「さッッッむ!!! なんなんすかここ、冷蔵庫の中より寒いっすよ!?」
ギィの居城である『白氷宮(はくひょうきゅう)』に足を踏み入れた瞬間、ゴブ太は鼻水を垂らしながらブルブルと震え上がった。
それもそのはず、ここは『白氷竜』ヴェルザードが放つ極寒の冷気によって、城はおろか周辺の大地ごと絶対零度に近い温度で閉ざされているのだ。普通の魔物であれば、門をくぐった瞬間に細胞まで凍りつき、物言わぬ氷像と化すような死の領域である。
だが、ゴブ太はガタガタと震えてはいるものの、一歩一歩しっかりと氷の床を踏みしめて歩いていた。
過去の魔素が濃いから耐えられているわけではない。未来のテンペストで、ハクロウに雪山へ放り込まれ、シオンの料理で毒耐性を極め、さらにはミリムやヴェルドラの理不尽な攻撃を躱し続けた結果――純粋にこれ程までに強靭な肉体と精神が完成されてしまっていたのだ。
「ほう……。私の冷気を浴びて、平然と歩いている魔物など初めて見ましたわ」
不意に、凍てつくような、しかしどこか美しく澄んだ声が広間に響き渡った。
現れたのは、白銀の髪をなびかせた絶世の美女。その瞳に宿る威圧感は、並の魔王であれば視線が合っただけで魂が砕け散るほどのものだった。
「おや、ヴェルザード。退屈しのぎに面白い客を連れてきたぜ」
ギィが楽しそうに笑う横で、ゴブ太はポンと手を叩いた。
「あーっ! ヴェルザードさんっすね! 未来のテンペストでもお見かけしたっす。相変わらず綺麗っすねー!」
「…………は?」
ヴェルザードは、完全に虚を突かれたように目を丸くした。
世界を滅ぼしかねない竜種である自分に対し、初対面のゴブリンが近所の姉ちゃんに挨拶するような軽さで「綺麗っすね」と言い放ったからだ。本来なら不敬として一瞥で消し去るところだが、彼女はゴブ太が自分の名を、そして「未来」という言葉を口にしたことに興味を惹かれた。
「ギィ、これは一体何の冗談ですの?」
「冗談じゃないぜ。こいつは未来から来たそうだ。おまけに、俺とお前、そしてお前の『暴れん坊の弟』の未来まで知ってるらしいぞ」
ギィの言葉に、ヴェルザードの瞳がスッと細められた。
「……私の弟。ヴェルドラのことを知っていると?」
ヴェルザードのオーラが一段と冷たさを増し、広間の巨大な柱がミシミシと凍りつき始めた。後ろに控えるミザリーとレインですら息を呑むほどの威圧感。だが、ゴブ太は相変わらず鼻水をすすりながら、呑気に答えた。
「ヴェルドラさんっすか? もちろん知ってるっすよ! 俺の主であるリムル様のマブダチっすからね。最近は部屋に引きこもって、ずーっと漫画読んでるか、ゲームして遊んでるっすよ」
「……まんが? げえむ? あのヴェルドラが?」
ヴェルザードは混乱した。
彼女の知る弟は、魔素の塊として手当たり次第に暴れ回り、自分が何度お仕置き(という名の物理的制裁)を与えても反省しない、困った破壊竜のはずなのだ。
「そうっすよ! スライムのリムル様に胃袋の中で大人しくさせられて、なんか完全に牙を抜かれたっていうか……。あ、でも、ヴェルザードさんがテンペストに遊びに来た時は、リムル様の後ろに隠れてガタガタ震えてたっすね。『姉上だけは勘弁してくれえ!』って」
「————っ」
ピキ、とヴェルザードの周囲の氷が音を立てて砕けた。
そして彼女の顔に、底知れぬ凄みが宿った、しかしひどく嬉しそうな「極上の笑顔」が浮かんだ。
「まあ……。あの聞き分けのない弟が、スライムに躾けられて、私に怯えて震えていると? ……ふふ、ふふふふっ。なんて素晴らしい未来なのかしら。その『リムル』というスライム、ぜひとも直接お会いしてお礼を言わなくてはなりませんわね」
ゴブ太の何気ない暴露により、暴風竜ヴェルドラの尊厳は、太古の時代において完全に崩れ去った。
「くははははっ! 面白すぎるぞゴブ太! おいミザリー、こいつに温かい食事と毛布を用意してやれ! 今日は宴だ!」
「承知いたしました、ギィ様」
「ゴブ太様、こちらへどうぞ」
ミザリーとレインまで、どこかゴブ太を見る目が「よくわからないが凄いホブゴブリン」という不思議な眼差しに変わっている。
「やったっす! ギィさん、お肉多めでお願いするっす!」
こうして、太古の絶対者たちの懐に、ゴブ太は持ち前の図太さで完璧に入り込んでしまったのだった。