「もぐもぐ……いやー、ミザリーさんのお肉の焼き加減、最高っすね! レインさんの淹れてくれたお茶も胃に沁みるっす!」
白氷宮の豪華な客室。ゴブ太は出された最高級の魔物肉のステーキを、遠慮というものを一切知らずに平らげていた。
最古の魔王の側近である悪魔公(デーモンロード)の二人をまるで定食屋の店員かのように扱うゴブ太に、ミザリーとレインは微かに頬を引きつらせながらも、「未来のスライムの配下は、皆これほどまでに図太いのでしょうか……」と妙な感心すら抱いていた。
その時である。
絶対零度の極寒であるはずの白氷宮の広間に、突如として春の陽だまりのような、温かく清らかな光が差し込んだ。
「ん? なんだこの光……めっちゃポカポカするっすね」
「……チッ。わざわざこんな寒苦鳥の巣みたいな所まで、ご苦労なこったな」
広間の玉座で寛いでいたギィが、面白くなさそうに片目を開ける。その視線の先、光の中から顕現したのは——眩いばかりの虹色の羽を背中に生やした、絶世の美女だった。
神聖にして不可侵、世界そのものの愛を一身に受ける精霊女王。まだ魔王としての『堕天』を経験する前の、全盛期のラミリスである。
「相変わらず可愛くない挨拶ね、ギィ。世界の理に妙な歪みを感じたから、わざわざ様子を見に来てあげたのに」
鈴を転がすような、しかし威厳に満ちた透き通る声。その圧倒的な神気は、並の魔物なら平伏し、あるいは消滅してしまうほどに純度が高い。
だが、口の周りを肉の脂でベトベトにしたゴブ太は、その美女をまじまじと見つめた後、素っ頓狂な声を上げた。
「——あれっ!? その羽と髪の毛の色、それに気配……もしかして、ラミリス様っすか!?」
「……え?」
威厳たっぷりに微笑んでいた美しい精霊女王は、ゴブリンに気安く声をかけられ、きょとんと目を丸くした。
「すごいっす! どうしたんすかその姿! 何かすごい幻覚魔法でも使ってるんすか? いつものちっこい妖精サイズから、いきなりナイスバディの大人になってるっすよ!」
「ち、ちっこい妖精……? な、何を言っているの、あなた……というか、私のこのオーラを前にして、平然と立っているホブゴブリンなんて聞いたことないのだけれど……」
「ギィさんギィさん! 見てみろっすよ! あのいつも『リムル〜! ケーキちょうだい〜! あたしってばすっごいのよー!』って騒いでるラミリス様が、めっちゃ澄ました顔して女王様ぶってるっす! ギャハハハハッ!!」
ゴブ太は腹を抱えて爆笑し始めた。
未来のテンペストにおいて、ラミリスといえばヴェルドラのオタク仲間であり、リムルに甘えてはおやつをもらい、迷宮(ダンジョン)の管理人として遊び呆けているマスコット的存在である。この威厳あふれる美女と同一人物だとは、到底信じられなかったのだ。
「け、けーき……? 騒いでる? じょ、女王様ぶってる……っ!?」
ラミリスの完璧だった笑顔に、ピキピキと青筋が浮かぶ。
「おいおいゴブ太、ラミリスはこれでも『精霊女王』だぞ? 創造主の遣いとして、世界を導く気高き存在だ。それが、なんだって?」
ギィがわざとらしく、ニヤニヤと笑いながら話を振る。ゴブ太は悪びれもせず、未来の真実を口にした。
「いやいや、未来のラミリス様は手のひらサイズっすよ! ヴェルドラさんの肩に乗って、いっつも一緒に漫画読んだりゲームしたりしてる、引きこもりニート仲間っす!」
「ニ、ニート!? 私が、あの粗暴なトカゲ(ヴェルドラ)と一緒に引きこもってるですって!?」
「そうっす! あ、それに何かのキッカケで『堕天』しちゃって、精霊から魔王になっちゃったらしいっすよ。ギィさんやリムル様と同じ『八星魔王(オクタグラム)』の一柱として、迷宮に引きこもってるっす」
「————ッ!!」
「くははははっ! あ、あははははははっ!! 傑作だ!! あのトレイニーに甘やかされて虫歯になりかける上に、堕天して魔王だと!? ひーっ、腹が痛い!!」
ついにギィは玉座から転げ落ち、腹を抱えて悶絶し始めた。隣にいたヴェルザードまでもが、扇子で口元を隠しながら「ぷくくっ」と肩を震わせている。
「だ、だてん……堕天……っ!? 私が魔王に……!?」
全盛期のラミリスにとって、それは自らのアイデンティティを根本からへし折る宣告だった。
世界の理を護る気高き精霊女王が、よりにもよって敵対関係に近い「魔王」に堕ちる。しかも、小さくてポンコツで、スライムやトカゲと一緒に引きこもって遊んでいるというのだ。
「な、ななな、なんなのよこのゴブリンはあああーーーっ!! 誰がちんちくりんのニート魔王よ!! 嘘よ! そんな未来、絶対に認めないんだからーーっ!!」
怒りで顔を真っ赤にしたラミリスの虹色の羽が、バチバチと黄金の魔力光を放ち始めた。全盛期の精霊女王が放つ、純度百パーセントの神聖魔法。
「消し飛びなさい! 『星天の雫(スターライト・フォール)』!!」
「うひゃああああっ!? シャレにならないっす! ラミリス様、本気すぎるっすよ!」
ゴブ太は悲鳴を上げながらも、全速力で逃げ回った。
ハクロウの地獄の剣術稽古で叩き込まれた歩法『朧流水』。それを回避のみに全振りしたゴブ太の動きは、もはや残像すら残さない。降り注ぐ光弾の僅かな隙間を、流れる水のようにスルスルと抜け、氷の壁を蹴って三次元的な軌道で躱し続ける。
「ほう……見事な歩法だ。あの魔法の雨を前にして、魔力感知と空間認識だけで完璧な最適解を弾き出している。これ程までの力……本当に未来で何をどう鍛えればこうなるんだ?」
「ふふっ、本当に面白いゴブリンですわね」
ギィとヴェルザードが感心する中、ラミリスはさらに巨大な魔法陣を展開しようと両手を掲げた。
「キーーッ! 逃げ回ってばかりで小賢しいのよ! 広間ごと浄化してあげるわ!」
「待つっす! ラミリス様、ストップっす! 降参、降参っすよ!」
ゴブ太はずざざーっと氷の床を滑りながら、見事な土下座の姿勢に入った。そして、未来の『最強の交渉術』を切る。
「今ここで俺を許してくれたら、未来に帰った時に、リムル様にお願いして『特製ショートケーキ・ホール食い権』をラミリス様にプレゼントするっす! トレイニーさんには内緒で!」
ピタッ。
その瞬間、ラミリスの手に集束していた膨大な魔力が、嘘のようにスッと霧散した。
「……ほ、ほーる食い?」
「そうっす! 生クリームたっぷりで、イチゴが山ほど乗ってるやつっす! 未来のラミリス様、それ見るといっつもヨダレ垂らして喜んでるっすよ!」
「よ、ヨダレなんて垂らさないわよ! ……でも、その、けーき? っていうのは、そんなに美味しいの……?」
威厳あふれる大人の姿のまま、ラミリスの瞳が完全に『おやつに釣られた子供』のそれに変わっていた。
「くははははっ! 駄目だこいつ、完全に手懐けられてやがる!」
再びギィが爆笑する中、白氷宮を吹き飛ばしかねなかった衝突は、未来の「おやつ」の確約によってあっけなく幕を下ろした。そしてゴブ太は、安堵の溜息をつきながら再びお肉の皿の前に座り直すのだった。