ハッピーエンドの傍らに   作:鮎貝式部書生

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 無数の蛍烏賊の火を沈めた深い海にダイアモンドをばらまいたようなツクヨミの空を、列車が静かに駆けていく。

 4ttsu──敦嗣は、天蚕絨(びろうど)の貼られた座席へ深く身体を預けながら、窓の外を流れていく光の魚群をぼんやり眺めていた。

 

 ネオンカラーの尾鰭が、深海みたいな夜空をゆるやかに裂いていく。列車の振動は驚くほど穏やかで、まるで星々のあいだを漂っているようだった。

 

 

 隣では、ヤチヨが頬杖をついて窓枠に(もた)れている。

 まるで極上の絹糸を束ねたような長い髪が座席の上へさらさらと流れ落ち、その上を車内灯の暖かな黄色い光が波のように滑っていた。

 淡い金色を帯びているようにも見える髪の隙間から覗く横顔は、普段の配信で見せる“月見ヤチヨ”よりずっと静かだ。

 あのライブのあとだからだろうか、と敦嗣は思った。

 

 琵琶を弾いた。

 聴かせた。

 見せた。

 隠していたものを。

 そして彼女は、きっとそれを理解した。

 

 長い時間の中に沈みこんでいた記憶が、昨夜のステージでは確かに互いを繋いでいた。

 

「……いやぁ~、昨日はすごかったねえ。会場の熱気、完全にお祭りだったじゃん。SNSもずっと騒いでたし。琵琶ってトレンド入りしてたよ?」

 

 敦嗣は苦笑した。

 ヤチヨは肩を揺らして笑う。

 

「でも、ほんと良かった。みんなすっごい楽しそうだったし」

 

「……なら、やった意味はあったな」

 

「意味はあったな、じゃなくて、大成功~☆、でしょ?」

 

 車内へ軽やかな笑い声が広がる。その声を聞きながら、敦嗣は窓の外へ視線を戻した。

 瞬く光の粒が飛びちがい、鯨のような巨大な魚が遠くを泳いでいく。

 電子の空なのに、不思議と夜、そして海の匂いがする気がした。

 

 しばらく、静かな時間が流れる。沈黙は気まずくなかった。

 むしろ、昔からこうだった気がする、と敦嗣は思う。

 月を見ながら。

 水音を聞きながら。

 あのウミウシ姿の友と、意味もなく長い時間を過ごしていた。

 

「……ねぇ」

 

 不意に、ヤチヨが口を開く。

 

「昨日のアレ」

 

「琵琶?」

 

「うん」

 

 ヤチヨは窓の外を見たまま、唇を尖らせる。

 

「あれ、ズルくない?」

 

「何が」

 

「あんなことされたら、気づくに決まってるでしょ?」

 

 敦嗣は応えなかった。否定しない。それだけで十分だった。

 車窓の向こうでは、青白い魚群がゆっくり尾を引きながら泳いでいく。

 

「……いつから?」

 

 ヤチヨの声は静かだった。

 敦嗣は少し考える。

 

「貴女の概要を知って、そして実際にウミウシ連れてるの見た時には、もうほぼ確信してた」

 

「そんな前ぇ!?」

 

「そもそも、話し方とか滲み出す性格とか、わりとそのままだし」

 

「えぇ~!? キミと別れてから千年以上経ったんだけど!?」

 

「俺からしたら十七年くらい前だな。貴女の過ごした時間にくらべたら、昨日みたいなもんだろ」

 

 さらっと言われたその言葉に、ヤチヨが一瞬黙る。

 昨日みたい。

 千年を越えてなお。

 そんなふうに言われるなんて思っていなかったのだろう。ヤチヨは窓へ視線を向けたまま、小さく息を吐く。

 飛び交う蛍のような光が、その横顔を淡く照らした。

 どこか泣きそうにも見える横顔だった。

 

「……じゃあ、昨日のライブ」

 

「ああ」

 

 敦嗣は頷く。

 

「貴女に聞かせるためにやった」

 

 あまりにも自然に。

 当たり前みたいに。

 だからこそ、ヤチヨの胸を締め付ける。

 

「観客へのサプライズでもあったけど。でも、一番見せたかったのは貴女だよ」

 

 列車が小さく揺れた。

 ガラス窓へ映った光が、波のようにふたりの影を横切っていく。

 ヤチヨはすぐに何も言えなかった。

 ただ静かに視線を伏せる。

 

「……まいったなあ、もう」

 

 ぽつりと漏れる声。

 

「そんなの、ズルいじゃん」

 

「何が」

 

 ヤチヨは困ったみたいに笑った。

 

「変わったけど、変わんないねえ、キミ」

 

 敦嗣は少しだけ目を細める。

 

「……貴女もだろ」

 

 ヤチヨがぱちりと瞬きをする。

 

「……え?」

 

「見た目も、立場も、背負ってるものも、あの頃とは全然違う。でも──根っこのところは、あんまり変わってないだろ」

 

 列車の窓へ、淡いネオンの光が帯みたいに流れていく。その光を横顔に受けながら、敦嗣は静かに言葉を続けた。

 

「楽しそうなものを見つけると、すぐ手をだしたり。誰かが笑ってると、自分まで嬉しそうにしたり。……成長しただけだよ」

 

 ヤチヨは一瞬きょとんとして、それから誤魔化すみたいに笑った。

 

「なにそれぇ。キミ、意外と人のこと見てるよね」

 

「昔から観てたからな」

 

 さらりと言われて、ヤチヨの笑みがほんの少し止まる。

 八千年。

 彼女が抱えた時間に比べれば、敦嗣の人生は短い。けれど敦忠として過ごした記憶も、彼の中でちゃんと地続きのままだった。  

 月明かりの庭の水音のそばで。  

 琵琶を鳴らしながら、不思議なウミウシと他愛もない話をしていた夜。

 その記憶の延長線上に、今のヤチヨがいる。

 

「……そっか」

 

 ほんの僅かな安堵を含んだ震え声で、小さく呟く。

 それきりヤチヨは黙り込んで、窓の向こうを流れていく景色を眺めながら、どこか力の抜けたように背もたれへと身体を預けた。

 

  車内灯を受けた長い髪がさらりと揺れ、淡く透ける。

 静かな横顔だった。いつものように、その場を回すための笑みでもなく、また誰かを安心させるための表情でもなく。ただ、ようやく一つ息を吐けたような顔だった。 

 

 やがて。

 朝霜のように清らかで繊細な睫毛を伏せながら、

 

「……でも、嬉しかった」

 

 ひどく柔らかで、壊れてしまいそうなくらい小さな声で呟いた。

 

 ヤチヨは視線を落としたまま、自分の指先をぼんやり見つめている。細い指が、膝の上で所在なさげに動く。

 何かを誤魔化すみたいに笑うことも、軽口を挟んで空気を散らすことも、この瞬間だけはしなかった。

 

 流れていく星屑のような光をぼんやり眺めながら、ヤチヨが小さく息を吐く。

 掴もうとしても指の隙間から零れていくものを見送るみたいな目だった。

 

「ずっとさ。もう会えないんだって思ってた」

 

 軽い口調。けれど、その奥に沈んでいる時間は軽くない。

 

「八千年って、長いんだよ~? 出逢いも別れも、何回も何回も繰り返してさ」

 

 穏やかで、静かで、すべてを受け入れるみたいな大人びた微笑みでつつみこんで、冗談めかして言う。

 

 寂しさも。

 孤独も。  

 置いていかれる痛みも。

 全部。

 これまでずっと、そうしてきたのだろう。

 

 敦嗣は少し視線を落とす。

 彼にとって、彼女はずっと“かぐや”だった。

 月を見上げながら言葉を交わした、不思議な友。

 けれど今、隣にいる彼女は“ヤチヨ”を名乗っている。

 電子の海で歌うAIライバー。

 ツクヨミの管理者。

 何千年もの時間を抱えた存在。

 同じで。

 違って。

 それでも確かに、彼女だった。

 

「……あのさ」

 

「ん、なんだい?」

 

 呼びかけかけて、敦嗣は一瞬迷う。

 ヤチヨ。

 かぐや。

 どちらを呼ぶべきなのか、まだ決めきれない。

 その短い沈黙に気づいたのか、ヤチヨがふっと笑った。

 

「なぁに、その間」

 

「……いや」

 

 敦嗣は少し視線を逸らす。

 

「何と、呼ぶのが正解なんだろうなって」

 

 ヤチヨがきょとんとする。

 

「え?」

 

「あの頃は“かぐや”だっただろ。でも今は“ヤチヨ”だし」

 

 一瞬。

 ヤチヨの目が、わずかに見開かれる。

 

「……キミが呼びたいほうで、いいよ」

 

 ヤチヨはそう言って、いつもの調子で軽く笑った。

 けれど、その笑みの奥に、ほんの僅かだけ何かを待つような色が揺れた気がした。

 

 

「……そういう顔されると、余計わからなくなるんだが」

 

「えぇ、なにそれぇ~。……でも、まあ、それなら?」

 

 ヤチヨはうろうろと視線を泳がせながら、それから小さく肩をすくめた。

 

「他に誰もいない時なら、うん。たまにね、“かぐや”って呼んでほしかったり?」

 

 呼吸が一瞬止まる。心臓が一瞬、大きく跳ね上がるような感覚があった。

 車輪の低い振動音だけが、静かな車内で淡く響く。

 

 予想していなかった提案に、冷静を装おうとするが、胸の奥が熱くなり脈拍が速まるのを抑えきれない。

 

「……そういうの、急に言うのやめてくれ」

 

「えぇ~? 照れたぁ~?」

 

「照れてない」

 

「絶対照れてるじゃぁん」

 

 ヤチヨが肩を寄せて笑う。

 その距離の近さに、敦嗣は小さくため息を吐く。しかし、その口元は少しだけ緩んでいる。

 約千年越しの再会は、歓声と熱狂のあとに訪れた静かな夜の中で、ゆっくりとその輪郭を結び始めていた。

 

 

 




 

 ヤチヨにはアイネクライネ歌ってほしい。 


 蛇足。

 超かぐや姫原作において中納言敦忠は、冠直衣と思われるやや改まった服装で描かれています。

 烏帽子+直衣であれば平安前期~中期の普段着ですが、冠+直衣となると普段着ではなくなります。これは仏事や他の貴族の元服の儀式など、私用で用いるやや改まった服装です。(雑袍聴許を得れば朝廷にもこの服装で出仕できるが、敦忠がこれを得た記録はないはず)

 したがって、この場面の敦忠は何らかの私的な儀礼の直前/直後であるか、はたまた、かぐやとの時間が彼にとって特別であるからこそ、完全普段着の烏帽子ではなく冠という格式高いかぶりものを着用している……なんて想像しています。(製作陣はそこまで考えていないと思うけど)

 ちなみに、敦忠は平安前期~中期の人物ですが、このころの狩衣は普段着のなかでも今でいうスポーツウェアのような感覚で着用されたものと思われます。
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