっと鉢合わせた人も、ただでは済まない。

 

ルリは学生鞄を放り投げ、弾かれるように踵を返し屋敷を飛び出す。

夕闇の迫る森の道を、一心不乱に駆け抜ける。

枝葉が制服を引っ掻き、土を蹴る靴音が静かな林道へ響いた。

 

お願い、まだ見つからないで。

 

祈るような思いだけを胸に、ルリは別荘へ辿り着く。

木々の奥に見えた建物には、2代の車が停まっていた。

見覚えのある曽川家の社用車。

そして、黒塗りの高級セダン。

 

ルリは咄嗟に近くの茂みへ身を潜めた。

別荘の玄関前では、曽川家の使用人と仕立ての良いスーツを着た男性が何かを話している。

どうやら本当に買い手の人物らしい。

 

「うむ、内装も綺麗ですな。森も静かで素晴らしい。別荘地としては申し分ない」

「ありがとうございます。お気にめされた様で」

 

穏やかな会話。

だがルリには、その一言一言が死刑宣告のように聞こえた。

 

浅倉さんは――?

 

震える視線で別荘を見つめる。

 

窓。

 

玄関。

 

庭。

 

どこにも、あの蛇柄ジャケットの姿がない。

 

(隠れてる、の……?)

 

そう思いたい。

だが、浅倉威という男は、大人しく息を潜め続けられるような人間だろうか?

もし見つかっていたら。もし機嫌を損ねていたら。

最悪の想像ばかりが脳裏を埋め尽くしていく。

 

「にしても、まだ電気が通っているのですね」

 

ブレーカーのつまみを弄りながら、買い手の男がふと違和感を口にした。

管理されていない空き家なら、真っ先に止められているはずのライフラインだ。

 

「ええ……電気の解約手続きを行う直前に、文也様が入院なさったので。此方でも色々混乱が生じてまして」

「例の事件ですか。災難でしたね……」

 

男は気の毒そうに眉をしかめた。

だが男の鋭い視線は、リビングのテーブルやキッチンの僅かな痕跡を見逃さなかった。

 

「ところで……何だかつい最近まで、誰かがここを使っていた様な、跡があるように思えるのですが?」

「!」

 

その言葉に、物陰で盗み聞きしていたルリの心臓が、ドクンと大きく跳ね上がった。万事休すか、そう思った瞬間、使用人が静かに言葉を続けた。

 

「……もしかしたら、ルリお嬢様かもしれません」

(え!?)

「お嬢様が?」

「はい。彼女も、色々と抱え込んでおいででしたからね……私どもの目を盗んで、何時こちらへ抜け出されていたのかまでは分かりかねますが……一人の時間が欲しい年頃なのでしょう」

 

使用人の声には、ルリを責めるようなニュアンスは一切なかった。

文也から日常的に抑圧され、心をすり減らしていたルリの姿を、使用人たちも間近で見ていたのだ。

当時は文也の権力が恐ろしくて、公然と彼女を庇うことはできなかった。

だからこそ彼らは、ルリがこの別荘に現実逃避しに来ている(と彼らが思い込んでいる)事実を察しながらも、せめてもの贖罪として「見て見ぬふり」をしていたのだ。

 

彼らなりの優しい気遣い。

だが、まさかルリがその場所で、世間を震撼させる凶悪脱獄犯を匿っているなどとは、夢にも思っていない。

 

「そうなのですか……うーん、なんだか、彼女のささやかな居場所を、大人の都合で奪ってしまうみたいで、申し訳ないですね……」

 

男はバツが悪そうに頭を掻いた。根は悪い人物ではないのだろう。

 

「その件につきましては、私どもの方から上手くお嬢様へ伝えておきます。旦那様の負債整理のため、もう売却は決定事項でございますので」

「解りました。本当に良い場所なので、買い取った後は大切に使わせてもらいます」

 

ひと通りの視察と話しを終え、彼らは軽く挨拶を交わし車へ乗り込む。

エンジン音が静かな森に響き、数台の車はゆっくりと去っていった。

辺りに静寂が戻る。

 

「浅倉さん……!」

 

ルリは堪えきれず茂みから飛び出し、急いで別荘の中へ駆け込んだ。

常備していた合鍵で玄関を開ける。

 

リビング。キッチン。浴室。寝室。

 

「浅倉さん!!」

 

返事はない。

 

「――浅倉さん……?」

 

人気の消えた別荘の中で、ルリの声だけが静かに響く。

薄暗い室内には、先程まで他人が出入りしていた気配だけが生々しく残っていた。

胸の奥が嫌な音を立てる。

何処に行ったのだろう?

まさか、既に出て行ったのか?

あるいは警察に――。

 

その瞬間。

 

「おい」

「っ――!?」

 

突然、背後から伸びた腕がルリのか細い首を乱暴に掴み、そのまま壁へ叩きつけた。

 

「か……ぁっ……!」

 

細い喉が強烈な力で締め上げられる。呼吸が止まり、視界が一瞬白く弾けた。

苦悶に歪むルリの目の前には、いつの間に現れたのか、浅倉威が不機嫌そうにこちらを睨んでいる。

 

「車の音が聞こえたからなぁ…………外で隠れてたぜ」

 

首を締める力が強くなり、苛立ったように眉を寄せる。

 

「しばらくは“安全”………だったなぁ?」

 

ギリギリと容赦なく指先に力が込められる。

呼吸を完全に止められ、ルリの顔が苦痛に歪んだ。

 

「ご……ごめ……なさい……っ、わ、私……」

 

喉を締め付けられ、ルリは掠れた声を漏らす。

知らなかった。売却の予定なんて。電気だって通ってたし冷蔵庫も使えた。

必死に浅倉の手首へ縋りつくが、びくともしない。

浅倉の目は酷く冷えていた。

怒鳴っている訳ではない。

だがその無機質な視線の奥にあるのは、明確な警戒と不快感だった。

ほんの少しでも判断が遅れていれば。

もし買い手や使用人と鉢合わせていれば。全てが終わっていた。

 

やがて浅倉は、興味を失ったように鼻を鳴らすと、乱暴に手を放した。

 

「がはっ……! げほっ……!」

 

ルリは床へ崩れ落ち、激しく咳き込む。酸素を求める肺が熱く痛んだ。

そんな彼女を見下ろす浅倉。

 

「……ここに居るのも潮時か」

 

気怠げな声。

そして次の言葉がルリの心臓を鋭く貫いた。

 

「お前と関わるのも、この辺にした方が良さそうだ」

「……っ!」

 

吐き捨てるような冷酷な宣告。

ルリの顔から一気に血の気が引く。

浅倉が自分の前から居なくなる。彼が自分を不必要とする。

そんなの嫌だ。耐えられない。

その最悪の想像だけで胸の奥が凍りつき、恐怖で視界が歪む。

激しく咳き込み、喉を抑えながらも、ルリは必死の思いで冷たい床から立ち上がった。

 

「ま、待ってください……!別荘なら……他にもあります……! 私、まだ役に立てますから……っ!」

 

しかし、浅倉は面倒臭そうに吐き捨てる。 

 

「馬鹿か。これ以上お前とつるんでどうする? どっからボロが出るか解らんだろ」

 

実際その通りだ。

今回は凌げたが、次もそうとは限らない。

使用人。買い手。不動産関係者。警察。

一度綻びが生まれれば、そこから浅倉の潜伏先が露見する危険性は一気に高まる。

現にこの別荘を使っていた事は、使用人に感付かれていた。

 

それでもルリは引き下がれなかった。

この際一つの拠点に拘らなくても良い。

一番怖いのは彼が自分を当てにしなくなり、拒否される事だ。

この約3週間、浅倉との交流はルリにとって掛け替えの無い幸福だった。

例え世間が彼を罰し、罵詈雑言を浴びせようと自分だけは彼の味方でいたい。

そんな歪な独占欲がルリの心を突き動かすのだ。

 

「なら……別荘じゃなくても……!」

 

浅倉が僅かに視線を向ける。ルリは震える声で続けた。

 

「隠れ場所、教えてくれえれば、また食事でも、必要な物持って行きます……! モンスターの餌だって……きっと役に立ちますから……! 」

「教える? 何処でどうやって?」

 

面倒くさそうに尋ねる浅倉。

当然だ。警察から追われる脱獄犯である自分は、携帯電話のような連絡手段など、持てる筈もない。

 

「ミラーワールドの中、とかで話して頂ければ......だから……」

 

切り捨てないで。

その言葉だけが、喉元で震えていた。

 

浅倉はしばらく黙ったままルリを見つめていた。

正直、面倒だった。

これ以上、大手企業の令嬢などという大きな肩書を持つコイツと関わるのはリスクだ。

 

その一方で、彼女には色々世話になったのも事実。

潜伏中に衣食住を支え、モンスターの餌付けまで肩代わり。長期間警察の目を欺く事も出来た。

それなりに借りは有るし、完全に無碍に捨てるには惜しいかもしれない。

 

やがて浅倉は、何かを思いついたように口元を歪めた。

 

「そうだな……なら、こうするか」

 

浅倉の口から告げられる新たな「条件」を前に、ルリは息を呑んで次の言葉を待った。

 

「あの白いライダー。仮面ライダーファム。霧島美穂」

「……!」

 

その名を聞いた瞬間、ルリの身体が小さく強張る。 

脳裏に、浅倉に激しい憎悪の刃を向けていた純白のライダーの姿が鮮烈によみがえった。

そして霧島と言う名にも覚えが有る。

浅倉により命を奪われた被害者の名だ。となると、変身してるのは.....

 

「奴は俺を深く憎んでてなぁ? 会う度に熱心に潰しに来るんだが……

 いい加減奴と遊ぶのも飽きた」

 

浅倉は気怠げに首を鳴らし、冷たく言い放つ。

 

「あの女を始末出来たら――またこうしてお前と会うのを、考えてやっても良い」

「……っ!」

 

ルリの瞳が大きく揺れる。

それは試練だった。あるいは選別。

浅倉威という怪物の隣に立つ資格があるかどうか。

 

その為に、人を殺せるかという問い。

 

だがルリはもう目を逸らさなかった。

 

浅倉はそんな彼女の反応を見届けると、興味を失ったように彼女に背を向ける。

 

「暗くなったら出ていく。とっとと帰れ」

 

そして玄関の方へ顎をしゃくった。

ルリが指示通り玄関を出ると、乱暴に別荘の扉が閉まった。

閉ざされたドアを前に、ルリはしばらく立ち尽くす。

 

森の空気は冷たい。

だが胸の奥では、それ以上に熱い何かが激しく燃え始めていた。

やがて彼女はゆっくりと、自らのカードデッキを握り締める。

 

「ファム…………霧島……美穂……!」

 

その瞳に宿っていたのは、迷いではない。

嫉妬でも恐怖でもない。

愛する怪物の隣へ辿り着くための、狂おしいほどの執念だった。

 

 

           ◆

 

次の日の午後。

 

休日の賑わいが流れる街角のオープンカフェ。

店内から漂うコーヒーの香りと、楽しげな客たちの笑い声。

その穏やかな空気から切り離されるように、テラス席の隅、霧島美穂は一人神妙な面持ちで俯いていた。

 

テーブルの上では、氷の溶けかけたアイスコーヒーが静かに水滴を垂らしている。

美穂は組んだ指先に力を込め、苛立ちを押し殺すように低く呟いた。

 

「浅倉の奴……何処にいるんだよ……」

 

あの夜。浅倉を追い詰めたはずだったが、

突如現れた謎のライダーに妨害されて以降、三週間近くも彼の足取りは煙の様に途絶えていた。

 

ファムに変身してミラーワールド内を捜索した事もあったが、長時間は無理だ。

鏡の世界でライダーが活動できる時間は一回につきわずか10分もない。

制限時間を一秒でも過ぎれば、身体は粒子となって消滅し、待つのは確実な死だ。

長時間の捜索は出来ない。

 

それに、ミラーモンスターの気配が何時でも自分の近くに都合よく発生する訳でもない。

何より、仮面ライダーといえど、彼ら彼女らは私生活を送り、日銭を稼がなければならないただの人間、社会人だ。

 

そして美穂自身にも、あまり褒められない裏の顔があった。

結婚詐欺氏。

戦いに勝ち残り、何時か蘇らせたい姉の遺体の冷凍保存所の使用料を稼ぐ為、彼女は様々な男を騙し大金を巻き上げていた。

危ない橋を渡る身であり、24時間全てを復讐に費やせる訳ではない。

自分にも、どうしても抜け出せない現実の都合という物があるのだ。

一日中、浅倉だけを探して彷徨い続ける事など難しい。

 

焦りばかりが積み重なっていく。

もどかしさと焦燥感に苛まれながら、美穂は静かに鞄へ手を伸ばした。

中から取り出したのは、一枚の写真。

そこには、仲睦まじく寄り添う姉妹の姿が映っていた。

 

優しく笑う姉。

その隣で、少し照れくさそうに笑う自分。

何気ない日常の一枚。

もう二度と戻らない時間。

 

(お姉ちゃん……私、絶対に……)

 

復讐の炎を再び心に灯そうとした、その時だった。

ふとした拍子に指先が滑り、鞄のポケットからもう一枚の写真がひらりと地面へ落ちた。

 

「あ……」

 

足元へ落ちた写真を拾い上げた美穂は、一瞬だけ表情を曇らせた。

そこに映っていたのは―― 一人の青年。

困ったような、曖昧な表情を浮かべる男の肩に、

無邪気な笑みで顔を寄せる美浦。

まるで普通の恋人同士みたいな写真。

だが、美穂自身、その距離感にどう反応していいのか分からないような、どこか不器用な空気が漂っていた。

 

「……真司……」

 

静寂に消えてしまいそうなほど小さな声で、美穂はその青年の名前を呟いた。

 

―――最後の一人になれば、どんな願いも叶えられる

 

神崎士郎のその言葉だけを信じて、美穂は今日まで泥をすするような思いで戦い抜いてきた。

全ては浅倉への血を吐くような復讐を遂げるため、そして、理不尽に奪われた最愛の姉をこの世界に生き返らせるため。

 

そのためなら、他のライダーを蹴落とす手段なんて選ぶつもりはなかった。綺麗事だけで生き返るほど、姉の命は軽くない。

 

時には自ら好意があるように男へと近づき、甘い言葉でハメて、一人のライダーを社会的に、あるいは物理的に破滅させようとすらした。

 

――それが、写真に映る青年。仮面ライダー龍騎こと、城戸真司である。

 

モバイルニュース配信会社『OREジャーナル』に勤務する、若き見習い記者。

彼はいつだって、反吐が出るほど眩しい正義感に溢れていた。この狂ったライダーバトルの真実を知ってもなお、困っている人間を放っておけない。

 

誰かが泣いていれば、自分が傷ついてでも助けようとする。

「ライダー同士の戦いを止めたい」「誰も死なせたくない」などと本気で宣う、救いようのない熱血馬鹿。

覚悟の足りない、おめでたい甘ったれの優男と思った。

 

たが美穂はそんな真司へ意図的に接近した。

自分が彼に気が有る様に見せかけて。

恋愛に慣れてなさそうな反応。

分かりやすい程のウブでお人好し。

利用するには都合が良かった。

だから笑いかけ距離を縮めた。

 

そして隙を見て、ライダーの命とも言えるカードデッキを盗み出そうとした。

 

――が、失敗。

 

直ぐに気付かれ、その場で真正面から怒鳴られた。

 

「お前最低な奴だな!危うく騙されるとこだったぞ!」

 

あの時の真司の顔を、美穂は今でも覚えている。

 

確かに憤慨してたが、それ以上に別に傷ついたような顔をしてた気がする。

 

自分が利用されていた事実より、誰かが平気でそんな手段を選ばなければならない状況そのものに苦しんでいるような、そんな顔だった。

 

「だから何だよ!どんな事をしてでも、私は勝たなきゃいけないんだ!!」

 

必死な感情を爆発させ立ち去る美浦。

普通なら、そのまま決別して終わる関係。

自分は復讐鬼で、彼もいつか倒さなければならない敵の一人。何度もそう自分に言い聞かせ、心を鬼にしてきたはずだった。

 

だが、ある一つの出来事が、美穂の頑なだった志を根底から変えてしまったのだ。

 

美穂の脳裏に、あの日の光景が蘇る。

 

 

         ◆

 

 

降りしきる豪雨。

ミラーワールドの高架下は、灰色の雨音に支配されていた。

 

アスファルトに叩きつけられた水飛沫が白く跳ね、視界を曇らせる。

その雨の中で、仮面ライダーファムは無残に地面へ倒れ伏していた。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ……」

 

肩で息をしながら、必死に身体を起こそうとする。

だが、全身を襲う激痛がそれを許さない。

目の前には、悠然と立つ仮面ライダー王蛇。

紫の装甲を雨に濡らしながら、浅倉威は愉快そうに喉を鳴らしていた。

 

「消えろ、そろそろ」

 

獲物を追い詰めた肉食獣の笑み。

逃げ場のない死を前にした相手を見る、あの男特有の顔だった。

王蛇はゆっくりとデッキから一枚のカードを引き抜く。

そして何の感情も込めず、ベノバイザーへ装填した。

 

《 FINAL VENT 》

 

無機質な電子音声が、豪雨の中へ響き渡る。

 

王蛇は地面を蹴り、高く跳躍。

背後では契約モンスター・ベノスネーカーが大きく口を開く。

そこから放たれた大量の黄色い毒液が、空中の王蛇へ降り注いだ。

毒液を纏いながら急降下する、狂気の連続蹴り。

 

王蛇の必殺技――『ベノクラッシュ』。

 

逃げられない。

そう悟った瞬間、ファムの身体が強張る。

 

「――っ!」

 

自分の死が脳裏をよぎった、次の瞬間だった。

横合いから誰かが勢いよく飛び込んでくる。

 

「うおおおおっ!!」

 

ファムの身体が強引に突き飛ばされる。

雨に濡れた地面を転がりながら、美穂は呆然と顔を上げた。

そして見た。

自分の代わりに、真正面からベノクラッシュを受ける赤い龍の戦士を。

 

「ぐああああああっ!!」

 

毒液と蹴撃の衝撃が、龍騎の身体を激しく貫く。

赤い装甲が火花を撒き散らし、龍騎の身体は勢いよく吹き飛ばされた。

そのまま何度も地面を転がり、雨水の中へ無惨に叩きつけられる。

 

「……っ、真司!?」

 

美穂の喉から、思わず声が漏れた。

激しい火花を散らしながら、龍騎の赤い装甲が砕けるように消滅する。

 

「っ……ぁ……」

 

変身が解除され、

その場へ投げ出された城戸真司の身体が、濡れたアスファルトへ仰向けに倒れ込んだ。

口元から溢れる鮮血。

雨水と混ざり合った赤色が、ゆっくりと地面へ広がっていった。

 

ファムはただ呆然と、その光景を見つめていた。

理解が追いつかない。

何故。

どうして。

そこまでして、自分を庇ったのか。

 

宿敵である王蛇は、自分が望んだ結末(ファムの死)と違ったことにすっかり興奮が冷めたようで、

 

「……っは。何だそりゃ」

 

と忌々しげに吐き捨て、興味を失ったように雨の奥へと去っていく。

 

残されたのは、降りしきる雨と、瀕死の青年。

ファムは膝をつき、震える手で真司の前にしゃがみ込んだ。

 

「……あんた……馬鹿じゃないの?……あたしなんて、庇ってどうすんだよ……!」

 

動揺なのか、それとも胸を締め付ける何か別の感情なのか。

ライダーバトルにおいて、敵が勝手に一人減るのは本来喜ばしい状況の筈。

なのに美穂の声は、自分でも制御できないほど明らかに激しく震えていた。

 

真司はそんな彼女に、今にも消えそうな声を返す。

 

「はは……そう……だな……バカ……かもな……

でもやっぱ……助けられる奴は……助けたい……から……」

「……っ」

 

ファムは言葉を失う。

 

真司のぼやけた瞳が、まっすぐ彼女を見つめていた。

 

「なあ、美穂……前から……気になってた……」

「……え?」

「もし……戦いに勝ち残れたら……お前、本当に……幸せか……?」

 

不意を突かれた美穂の思考が白くなる。真司は途切れ途切れの呼吸の中で、彼女の「心」だけを心配するように言葉を紡いだ。

 

「姉さんのために……誰かのために必死で戦えるお前が……誰かの命を奪って……生き残れても……本当に……耐えられるのか……?」

「…………」

 

何も言い返せなかった。

言葉が出ない。

浅倉を殺したい。

姉を生き返らせたい。

その願いは本物だ。だがその為に、自分は本当に人を殺せるのか。

誰かを踏み台にして、最後に一人だけ笑えるのか。

真司は苦しそうに呼吸を繰り返しながら、それでも必死に言葉を紡ぐ。

 

「誰か一人でも……手にかけたら……後戻り……出来なくなる……そんな思い……誰にも……してほしく……ない……から……」

 

ファムには理解できなかった。

何故ここまで他人を気遣えるのか。

何故、自分なんかの為に命を投げ出せるのか。

 

騙した。

利用した。

敵同士だった。

 

それなのに――

城戸真司は最後まで誰かを、自分を気遣ったのだ。

 

やがて真司の身体から、淡い粒子が溢れ始める。

 

「あ……」

 

ミラーワールド。

ライダーに変身していない人間は、長く存在できない無慈悲な世界。

適合できなくなった肉体が、ゆっくりと崩壊していく。

 

真司は薄く目を閉じた。

もう声は出ない。

 

その身体は、降りしきる雨の中で静かに粒子へ変わっていく。

 

そして

 

ファムの手をすり抜け、彼女の前から完全に消滅した。

地面に流れた大量の血液だけが、降りしきる雨の冷たに溶けていく。

 

「…………」

 

ファムはその場から動けなかった。

 

呆然と。ただ呆然と。

 

誰もいなくなった空間を、いつまでも見つめ続けることしか出来なかった。

 

         ◆

 

「………………」

 

昼下がりの空の下、オープンカフェのテラス席で、

美穂は無言のまま手の中の写真を見つめ続けていた。

あの雨の日以来、真司の言葉が頭から離れない。

 

―― 誰か一人でも死なせたら……後戻り出来ないから……。

 

写真を見つめる美穂の瞳が、僅かに揺れる。

他人の命を踏み台にして掴んだ幸せは、本当に幸せなのか。

真司は最後の最後まで、そんな事を言っていた。

死にかけながら。

自分を庇ってまで。

 

他者なんかどうでもいい。ずっとそう思ってきたし、そう自分に言い聞かせて来た。

そう思い込まなければ、ライダーになった意味がなくなる。

手段を選ばず、他人の命を犠牲にしてでも、掴み取らなければならない願いがある筈だった。

 

浅倉威が憎い。その感情に一欠片の嘘もないし怒りは変わらない。

それは、あの弁護士の北岡秀一も同じはずだ。

 

.............いや、北岡はどうだろうか?

 

どんな黒でも白に変えると悪名高いあの男でさえ、

法廷という現実の手段で、浅倉に一応の刑を確定させて社会的に葬ろうとしたではないか?

そもそも当たり前だが、判決と言うのは弁護士の一存だけで決まる訳ではない。

北岡だけが全て原因と言う訳ではない筈.......

 

……いや、やはり違う。

あんな男がたった十年で済むはずがない。家族を奪っておいて、あんな判決納得できる筈がない。

何よりも北岡は自分の欲に忠実な男だ。

初公判が終わった直後、北岡はテレビのインタビューで堂々とやってのけたのだ。

浅倉の様な極悪人を完全な無罪にしなかったことを、さも自分の手柄であるかのように語り、自らの名を売る為の道具にした。

やはり悪徳弁護士にふさわしい、ロクでもない男だ。

 

美穂は敵対心が僅かに溶けるのを振り払う様に、一瞬だけ激しく首を横に振った。

これでは、心のどこかでブレーキがかかってしまう。

真司の最後の言葉のせいで、自分の中の絶対的な指標が、

明らかに根底から揺らいでいるのを自覚せざるを得なかった。

 

「……もう……全部あんたのせいよ。バカ真司……」

 

美穂は複雑な感情が入り混じった表情のまま、

写真の中で頼りない表情の真司の顔に軽くデコピンする。

 

彼を憎むような強い力は込められてい。

どうせなら文句を言ってやりたかった。

自分の中に無理やり置いていかれた、この行き場のないモヤモヤをぶつけてやりたかった。

どうせなら、その憎たらしいほどお人好しな頬にビンタでもしてやりたい所だ。

 

だが――その怒りをぶつけたい本人は、この世に居ない。

 

今更自分は何を考えているのか、と美穂が小さくため息を吐いた、

 

その時だった。

 

「霧島美穂さん……ですよね?」

「?」

 

不意に、聞き慣れない硬質な声がすぐ横から響いた。

美穂が視線を写真から引き剥がして顔を上げると、テーブルのすぐ傍らに、一人の少女が自分を見下ろしていた。

長い黒髪。整った顔立ち。どこか儚げで、上品な雰囲気を纏っている。

学校帰りなのか制服を着ており中学生で在るのは間違いない。

 

(……あれ? この子、確か……)

 

美穂は少女の顔に見覚えがあった。浅倉威の初公判。

傍聴席の一角にいた、ソガワ・ロイヤル・オイル頭取の令嬢。

浅倉に父親を襲撃され、昏睡状態へ追い込まれた被害者遺族。

直接会話こそ無かったが、印象に残っていた。

同じように、浅倉に人生を狂わされた人間だったから。

 

だが――。

美穂は瞬時に違和感を覚える。

少女の目。

そこに宿る殺気が、あまりにも異常だったのだ。

ただの被害者遺族が向けるようなものではない。

もっと生々しく、直接的な“敵意”。

そんな目だった。

 

「……何かしら? 私に何か用?」

 

美穂は警戒を悟られぬよう、外向きの柔らかな口調を作って返すが、

身体の奥では既に神経が鋭く張り詰めている。

 

そして次の瞬間。

少女が静かに学生鞄へ手を入れ、

取り出した“それ”を見て、

美穂の背筋に冷たいものが走った。

 

「っ――!?」

 

カードデッキ。

そして中央に刻まれた、毒々しい蠍の紋章。

 

忘れるはずがない。あの日。

浅倉を逃がす為、自分へ不意打ちを仕掛けてきた謎の紅いライダー。

そのデッキだった。

 

「あ、貴女、それ……!?」

 

美穂が思わず立ち上がり、一歩引き下がる。

休日の穏やかな雑踏だけが、場違いなほど平和に流れている。

 

対する少女――曽川ルリは、感情を押し殺した冷たい声で呟いた。

 

「……何をしに来たか……お解りでよね?」

 

美穂の額を一筋の汗が伝った。

目の前の少女は本気だ。

冗談でも脅しでもない。

 

彼女は自分と戦いに来たのだ。

 

 

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