Hack The World   作:Hide.

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ep.10 Search Poisoning

 山小屋へ戻ると、暖炉の火は消えかけていた。

 

 扉を閉めた瞬間、室内の冷えた空気に混じって、彩子の声が飛んでくる。

 

「遅いよ、トオル。死んだかと思った」

 

 ソファに座る彩子は、いつも通り軽口を叩いていたが、服の裾は泥で汚れ、額にはかすり傷があった。

 

「そっちは無事だったみたいだな」

 

「無事っていうか......まあ、逃げ切った」

 

 彩子は笑ってから、少し得意げに言った。

 

「神代の股間、蹴り上げてきた」

 

「......は?」

 

「襲おうとしてきたから、全力で」

 

 彩子は足を組みながら、拳を握る仕草をした。

 

「いい音したよ。たぶん、しばらく立てない」

 

 オレは額を押さえた。

 

「お前、本当にやりやがったのか......」

 

「それで三階の窓から飛び降りて、SPEEDで足元だけ減速して脱走。完璧でしょ?」

 

 完璧かどうかはともかく、生還したのは事実だった。

 

 オレはスマホを投げるようにテーブルへ置いた。

 

「その件で問題がある」

 

「問題?」

 

「教団内部で、お前は指名手配扱いになった」

 

 彩子の表情が止まる。

 

「......やっぱりか」

 

「本部内で『背教者』『侵入工作員』として情報が回ってる。顔も割れてる」

 

 数秒の沈黙。

 

「じゃあ今回はお留守番?」

 

「今回はな」

 

 オレはノートパソコンを開き、作成したフローチャートを見せる。

 

「作戦を話す。今夜、決行する」

 

*

 

 翌朝。

 

 神代隆真がその報告を受けたのは、執務室で朝の経典読みを終えた直後だった。

 

「先生、少しよろしいでしょうか」

 

 入ってきた幹部の顔に、珍しく緊張の色があった。ノートパソコンを両手で捧げるように差し出してくる。

 

「ご確認をいただきたいものが」

 

 ワタシはノートパソコンを受け取った。ブラウザが開いていた。検索窓に「幸福同期教団」と打たれていて、サジェストの最上位に見慣れないURLが並んでいた。

 

『幸福同期教団の闇――借金と洗脳で信者を作る、MLM宗教の実態』

 

 胸がざわつく。

 

 ワタシはリンクを踏んだ。

 

 記事の冒頭には教団の名称と設立年が記されていた。続いて、幹部数名の実名。MLM組織における役職と階層。月間の販売ノルマ。それを達成できない構成員への対応、具体的な数字が並んでいる。脱会を申し出た人間に対して行われた、人間関係を利用した圧力の手口。借金を抱えた状態で「救済」という言葉を提示されれば、人間の判断力がどう歪むか。記事はその心理的メカニズムを淡々と、しかし妙に読みやすい文体で解説していた。

 

 別のタブには写真があった。ワタシの幹部の一人が、駅前の路上で若い女性に勧誘を行っている場面。女性の顔にはモザイクがかかっていたが、幹部の顔は鮮明だった。

 

 ワタシは画面から目を離し、幹部を見た。

 

「よく持ってきた」

 

 幹部は頭を下げた。

 

 昼の礼拝の後、ワタシは信者たちを大広間に集めた。普段より声量を抑えて話した。怒りを見せるより、静かに語る方が効く場合がある。

 

「今朝、皆さんの耳に入った方もいるかもしれません」

 

 静寂。

 

「インターネット上に、この教団を誹謗中傷する記事が出回り始めています」

 

 ざわめきが起きた。ワタシは片手を上げてそれを鎮めた。

 

「内容のすべてが虚偽です。我々の活動を恐れた者たちが、デマを拡散しているにすぎない。皆さんはご自身が何を経験してきたか、知っているはずです。誰があなたたちに手を差し伸べましたか。誰があなたたちの孤独を受け止めましたか」

 

 前列の女性が頷いている。隣の青年の目が潤んでいる。

 

 ワタシはゆっくりと、確実に、言葉を置いた。

 

「惑わされないでください」

 

*

 

 演説を終えたあと、ワタシは別室に人を呼んだ。

 

「祈(イノリ)」

 

「はい」

 

「あのサイトを消せ」

 

 一拍の間があった。

 

「......消す、というのは」

 

「閉鎖させろ。お前にできないことはないだろう」

 

 祈は一瞬だけ目を伏せた。それから、静かに頷いた。

 

「わかりました」

 

*

 

 数時間後、祈は自室に戻ってパソコンの前に座っていた。

 

 サイトのソースを眺める。構造は単純だった。共用レンタルサーバー、更新は止まっているが証明書は有効、管理者パネルへのパスは――

 

 見つかった。

 

 ログイン試行を三回。四回目で通った。

 

 管理画面からコンテンツを全削除し、ドメインの設定を書き換える。念のためDNSキャッシュの汚染経路も潰した。これで数時間以内にサイトは消える。

 

 ただ――

 

 私の頭の中に、記事の一節が残っていた。

 

 数字の話ではなかった。構造の話でも組織の話でもなかった。とある信者の入(・)会(・)前(・)の状況についての記述だった。母子家庭。経済的な困窮。孤立。そしてある日、声をかけてきた人物が言った言葉。

 

 ――救われたいでしょう。

 

 私は目を閉じた。

 

 邪な考えだ、と思った。

 

 神代先生は私に居場所をくれた。

 

 疑う気持ちは、裏切りだ。

 

 私はそう決めて、部屋の電気を消した。

 

*

 

 深夜2時。

 

 教団総合本部の敷地は無音だった。外周カメラの死角は昨日のうちに把握してある。

 

 MOVEを起動し、視界にHexが展開される。ターゲット座標、神代の部屋――3F北東角。昨日の彩子の報告で確認済みだ。

 

 自分のアドレスを書き換える。

 

 次の瞬間、オレは神代の部屋にいた。

 

 暗い。入り口のドアの隙間から廊下の非常灯がわずかに差し込んでいる。神代の寝息が聞こえる。

 

 オレはリュックからカメラモジュールを取り出した。市販の監視カメラを改造したもので、通信部分は暗号化済みだ。設置場所は本棚の上、エアコンの室内機の陰。カメラが部屋全体を捉えられる角度を慎重に調整する。

 

 次にSIZEを起動する。カメラのアドレスを取得して寸法を1ミリに書き換える。SIZEは物理寸法のみを再定義し、内部の論理構造には干渉しない。

 

 縮小後にも映像と音声が正常に届いていることをスマホで確認する。問題ない。1ミリに縮めたカメラは神代の部屋に完全に溶け込んだ。

 

 MOVEで山小屋のアドレスに戻る。

 

 時刻は2時17分。

 

 オレはパソコンを開いて、昨晩のうちに作った「幸福同期教団の闇」というサイトを公開した。

 

 内容は精巧だ。幹部のMLM組織における役職名、勧誘の実態、ターゲットの属性傾向、借金の規模感。すべてオレが自力で掘り出した事実をもとに構成してある。

 

 ただし、意図的に虚偽の情報を混ぜた。全部が本物では、神代が「内部の情報漏洩」と判断して犯人探しに動く。そうなればUSB所持者に頼む前に別の動きをされかねない。でたらめが混じっているように見せることで、神代に「外部の捏造工作」だと判断させる。そう思わせれば、対応は「このサイトを潰せ」になる。

 

 仕上げが検索汚染(SEOポイズニング)だ。ターゲットワードに対して特定のリンクをサジェスト上位に押し上げる手法。検索エンジンの自動補完アルゴリズムの隙間を突く。違法性の高い分野だが、オレは痕跡を残さない。

 

 そして、サイトには意図的にいくつかの脆弱性を仕込んであった。

 

 あとは待つだけだ。

 

*

 

 翌朝、監視カメラの映像が動いた。

 

 神代が幹部から報告を受けている。画面越しでも神代の表情が変わるのがわかった。幹部がノートパソコンの画面を差し出す。神代はそれを一瞥して、立ち上がった。

 

 神代が信者を集めて演説を行ったことは、カメラの音声から断片的に把握できた。

 

 しばらくして、神代は一人の人間を自室に呼んだ。

 

 女だった。年齢は彩子と近いくらい。黒髪をまっすぐ胸まで伸ばし、眉の上で切り揃えた前髪が目元を縁取っている。白いロングローブに白いケープ、フードを被ったまま立っている。

 

 神代が何か話しかけているのが聞こえた。「サイトを閉鎖しろ」という内容だった。

 

 教団の会員管理システムへは、昨日のうちに別口で侵入経路を確保しておいた。オレはそこから内部データを掘り起こした。信者名簿、入信日、登録住所。

 

 該当する人物を絞り込んで、本名にたどり着いた。

 

 天音 祈(アマネ イノリ)

 

 19歳。母子家庭。母親の死亡記録を引くと、12年前。死因は自殺。

 

 オレは少し止まった。

 

 12年前、祈は7歳だ。

 

 死因の記録だけでは足りない。保険の記録、遺書の有無、当時の住所と教団の設立時期。教団がその死に関与しているかどうかは、まだ断言できない。だが、臭う。

 

 数時間後、サイトへのアクセスが途絶えた。

 

 ログを確認する。攻撃は段階的だった。最初に表層的な脆弱性を突き、次に認証の隙間を探り、最後にサーバーごと落としにかかった。

 

 オレは残されたログをゆっくりと読んだ。

 

 突かれた脆弱性の数と手順。使用したツールの痕跡。判断の速さ。

 

 7位、あるいは6位。

 

 THWのランキングで言えば、その水準だ。粗削りだが迷いがない。正攻法を崩してから手癖が出る。ハッキングはスタイルが出る。そのスタイルは、体系的な学習ではなく独力で組み上げてきたものだとわかった。

 

 祈の技術力、教団内での立場、動機として機能しうる過去。

 

 駒は揃った。

 

 あとは最終フェーズだ。

 

 天音 祈を、こちら側に引き抜く。

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