一番重要なやつを忘れていました。すいません。
パン。と、軽い破裂音が鳴り響く。遅れてやってくるのは悲鳴と僅かな断末魔。火薬のにおいと薬莢が地面に落ちる高い音。誰もが呆然と目の前で起こった事象に目を丸くする。
続いて、先ほどと同じ破裂音が連続して五回。
パン、パン、パン、パン、パン。
銃弾が放たれた。いとも容易く人の命を奪う凶弾が、何の変哲もない一般男性を打ち抜いた。
彼が何かしたわけではない。誰かに危害を加えたわけでも、意図的に秩序を乱したわけでもない。
ただ、街を歩いていた。
だというのに、彼を撃ち殺した金髪の男は感情の読めない瞳で死体を見つめる。
まるで、他愛ない日常の延長線上にあるかのように、自然に、当たり前に。
『……おい、何してる!?』
一部始終を目の前で見ていた男は叫ぶ。先ほどまで、隣でなんてことのない世間話をしていた友人が、眉一つ動かさずに通行人を撃ち殺した光景が信じられなくて。
『何をしているのかと聞いているんだ! ──ルシアン!!』
男性を殺した金髪の男──ルシアンは、怒鳴られているというのに表情を少しも変えない。まるで、怒鳴られるのが
彼は、鬼のような形相で睨んでくる友人に対して、抑揚のない声で答えた。
『殺したんだよ』
『そんなこと見ればわかる! 俺はなぜ殺したのかと聞いているんだ!』
『何故って、そりゃあ……。うーん? そう言われると、なんでだろう』
『…………は?』
男は意味が分からなかった。
確かに、彼は最悪の時代を乗り越え、人類最後の生存圏を作り上げた生ける伝説である。五年前にようやくフェイズの安定化に成功し、あまつさえエネルギー源として活用することも成し遂げた超人だ。
そして、男にとっては同志とも言える間柄になる。
人類を救うという命題を達成するために、共に約束したはずなのだ。
そんな彼が、一般人を衝動的に殺した理由も分からないだと?
あってはならない。そんなこと、あり得てはならない。
焦りと恐怖が、男を襲う。
『……彼が、今何か罪を犯していたのか?』
『いいや?』
『……唐突に発砲し、殺す理由が他にあったのか?』
『……あったと言えばあったけど、ないと言えばないかな』
『……なら、お前が今撃ち殺した彼は、まだ何の罪も犯していないと?』
『まあ、そうなるね』
平然と答えるルシアンに、男は絶句した。
今の彼は罪悪感に苛まれてもいない。狂乱状態になっているわけでもない。今の彼にあるのは、ただの安堵。ひとつの仕事を終えたときのような、緊張の糸が切れた時に訪れる脱力感だけだ。
『……彼が、何かテロ計画を立てていたとかか?』
そう聞くと、ルシアンは黙る。
彼の情報網は異常だ。どこから仕入れたのかも分からない情報を持ち、それを駆使してあらゆる事件に先手を打って対応する。それは、傍で見ていた男としても理解していたことだ。
この沈黙が、男にとって少しの希望だった。
そうであったと言ってくれ。どういう手段を用いたのかは分からないが、エデンにおける極めて悪質な危険因子の予兆を察知した。それだけでもまだ、大義名分はある。
だから、徒に殺しただけではないと言ってくれ。
『いいや』
しかし、返って来た答えは残酷だった。
『……だったら何故』
治安維持部隊が現場へとやってくる。
街の人々は既に避難済みであり、ここら一帯だけ不自然に人がいない。
『言っても分からないと思うけど……』
『……どういうことだ』
『言葉通りの意味』
説明することを諦めている彼は、だが少しばかりの誠意なのか哀れみなのか、それとも無意識の行動なのか、説明にならない説明を始める。
『何故か分からないけど、彼が死んだ方がちょっと楽になるみたいなんだよね』
『──何を、言っている……?』
『今しかなかったんだよ。というか、今分かったと言った方がいいかな』
──いやあ、俺としたことがすっかり見落としてたみたい。
意味不明なことを口走りながら、ルシアンはまるで偶々通りがかった街道でやっていたくじで三等が当たった時のような、想定外の幸運が転がり込んできた時に浮かべるような笑みを浮かべていた。
この時、男は目の前の友人がまるで得体の知れない化け物に見えてならなかった。
治安維持部隊に連れていかれるルシアンの表情に、悲壮感や罪悪感なんてものはない。
ゼノン・コーポレーションのCEOなのだ、彼は何の罪にも問われることなくすぐに自由の身になるだろう。
そんな彼の後ろ姿を眺め、茫然としたまま男はその場に立ち尽くした。
ルシアンが、彼は何の関係もないから大丈夫、などと治安官に伝えたことで、男は連行されることもなかった。最後に、僅かに見えた彼の目に宿っていたのは、幸運に恵まれたことによる喜びと、少しの
ルシアンが未来視のアーツを保有していたと知るのは、彼と別れてから随分と経った後のことだ。
◇
「……最悪の目覚めだ」
ノマドの管理者、エデン創設メンバーであるニコラスは執務室で目覚める。どうやら眠っていたらしい。
エデン黎明期に起きた、友人との決定的な軋轢。その原因となった一連の事件を夢に見て、目覚めた今では最悪の気分だった。
人々を救う。
その理念を共有し、共に歩んできたはずの友人。彼が、何の罪もない人間を撃ち殺した時は、正気ではいられなかった。衝撃で三日三晩は魘され、食事も喉を通らなくなるほどだった。
何故殺したのか、そんなことをする必要があったのか。お前は、正義を果たすのではないのか。
彼が殺した瞬間に喉を伝った疑念と怒りは、しかしルシアンには全く通じなかった。彼には何一つとして響かず、少し落胆したような表情すら浮かべていた。
一体、何があったのか。
なぜ、通行人を殺して、表情の変化ひとつないのか。あまつさえ、少し喜びの表情すら浮かべているのか。
それから彼が恐ろしくなり、ニコラスはルシアンとの距離を取るようになった。ルシアンも、下手にニコラスに近づこうとはしなくなった。
そうして、自然と関係が途絶えてきたある日。
ニコラスは苦しんでいる人々を少しでも救うために、ノマドという組織を結成し構成員たちと共に奔走していた。そんな彼の下に、ヘクターがやってきた。
エデン創設メンバーのひとり。
この当時はまだ、人工適合者の開発には至っていない。
久しぶりに出会ったヘクターは、ニコラスと世間話をして、今のゼノンの現状や都市の外界に生息する変異体たちがなぜかエデンに誘引されていることなどを話した。
そして、ルシアンの現状を彼に伝えた。
彼のアーツが、未来を見ることだということが明らかとなったこと。今まで全てを抱え込んできたこと。
そして、この情報をニコラスに伝えることをルシアンから許可されたこと。これは最重要機密であり、他の誰にも漏らしてはならないということを聞いた。
その時のニコラスの感情は、ぐちゃぐちゃだった。
なんの資格があって、あの時彼を糾弾したのか。何故自分は、苦しむ仲間に気づかなかったのか。一時の感情で、彼との縁を切ったのか。あまりの罪悪感と自責の念に苛まれ、ニコラスは固まった。
ヘクターはそんな彼の姿を見て、ただ黙っていた。
今でも、あの時のルシアンの行いが許せるものかと問われると、決して首を縦に振ることはできない。
だが、だからと言ってルシアンを一方的に非難できるほど、ニコラスは理想主義者ではなかった。
人々を救い、笑顔を広げたいと願っていたというのに、最も近くにいた友を救えていなかった。友人が貼り付けていた仮初の笑顔に気づけず、ただ自己満足のために理想を掲げる。そんな自分の愚かさが、どこまでも許せなかった。
「……はぁ」
ニコラスは最悪の気分をどうにか癒そうと席を立つ。
こういう時は、ひとりになるよりも賑やかな仲間たちと過ごすに限る。
彼は執務室から出て、休憩所に向かおうとドアノブに手をかけた。
するとその時、偶然にもドアがノックされる。
「ボス、いますか?」
聞こえてくるのは少しばかり太い男性の声。依頼を受けてアビスへ向かっていたカインのものだ。
アビスから無事に帰ってきたのかという安堵がニコラスの内から湧き出る。
「ああ、何か用か?」
扉を開けながら答えると、目の前にはカインとエナ、そして見覚えのない少女が立っていた。
ノックしてから一秒と経たないうちに扉が開いたものだから、彼らは少し驚いている。
「入るか? 俺は休憩所に行くところだったんだが、そこで話すか?」
「私たちはどちらでも構いませんよ」
「そうか。なら、休憩所に行こう。何か飲み物でも奢るぞ」
五大企業、アイギスグループ傘下の企業から、新たに開発した兵器の実地運用を依頼されていたふたりが、見ず知らずの少女を拾って戻ってきた。
恐らく、それなりに厄介な案件になる可能性が高い。
休憩所に向かいながら、ニコラスは考えを巡らせる。
黒髪黒目。外見年齢はやや幼いが、顔はかなり整っており凛々しい印象を受ける。身長は平均以下、歩き方や姿勢を見る限り、戦う者ではない。が、どうにもかなり鍛えられている様子だ。それも、自然な形で。
休憩所に着いた四人は、丸机に向かって座る。
「それで、聞かせてもらおう。一体、何があったのか」
自販機で適当な飲み物を購入し、全員に手渡したニコラスは本題に入った。
すると、最初に口を開いたのはカインだった。カインは頷き、順序良くこれまであったことを報告する。
「……私たちはアイギスグループからの依頼に基づき、かの企業の新兵器がアビスでの運用に耐えられるかをテストしていました」
アイギスグループが開発した兵器が、果たしてアビスで通用するのか否か。今後の開発のためにも多くのデータを欲していたかの企業が、様々な他民間企業に実地運用テストを依頼した。
十分に信頼ができ、他の五大企業の息がかかっていない中立の立場にあるノマドには、真っ先に依頼が舞い込んできた。
そうして、政府の許可を得てアビスで仕事をしていた彼らは、順調に依頼を遂行していた。カインとエナは、こと戦闘においてはプロフェッショナルと言える。アビス中域で変異体を相手に新兵器を試し打ちしていた彼らは、偶然にも、遥か昔に倒壊した建物の中で気を失っている一人の少女を発見した。
それが、今この場でニコラスに貰ったジュースの缶を両手で掴みながらちびちび嗜んでいる彼女だ。
「どうにも彼女は記憶喪失のようで、エデンについての知識すら持ち合わせていないようだったのです」
「……なに?」
カインからの報告に、ニコラスは訝しむ。
「このことは、他の誰かには伝えたか?」
「いえ。下手をすると問題になると思いましたので」
「……よく政府の目を誤魔化してエデンに入れられたな」
エデンの入出に関しては厳重に管理されているのだ。行きと帰りで人数が異なっていたら尋問を受けることになるだろう。
「……それが、何故かすぐに許可を得ることができたんです」
「…………」
ニコラスは眉間を押さえる。
こんな得体のしれない人物を政府が簡単にエデンに入れるわけがない。最低でもひと月は拘束されることになるだろう。だというのに、素通りとは。
何か大きな力が働いていることは確実。
そして、そんなことをする人物に心当たりがあるとすれば可能性が最も高いのはひとりだ。
ニコラスはその可能性に思い至ると、どうやら彼女は確実にエデンに何らかの影響を齎すのだということを確信した。それが良い影響なのか、悪い影響なのかは分からない。
だが、必要なことだということは分かった。
眉間に皺を寄せ、頭を抱えるニコラスを見て、彼らは困惑する。
「君、名前はなんという」
ニコラスがリオに対して話しかける。
「リオです」
「リオか……。どこかで聞いた名だな」
「……?」
自己紹介をすると、ニコラスが小声で何かを呟いた。しかし、それが何かはリオには聞き取れなかった。
正体不明の彼女の名前を聞いたニコラスは、ため息をひとつ吐きながら言う。
「恐らく近いうちに、ゼノンと接触する機会が訪れるだろう。……もしかしたら、その親玉であるルシアンが出てくる可能性もある」
『………!?』
「もし、そういった機会が訪れたら大人しく会っておけ。それが最善だ」
カインとエナは驚愕する。
ニコラスの口からルシアンの名前が出てきたことに対して。
だが、彼はルシアンの名を出した途端、露骨に声色を落とした。そんな彼を見て、エナが思わずといった様子でニコラスに問う。
「……ボスは、ルシアン様とは会わないの?」
「…………俺はそれなりに忙しいからな。もう少し落ち着いたら、いずれ会うだろう」
少し投げやりとなった発言に、これ以上詮索するべきではないとエナも感じ取った。そして、そんな言い方になってしまったことにニコラスは自己嫌悪を覚える。
気まずい空気が流れる中、リオは分からないなりに色々と考えていた。
ルシアンという人物、自分を拾ってくれたふたりがボスと呼ぶニコラスという人物について。
「さて、報告は以上か? ないなら俺は仕事に戻る」
ニコラスはそう言うと、席を立ちこの場から去る。
そんな彼の背中を心配そうに見守るカインとエナの姿に、どうやら踏み込みすぎてはいけない事情があるのだろうとリオは感じ取っていた。
性癖。