ノマドに対して依頼を出して、俺とリオとの面識を繋ぐ。そして、半年後にノアたちが特異個体とのエンカウントした際に、どうにかリオ達を援軍として向かわせるため、布石を打たなくてはならない。
最悪のケースとして見えているのはノアが死ぬシナリオ。次点で悪いのは彼らの部隊、Σ017。言いづらいから未来で付けられることになるであろう部隊名『ホープ』と呼ぼう。
ホープの隊員の内誰かが死ぬと、まあ当然っちゃ当然だがノアが狼狽えて指揮ができなくなってしまう。仲間を失ったことにショックを受けたノアが前線から離脱すると、それだけでゲームオーバー。
キーパーソンのひとりであるノアが離脱してしまい、未来は悪い方向へと向かうことになる。
特異個体Ⅳ。通称『キメラ』は、並みの人間が戦って勝てる相手ではない。
ノアが戦場指揮に最適なアーツを持っていたとしても、今の彼らの実力では地力が違いすぎて防戦一方にしかならないのだ。
そんな彼らを助けるために、自由に動けて誰かのピンチを無視することができない善性の塊であるノマドに援軍を頼む必要がある。
常にリオと共に行動しているカインとエナは戦闘においてはプロだ。どうにかギリギリで彼らが間に合えば、ノアたちも撤退することができるだろう。
そんなことを考えていると、ひとりの女性が俺を睨んでいる光景が目に映る。
ここは俺の社長室。そして目の前にいるのは、当然客人になる。彼女はいかにも不満ですといった態度を崩さずに口を開いた。
「それで? 客人を目の前にして一言も話さないとはいい度胸ね。あたしをこき使ってるんだから、もう少し大切にしてくれてもいいんじゃない?」
細く長い足を組み、出された紅茶を優雅に嗜むひとりの女性。
彼女はステラ。俺たちと共にエデンを作り上げた仲間のひとりであり、未来視を明かしている数少ない人物。そして、エデンにおける軍事産業の担い手『アイギスグループ』の代表である。
俺の未来視について知っている人物は、俺を除いて俗にエデン創設メンバーと呼ばれる九人にアデラを加えた十人だ。かつて、人類の存続のために俺を信頼してついてきてくれた仲間にして、俺を導いてくれた尊敬できる親友たち。
今では、色々と関係がこじれたり、各々が目的のために動いたり、そもそも既に死別していたりとあまり関わる機会がないが、それでも俺は彼らを心から信頼している。
ステラに関しては、五大企業の代表になってしまっているので今でもそれなりに関わる機会は多いけど。
鮮やかな桃色の髪を腰辺りまで伸ばしたスタイルの良い美女である彼女は、少し鋭い吊り目をこちらに向けている。初対面の人には高圧的だと取られやすい性格をしている彼女だが、その実とても仲間思いだ。
まあ、実際高圧的なのは否定のしようもないんだけど。でも、ツンデレというか、女傑というか……。そんな感じの人だ。
「何か言ったらどうなのよ。アデラにお茶を淹れさせて、あんたは黙って腕組んで何様のつもり? あたし、これでも五大企業の代表なんだけど。暇じゃないんだけど?」
まるで剝き出しの針のような人だが、まあ無視で構わない。ずっと無視してたらいずれ向こうから謝ってくる。それをもう何回も繰り返してきた。
「…………」
「…………」
「…………」
「……何か言いなさいって」
ほらきた。
態度はつんけんしているくせに、相手からの反応がなくなると不安になる。ちょろすぎて心配になるレベルだ。本当にこういう人いるんだねと思うくらい。
……今見えている未来のことは無視しよう。
いつものこととはいえ、百年以上も生きているのに精神年齢も肉体年齢も二十歳辺りから全く成長していない彼女を見ると、ついからかってしまいたくなる。
いい反応をするから、面白くなってしまうのだ。いつものことなのに、彼女も性格なのかそれを改めることをしない。
チラチラとこちらの様子を伺っているステラを見て、俺はついに吹き出してしまった。
「笑ったわね! やっぱりからかってたんでしょ! これだから未来視は性格が悪いのよ。あたしがどんな反応をするかなんて分かってていじわるしてくるんだから!」
ふんっ!
と言いながら、彼女はそっぽ向いてしまった。
ひとしきり彼女で遊んだ俺は、先ほどまでの態度を改める。彼女にもその意図が伝わったのか、表情を元に戻し、五大企業のCEOとしての側面が僅かに顔を出した。
「……ノマドに依頼を出して、少女を拾わせる。でしたっけ? そんな遠回りなことしないで、あんたが直接出迎えればよかったんじゃないかしら」
「それだとダメなんだよ。彼女はノマドに所属するからこそ意味がある」
自由に行動し人助けをするノマドだからこそ、純粋な彼女が成長できる土台になれる。
「半年後の特異個体との接触は? あんたならもっと効率よくできるんじゃないの?」
「それもダメだね。ノアには適度に苦戦してもらう必要がある。彼の成長を促進させないと、今後の未来が行き詰まる」
何でもかんでもこちらが手を出せばいいという問題ではないのだ。それで解決するのであれば、もう既に未来は確定しているだろう。
俺が物理的に手を出せない状況だってあり得る。俺が手を出しすぎてはいけない状況だってある。逆に干渉しないと詰む未来もある。
そう単純にはいかないのが未来なのだ。
だから、ノアには悪いがどうにか生き残ってもらいたい。そのための手段は惜しまないが、それでも彼が死ぬか生きるかは賭けだ。
こういう時、物凄く歯がゆいんだよね。
未来が見えているのに、俺は直接関われない。俺ができる範囲のことをやってようやく五分五分。それってあんまりじゃない?
俺はその旨をステラに伝えた。すると、彼女は苦虫を嚙み潰したような表情になる。心底嫌そうな、面倒くさそうな顔だ。
「……相変わらず、性格の悪いアーツね。そんなもの持っててよく精神が崩壊せずにいられるわね」
「意外と何とかなるよ。絶望だけしか見えないわけじゃないし、人って慣れる生き物だから」
「だからって限度があるでしょう。あたしだったら絶対に使いこなせない力ね、それ」
手に入れたところで確実に封印するか自分の為だけに使うわ。
なんて言いながら、ステラは俺を見つめる。
「…………ん」
彼女はソファから立ち上がり、その抜群のスタイルを見せつけながら両手を開いた。
何をしているのだろうか。
「…………ん!」
開いたままの両手を震わせ、彼女は俺を睨みつける。
「……なに」
「……なにって、見えてるんだったら分かるでしょ!? ハグよ! ハ・グ!」
「……いや、見えてるけどさ。それはそれとして直接君の口から聞きたいというか」
まあ、分かっていた。
彼女が今、行っている行為は所謂ハグ待ちというやつだ。両手を広げて、相手が抱き着いてくるのを露骨に待っている。
付き合いたてのカップルがやるようなものだが、こんな状況では色気というものが皆無である。
「……なんでハグなの?」
「決まってるでしょ? あらゆる未来が見えてて、いろんな絶望的な可能性も知っちゃってるあんたを癒してあげるのよ。あたしのぬくもりで」
ほら、だから来なさい。あたしの胸に飛び込んで来たら、頭を撫でてあげるわよ。
なんてドヤ顔で言ってくるもんだから逆に行きたくなくなる。
……なんか、じわじわと距離が縮まっている気がするんだけど。
「……なんでこっち来るの?」
「あんたが来ないなら、こっちから抱き着いてやるまでよ。ほら、大人しく抱かれなさい。あんたはあたしに癒される定めなの」
シチュエーションが台無しだよ!
俺は心の中で叫ぶ。もっとムードを大事にして欲しいところだ。
好戦的な笑みを浮かべたステラを前に、社長室のデスクを境にして何かが始まった。
ステラは俺を捕らえようとじわじわと寄ってきており、右へ左へとフェイントをかけている。
俺はそんな彼女から逃れようと、デスクを盾に隙を伺う。
そんな俺たちを生暖かい目で見ているのは、秘書のアデラだ。
「アデラ! 助けて!」
「あっ、ずるいわよ! ……アデラ、そいつを捕まえなさい!」
俺がアデラに助けを求めると、続いてステラが寝返るように言う。そんな俺たちのじゃれ合いを見て、アデラは何もしてこない。あくまで観客を貫くつもりのようだ。
「というか、なんで逃げるのよ!」
「逃げるさ! 俺の尊厳のためにも!」
だって捕まったら俺が顔面の穴という穴から体液をまき散らしながら幼児退行するとかいうとんでもない未来が見えるのだ。
男として、そんなことには絶対にさせない。してはならない。
「いいじゃない減るもんじゃないんだし! それに、あんた未来が見えてるんでしょ? あらゆる可能性が見えるならハグなんて可愛いものじゃない! どうせ、あんたがあたしとくんずほぐれつなことしてる光景だって見えてるんじゃないの?」
「……………………」
……そんなこと、ないよ?
「沈黙は肯定とみなすわ! エッチ!」
「ひどくない!?」
もう逃げられないじゃんそんなこと言われたら。
いや、確かに見えていないと言えば噓になるけども。
「あたしは別に構わないのよ。あんたとなら、そういうことしたって。ほら、据え膳食わぬは男の恥! いい加減抱かれなさい!」
抱かれろって、ハグのことだよな!?
イヤじゃイヤじゃ! こんなに色気のないアプローチに屈したくはない!
というかなんでこんなに恥じらいがないんだよ! 少しは落ち着けよ、掛かり気味だぞ!?
そう思いながらステラとにらみ合っていると、不意に彼女がしおれた。
「それともあたし、そんなに魅力ない……?」
泣きそうな顔でそんなことを問うてくる彼女に、俺は自然と言葉が出ていた。
「……いや、別にそんなことないけど」
「……っ。なら、いい加減堪忍しなさい」
「なんでぇ……?」
顔を赤らめながら睨みつけてくるステラが、どんどんとこちらに寄ってくる。彼女の手に捕まれば、俺は彼女によしよしされながら泣きわめくことになるだろう。そんな未来が見える。……いや、もし捕まっても泣かないけどね?
未来は変えられるから。
「ほら、大人しくハグを受け入れなさい。少しは息抜きしないと、本当にダメになっちゃうわよ?」
最早両腕を広げてすらいない彼女は、前傾姿勢のまま俺に対して突撃をかましそうなほどだ。
もう何が目的なのかも分からない。この光景を第三者が見たら、確実にハグする一歩前だとは思わないだろう。
「……それとも、それ以上をお望みかしら?」
なんでそうなるんだよ。ハグから逃げてるんだからそれ以上なんてお望みじゃないから。
……それに言いたくは無いが、一度でも一線超えるとちょーっと未来的にまずいというか。俺が使い物にならなくなるというか。
だからダメです。
「そういう未来があるってことは、あんたも嫌じゃないんでしょ?」
「…………」
黙秘権! 黙秘権を行使する!
「沈黙は肯定と見なすって言ったわよね……。なら、大人しく捕まりなさいっ!」
しびれを切らしたステラが襲い掛かってくる。
バカめ! 感情的に突っ込んでくるとは愚か! これなら右に避けるだけで社長室から出られる!
「はっはー! 功を焦ったな。これなら俺も避けられる。じゃあな、次会ったらまた頼みたいことがあるからそん時は頼むよ!」
そうして俺は、暴走機関車から逃れることに成功した。
「……バカ」
◇
世界が崩壊し、家族も友人も失ったその日。
地面は割れ、空は荒れ、街は崩壊する家々と燃え盛る炎で溢れていた。
そんな『終わりの日』から、あたしは何もかもを失った。
何もかもをだ。
居場所も人間関係も、財産も。この身体以外のものはすべて失った。
あたしはひとり誰もいない世界で蹲っていた。
質の悪いゾンビパニック映画のように、周りの人々が怪物へと変貌していく中、あたしだけは人のままだった。
孤独による悲しみがあたしをずっと襲う。いずれ、あたしも死ぬのだろうという漠然とした希死念慮だけが頭を支配していた。
痩せ細り、植物のように枯れて死ぬんだろうと思っていた。
何かを食べる気力もない。命を繋ぐ精力がないんだから、あたしはこのまま土に還る。
そんなあたしを拾い上げたのは、あたしより酷い顔をした金髪の男だった。彼は精一杯の強がりを見せ、あたしの腕を掴んで引っ張る。
『俺と一緒に来ないか?』
絶望に塗れた瞳のまま、彼は希望を口にした。
『俺と一緒に来れば、きっと輝かしい未来になる。約束する、遥かな未来で俺たちは笑顔を浮かべていると』
とんだ三文芝居だった。
その顔で、この現状で、そんな張りぼての希望だけで人は生きていけない。
そんなことは、目の前の人間が一番よく知っているだろうに。どうしてまだそんなことが言えるのだろうか。
『……頼む。俺と来てくれ』
『君が来てくれるだけで、俺は……』
彼と目が合う。
絶望に塗れていた瞳だと思っていたのに、それはあたしの勘違いだったことに気づく。
最悪な表情なのに、光だけは死んでいなかった。
昏い、昏い瞳に宿る、輝かしいまでの希望。
あたしはそれをゼロ距離で受ける。死んでいた心は、何故か無理やり叩き起こされた。
仲間が増えていった。ルシアンは明るくなった。笑顔も増えた。
彼の指揮のもと、仲間たちは仲良く活動していた。
居場所ができた。人類最後の生存圏、楽園の名を冠した都市国家。
そして、死んでいく仲間もいた。
この頃から、ルシアンの凶行が目立つようになってきた。ニコラスも彼と袂を分かち、他の仲間たちも彼に対して不信を抱くようになっていく。
いい加減にしろと、ミリアンが詰め寄ってようやく彼は語りだす。
彼自身が持つアーツについて。
そして、そのアーツが持つ凶悪性を身を以て知る機会が訪れた。
ある日、ヘクターから齎された遺書を読み、いてもたってもいられなくなったあたしは彼の家へと走った。ミリアンは既に向かっているという。ルシアンは、恐らく彼の家にいるのだろう。ニコラスは何をしているのか分からない。アダムは? オリヴィアは? アデラは? 次々に浮かぶ仲間たちの名前に、今はそんなことを考えている場合ではないと振り払う。
全力で走り、徐々に近づいていく。彼の自宅が目と鼻の先という所で、彼の家から、ミリアンが飛び出してきた。
今にも泣きそうで、吐きそうなくしゃくしゃな表情で、あたしに気づくことすらなく通り過ぎていく。
彼女のその姿を見て、あたしの中で最悪の可能性が浮上した。
そして、その可能性を考えないようにしてあたしは走る。
無造作に扉が開けっ放しになっていたヘクターの家の中は、嫌な臭いで満ちていた。
『ルシアン……! その、ヘクター……は……』
人の気配がする方向へと走ると、そこには見慣れた後ろ姿。
血と脳漿が混じった液体が床を満たしている。落ちている拳銃と、倒れている成人男性の姿にあたしは目を見開いた。
ルシアンの服装は乱れており、何者かと揉め合いになったのだろうと推測できる。彼は地に伏しているヘクターを見つめ、何一つとして言葉を発しない。
ずっと下を見ていたルシアンは、ようやく顔を上げた。あたしの声が届いたのだろうか。
振り返った彼の瞳は、あの頃よりも遥かに昏い。黒く、昏い。本当の絶望が広がっていた。
そんなルシアンの表情に、あたしは固まる。
感情の一切が抜け落ちたような、虚無に満たされた彼の顔があまりに衝撃的すぎて。
あたしは何も言えずにその場に立ち尽くしていた。隣を通り過ぎていくルシアンに、何か声をかけようとして、口を閉ざす。
あたしは何を言うつもりだったのだろう。
慰めの言葉? どういうことか問いかける言葉?
未来が見えていた彼に、そして彼が止められなかったこの惨状に、あたしは口を出せるのか。
……気にするな?
そんなこと、口が裂けても言えない。
この結末を誰よりもよく知っていたのは、ルシアンなのだから。
ゆっくりと、しかし確実にルシアンはこの場から離れていく。あたしは彼を追うこともできずに、金縛りにでもあった様な気分だった。
既に、ここにはあたししかいない。
ようやくまともに見たヘクターの死体に、あたしはこみ上げてくる吐き気を必死に抑えた。
『…………うそ、よね』
これを、彼は何度も見ていたのだろうか。
知っていたのだろうか。
ヘクターは、ルシアンと最も仲の良かった関係にあった。
親友以上と言っても過言ではないほど。
未来が見えるというのは、これを何千何万通りも押し付けられているということに変わりないのではないか。
ルシアンが抱えていた苦悩を、奇しくもヘクターの死によって今まで以上に共感できてしまったあたしの涙は、その日だけは、枯れることなく流れ続けていた。