今回、北岡が弁護士らしく法律を語る場面がありますが、
執筆者は法律の専門家では無い故、誤った解釈を含む可能性がございます。
完全に鵜呑みにしない様ご注意下さい。
スティーガを退け、現実世界へと帰還した北岡と美穂は、
夕闇の迫る人気のない裏路地に佇んでいた。
街の喧騒は遠く、路地には冷たい秋の空気だけが淀んでいる。
「まさか、あのSRO社長さんの娘が仮面ライダー。しかも浅倉に入れ込むとはねぇ」
美穂から先ほどの戦いの経緯を聞いた北岡は、やれやれと言いたげに大袈裟に肩を竦め、
仕立ての良い高級スーツのネクタイを指先で整えながら続けた。
「世も末だな」
飄々とした、どこか他人事のような口調。
その余裕が、美穂の神経を逆撫でする。
「それより……どう言うつもり?」
激しい不信感を孕んだ目で北岡を睨みつけ、美穂は口調を荒くした。
「……なんの事だ?」
「とぼけるな!何度も何度も余計な手出しして、一体何が狙いよ!?」
剥き出しの敵意を正面から受けながら、北岡は心底面倒くさそうに息を吐いた。
気だるげに、しかし淀みなく答える。
「だ~か~ら、言っただろ? 俺もお前も、浅倉を目の敵にしてる者同士。奴を効率よく始末するには、お前には生きて貰った方が都合が良いんだよ」
「どうだか。信用できないね」
美穂は鼻で笑い、真っ直ぐに北岡を指差した。
「お前のことだ、どうせ裏で汚い事でも企んでるんだろ!」
射抜くような視線を浴びながら、北岡はしばらく無言で彼女を見下ろしていた。
やがて、心底呆れ果てたというように深く長い溜息を吐き出す。
そして冷え切った視線を、静かに美穂へと戻す。
「前から気になってたけどさ……お前。もし浅倉の担当が俺じゃなかったら、どうしてたわけ?」
「何?」
眉を顰める美穂。北岡の声は先ほどまでと違い、妙に冷えていた。
「刑事裁判の弁護ってのはな、絶対誰かがやらなきゃいけないんだよ。もし浅倉を弁護したのが俺じゃなく他の弁護士で、希望通りの判決じゃなかったら……お前、その弁護士のことも一生恨むのか?」
「……何よそれ。誰がやったって、あんな奴、死刑か無期懲役に決まってるでしょ!? お前が余計な事しなきゃ....」
「とも限らないんだよ、これが。あの時点で、奴が明確に命を奪ったのは1人だけなんだからさ」
北岡の声はどこまでも低く、淡々としていた。
感情を挟む余地のない、冷徹な説明。
美穂の頑なな怒りに、現実という刃が静かに差し込まれていく。
日本の刑事裁判において、死刑の可否を左右する最大の指標は『永山基準』と呼ばれるものだ。端的に言えば、判決は「立証できる殺害人数」によって大きく規定される。一人の殺害では死刑はほぼ回避される。二人で可能性が生じ、三人以上で原則として死刑が視野に入る。
極めて冷酷な、しかし厳然と存在する境界線だ。
浅倉威が法的に「死に至らしめた」と証明できるのは、実質的に美穂の姉、ただ一人。
その他の凶行がどれほど夥しく、どれほど身勝手であろうとも、司法が裁けるのは「立証できるもの」だけ。それは美穂の姉を奪ったあの日の犯行しかない。
逃走中に起こしたルリの父・曽川文也への暴行は、意識不明の重体に追い込むほどの凶悪なものだが、被害者は一命を取り留めており、法律上は「殺人未遂」の段階にある。これ単体で浅倉を極刑に吊るし上げる事はまだ難しい。
中学時代に実家に放火し両親を殺害した件も、世間には不慮の事故として処理されたまま真相が封じられているし、これは北岡も美穂も知らない真実だ。
仮に今から故意が立証できたとしても、当時の浅倉なら少年法が壁として立ちはだかる。
後に起こすミラーワールドでの死傷だが、当然ながら現代の科学では一切立証は不能。
つまり、どれほど検察が声を荒げて極刑を求めようとも、裁判が法律の原則に忠実である限り、結論は変わらない。
これが一般市民の感情が反映される『裁判員制度』が存在する時代なら、また違った刑が下されたかもしれないが、生憎2000年代初頭の日本にそんな制度はまだ存在していない。
「なによ……それ……じゃあ、お前が担当しなくても、浅倉の刑期は……」
動揺を隠せない美穂の言葉を、北岡は静かに、しかし容赦なく遮った。
「長くても20年そこそこ、ってとこだな」
美穂は何も言えなくなった。
強く握りしめた拳が、細かく震えている。
悪徳弁護士の汚い裏工作によって浅倉が死刑を免れたのだと。
そう信じることで、辛うじて保ち続けてきた復讐の大義名分が、北岡の突きつけた冷徹な法の論理によって、音を立てて崩れ去っていく。
言い返す言葉など、何一つ見つからなかった。
「そういう事だ。お前の姉妹愛は立派だけどさ、司法なんてそんなもんだ。正義の味方でもなけりゃ、個人の私情の味方でもない。無法地帯を防ぐためのルールってだけ」
言い捨てると、北岡はゆっくりと歩みを進め、美穂のすぐ横を通り過ぎた。
だが、数歩進んだところでふっと足を止める。
正面を向いたまま、首だけをわずかに振り返って、背後の美穂へと言葉を投げかけた。
「ま、それでも俺が憎いって言うなら、お好きにどうぞ。
ミラーワールドの中なら無法地帯だし、他のライダーが何考えてるかなんて、俺の知った事じゃないからな?」
一度言葉を区切り、頭を正面へ向き直す。
「もっとも……俺は、誰に負ける気も——」
その瞬間だった。
「……っ」
胸の奥を、ズキリとした鋭い痛みが貫いた。
北岡はその場で足を止め、反射的に胸へ手を当てる。
一瞬だけ、呼吸が乱れる。彼の病によるものだ。
誰にも言わない、見せない。確実に進行している死の予兆。
呼吸が僅かに乱れるが背を向けている為、美穂にはそれが見えない。
「……? なんだよ?」
背後の美穂が怪訝そうな声を漏らす。
「……別に……」
悟られないよう北岡は努めて平静を装い、再び歩みを進めた。
その横顔には、何も映っていなかった。
そのまま北岡は、今度こそ一度も立ち止まることなく、夕闇へと静かに消えていった。
一人残された美穂は、ただただその場に立ち尽くしていた。
反論の余地もない北岡の正論にそして自らの無力さに、ただ悔しさで、唇を噛み締めることしかできなかった。
裏路地を抜け、やがて北岡が自分の車へと辿り着いた時、すぐ傍らに一人の青年が佇んでいた。
長身で鋭い目の強面が、一見近寄り難い風貌の男。
しかしその表情は隠しきれない心配の色を湛えて北岡へと向けられていた。
「先生、大丈夫ですか?」
由良吾郎。
北岡秀一が唯一心を許す秘書であり、時に用心棒も務める優秀な男だ。
北岡が抱える不治の病も、仮面ライダーゾルダとして命賭けの戦いに身を投じている事も、彼は熟知している。
だからこそ今日も、戦いに向かった主人の帰りをこうして待ち続けていたのだ。
吾郎が無言で車のドアを開ける。
北岡は軽く手を上げ、気怠げに乗り込みながら言った。
「サンキュー、ゴローちゃん。気にしないでよ」
やがてエンジンが静かに唸りを上げ、二人を乗せた車が夕方の街へと滑り出した。
茜色に染まった街並みが、ウインドウの向こうを流れていく。
ハンドルを握る吾郎が、しばらくしてから神妙な面持ちで口を開いた。
「……先生」
「ん?」
「やっぱり……ご無理なさってませんか?」
北岡は助手席で窓の外へ視線を向けたまま、軽く眉を上げた。
「本当は……後悔してるんじゃないですか? 浅倉を弁護した事」
車内に、一瞬の沈黙が落ちた。
「だから何時も、あの女性を助けて……」
あの女性とは当然美穂の事だ。
北岡は一拍置いた後、くくっと喉の奥で笑った。
呆気にとられたような間の後の、いつも通りの飄々とした笑い。
「やめてよゴローちゃん、考え過ぎだって」
窓の外から視線を外し、面倒くさそうに手を振る。
「俺がそんな青い男に見える? 似合わないから、そんなキャラ」
軽い一言で、何もかもを煙に巻こうとするいつもの口調。
だが吾郎は、その笑顔の奥に滲む微かな翳りを、見逃さなかった。
「でも……先生にだって、良い所はちゃんと有ります。誰もそれを知らないから……」
静かな、しかし真っ直ぐな声だった。
吾郎は知っている。
かつて北岡が出会ったとある少女。
その子の母親が、自身と同じく重い病を患っていると知ると、
北岡は一切の報酬を受け取らず、治療費を全額提供した事を。
あれほど己の利益に忠実で、感傷とは無縁のはずの男が、普段は子供嫌いであるにも関わらず、だ。
自分と同じく病に苦しむ者に対しての彼なりの思いやりだった。
そして何より。
吾郎自身にとって、北岡秀一は恩人だった。
かつて些細な傷害事件に巻き込まれ、冤罪をかけられた時。誰もが手を引く中、真っ先に弁護を引き受け、無罪を勝ち取ってくれたのが北岡だった。
だがその弁護に奔走した時期が、北岡の病の発見と手術を遅らせる一因になったのではないかと、吾郎はずっとそう考えている。
だから傍に居ると決めた。
恩返しのためでもあり、罪滅ぼしのためでもあり、それ以上に——この男を一人で逝かせたくないと、そう思ったからだ。
北岡は吾郎の言葉に、何も返さなかった。
ただ再び窓の外へと視線を戻し、流れていく夕暮れの街をぼんやりと眺めていた。
その横顔は、いつもの飄々とした仮面を、ほんの僅かだけ、脱いでいるように見えた。
「そんな事、誰かが知ってどうすんの?」
北岡は窓の外を眺めたまま、静かに続けた。
「俺は元からこう言う人間だし。自分のやりたいようにやる。それだけだって。ゴローちゃんが気にする事じゃないよ」
「……」
信頼する者にだけ向ける、静かな気遣いの言葉。
吾郎はそれ以上追及せず、無言でハンドルを握り直した。
車内に沈黙が戻る。
エンジンの低い振動と、夕方の街を流れる雑踏だけが、窓越しに遠く聞こえていた。
北岡は本当に気を許す者にしか、自分の良心を見せない。
それは処世術であり、信条でもあった。
情に流される部分を曝け出せば、それだけで弱点になる。
自分の為に戦う事こそが強さの証だ。
他者の感情に揺さぶられる隙を作れば、弁護士という仕事は務まらない。
非情に徹したからこそ、北岡は今日まで多数の実績を重ねてこれた。
ライダー同士の戦いにおいても、その信条は変わらない。
——のだが。
ここ最近、北岡はある事に対して、僅かな違和感を覚えていた。
やたらと美穂を助ける、自分自身の行動に対してだ。
冷静に考えれば、別に助けなくてもいい。
彼女は自分を恨んでいる敵。
浅倉を始末するにあたって生かしておく方が都合が良い、という打算は確かにある。
だがそれを差し引いても、自分は彼女の戦いに肩入れし過ぎている気がする。
先のスティーガとの闘いでも、ゾルダの火力を駆使すればファム諸共一網打尽も可能だったのに、自分はそれをしなかった。
昔の自分なら、より冷酷に割り切れていた筈。
(やっぱ……アイツのせいなのか……?)
ふと脳裏に浮かぶのは、一人の青年の顔。
城戸真司。
仮面ライダー龍騎として戦いながら、なおもこのライダーバトルを止めようと奔走し続けた、呆れるほど眩しい正義感の持ち主。
北岡にとっては、正直兎に角鬱陶しい男だった。
己の欲望に忠実に戦う北岡の前に、幾度となく正論と熱意だけを武器に立ちはだかり、「誰も死なせたくない」などと本気の顔で宣う。衝突した回数も一度や二度ではない。
だが真司は、それでも諦めなかった。
過去に一度、戦いで北岡が腕を負傷した時のことだ。
真司は誰に頼まれた訳でもなく、自分から北岡の元へ手伝いにやって来た。
直接聞いた訳ではないので真意を知る訳ではないが、
この時の真司は
「ライダーだって人間なら、みんなが少しずつ変わっていけば、戦いなんて自然に無くなるんじゃないか」と言う思惑で動いていたのだ。
前から青臭い理想論ばかり語っていた真司に対し、北岡は甘い考えと怪我という好都合な状況を存分に利用して、事務所の掃除から炊事洗濯まで一切合切を真司に押しつけてやった。
真司は怪訝そうな顔をしながらも、文句一つ言わず全部やってのけた。ミラーモンスター退治に付き合わせた事もあった。
それで全てを気を許した訳ではない。
今でも、甘ったれた理想論だとは思っている。
それでも北岡は、あの頃からどこかで密かに思うようになっていた。
—— 意地汚い俺よりかは、マシな人間だ、と。
そして、流れていく夕暮れの街を眺めながら、
北岡はある日の出来事を思い返していた。
◇
仕事を終えた後の、静かな夜の事務所。
デスクに一人腰を落ち着け、チェスの駒を無造作に指先で弄んでいた時のことだ。
突然、空気が変わった。
気配もなく、物音もなく。
気が付けばそこに、神崎士郎が立っていた。
「アンタか……」
北岡は駒を弄る手を止めず、視線だけを男へと向けた。
「また誰か死んだのか?」
神崎がこうして姿を現す理由は、いつも決まっている。
戦いへの催促か、ライダーの退場を告げる報告か。またはその両方か。
どちらにしても、愉快な話ではない。
神崎は感情の欠片も感じさせない、冷たい声で告げた。
『仮面ライダー龍騎。城戸真司』
「……っ」
指先が止まった。
それは一秒にも満たない時間だった。
だが確かに、北岡の胸の奥で何かが揺れた。
チェスの駒が、静かにデスクの上に置かれる。
「へー……そうか」
努めて平静な声を作る。
視線をデスクに落としたまま、北岡はゆっくりと続けた。
「……アイツが…………」
神崎はそれ以上何も言わず、現れた時と同じように、気配を消して去っていった。
事務所に、再び静寂が満ちた。
北岡はしばらく動かなかった。
台風のように面倒で鬱陶しい男だった。
正論と熱意だけを武器に何度も前に立ちはだかり、
何処までも青臭い理想を最後まで手放さなかった男。
それがこうもあっさり消えるとは。
敵が一人減った。
本来なら喜ばしい状況である。
なのに.......
北岡は静かに息を吐き、再びチェスの駒へと手を伸ばす。
だがその指先は、すぐには動かない。
何故こんなにも心が晴れないのか、自分でも解らなかった。
◇
静かに揺れ動く車内で、北岡は考えていた。
(ゴローちゃんの言う通り、俺は後悔してるのか?)
浅倉を弁護した事を。
真司のお人好しに感化されて、知らず知らずのうちに。
もしそうだとしたら——北岡は内心で、自嘲するように鼻を鳴らした。
非常に情けない話だ。
自分の行動に責任を持てない弁護士など、一流どころか三流にも値しない。
今更死んだ人間の事を引きずっても、何も変わりはしない。
北岡は努めて平然とした様子で、別の話題を切り出した。
「それより聞いてくれよ、霧島からの情報なんだけどさ。SRO社長の娘さんがライダーになったんだ。しかも、浅倉に酷く惚れ込んでるらしいよ?」
「え?」
ハンドルを握る吾郎が、思わず眉をしかめた。
「浅倉に、ですか? 何故……?」
「憎んでる親から救われたんだとさ。ま、元から嫌な噂も聞く人だったし。何時かはこうなると思ってたよ」
北岡は窓の外へ視線を流しながら、気だるげに続けた。
長年、弁護士として様々な人間を見てきた。
表向きは善良を装い、社会的地位と体裁だけを磨き上げてきたような人物の裏側など、大体察しがつく。
ああいう手合いが家庭でどんな顔をしているか——想像するのは、難しくない。
それにしても、よりによって浅倉の味方につくとは。
「.........面倒な事にならなきゃ良いが……」
北岡は静かにぼやき、窓の外を流れる夕暮れの街をぼんやりと見つめた。
その横顔には、いつもの飄々とした余裕が戻っていた。
少なくとも、表向きは。