ハッピーエンドの傍らに   作:鮎貝式部書生

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執筆の箸休め的な感じです。


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 白いカーテン越しに差し込む夏の光は明るいのに、空気はどこか湿って重い。冷房の切れた部屋には、朝からぬるい熱気が滞っていた。

 

 敦嗣はベッドの上でぼんやりと目を開けると、枕元のスマホへ手を伸ばし時間を確認する。午前十時半過ぎ。

 寝返りを打つように浅く息を吐いて数秒だけ沈黙したあと、ゆっくりと起き上がった。

 とりあえず、何か飲むか。

 キッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。流れでた冷気が肌を撫でた。

 

 ミネラルウォーターを取り出して口をつける。  冷えた水が喉を通って胃の腑まで落ちていく感覚が、やけにはっきりしていて爽快だった。

 今日は特に予定もない。無理に何かをする必要もない。

 そう思いながら、いつもの癖でスマホを開けば、世紀の竹取合戦関連の動画や感想が並んでいた。

 そのまま何気なく画面をスワイプしていた敦嗣の指が止まる。

 

『最近マジで暑いじゃん? だから今日は~、梅と大葉の冷製パスタ作る!』

 

 ここ最近、動画や配信で聞き慣れた明るい声が響く。

 画面の向こうのかぐやは、ラフに髪をまとめたエプロン姿でキッチンに立っていた。

 

 まな板の上へ、大葉が数枚並べられる。

 かぐやはそれを慣れた手つきでくるりと丸め、細く細く包丁を入れていく。しゃっ、しゃっ、と軽快な音。切り分けられた大葉が解けてふわりと広がるたび、夏らしい清涼感まで漂ってくる気がした。

 

『大葉ってさ、刻んだ瞬間めっちゃいい匂いするよな~』

 

 続けて梅干しの種を外し、包丁で叩き始める。赤い果肉が少しずつ崩れ、とろりとしたペースト状へ変わっていく。

 ボウルの中へ叩いた梅、めんつゆ、オリーブオイルを入れて混ぜる。琥珀色の液体へ赤い梅肉がゆるやかに溶けていき、そこへオイルの艶が重なった。

 

 その間にも、背後ではパスタを茹でる湯が絶えず白い蒸気を立ち上らせている。

 

『冷やすと麺硬くなるから、ちょい長めに茹でるのがコツなんだよね~。あと、水で麺冷やすときに味ぼやけるから、お湯に入れる塩もちょっと多めがいいよ』

 

 そう言いながら、ボウルの中のソースを味見をする。少し考えて、白だしをほんの少しだけ足した。

 

『彩葉、今日めっちゃ暑い中出てったからさー』

 

 菜箸で鍋の中の麺を揺らす。

 

『お昼には帰ってくるって言ってたし、冷たくてさっぱりしたのあったら嬉しいかなって』

 

 >夫婦じゃん

 >やさしい

 >同棲感すこ

 >てぇてぇ

 

『うひひひ、夫婦かぁ……』

 

 否定も肯定もしない。

 ただ、口元をだらしなく緩めて照れている。

 

 茹で上がった細麺を氷水へ落とす。きらめく水面が大きく揺れて、氷がガラスボウルに当たる澄んだ音が聞こえる。

 

『冷た~~』

 

 かぐやは笑いながら麺をほぐす。

 熱を奪われたパスタが、水の中で白く艶めいていた。

 

『こういうの、自分でちゃんと作るとさ、あー、今、生きてるなーって感じするよね』

 

 冷水で締めた麺をざるへ上げ、キッチンペーパーで丁寧に水気を取る。

 余計な水分を残さないように、一本一本を軽く押さえる手つきが妙に几帳面だった。

 

『ここちゃんとやると味ぼやけにくいから、大事ー』

 

 そうして麺を梅のソースが入ったボウルへ移し、全体を和えていく。

 

 別に、特別な料理ではない。

 けれど。

 暑さを気にして。帰りを待って。誰かのために作られる食事は、不思議と特別なものに思えた。

 

 白い皿へ盛られた麺の上に、大葉としらすが散らされる。最後に炒り胡麻を一振。

 見た目にも涼しげで、刻まれた大葉の香りまで画面越しに伝わってきそうだった。

 

『はい、完成ー♪ ……あ、彩葉もうすぐ家着くって。タイミングバッチリじゃ~~ん』

 

 そう言いながら、かぐやは太陽のように笑った。

 敦嗣はしばらく画面を見つめたあと、静かにスマホを伏せる。

 

「……」

 

 おもむろに冷蔵庫へと視線を向ける。

 中にはミネラルウォーターの他、卵と使いかけの豆腐くらいしか入っていなかったはずだ。

 敦嗣は少し考えてから、小さく息を吐く。

 

「……たまには、少しくらい手間をかけるのもありか」

 

 誰へ向けるでもない独り言だった。

 

 

 

 


 

 

 

 外へ出た瞬間、熱気が肌へまとわりついた。冷房の効いた部屋に慣れた身体へ、真夏の空気が容赦なくのしかかる。じわりと汗が滲み、首筋を垂れる。

 

 強い日差しに目を細めながら、敦嗣は近所のスーパーへ向かう。  

 アスファルトは白く照り返し、遠くの景色がゆらゆらと揺れて見えた。どこかで蝉が割れそうなほど鳴いている。電柱の影は短く、空は痛いくらい青い。

 信号待ちの間、ふと隣り合ったガラスへ映った自分の姿が目に入る。ラフな私服姿。片手にはスマホ。アウトドア派でもない自分が、こんなふうに夏の炎天下を歩いていることが少し意外に思えた。

 

 

 

 スーパーの自動ドアが開く。途端に清涼な空気が全身を包み込んだ。全身の汗がスッと引いていくような爽快感を覚える。

 買い物籠を腕へ掛け、控えめなBGMが流れている店内を歩く。野菜売り場には細かな霧が吹かれていて、青葉の匂いがほのかに漂っていた。

 並んだ大葉はみずみずしく、葉脈まで鮮やかな緑色をしている。敦嗣はその中から状態の良い束を選び、籠へ入れた。

 

 梅干し売り場の前で少し立ち止まる。

 蜂蜜、しそ漬け、減塩。種類が妙に多い。

 結局、昔ながらの赤紫蘇で漬けられた酸味の強そうなものを選んだ。

 

 スマホのメモを見返す。

 パスタ細麺。白だし。オリーブオイル。

 少し考えてから、白く透けていて涼しげなしらすも籠へ入れた。

 

 精算を済ませ、ビニール袋を片手に店を出る。粘度を感じるような熱気が身をつつんだ。店内の冷気に慣れた肌へ一気に押し寄せた夏に、敦嗣は思わず眉を寄せながら、ゆっくりと帰路につく。

 遠くでは入道雲が膨らんでいる。

 

 

 

 部屋へ戻る頃には、シャツの背中がじっとりと汗ばんでいた。玄関のドアを閉めると、外の熱気が少し遠のく。

 

 敦嗣は買い物袋をキッチンへ置き、まず冷房のスイッチを入れた。

 微かな駆動音のあと、冷えた風がゆっくりと流れ始める。

 

 買ってきた食材を取り出す。

 青々とした大葉。赤紫蘇の梅干し。細麺のパスタ。透明なパックに入ったしらす。

 

 自分でも少し妙だと思う。

 たかが自分一人の昼食を作るために、こうして食材を選んで帰ってきていることが。

 けれど不思議と悪い気分ではなかった。

 

 鍋へ水を張ってコンロへ据える。青い炎が鍋底を舐めるように揺れた。

 

 敦嗣は大葉を洗い、水気を軽く切ってまな板へ置く。指先へ触れる葉は薄く柔らかい。

 かぐやがやっていたように葉を重ね、くるりと丸めて包丁を入れる。

 しゃっ、しゃっ、と乾いた音。

 

 細く切ったつもりでも、画面越しに見たかぐやの千切りほどは綺麗に揃わない。

 それでも、青く爽やかな香りがふわりと立ち上った瞬間、少しだけ気分が良くなった。

 

 梅干しの種を取って、包丁で叩く。果肉が粘りを帯びながらゆっくり崩れて、酸味のある香りがじわりと広がった。

 

 昔、自分が生きた平安の頃にも梅はあった。

 高級な保存食として、あるいは薬として存在していたものだ。

 

 ボウルの中に、潰した梅肉、めんつゆと少しの白だし、オリーブオイルを入れて混ぜる。

 

(オリーブオイルと合わせる日が来るとは思わなかったな)

 

 その頃には鍋の湯も沸騰している。

 塩を少し多めに混ぜて、細麺のパスタを入れた。

 湯気が立ち上る。

 むわりとした熱気が頬を撫でた。

 

 菜箸で麺を沈めながら、敦嗣はふとスマホへ視線を向ける。さっきの配信では、最後まで彩葉は映らなかった。

 けれど。

 

『彩葉、もうすぐ家着くって』

 

 そう言った時のかぐやは、本当に嬉しそうだった。

 誰かの帰りを待ちながら料理を作る。それは、昔の自分には縁のなかった時間だ。身分的に食事は“用意されるもの”だった。

 誰かのために献立を考えることも、帰る時間を逆算して火加減を調整することもなかった。

 

 今こうしているのは、たぶん。

 少しだけ羨ましかったのだと思う。

 

「……」

 

 タイマーが鳴る。

 敦嗣は思考を切り替えるように小さく息を吐き、火を止める。茹で上がった麺をざるへ上げて湯を切ると、そのまま氷水へ落とした。

 ぱしゃり、と澄んだ音が鳴って、透明な水の中で麺が静かに揺れる。指先へ伝わる冷たさが心地いい。

 

 十分に締めたあと、水気を切った麺をキッチンペーパーで丁寧に押さえる。少し面倒な作業だが、かぐやが“ここ大事”と言っていたのを思い出す。

 

 

 皿へ盛り付け、刻んだ大葉、しらす、胡麻を散らす。完成したそれは、想像していたよりずっとそれっぽい。

 

 敦嗣は少しの間その皿を眺め、それから一人で小さく笑った。

 

「……案外、悪くないな」

 

 簡単な料理だ。

 だが、いつもの適当な食事よりは、ずっと“作った感”があった。

 

 冷房の風が静かに流れる部屋で、敦嗣は椅子へ腰を下ろす。

 

「いただきます」

 

 フォークで麺を巻き取り、口へ運ぶ。最初に来たのは梅の酸味だった。オリーブオイルのまろやかさで包まれたそれは尖りすぎず、白だしの旨味が後から追いかけてくる。大葉の香りがスッと鼻へ抜ける。冷えた麺の食感も心地いい。

 

「……うん、うまい」

 

 ぽつりと零れる。夏の暑さに削られていた感覚へ、冷たくさっぱりとした味が静かに染み込んでいくみたいだった。

 

 

 

 

 

 

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