綴物語 作:得手不得手
転校生・天形奏多のやってきた六月六日の十八時。僕は何の気なく、ただ今日は真っ直ぐ家に帰る気分にならなかったという理由で帰り道を遠回りして寄り道していた。
「ヒョー、ヒョー」
甲高い鳥の鳴き声を聞いた。
もしそれが、ただの鳥の鳴き声だったのならば良かったのかもしれない。
だがしかし、その鳴き声はどこか不安を煽るものであり、まるで深夜の墓場で鳴く鳥のような、あるいは夜泣きする赤ん坊のような、聞いていて背筋が凍る不吉な音。
そしてその不安に対して、僕は心当たりがあった。
僕は歩き出す、その音の正体へ。その不安の渦中へと。
西へ歩き、走り、追って、見つめ、その正体に出会うために。
「〜〜♪
『あなたのため』になんて言わないわ♪
だって私は、あなたのための『私』なんだもの♪」
追いかけた先、河原に程近い人気のない暗がりで、儚げな表情と共に悲痛さを感じさせる痛々しい音色で歌声をあげる
近づいていけばその声は鳴りを顰め、静かな瞳がゆっくりと視点を僕に定めた。
「こんにちは、阿良々木くん。奇遇ね」
「ああ。天形、奇遇だな」
奇遇、というにはあまりにも僕の作為が混じっていたような気もするが。
彼女の視点では僕は夜道に急に現れた存在、しかも今日出会ったばかりのクラスメイトのはずだが、彼女の様子は冷静そのものだ。
「さっきも思ったが、よく僕の名前なんか覚えてるな。一応副委員長ではあるけど、今日会ったばかりの初対面だろ?」
「顔と名前と住所を覚えるくらい余裕よ」
住所まで!?
「私はなんでもできるから」
「お前、クラスで見た時とはずいぶん印象が違うな。クラスじゃもっと八方美人っぽい立ち居振る舞いだっただろ」
「あら?阿良々木くんはこちらがお好みですかぁ♪」
先程までに印象を全てひっくり返すような鈴を転がす音色。驚くべき変化であり、もはや曲芸の領域である。昼間の教室で見た彼女の印象としてはこちらの方が近かった。
「急に猫撫で声に切り替えられるとあまりのギャップに絶妙な怖気が勝るよ…」
「嫌ね。急に人のことをネコだなんて。私には尻尾もなければ、恩を仇で返すような真似もしないわ。ましてや『タチ』だなんて、そんな卑猥な寝技の隠語、女子高生に向かって口にするなんて最低よ」
「ちょっと待て! ネコはまだしもタチは言ってないだろ僕は! そもそも、僕はネコをそんないかがわしい意味で使ったことは一度たりともない! あくまで猫撫で声のネコだ!」
「そう。阿良々木くんは
「あらぬ風評被害だ! 誰に対しての攻めだよ!」
「それで、
「おい待て。僕は確かに恋人にすら罵倒され、今日会ったばかりの転校生にすらこうして罵倒された上で、それも一種のコミュニケーションかな、なんて受け入れかける度量の広さは持ち合わせているが、決して僕は自ら望んで罵倒されに行っている変態じゃない。マゾヒストでもないし、僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだ……。……って、おい! なんでお前がそのフレーズを、いや、その様式美を知っているんだ…!?」
それは幽霊の少女、八九寺真宵と僕が出会うたびにしているある種プロレスのようなお決まりのやりとりであるが、それはほぼ2人っきりの時のコミュニケーションであったし、今日この街に来た彼女が知る由もないものであった。
「牛の子でしょう? 今日会ってきたのよ。小さくて、迷子で、とても可愛らしかったわ」
「牛? ああ、迷い牛か。あれは牛っていうか蝸牛(カタツムリ)なんだけど……って、なんでお前が八九寺を知ってるんだ?」
「ええ。非力で矮小な存在ってかわいいわ。自分の大きさを再確認させてくれるもの。だから今日、美味しく頂いたわ」
「お前は出会って初日で小学生を捕食したのか!?」
嘘だ…!あの警戒心の塊のような迷子が一太刀で懐くなんてこと、あるはずがない…!
だとしたら、僕がこれまで八九寺との関係構築に割いてきた労力は一体…!
「それで、私の歌の練習を覗き見ていたキングオブストーカー阿良々木くん」
「微妙に否定できない罵倒はやめてくれ。僕はストーカーの王を名乗れるほど極まっていない」
「時間の問題ね。それで本題なのだけど」
流された…!?
「あなたはなぜ私のところに来たの?」
彼女は真っ直ぐと僕の目を見据えた。
揺れることなく、清廉な美しさを孕んだ濁った瞳が僕の真意を見定めていた。
「ああ、そうだな。僕はお前に聞きたいことがあったんだ」
「何?」
「お前、憑かれてないか?」
『助けるんじゃない、勝手に助かるだけ』──そう嘯く専門家の顔が浮かび、関わるべきではないと理性が警報を鳴らす。けれど、困っている女の子を前にして素通りできるほど、僕は
鳩が豆鉄砲を、といった表情になる天形。
それが何を意味するか、なんとなく察することは簡単だった。
「…どうしてそう思ったの?」
「別に、大した理由はないよ。ただ、お前に対してなんとなく既視感のある違和感があったからな」
「既視感のある違和感?」
「ほら、僕ってこれでも色々な怪異と関わってきたからさ。なんとなくわかったっていうか、当てずっぽうっていうか」
自分でも言葉にはできない。だけど、なんとなく困っているように見えたから。
それに、彼女は知っていた。八九寺の「迷い牛」について知っていた。
僕から見てそれほど有名じゃない怪異を知っている彼女は、僕以上に怪異について造詣が深いように見えたから。
「そう。バレてるなら仕方ないわね。その通り、私は怪異に憑かれているわ」
「何の怪異か分かるか?」
「知らないわ。多分、誰もそれを知らない」
誰も…?
彼女の物言いに、ほんの少しの違和感を覚える。
そこまで言うには何か理由があるのかもしれないが、どちらにしろ、僕にできる程度のことなんて少ない。
「それなら、調べるだけでもしてみないか?そういうのに詳しい奴を知ってるんだ。忍野って言うんだけど…」
「必要ないわ。私は困っていないもの」
そう言い捨ててその場から立ち去る彼女の背中は、最初に見た時よりもずいぶんと縮んで見えた。
天の形、なんて大層な名前を持つ彼女の背中が、その時はひどく小さく、今にも消えてしまいそうなほど頼りなく見えたんだ
困ってないわけないだろう、なんてセリフを、彼女の小さくなっていく背中に向かってかけることは、僕にはできなかった。