足早に去るニコラスの姿を見て、エナは視線を下げる。カインは目に見えた変化こそないが、少しばかり陰鬱とした雰囲気だ。
リオには、彼らが抱える事情が分からない。当然だろう、彼女はエデンすら知らない記憶喪失の少女なのだ。だが、それでも彼らがよい人たちであることをこの短期間で知っている。倒れていた自分を保護し、親切にこの世界について説明してくれたのだ。
そんな人たちが暗い顔をしているのを見るのは、少しばかりモヤモヤとした気分になってしまう。
「彼は……」
困惑気味にリオが口を開くと、エナが失敗したと言わんばかりの表情になった。
「あっ。そういえばまともに自己紹介もしなかったね!?」
全くもー。ボスったら自分が気になることだけ聞いちゃうんだから。
と、エナはご立腹だ。
そんな彼女の態度に、リオは同意する。
自分には分からない話をしたと思ったら、気分を害したのかテンションを下げて去っていった。のっぴきならない事情がありそうなのは彼らの様子を見ていたリオも分かるが、それはそれとして納得が行かないのもまた事実。
少しくらい、新参者に優しくしてくれてもいいだろうに。
「あの人はウチのボス。ノマドの管理者、エデン創設メンバーのひとり。ニコラス」
「エデン創設メンバー……」
カインとエナが、『ボス』と呼んでいたため、彼がこの組織のトップなのだろうということは推測していた。そのため、エナの説明は納得のいくものだ。しかし、それでも気になることがひとつ増えた。
エデン創設メンバーという単語。
リオは、まだこの世界の一般常識を身につけられていない。
辛うじて分かっているのは、拾われた当初にエナによって説明してもらった歴史と、フェイズという物質、それからそれに適合し、進化した人類たち。ノマドという組織に、ゼノン・コーポレーションという企業があること、そしてルシアンという人物についてだ。
そんな中、ひげを伸ばし、くたびれた様子だったあの男性がこのエデンを創設したという話に驚くなという方が無理がある。
創設メンバーについて、何か詳しく聞けないかと思い、リオはそれを問う。すると、カインが答えてくれた。
「エデンの確立に多大なる貢献をした人物たちのことだ。中央評議会が今の形になる以前に、人類を導いた英雄にして、始まりの十人と呼ばれていたりする」
「……始まりの十人」
カインの説明を忘れないために、リオは単語を復唱する。
そんな彼女を横目に見ながら、エナが補足を入れた。
「まあ、色々と呼び方はあるけどね。十傑とか、十大始祖とか」
……いきなり胡散臭くなってきたような気がしなくもないが、まあいいだろう。つまり、過去の偉人に当たる人物なのだ。
「ちなみに、創設者たちの中にはまだ生きている人もいるよ?」
「……エデンができたのは百年前のことなんじゃ?」
「そうだけど、創設者たちはみんなアダプターだから。寿命は長いの」
今のところ、寿命で亡くなったアダプターは観測されてないからね。
なんて、エナは言う。
そういえば、アダプターとなった人は既存の人類の枠組みを超越し、アビスで生きていけるだけの強靭な肉体と長い寿命を獲得するのだったか。
エデンへと戻る際にエナから教えられたこの世界の常識を思い出し、リオは学習する。
「ニコラスは、なんであんなに辛そうだったの?」
エナが、ニコラスに対してルシアンとは会わないのかと聞いたとき。彼の表情は暗かった。元々、眉間に皺が寄っている、少し険しい顔つきだった彼だったのだが、ルシアンの名が出た時に一瞬見せるあの表情がどうにも忘れられない。
本人もおらず、周りに人も少ない今であればふたりから事情を聴けるかもしれない。
そう思い、リオは問うた。
それに対してはカインが、ため息を吐きながらも答えてくれた。
「……当然だが、ルシアンもエデンの創設メンバーのひとりだ。かつては、ボスもルシアンも……。いや、メンバー全員が一丸となって人類存続のために力を尽くしてきたようだったのだが……」
カインはまた、大きなため息をひとつ吐いた。そしてそこから先は、エナが引き継ぐ。
「あんまりボスも話してくれないけど、色々とあったらしいの」
エナの一言で、リオもなんとなく察する。
どうやら、英雄と呼ばれる人々にも人間関係のトラブルはあるようだ。いや、そういう彼らだからこそ意見の食い違いやどうしても譲れない何かがあったのかもしれない。
「現在のエデン創設者たちは、散り散りになっていると聞く。十人のうち、生き残っているのは六人だという話も耳にした。ボスは頑なに話そうとはしない上に、世代も変わっている。今では、かつての英雄として語られることが多い方たちだからな」
今でも世間で耳にする名は、ルシアンとニコラス、そしてステラ。
しかし、アダプターでもない限り一般的な人間の寿命は百年弱。既に世代は移り変わり、彼らの偉業を実際に知る人間も少なくなってきた。
彼らが暗い顔をしていること。そして、何よりニコラス本人の諦めてしまった表情。
リオにとって命の恩人とも言えるふたりが従っている人物だ。そんな彼は、間接的には自分の恩人と言える。そんな彼が抱える苦悩をどうにかできないかと、リオはふとそう思った。
◇
『【ヘクター】という名を聞いたことはあるかな?』
『彼を知る人間として、都市防衛軍に所属するアダプターとは一度会うことにしているんだ』
エデンの英雄。ゼノン・コーポレーションのCEO、ルシアンが言った言葉を思い出す。
ヘクター。
エデン創設メンバーのひとり。ゼノン・コーポレーションの科学責任者にして、フェイズを安定化させることに成功した人物。人類存続に最も貢献した人物と言っても過言ではなく、功績としてはルシアンに勝るとも劣らない英雄。
そして、人工適合者の生みの親。彼は、その技術を完成させると同時に自ら命を絶った。
世間では、自責の念に耐えることができなかったのだろうと言われているが、詳細は定かではない。
都市の防衛上の観点から言えば、人工適合者という兵器は革新的だ。
かつては数が限られている自然適合者たちを戦場に投入するしかなく、そしてその生還率も決して高いとは言えなかった。このままではじわじわと人類は死に向かうだろうと思われていた。
日に日に減る戦力に、侵攻してくるアビスの脅威。
アビスで活動できるのはアダプターしかおらず、そして彼らの絶対数は著しく少ない。
エデンの創設者のひとりも戦場で命を失ったという記録がある。
そんな現状を変える必要があると、ヘクターは心を鉄にし、命を冒涜することを決意する。
人工的に生み出し、意図的に成長させ改造を施した兵器の作成に乗り出したのだ。
アダプターとなるための必須条件は、まず生物であることだ。そのため、まずは動物による実験が行われた。しかし結果は奮わず、求める成果は得られなかった。
元より、動物のアダプターはほとんど存在せず、存在していたとしても使い物になるレベルにはならない。ほとんど全てがリーパーへと変貌しているという事実もあった。
どういう理屈か、人間でなくては理性を保ったまま適合することはほぼ不可能なのだ。
そうして、試行錯誤の末にオルタードたちが生み出された。
これにより、エデンは安定して外敵からの脅威に対抗することができるようになり、エデン内部の発展もこれを機に加速することになる。
「オペレーター。何してる?」
都市防衛軍の新人、ノアは端末に沿わせていた指を止める。
先日のルシアンとの邂逅で少しばかり話題に上がった、ヘクターについて調べていたのだ。
しかし、そんな彼の後ろから聞き慣れた声が聞こえる。
声音は幼く、高い。しかし抑揚はあまりなく、淡々としたイメージを抱く。
「……26番ですか」
「私はセシリア。復唱して、オペレーター」
「…………」
「復唱して。ふ・く・し・ょ・う」
「……セシリア」
「むふん。よろしい」
振り返りセシリアの姿を認識したノアは、いつも通り番号で彼女のことを呼んだ。しかし、それに不満を抱いていたセシリアは、ノアに対して自分のことを名前で呼ぶように要求する。
上官からの警告を律儀に守っていたノアは、不満げな彼女の要求に対して沈黙を貫くことで返答としたが、それでは全く足りなかった。結局、これまで積み重ねてきた人間関係により多かれ少なかれ絆されていたノアは、根負けして彼女を名前で呼んだ。
「これで、他の子たちも名前で呼ばないといけなくなった」
むふー。と、自慢げに鼻から息を吐きだして、胸を張る。
「…………」
そんなセシリアの様子に、ノアは若干頭を抱えた。
部下たちの名前は誰一人として忘れていない。ニナ、ルミナ、セシリア、テレジア。
故に、名前で呼ぶことは苦労しない。それよりも、一度でもセシリアを名前で呼んでしまったが最後、これは部隊内で共有され、恐らく明日……いや、一時間もしないうちにニナ辺りに詰められることになるだろう。
そんな未来を想像し、彼は少しばかり頭を悩ませた。
「それで、何を調べてた?」
「……エデンの創設者、かつてのゼノンの科学者についてです」
「ヘクター?」
「……はい」
ヘクターという名を出すべきか、ノアは少し迷っていた。セシリアが生まれる原因となったのが彼であり、そして、オルタードたちの中には彼を恨んでいる者もいると聞く。
「……私たちのお父さん。……いや、おじいちゃん?」
「その呼び方は……どうなんでしょうか」
「血縁関係はない。だから、お父さんでもおじいちゃんでもない。難しい、複雑」
そこ、こだわる所なのだろうか。
「オペレーターは、なんで調べてた?」
「先日、ルシアンさんとお会いした時に話題に上がっていたので。少し気になって」
「うん。確かに、あの人言ってたね。すごい顔だった」
セシリアがそう言って、ノアも思い出す。
彼がヘクターという名を出した時の表情。あの時の自分はあまりに緊張してしまっていたため気づかなかったが、後になってふと思い出した時、ルシアンの表情に陰りがあったように思えて仕方がなかった。
これは自分の勘違いなのではないかと考えていたが、どうやらセシリアも同意見らしい。
「僕は、彼のような……。彼らのような誰かを救える人間になりたいと思っていました。授業で出てくる彼らの偉業が眩しくて、僕も彼らのようになりたいと憧れた。だから、エデンを外敵から守る都市防衛軍に志願して、そして偶然にもアダプターとして戦場で戦う資格を有していたから、無茶を言って前線に出させてもらっています」
セシリアはノアの告白を黙って聞いている。
「何故だか、僕はそんな憧れの人と会う機会に恵まれました。実際に対面する英雄の姿は、やはり眩しかった。ですが、それと同時に僕は盲目だったということに気づいたのです」
実際に出会ったルシアンの立ち振る舞いは、正に歴戦の猛者と言えるオーラがあった。戦場に立つ人間ではないにもかかわらず、日常的に鍛えられた肉体。何もかもを見通していそうなほどの眼光。
真正面に立つだけで、自分の全てが露わになってしまうのではないかと錯覚するほど。
だが、そんな彼の中にある迷いのような感情が、あの時のノアには見えたような気がした。
ただの気のせいかもしれない。本当に、ただ一瞬だけ感じ取れたあの瞳。
奥深く。誰も届かないような深淵に、ぽつりと存在しているような願い。
誰か私を救ってくれ。
と、そんな嘆きが見えた気がした。
「ヘクターについて語っていた時の彼の姿が、瞼の裏から離れないんです」
何を言っているんですかね僕は。すいません、忘れてください。
冷静になって自分の発言を思い返してみれば、あまりに身の程知らずで傲慢な考えだった。だから、独り言にも似たこの発言を撤回しようとしたが、その前にセシリアが口を開いた。
「だから、ヘクターについて調べてるの?」
「……分かりません。彼について調べることで何かを得られるとは僕も思っていませんから。ですが、少し座りが悪いというか……。やるせないというか……」
ヘクターは仲間たちが犠牲になることが許容できず、その苦しみを押し付ける先を求めていた。そして、エデンも安定した戦力を欲していた。だから、オルタードたちが願われた。
そして、戦場がアダプターからオルタードに移行した後、それでも尚前線で戦おうとする正義の持ち主を見て、ルシアンは何を思ったのか。僕に求められていたことは何だったのか。
それを、彼は知りたかったのかもしれない。
セシリアからの問いに対して、ノアは少し口ごもる。何が自分の気持ちだったのかに整理を付け、そしてふとひとつ見つけ、言う。
「ただ、何かやらなければ。そう、思ったんです」
「ふーん……」
エデンの創設者たちは既に過去の英雄。
百年の月日が経過したエデンは今、世代交代の真っ只中にある。
新時代の英雄たちは、今も蛹の中で羽を育てていた。
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